来訪と時計
なんの変哲もない田舎村。いや、なんの変哲もないと言ってしまうと語弊がある。
ティオは木造の家のなかから横目で窓の外を見る。
三桁に届きそうな人口の村であり、それを養うために広がる畑は掘り返され、作物の残りかすが散らばっていた。そのむこうには村を守るはずの柵が、瀕死の重傷といったふうに壊されている。
「このようななにも無い村にお客様とは、一体いつぶりでしょうか」
村長を務めているという妙齢の女性カザハが粗茶を出す。その数は三。一つはテーブルの前に座っているティオのぶんであり、残り二つはうしろに控えるファルナのぶんではない。
「クフフフ、それが三組も一緒の日に来るなんて、どんな運命の巡り会わせなんだろうね」
部屋に入り込む淡い夕日で宝石のように輝く銀色。長くも短くもないその髪を持っているのは、性別不詳の長身の美人であった。ファルナに人形然とした美しさがあるのなら、こちらは芸術品として均整の取れたように創られている。
自らをレアとハスキーボイスで名乗った美人は、演技くさい挙動で肩をすくめる。
「ここに村があるなんて初耳でしたし。偶然が重なると現実味がわきませんね」
こちらは傭兵として働いているというイリーナである。女性らしい体つきを隠した軽装の皮鎧からわかるように、傭兵として活動しているらしい。なぜか右腕側の袖が膝あたりまで長く隠されている。
茶髪を後ろで小さく括った凛々しい顔を緩める。
カザハが苦笑しながら付け加えた。
「ですが、皆さまなら村に入ってきたときにわかるとおり」
「賊の襲撃に遭った、といった感じかな?」
レアが微笑しながらカザハに訊いた。妙齢の村長はわずかに顔を赤らめる。
「はい。お恥ずかしながら、わたくしどもの村では十分な戦力もなく、備蓄していた食料も奪われています。もてなしなどできませんが......」
「私たちのことは気にしないでください」
「自分も問題はありません」
ティオとイリーナが社会事例のように遮る。村の外からでも既に状況を察していて、こうなることが分かっていたからこそすぐに言葉を切り出せた。
もう一人の来訪者へと視線が集まる。
「フッ」
レアが手で顔を隠し口を三日月にゆがめると椅子から立ち上がり、ティオのそばへとやって来た。ファルナが身構えたがティオがそれを手で制する。彼女の前で銀髪の美人は胸に手をあてて膝をつく。
「さて、ボクからの提案だ。今ならパン一かけらを床に放り投げてくれれば、床に額を擦り付けながら両手で受け取ろう! さらに靴を舐めるサービス付きでね!」
「普通にくださいって言ってよ!」
あまりと言えばあまりな内容に思わずティオがツッコんだ。絶世の美女(または美男)が物乞いのようなセリフを堂々と口にしてほしくはなかった。なぜか自分が悪役のように思えるのだ。
「えっと、なにも食べ物がないの?」
「仲間が一緒にいたんだけど、朝起きたら荷物も彼らもボクを放置プレイにしていてね! 興奮しながらこの村にたどり着いて待っているところさ!」
「きっと永遠に放置されたままだよ!」
ティオはレアと出会って間もないが、今ならこの美人が見捨てられる理由がはっきりと分かる。
カザハも幻滅したように絶望を顔に張り付けていた。
「それで、お返事はどうだい」
「大丈夫、だけど......」
「この恩はぜったいに忘れない!」
調子の良さに笑みが苦笑に変わるのは否めない。
さすがに王女だとは名乗るわけにもいかず、ティオたちは良いとこ出のお嬢様と説明している。要はたかりであった。
ティオたちはこの周辺の地理を調べ、シグたちが流されたところを推測して回収するつもりでこの村にやって来た。ローガンは生きていると言っていたため、それを考えての行動だ。
しかし、彼が言おうが言うまいがティオはシグとネイシェンを探し続けようとしただろう。自分のせいだということを信じているのだから。
「クフフフ、というわけで、ボクの心配はしなくてもいい」
別のことでとても心配になりそうな残念美人がのたまった。
イリーナが茶をすすると目を村長にカザハに向ける。
「どこか休める部屋でもありませんか?」
「ええ、最近まで使っていた家がありますので、あとで案内させます」
おそらくもとの住人は盗賊襲撃の時までは生きていたのだろう。わざわざ口に出す野暮さを持ち合わせた女性はこの場にはいなかった。
