迷宮と怪物
爪を振り上げた守護者の頭部が粉砕された。
いったいその拳にどれほどの力が込められていたのか。もげるでも割れるでもなく、小さな爆弾が元からあったかのように破裂したのだ。
それをやってのけたラキは金色の瞳を光らせながら振り返った。
「やったぞ!」
「......ああ、凄いな」
シグの手放しの賛辞にも嬉しくて仕方がない様子でラキははにかむ。これだけ見れば細身の少女でしかないというのに、右額から飛び出す巨大な角が台無しにしていた。ミスマッチとはこのことだろう。
彼らのやりとりはこれだけ。
不気味に脈動する通路を再びレトロに先導させて走り出した。
守護者の相手はほとんどラキに任せきりである。ネイシェンがたまに代わり、シグがサポート。
ラキは自分がやると言ってきかず、褒めてもらうためにやってるとしか思えないのだが。
彼女の前に立ち塞がる守護者はことごとく破壊される運命にあるだろう。
小さな背を追いかけながらネイシェンはシグに訊いた。
「ねえ、あの子の言ってたことって本当だと思う?」
「知らん。だが、馬車組の向かった村の条件と一致する部分があった。それなら早く戻って合流するほうがいいはずだ」
「そりゃ合理的に考えればそうでしょ。でもさ、変じゃない?」
ラキが語ったことは語彙の少なさからひどく曖昧だった。自分の村が何者かに襲われ壊滅していること。その何者かをやっつけるためにラキは待ち伏せし、誤ってティオたちを襲ったこと。
ネイシェンの言う変な部分はシグにも分かる。
「あんな化け物が国境付近の村にいたのもおかしい。あの周辺での失踪者の増加で教団が動かないこともな」
間違いなく生体実験は軍事目的で行なわれていたものだ。それが出来るのはシグの知っている中でも二人しかいない。しかし、そのどちらも関係があるようには思えない。失敗作でもなく完全な成功品が田舎でのんきに暮らせるはずもなかった。
それに、宗教に忠実な教団の連中があからさまな悪意を潰さないのも腹にすえない。
元十三使徒であった鎧獣ことレヴィン・マッケンシーしかり、彼らがやりすぎないということはないはずなのだ。
「チビの話したことが本当という証拠もないんだ。参考にする程度にしろ」
「あっそう、使えないわね」
「情報が少ないんだから当たり前だろうが」
「あたしにはあんたが情報の出し惜しみしてるように見えるんだけど?」
赤毛の侍女の指摘をシグは鋭いと思いながら小さく息を吐く。近頃は、内心を暴かれやすくなってきているようだ。
枝分かれした通路をレトロの通った右を選択して進んだ。ここまで何度も右へ左へ上って下って。
現在地なんて分かるはずもなく、彼の経験からこの地形は言っても異常だ。
「まったく、多くてかなわん」
それと同時に通路が揺れた。
ラキが巨大化させた槌で守護者を叩き潰したからだ。おそろしく頑丈なはずの床に広いヒビがはしっている。間に挟まった守護者の末路は見なくても分かった。
「どうして春の襲撃事件で中央国が警戒されたか分かるか?」
「あの時に犯人って、十三使徒だった人なんでしょ?」
「それもある。だが、本当のところ他の理由があったみたいだ。むかし、中央国は北国と組んでいたらしい。生体実験もその時にやってたみたいだな」
「え? でも、それって大陸戦争の時とかみ合わないわよ?」
「むかしと言っただろう。その時にはもう手を切ったことになっている」
あまり知られていないのは暗部の部分でしか同盟を結んでいなかったからでもある。
中央国には失踪した“聖女”の件があるとはいえ、詳細は本当のところあやふやなのだ。他国から警戒されるのも仕方はないことなのだろう。
「じゃあ、ティオが向かってるのって......」
「これは第一王女の受け売りだが、主都に着いたとしても命が掛かってるのと同じことだ。いつ死んでも拉致られてもそれでいいんだろう。俺には迷惑だが火種として最高の口実になるはずだ」
