シグと雷鬼
本当に雷が落ちたかのような衝撃が空気を鳴動させた。
シグはネイシェンの腰に無造作に左腕をまわして抱え上げ、眼下の森の中へと飛び込む。
絡みつくような枝を次々と折りながら落下する。着地と同時に水と泥が跳ねあがり、糸を木の幹に巻きつけながら勢いを殺した。
「ちょっと......離して!」
もがくネイシェンをそっと地面に降ろす。棍を手にしたままの彼女はきっとシグを見上げる。
堪えた様子もなくシグが肩をすくめた。
「悪いが文句を聞いている暇はない。お前は村に行け」
「待って、だったらあんたは......」
「あのチビをここで止める」
「そのケガで!? もうふらふらじゃない!」
無言のままシグはフードからレトロを引っ張り出しネイシェンに放った。危なげなく受け止めたネイシェンには彼が隠していても疲労困憊といった様子なのが分かる。
それは間違っていない。肉体強化の応用で疲労を紛らわすことも可能だが、もちろん基礎すら使えないシグでは不可能だ。もうロクに走れる体力も残っていないだろう。
右腕も調子が悪いのか庇っていた。
「構わん」
それでもラキをここで村に向かわせずに足止めをする存在が必要だ。
村に連れていくように動くのは悪手である。ローガンやファルナのようなタイプがラキに遅れを取るはずもないが、あくまでそれは一対一の場合だ。今ではティオを巻き込む可能性があった。
「あんた、死ぬわよ?」
「いつから俺に優しくなったんだ。お前の主は誰だ?」
シグはここに飛び込むまでにばら撒いた糸で追撃しようとしてくるラキを妨害している。
あまり時間もない。
「でも......」
根が優しすぎた少女に見捨てるという選択肢を取らせるのは酷なことだ。
シグが雨のベールの奥を見て舌打ちする。
彼らと同じようにラキは槌を手に持ち、破壊痕を晒した山を背にして着地した。彼女の場合は落下のそれに近く盛大に泥水が吹き上がる。体がなかばまで埋まっても何事もなかったように地面から這い上がる姿は幽鬼のようだった。
時間切れだ。
ラキと向かい合うシグは気怠げな目にわざといらだちを含ませ、背後の少女を鋭くにらむ。
「雑魚は邪魔だ。自分に出来ることだけをやれ」
息を飲む気配。悔しそうに棍を強く握っただろう。内心を押し殺し、ネイシェンはシグの背中に声を掛ける。
「......わかってると思うけど」
「ああ、間違っても殺しはしない。安心しろ」
棍の先を地面に軽く置いたネイシェンは法則を発動させた。
奈霧散
視界の確保さえ困難な量の雨が瞬時に細かく弾け、地面を覆っていた水もろとも粒子状の土が跳ねあがった。霧と土煙が同時にラキの視界を潰す。ラキは目は使えないと判断し、とっさに気配を探った。ここから離脱しようとするネイシェンを見つけ、そこに突っ込む。
「人違いだ」
突如、ラキの顔が異形の手によって掴まれた。『智の変貌』によってシグが気配を欺いていたのだ。ラキの突進の勢いは別方向にいなされ、勢いと重量に引っ張られた彼女は盛大に水しぶきをまき散らしながら転倒した。
雨が霧と土煙を洗い流し視界をクリアにする。もうここにはシグとラキしかいない。
よろよろと立ち上がるラキを雨が容赦なく打ち据えるのをシグは静かに見ていた。
その叫びが耳に届いたと思うのは、おそらく気のせいだ。
その嘆きが耳に届いたと思うのは、おそらく気のせいだ。
小さな少女の頬をとめどなく流れるのは、ただの雨水にちがいない。
だから気にかけてやる義理もないシグはゆっくりと構えた。
お互いの目的は奇しくも一緒だ。目の前の相手を一刻も早く潰し村へと急ぐこと。
違うのは、必殺か不殺か。前者はラキで後者はシグ。
彼が殺しを躊躇するのは二つの理由からだった。一つはラキについてまだ知らない情報があるため。二つ目はそれに比べるとどうしようもないと彼自身が思える理由のため、あえて意識の外に置く。