やることも決め、一旦会話に空白が出来る。そこを待っていたように、カザハが切り出す。
「これはとてもおこがましい話ですが、賊がやって来たのはつい最近のことです。若い女は攫われ、食物は奪われ、何も残っておりません。ですが、奴らが再びこの村へやってこないという保証は出来かねます」
「クフフフ、それで、ボクらが村に居る間だけでも壁になってほしいと?」
「はい。ごく少数で旅をしているあなた方ならば、実力があると見ました」
ギブアンドテイク。村への滞在を許可するからその間は安全を保障してほしい。暗にそう示している。
ティオが首をかしげる。
「でも、教団に依頼をすれば解決するんじゃ?」
西国の安全が騎士団によって保障されるなら、中央国の安全は教団によって成り立つ。国内においてシーレス教の力は大きく、武力的な面から見ても教団の僧兵たちは強い。
口を開きかけたイリーナが言うよりも早く、カザハが憤怒の剣幕で言い募る。
「なぜ奴らに助けを求めなければならないのですか! 利益にならなければ腰を上げることもないというのに!」
失敗したとティオは思った。
宗教国家というのはなにもシーレス教だけを指したものではなく、いくつもの宗派が絡み合って出来た呼称であった。天下を取ったのはシーレス教であり、こんな国境の近辺にまで他の宗教は押しやられている。この村も、そのうちの一つなのだろう。
外交の相手がもっぱら高級神官だけだったのがボロに出たようだ。
見かねたイリーナが助け舟を出す。
「もし賊たちのアジトのようなものを知っていれば、叩くことも不可能ではありませんね」
カザハの目に迷いが浮かんだのをティオには分かった。
「い、いえ、少なくとも南の方角からは来ていなかったとしか......」
「そうですか。では、相手は何人ほどいましたか?」
「言うのが必要ですか?」
「相手の情報が分からないまま相対するのは愚策です。武器、構成、統制。知りえる限りの情報の提供をお願いします」
イリーナはさっそくやる気なのだろう。傭兵としては珍しく、仁義のために自分から危険に飛び込むタイプらしい。同じ傭兵でもかの軽薄男とは大違いだ。
何気なくティオは背後のファルナに目を向ける。
「曖昧。ティオが危険になれば頑張る。それ以外はどうにでもなれ」
なにげに外道な発言が返ってきた。
「ボクもニートと呼ばれたくないし、生きてるぶんには働くとするよ」
レアが同意したことでお開きとなる。注意事項などを説明されたあと、カザハは村の会合があると言って家を出ていき、残ったのは来訪者たちであった。イリーナも村の様子を見るためについ先ほど出ていった。
カチッカチッカチッ。
ティオの等身ほどもありそうな時計が針をリズムよく刻む。
言い方は悪いがこんな辺鄙な村には不釣り合いで、ティオは最初に目にしてから気になっていた代物だ。売れば小さな村ならばいくつか買えるほどになりそうだ。
ガラスで出来た透明な板が、薄くティオを映す。
シグもネイシェンも生きているはず。これは希望論でなく、確率の高さからだ。なにも間違っていないはずだ。
しかし、万が一ということがあったら?
時計を前にして興味深く観察していたティオの隣にレアが立つ。
「欲しいのかい?」
「ただ珍しいなって」
「ボクなら君にあげることもできるよ。それでもかい?」
「珍しいから見てるだけ。それに、馬車に乗せることも出来ないし」
「それなら......」
「どんなことをしてもいらない。私には必要ないものだから」
欲がないねえ、と口も目も三日月にさせながらレアは笑う。
「君の欲しいものはなんだい? なに、食べ物を分けてくれる恩だ。あとで望んだものをあげられるよ」
「それなら、従者の二人と別れたままなの。連れ戻してくれる?」
「クフフフ、君は本当に面白い子だね。普通ならもっと欲に忠実でいいのに」
「私は普通じゃないから」
秒針が一周回った。短い針が小気味いい音をたてて動く。カチリ。
「金銀財宝。永遠の命。放蕩する快楽。なんで欲しくないんだい?」
「財宝はいつかなくなっちゃうし、永遠の命なんて苦しみが永遠に続くのと変わらない。快楽なんてもとから理解できないから」
「へえ、そんな君に大切なものってあるの?」
大切なもの。その単語が出たとき思考が止まる。
それに当てはまる存在はあるのだろうか?