それを聞いてネイシェンは怖気がした。当たってほしくない想像が現実になるのは気分のいいものではない。
「俺たちがそれを防げばいいんだからそう悲観的になるな」
「あんたの楽観的な思考にあたしは悲しいわよ!」
「確率的にはお前の胸がこれ以上成長しないのと同じぐらいしかないんだ。実にシンプルだろ?」
「ねえ、あたしはそれで喜べばいいの? それともあんたの減らず口を叩き潰せばいいの?」
「出来るのならやってみろ。無理に決まっているがな」
しばらくお待ちください。同士討ちが発生しています。
「ともかく、話題が逸れたが中央国と北国の間で行なわれていたのが生体実験だったわけだ」
棍を砕かんばかりに握りしめて怒りを募らせるネイシェンは睨む。
「それがラキちゃんと関係が?」
「ない」
「はぁ?」
「俺にも訳が分からん」
怒りが猜疑的な視線に変わるのを感じ取りシグは肩をすくめる。
「法則が絡む実験はほとんどが軍事的要素だ。作ればそれでおしまいというわけにもいかないだろう」
ラキの動きは素人のそれだ。見た目の派手さに惑わされるが、過剰な身体能力にものを言わせた力づくの戦い方だ。もとから軍に属しているのならマシな訓練も受けるはずなのだ。
爆弾を家の庭にほっぽりだすのと同じことは誰もしないのと同じことだ。
「......それってラキにとって良いことなの?」
「同情か?」
「無いとは、言い切れないわね」
「現にあいつには力を振るうことしか能がないんだからそれは余計だ。俺たち以外の人間を、もう手にかけているだろうしな」
ラキの慣れ具合から被害者はシグたちが最初とは思えない。
だから、隣からの息を飲む気配にもシグは安心させる言葉を掛けなかった。
それでラキが救われるわけでもなれば事実が消えることもない。ラキには子供特有の無邪気さがある。それはシグから見ても眩しいほどに。それ故にラキは真っ直ぐに後戻りできない道を進むだろうと思う。
どうにかしてやろうとは思わないが。
前方から力ある少女の可愛らしい声が通路に反響する。
「うらあああぁ!」
しかし、威力はそれに比例しない。槌が振るわれると空気の渦が巻く。体勢を崩した新手の守護者に槌が叩き込まれ、乾いた音と共にはじけ飛ぶ。
「どうだ、すごい!?」
「ああ、凄まじいな」
褒められたことでまたもやラキが満面の笑みを浮かべた。尻尾のように伸びる纏められた後ろ髪がぶんぶんと振られているようだ。ネズミを仕留めた子猫が手柄を褒めてもらえる。そうシグには見えた。
槌の一撃で発生した衝撃波で吹き飛ばされたレトロが戻ってくるのを見計らい、ネイシェンは少女に訊いた。
「えっと、ラキちゃんはその村にどこから来たの? こいつの言うことだと最初は別の場所にいたみたいだけど」
「んー......ラキ分からない。ラキはいつのまにか村にいたー。みんないいやつらだぞ!」
どことなく偉そうな口調が精いっぱいの背伸びのようで微笑ましさしかない。
だが、答えにはなっていなかった。年相応どころか、精神年齢はそれよりさらに下に思える。それが演技にはネイシェンに思えなかった。
問い詰める時間はそれほどない。
すぐ目の前にこの場に来てから一度も目にしていない扉が迫ってきていたからだ。取っ手の部分はない。彼らが近づくと自動的に音もなく開いた。
少女たちは目線でシグに確認を取る。彼は頷くと自然体でゆっくりと内部へ入って行った。
今までとは違う広いドーム状の空間。入り口を除けば道は続かず、薄暗く壁にはしる線が脈動する様は夜の帳が下りたかのようだ。
「ここって、もしかして......」
「ああ、ゴールだ」
杖代わりの棍にもたれ掛かるようにネイシェンが一度目を強くつぶる。安堵や疲労がこの時になって津波のように押し寄せてきたのだろう。座り込まないだけ彼女の芯の強さが分かる。
いぶかしそうにラキは周囲を見回していた。
「変な感じがする」