眼前に迫った槌の底を身をひねって避ける。牽制のナイフをラキの腕に投げつけるも皮一枚しか貫けない。止まらない槌の連撃にかろうじて後方に跳ぶ。風圧とプレッシャーで顔が痛いぐらいにしびれた。
彼らのやりとりは肉弾戦だけではない。
ラキの身体から常に放出された電気が敵をからめとろうと舌を伸ばし空気を焦がす。それをシグが対抗するように無形の行使力をぶつけて打ち消していく。巻き添いにさせられた木はことごとく粉砕され、輪切りになり、焼け焦げる。次の瞬間には競い負けたほうが同じ末路を辿るかもしれなかった。
「こんなこと、やめないか?」
「............」
試しにシグは提案するも、沈黙と一緒に槌が地面に叩き付けられる。
再度、雷鳴が森に轟く。
「どうせこれは無駄なことだ」
「ーー--ムダなんかじゃない!」
ラキの纏う雷が一斉に槍の形を成す。それらを次々と青年に向けて放ちながらラキは青年と肉薄した。
無形の行使力でラキの身体を這うパルスをはぎ取る。槌を振るおうとする彼女の眼前にシグは接近。リーチの狂った槌を慌てて戻そうとするラキの右腕に蹴りを叩き込み、武器を取り落とさせた。しかしラキは足の甲で柄の先端を蹴りあげ、顎をかち割られそうになったシグは背後に飛びのく。
槌を持ち直したラキが叫ぶ。
「ラキは決めたんだ! ぜったいに村を守るって!」
「虚しい志だな」
激昂の気配。
雷を強引にエネルギーに変換したものを槌に込め、シグの頭上に振り下ろした。一瞬だけ力が緩むがそれで止まるはずもなくあっさりと叩き潰す。
たしかに当たったが手ごたえがない。
バッと首を巡らすラキの耳元にいきなり声が飛び込んできた。
それは隙を作るためのものなのか。シグらしい気配は別にあり、ラキはそちらを目で追いかけ続けた。
「可愛げがないが、まぁいい」
声は続く。ラキは仕掛けを理解した。
張り巡らされた糸に音を伝播させているのだ。彼女に位置を見抜かせないようにするため、幻惑するための技を使っているに違いない。
けれども、予想していた奇襲は起こらなかった。
「やめたいのならやめろ。それが一番いい」
「うるさい! オマエなんかにラキのことなんてわからない!」
「たしかにお前の事情も覚悟も知ったことじゃない」
とある木の幹の影に体を隠しながらシグは言う。
「だが、目を見ればわかるぞ。前にも同じのを見たからな」
ラキはティオと同じ目をしていた。
自分の境遇に対する諦め。あがくことも忘れてしまった絶望感。綺麗な色をしている瞳の奥で、そういった負の感情が渦巻いている。
ギチリとラキが奥歯を噛み締める。
「ならラキの今まではなんだったの? それもムダだったって言うのか!?」
「お前が一番理解していると思うが」
動揺がラキの体を固まらせた。胸の内で暴れまわる感情を押し潰すように顔をしかめている。
しびれを切らしたラキが槌の柄を延長させ、周囲一帯を巻き込むように横なぎに振るった。ラキを中心とし帯電しながら猛烈な勢いで回転し、柄は人の胴ほどもある幹を容易く焼き切る。
倒れていく木が重い音を出す中、ラキの背後にシグが姿を現す。
「迷ってるな?」
「......迷ってなんかない」
「そうか、なら俺を殺してみろ。ここから動かないでおいてやる」
シグは異形の腕を無警戒に広げた。
酸素を求める魚のようにラキは口を開閉させながらそれを見て、しかし槌が振るわれることはない。彼女の頬を水滴が止まることなく流れていく。
しばらく、この場で動くものは雨とそれに当たってざわめく葉だけとなる。
「仕方ないが......」
ゆっくりと首を横に振ったシグは左手で懐から一本のナイフを取り出した。
「お前に一撃だけ入れて無力化する。そうなったら俺が運んでやるからあとは勝手にしろ」
手にしたのは彼にしては珍しい投擲用のものではなく刺突に向いた大型のナイフ。かつて城に侵入した灰装束の唯一の遺品だ。腐食を増進させる毒は拭い取られてはいるが、本来の機能はそこにはない。