灰髪の青年の姿が脳裏に浮かび、消えることもなく存在し続ける。
別のものなんて出てこなかった。
「......っぁ」
言葉が喉の奥につっかかり苦しい。針のように胸をちくちくつつく。
遠慮の欠片もなくレアの手が羽毛のようにティオの肩に乗せられる。耳元で囁かれる。聞かされる。
なすがままだ。
「もちろんあるよね、大切なものって。それをずっと、ずぅっと、自分の物にしておきたくないかい? だれの手にも渡さずに、失うこともなく、永久に」
気付けばその腕を振り払っていた。
気持ち悪い。気分も麗人もなにもかも。
「恥ずかしいことじゃない。人として当たり前で、執着がほんの少し強いぐらいさ」
本当にそうなのだろうか。これは異常と言うのではないだろうか。身を溶かすような甘い囁きが背筋を撫でまわす。
「もう一度訊くよ。欲しいかい?」
レアは相変わらず口が耳元まで裂けているような笑顔。ティオのような仮面ではなく、本心の醜さを表すような笑顔。
「私......ちょっと、外の空気すってくる」
顔を背けて怯えた動物のように逃げることしか出来なかった。
そんなことはないのにレアに追ってこられたらと、早足は駆け足へと変わる。
春が移り変わる暖かな風が、今は粘液のような感触がした。
「心配。大丈夫?」
付いてきたファルナがティオの顔へハンカチを持っていく。いつの間にか汗をかいてしまったようだ。
不安が巨岩のように背に乗る。
「私って、やっぱり変なのかな? 私......私......」
「極論。ティオはティオ。同じ人なんていない。みんな変なのが当たり前」
無機質な冷たい返答が心地よい。
「無視。気にしても、答えなんて出せないことを訊かれてた。いじわるだった」
「......ファルナにはあるの? 大切なもの?」
ファルナは無表情に一度目を閉じると、よどみなく答える。
「日常。あって当たり前のものが私には何よりも大切」
「あって、当たり前?」
「肯定。望まなくても、それが当たり前だから必要ない。変わってなくすものだってある」
“今”というもので十分だということか。
納得する。たしかに満ち足りたものを感じているからだ。
それが欠けても増えても満足はもう出来なくなるだろう。
「提案。今日はもう休む。レアさんには私から言っておく」
そこでやっと、ティオは慣れない旅の疲労で頭がかすれていることに気が付いた。
煙草の煙をくゆらせながら、ローガンは鼻歌交じりにブラシを動かす。
ガナルクルホースは煙をうっとおしそうにしながらも、それを我慢しながらねぎらいを受ける。毛並みが整っていき怪物は機嫌よく唸った。
その巨大な頭が小屋の入り口にゆっくりと向いた。
「あなたが“双頭”ですね?」
「ん?」
馬小屋に音もなく入ってきたのは凛々しい風貌の女性だった。しかし、皮鎧や立ち方から同業者であるとすぐに悟る。右腕の袖の長さが気になるが、スタイルも顔も悪くない十分な上玉であった。
どこか見覚えがある気がしたが記憶の波に飲まれて、手がかりとなりそうな微かな糸が途切れた。
「そりゃあオレも有名になったもんだな。こんな美人にまで知られてるなんてよ」
「ええ、女性に目がなくセクハラしそうな男性と聞き及んでいたので」
「やべえ、さっきの発言取り消したい」
「肯定と受け取ってもよろしいですか?」
「半分正解だけどな。オレはそのこっぱずかしい名前を捨ててるし」
ルックスは悪くないのに固そうな女だと思った。
そういう女性は苦手だ。感性の違いで遊びとの区別がつかなくなってしまうからだ。
「驚きました。一令嬢の護衛に引退したあなたが付いているなんて」
「そうか。んで、あんたの名前は?」
「失礼しました。自分はイリーナ・キャロットと申します。ランク五です」
「ふうん」
ブラシを動かす手を止めずにローガンは脳内のリストを漁る。該当しそうな存在がないため新人なのだろうが、よく若いのにランクが五もあると感心した。
気の抜けた返事にイリーナは片眉を上げるも、表面は冷静さを取り繕う。
「この村の実情は聞きましたか? やはりと言うべきか、つい最近になって賊の襲撃を受けたらしいのです」
「やっぱそうだよな。クリーチャーは森から出てこねえし、荒らされ方も人為的だ」
「差し出がましいお願いながら、その賊のアジトを潰すことに助力をお願いしたいのです」
「いいぜ......なんて言うわけねえだろ。メンドイ」
紫煙を吐き出すとホースの体にかかった。怒ったホースの長い尻尾が鞭のようにしなるとローガンの背中をぶっ叩き、思わず泣きたくなるほどの痛みに顔をしかめる。