「心臓と同じだからな。行使力の密度が他と違うんだろう」
「......レトロも変だと言ってるぞ」
シグが見下ろせばレトロは警戒も解かずにぐるぐるその場で回っている。
最終地点で待ち構えているボスのような存在は迷宮に存在しない。通路や開けた場所で守護者が現れ、侵入者を排除しようとするのだ。難易度はその守護者たち総勢の戦闘力で決まることとなる。
出現する場所の例外はスタート地点、それかこのような最終地点であった。
つまり、レトロは守護者たちを警戒しているわけではない。
「どうした?」
「キュイッ」
一鳴きしてレトロは部屋の中央に走っていく。本来ならばそこに法具があるはずで、それを手にすると地上に強制送還される。
しかし、そこにはガラス張りの円状の床があるだけだ。
興味深そうにラキがそこをのぞき込み首をかしげる。
「なんだこれ」
シグもつられて床を見た。そして、身体が強張った。
この時、彼の口から漏れた一言は称賛や冷やかしではなく、
「なぜだ?」
理解できない。そんな意味を含めた疑問だ。
遅れて二人の元にやって来たネイシェンもそこをのぞき込んだ。
「うわっ......」
法具には価値があった。単純な肉体強化のものでも、それこそ平民が一年間遊んで暮らせる額になる。彼女の棍も今回の遠征でナタリアから渡されたもので、壊したら生き地獄に案内しますと良い笑顔で言われた。
だから、武器を想像していた彼女はそれを見て固まった。
中には一目で粘性があると分かる液体が満たされていた。緑の毒々しい色をわずかな光で反射させるそれの中にあるのは人形だ。いっそ泥人形と言ってしまったほうが早い不格好な存在。
羽があり、爪があり、四つの眼がある。聖典に描かれている悪魔のようであった。人ではない。クリーチャーのような有機的な不気味さと守護者のような無機的な冷たさを持っていた。
『暴食』
墓石のようにガラスの窓の端に目立たないよう刻まれた言葉だ。
ネイシェンは不快そうに眉をしかめた。
「こんなのが法具だって言うの?」
それはもっともだ。法具の多くが武器の形を取っているが、生物型など聞いたこともないからだ。
シグは奇怪な生物を見下ろしたまま何も言わない。緑の光が気だるげな表情に不規則な影を作る。
「......出るぞ」
「これは? 法具なら持ってったほうが」
「忘れろ。俺たちでどうにかなる代物じゃない」
短く言い切り、シグは部屋の端を指し示した。不規則な陣が床に刻み込まれていた。
「そこに乗って行使力を使えば外に出られる」
「ま、待って。説明しなさいよ! そんないきなり言われても......!」
「俺たちがやるべきことはなんだ? 欲を優先してこれを運ぶことか? 早くここを出てあいつらと合流することだろう」
不可思議そうにネイシェンはシグを見上げる。
普段の彼とそう変わらないがわずかな焦りがあるのが感じられた。
「どいていろ」
まだ異形を眺め続けるラキを離れさせ、シグは手甲に包まれた左手を揺らめかせる。
糸裂狂声
破壊の結果をもたらす糸がのたうち回る。ガラス状の床の上でもその狂宴は行われた。風を切る音も生まずに悪意が飛び交う。
結果は目に見えて理解できる。
ガラスは無傷だった。
凶壊糸の効果は破壊の結果を出すことにあるが、本質は破壊までの過程の省略化である。つまり、その結果がもとからないものは壊せない。
「取り出すことも出来ない物に時間は避けられん」
「......一つだけ教えて。ここは何?」
ただの迷宮ではなかった。ゴール地点が法具が存在する場所であることに変わりない。最終的に必ずそこに着くように迷宮は作られている。レトロの先導は最短距離を進めれば御の字といった形だが、度重なる分岐点がここに繋がっているようには思えなかった。
ラキは首をかしげているだけで理解できていないだろう。
肩をすくめたシグは言った。
「御伽噺の産物を守る保管庫だ」