それを逆手に構えると同時に、ラキが動く。
一歩の跳躍だけで彼我の距離を縮める。シグはそれをさせずに木が乱立する場所へと糸を伝いながら逃げる。その方向に村があり、焦ったラキが飛び込んだ。突如として彼女の頭上から体が埋もれるほどの鳩枝が落下。行動の阻害になると判断したラキは、槌の軌道を強引に変えて頭上を薙ぎ払う。爆発でもしたかのような衝撃で吹き飛ぶ木っ端には目もくれない。そのまま接近してきたシグに振り下ろそうとした。
だが、できなかった。
「......ギッ!?」
槌が空中で縫いとめられたように停止する。葉や枝を切断した糸が紛れていたようだ。
雨で滑りやすくなっていたのと無理な体勢だったので、ラキの手から柄が離れる。重さに耐えられない糸が支えとしていた木と一緒に落下するも槌を拾う隙はラキにはない。
黒い影が広がるように、ラキの眼前にシグがいたから。
咄嗟にラキが掴みかかろうとするも技術の差は埋めがたい。伸ばされたラキの右腕をシグが弾く。彼女の右肩を狙ってシグのナイフが振り下ろされた。ラキは一歩後ろに後退して避ける。振りきったナイフをシグは空中で持ち替え、柄の部分のレバーを引いた。
強力なバネによって刃がラキに向かって飛び出す。
殺意はラキの右目を狙う。
「グッ......ウゥッ!」
体を大きくねじるようにする。横髪が少し持っていかれるも、問題はない。
いなした。その安堵と油断がラキを支配した時、音が雨の中から聴こえた。
ガチリ、と金属が擦れる音だ。発生源はシグの右腕。砕けて使い物にならないはずのそれが、猛禽類じみた装甲に包まれたまま拳を作っている。
全部がブラフだ。思わせぶりなナイフを見せつけるように取り出したのも、腕を使わずにラキの意識の外にさせるのも。
不穏な気配にラキは瞬時に飛びのこうとする。だが飛び出した刃につけられていた何本もの糸が弾けて拘束し、回避を許すことはなかった。それでもラキには先ほどの焦りはない。大丈夫だと理解しているからだろう。
最初に出会った時の蹴り以上の威力はない。打撃は痛く感じるがラキには些細な攻撃という認識がある。
それを砕く自信も、シグにはあった。
拳をラキの腹部を貫く勢いで当てる。
グッと重い音が鳴るも、ラキの軽い体が吹き飛ぶこともなく。けれど拳は壁に押し当てるようにめり込む。
ラキが崩れ落ち、地面に体を横たえながら感じたこともない苦痛で身もだえる。
「......ッ!? ......ッ!」
「一撃だ。言っただろう」
完全に砕けた右腕を抑えながら、シグは見下ろす。
打撃を通した。シグがやったのはそれだけの小手先だ。鋭くも重いが一瞬である打撃はラキの頑強な肉体と正面からぶつかるが、シグの鈍くも長く続く打撃は地震の振動のように。
ラキの内臓を千切れるほどに揺らしていた。
効くかどうかはアテがある。ラキは息が出来ずに気絶するし、転送の法則によって酔うことも分かっていたから。
スペックは全てラキが上だった。シグに能動系を無効化できる力があっても、あらゆるものを解体できる異能があってもそれは事実であることに変わりない。彼にとって、弱いということは当たり前なのだ。
任務中で死ぬ前に仲間に殺されるかもしれない中、小手先を増やすぐらいしか生きるすべはなかった。
それゆえの格闘技術と経験でねじ伏せる。
「これからお前はどうするか、しっかりと考えておけ」
ラキのことを糸で拘束したシグは、ぐったりとした彼女を抱えたまま森の中を縫うように駆けだした。
事態はかなり悪化している。
ネイシェンと合流した今でも、それをローガンは理解していた。
「運がないよな嬢ちゃんは。まさかここに来るなんてよ」
「うるさい! こっちだって好きでここに出たわけじゃないわよ!」
棍を構えたまま背中合わせでネイシェンは言い返す。