ふざけた態度の先輩に対して、イリーナはまなじりを逆立てた。
「ここの村人たちは途方に暮れた状況なんです。どうにかしようと思わないのですか」
「金があれば依頼として......やらねえなあ」
「なぜですか。自分たちがこの村に滞在する間に再びやってくるかもしれません。先手を取ろうとは?」
「相手の情報がなにもない。義理もない。熱意もない。夜中に森で馬を走らせるような真似もしたくない」
いつだってそうだ。ないないづくしのオンパレード。
傲慢はすれど油断はしない。傭兵の上位ランカーの格言だったはずだ。
毛繕いを終えブラシを放り投げるように置くと、ローガンは馬小屋を出る。何も言わなくとも付いてくるイリーナはよくできたものだ。
夕日が影をどこまでも伸ばす中、子供たちが広場で遊んでいた。ローガンが手を振ってやると、腕が引きちぎれそうな勢いで子供達から振り返された。
駆けてきた子供たちがわっと二人の、特にイリーナのほうに集まる。
「イリーナ姉ちゃんだ!」
「ねえねえ、この人姉ちゃんの彼氏?」
「い、いえ、違......」
「おお、そうだぜガキども。羨ましいだろ」
「あなたは何を言っているんですか!」
ローガンが無遠慮にイリーナの肩を抱き寄せると子供達から歓声が上がる。
「んじゃ、お前らは家に早く帰ったほうがいいぞ。オレはこの姉ちゃんと二人っきりの濃厚な時間を過ごしたいからな」
「誤解される言い方をしないでください。子供には聞かせたくありません」
きゃっきゃとはしゃぎながら退散する子供たちを見送って、ローガンはようやくイリーナの肩から腕を放す。振り払われると思っていたが押しには弱いのかもしれない。
「子供が好きなのか?」
「孤児院で育ちましたから」
肩をさすりながらイリーナは素っ気なく答える。
それに苦笑しつつローガンは視線をはずして前を向いた。
「イリーナちゃんは傭兵になって、いや、“狼”に入ってどれぐらいだ?」
「半年前です。皆さんは本当によくしてくれます」
内情を知っているローガンには彼らの打算の結果にしか聞こえなかったが、後輩が知るのはあとでいいだろう。
「辞めちまったオレが言うことじゃないだろうけどよ、すぐに抜けたほうがいい」
だから、今はこう言う。
当然ながらイリーナは懐疑的な表情になる。
「なぜですか?」
「いつ死ぬかもわからないんだ。政府に利用される犬が、虚勢張って狼なんて言ってるようなもんだしな。犬に化けたバケモノぐらいしか生きていけないぜ」
「自分が弱いとでも?」
「ああ、弱すぎるね」
空気が破裂した。そう感じるほど突発的な行動。
ローガンの目の前には爪がある。右袖で隠していたのであろう長い付け爪。もしかしなくとも法具であり、凶悪な能力を秘めるように行使力を纏っている。
先に銃身を相手の額に押し付けていなければ、喉を掻き切られていただろうか。
「......自分が先に動いたと思ったのですが」
「今ならまだ間に合う。戦いたいのなら騎士団なり入れってんだ。おまえの経歴と実力なら千人隊長も夢じゃあないぜ」
疑問に答えない。だが、返すのは懇願に似た響きのものだ。
「あなたはそこまでして自分を否定したいのですか」
「命あっての物種って言うじゃねえかよ。生きていなけりゃ人生楽しめねえぞ。可愛い子をみすみす殺されると分かって送り出すつもりはないね」
銃を下して慣れた動作で腰のホルスターに仕舞う。
「自分には家も家族もなく気付けば孤児でした」
イリーナの言ったことは南国では別段珍しいことではない。経済格差が他の国と比べると激しく、麻薬や売春が横行し人生が二十年もしないうちに終わることだってざらにある。
それはローガンも同じだったから。
「価値なく生きていくぐらいなら、いっそ死のうと思ったことだってあります」
それも同じだ。みじめに路傍に転がって、なぜ虫や腐った泥水を口に運び生きなければならないのか。
「ですが、ですがあなたは! それでも這い上がって生きろと言ったはず! あの時と違ってもうあなたの牙と骨は抜け落ちたのですか?」
記憶がよみがえる。目の前にいるのはかつて殺してほしいと、はした金を持って擦りついてきた少女なのだと。
絶望したような表情にイラついて、そう言ってしまったことがある。
知り合いの孤児院にほっぽり出したはずなのに、こうして堂々と前を向いて生きている。
「マジかよ......めっちゃ美人になってて驚いたぜ。こんなんならマークしときゃあ良かった」
「び、美人!? からかわないでください!」
「本音だよ。でもそうか、オレか、またオレのせいか」