「それに全然減ってないし。これじゃ、シグさんのこと助けに行けないじゃん......」
「いやいや、オレ頑張ったからな? ここの半分以上は確実に再起不能にしたぜ? これにはふかぁ~い理由があってな」
「どうしようもなかったら蹴るわよ」
「ハッ、マジでどうしようもない理由だぜ? 聞いたらヤケになりそうなほどのな」
じりじりと彼らはティオたちのいるほうへと進んでいく。けれどもそれにあわせて人の壁もゆっくり揺れ動く。
その時、村の隅々まで届くような時計の鐘の音が再び鳴った。
「神のために命を捧げろぉ!」
「うるせぇ、どけッ!」
進路上に飛び出してきた老人の頭をローガンが撃ち抜く。
これで三度目だ。頭を撃ち抜いたことや死体を作った数ではない。
同じ人間を殺した回数である。
「ティオたちはどうしてるの!?」
「金髪の嬢ちゃんが大立ち回りしているな。まあ、オレらが早くこいつら片付けないと、あっちにどんどん敵が行っちまう」
「ピンチってこと?」
「イエス」
終わりというものが見えなかった。
倒しても倒しても鐘が鳴ると同時に復活される。
なるほどとローガンは思う。死を恐れていない特攻もまた生き返るという確証があるからだと。
それで納得するかどうかはまた別の話なのだが。
「クソッ、カッコつけたオレの立場がないだろうが!」
「ならまたカッコつけて形勢逆転させなさいよ!」
口では言葉を発しながらも手は休ませない。人の隙間を縫うように飛来する矢や円輪を撃墜し、接近する相手を押し返す。
「おい、嬢ちゃん。早く腹くくっちまえ」
「わかってるわよ!」
口では言いつつも、ネイシェンは棍でナイフを持った男を殴り倒すにとどまる。仕留められなかったが法則は使用しなかった。
相手は行使力で肉体を構成された、人の形をとる何かでしかない。
だが彼らを殺すことにネイシェンはまだ躊躇っている。
「なあ、あっちの嬢ちゃんはな」
「わかってる! でも......」
「まっ、嬢ちゃんはそれでいい。好きで人殺しになんて、ならないほうがいいからな」
ローガンはネイシェンに倒された村人にとどめを刺しながら目を細める。
「......大丈夫かね?」
ローガンの目だから、『骸視幻像』によるものだからこそ分かる。ここにいる村人の数が減っていた。しかしそれが突破口というわけではなく、王女たちのほうへ向かっているのだ。
死者の行軍はまだエンドレスで続く。
冷え込みが激しい中、ファルナは雨水を散らしながら舞い続ける。
「面倒。いつまで続く?」
碧眼を無意識に周囲に向けつつ扇を振るう。そこに躊躇の色はなく、等身大の人形の解体を行なうようになっていた。
死なないという、否、復活するという現象にも気づいている。さらに増えているのはおそらくレアかローガンのほうから流れてきたのだろう。年上ならばもっとしっかりしてほしかった。
懸念は他にもあるのだから。
「けほっ、けほっ......!」
ティオの咳がファルナの耳に飛び込んでくる。
--失敗。せめてなにか着る物でも持ってくれば。
己の不甲斐なさと予想以上の泥仕合を呪う。ティオの体調の不良はファルナも薄々感づいていた。いくらティオが体力があるほうとはいえ、慣れない長旅や雨に濡れ続けることになればたまらないだろう。
移動も不可能だ。殺戮の舞の範囲を少しだけ拡張するしかファルナにはできない。
詠唱は可能だが、あれは使用者を除いた完全な無差別攻撃でティオを巻き込み、逆にファルナが手にかけてしまうことに繋がりかねなかった。
「私は、大丈夫だからさ......」
しゃがんだままの王女からの声。内心で歯噛みしつつも事態は好転しない。
ティオは待っているようだった。
だれを? とファルナは疑問を抱くも、王女がそう決めたのなら従うしかない。
それまでに人の壁に圧殺されないよう、侍女は舞う。舞う。舞う。
雨の合間から漏れる苦しげな息遣いが、だんだんとファルナを追い詰めていく。