皮肉にも自分が彼女にこの道を進ませていたのだ。
高笑いしてそうな真っ赤な空を見上げる。そんな空へと八つ当たり気味にとび色の眼で睨みつける。
「誰に戦い方を教えてもらった?」
「モリアーゼさんとネリアさんです。良い師を持ててとても恵まれていたと思っています」
「あいつらか。めっちゃきつかったろ、スパルタメニュー」
「はい、ですがやり遂げました。おかげで自分はここまで上り詰めることが出来ています」
ローガンはかつての同胞を思い出し、納得し、余計なことをしてくれたと恨んだ。
だが、イリーナは自分の意志で傭兵稼業に足を突っ込んだのだろう。
いつの間にか止まっていた歩みをローガンは再開させる。やはり彼女は何も言わずにも付いてきた。
「あの時のオレは馬鹿でなあ、一丁前に鼻が高かった。すぐに根元から折られるってのによ」
「あなたが傭兵を辞めた理由ですか?」
「おう。戦争があったのは知ってんだろ? 仲間が死んだんだよ」
時期的に見てイリーナは参加していなかっただろう。
無知は幸せだ。地獄など見ても楽しいことじゃない。なにもかもつまらなくなってしまうのには飽きているのだ。
「あとで知ったんだけどよ、オレらは目立つだけの囮にしか使われてなかったんだ。しかも、自分の国にだぜ?」
「それは......」
「同情とかはいらねえぞ。ただ、おまえもそうなる確率が高いんだよ」
新入りだしな、と小馬鹿にしたように笑ってやると、イリーナはむっとしたようだ。
「ならば、ベテランにすぐさまなればいいだけです」
「オレに負けてるうちはムリムリ」
「くっ......ですが、自分は傭兵であり続けることを辞めるつもりはありません。自分はあなたに憧れたからこそ傭兵になったのですから」
あれを聞いてなおそう言うのか。
ローガンは思わずイリーナの顔を見ると、彼女は地面をつま先で蹴りながらわずかに顔を俯かせていた。
「えっと、自分の身が、その、心配だと言うのならば。い、一緒に、来ていただければ......むにゃむにゃ」
「ん?」
「あ! こ、これは、そういうわけではなくてですね! 戦術的な意味合いからの誘いというものでして!」
あたふたと焦り始めた女傭兵は、かすかに笑みを浮かばせているローガンが視界に入っていない。
「......まあ、それもいいかもな」
「へっ!?」
「いいんじゃねえの? おまえをこんな残念にしちまったのはオレが原因だろ? 責任取るのも面白そうじゃねえかな」
「責任!?」
からかいにも気づかずにイリーナの焦りはピークに達する。
「けどよ、オレがおまえの隣に立つとすれば、そこは戦場なんかじゃない。覚えておいてくれ」
その言葉を聞いてイリーナは目をまばたく。
「は、はいっ! 待ってますから! いつでも!」
意味を理解しながらも。
必死に。ただただ必死に、離れたくなどないというように。何度もイリーナはうなずく。
そこに凛々しい風貌など微塵もない。
「明日もいるんですよね? 自分はこれからあの柵のあたりで見張りをします。ですから、明日にもまた自分の話を聞いてくれれば」
ローガンが頷く。同時に、イリーナの顔にはぱぁっと笑顔が咲た。
そして、イリーナはこの場を名残惜しそうにしてから長い影の尾を引いて駆けていった。
それを見送りながらローガンは空を見上げる。どこまでも変わらずに赤かった。
カチッカチッカチッ。
深夜だ。いい子も悪い子も眠りだそうとしている時間。けれどもその巨大な時計は止まることを知らない。それが存在意義だから。時を刻むのをやめればなにも残らないから。
暗い中でひとり寂しく動き続ける。
星が出ている夜空を見ることもなく、たき火の光を見ることもない。
室内には誰もいない。家にも誰もいない。
それでも針は止めない。時間が刻まれるごとに三本の針は、思い思いに進み続ける。
秒針が一周回った。短い針が小気味いい音をたてて動く。カチリ。
一時間に一回。一日で二十四回。それが長針の動く数少ない出番。一日で最後の出番がやって来た。
ごぉぉぉぉぉぉおんーーーーーーごぉぉぉぉぉぉおんーーーーーーごぉぉぉぉぉぉおんーーーーーー
そしてこれが、一日に一度しかない時鐘の出番。
虚しくても響く。それが存在理由だから。なにもしなくてはなにも残らないから。
くるくると針が回りだす。左回転、つまり、逆方向で。
巻き戻していく。なにもかも。すべてぜんぶオール。
鐘の音が止んだとき、針たちは身勝手な行動をやめていた。
また、同じ時間を指し示しながら何事もなかったかのように時を刻んでいく。
カチッカチッカチッ。
小気味いい音が部屋に響き始めた。




