鉄槌と幼子
独特な馬車のゆれが頭につけている赤いカチューシャをわずかにずらす。
手でそれをなおしながら、ティオは対面に座っている侍女のコンビに目をやった。
その視線に勘違いしたのか、ネイシェンが赤銅色の髪を揺らす。
「まだ気分悪いの?」
「ううん、だいじょうぶ。休んだらすっかり良くなっちゃった」
これは強がりではない。人間の限界に挑戦するようなレースはたしかにきつかったが、森を抜けてからの休憩が疲れをいくらか取ってくれたのだ。
「そう? 我慢しないでちゃんと言いなさいよ」
疑いのまなざしは消さずにネイシェンは肩の力をぬく。それはティオの性格を知っているというよりも、侍女としての性分だろう。
ネイシェンが敬語を使っていないのはティオの意向によるものだ。
堅苦しいことや格式ばったことが嫌いな王女は、侍女たちに愛称で呼ばせることと共に自然体で話してくれることを望む。齢の近いことも理由にはいっており、普通に会話してくれる彼女たちのほうが好きでもある。
「厳禁。無理するのなら、タックルしてでも止める」
「そ、それはお手柔らかに」
ファルナの無機質な視線からは本気かどうか読み取れなかった。
「推測。半月以上は猶予ができた。急がず焦らずゴー」
「そうだね。森ぬけるのにも一日はかかるはずだったのに」
原因は外にいるであろう男たちにある。クリーチャーを蹴散らし、大型が出てくるまえに馬車を駆ることで大幅な時間短縮をはかっていたのだ。
そもそも、周囲の土地から魔獣の森とまんまな名で呼ばれる場所は、名前負けをしていない脅威があるはずだった。大陸が五か国にわかれるまえに西国が中央国に侵攻しなかったのも、あの森の存在が理由の一つである。
「っていうか、あいつったらなにが大丈夫よ。めちゃくちゃ襲われてたじゃない」
憤りをあらわに、ネイシェンが外にいるであろう青年をにらむ。
「あれがふつうじゃないの?」
「全然ふつうじゃないわ。本当なら迂回して行くはずだったのよ。それなのにあいつが突っ切っても大丈夫だって、変な自信のせいでティオが......」
「でも、早く抜けられたし、気にしてないから」
おかげで刺激に満ちた経験ができた。
あちこち道草しながら窓の外に広がる風景を楽しめることにも感謝している。ちなみに、今は絶壁とも呼べる崖の上を通っていた。
「あたしは行き当たりばったりにしか思えなかったわ」
「森にはいるまえに襲われないみたいなこと言ってたけどさ」
「あいつを護衛者から変えたほうがいいんじゃない?」
「シグはよく無茶するだけだから......」
ネイシェンがむすっとしたまま鼻を鳴らした。
「ティオったら甘いわねぇ」
「甘々。シグさんにならどんなことされても怒らないんじゃ?」
「どんなことでもって......みんなは私をどんな目で見てるの?」
侍女たちは顔を見合わせ、再び笑みを浮かべている王女を見た。
代表するようにネイシェンが口を開く。
「この際にはっきり言っておくわよ」
「うん」
「まず子供っぽい。すっごい無防備で見てるあたしたちが怖い。あ、今そんなことないって思ったでしょ。それ、自意識過剰だから」
「うっ!」
「それと女の子らしくなさすぎ。なによ服がワンピースか男ものって! 着替えの服を整理しててこっちが驚いたわよ!」
「き、着やすいからいいじゃん」
「女なめてんの?」
「ごめんなさい。完全になめきってました」
同世代の友人はティオにはほとんどいない。そして、彼女は自分になんの頓着もしない。そのためか、磨いて競うという行為とはまったくの無縁さが残念さをも助長していた。
ティオはタンスに眠ったままにさせていた、そういった服を持ってこなかったことを悔いた。
「提案。主都についたら洋服を見に行く」
小さくなっているティオにファルナが声を掛ける。
「情報。中央国の主都スケイアだと、織物が目玉。きっとティオに合う服も見つかる」
「そうね、着せ替えがいがありそう」
「首肯。なぜかわたしが楽しみ」
「それはあたしも一緒よ」
スカートはあーだの上着はこーだのと議論を始めた二人をまえに、ティオは置いてけぼりにされたように思った。まだ距離感がつかめないことをはっきりと味わった気分だ。
それでも、楽しい。
本を読むのとはちがう。朝の走り込みともちがう。安心して身をゆだねられるような明るい気持ちに、心を浸しておきたくなる。
とつぜん、馬車が止まる。
「うげっ、こりゃ無理だわ」
なにごともなく崖の上をゆるやかにのぼれそうもないようだ。どうしようもない壁を前にしたローガンは苦々しい顔をつくった。隣に立つシグはダメ元でローガンに訊く。
「お前のその武器でふき飛ばせないのか?」
「削るまえにオレの行使力がなくなっちまう」
「もとからあてにしていなかったが」
「じゃあなんで聞くんだよ!」
馬車は道を引き裂くかのように起こった土砂崩れを目の前にした。先日の大雨の影響がここにもあったのだろう。順調になると思った矢先でこれだ。
手だてのないシグはため息を吐く。ここ最近ではその頻度も増えたようだ。
「折り返したほうがいいだろう」
「だな。そういや、ここを降りれば村があったろ? そこでここらの地理を教えてもらうか?」
「いや、あの村は......」
途中まで言いかけて、シグは馬車の扉が開くのに気付いた。
降りてきた少女たちが土砂崩れの光景に驚くも、すぐに珍しげな雰囲気となる。
「シグ! すごい、土砂崩れ!」
「迷惑きわまりないがな」
玩具を与えられた子犬のように間近で見ようとシグの横を通り過ぎる。ブレーキ役としてファルナも一緒についていった。
「これからどうするつもり?」
「ここから折り返すのは確定だろう。あとはこの山の下を通りたいが」
「オレは同じパターンってのはごめんだぜ。それに時間は無駄にしたくない」
崖があるが、馬車のむきを変えることは容易なほど広く幅がある。
テナンド山脈と地図で書かれたこの地域は、遠くから見ればいっそ異様な姿であることが分かる。
いくつかの段差にわかれた巨大な山が裂け、またはぶつかり合ってできている。場所によってはるか下に激しい勢いで水が流れ、死者が冥府から呼んでいるかと思う風の唸りが聞こえてくる。
ちょうどシグたちがいるのもその場所だ。
「落ちないように気を付けろよ」
「わかってるって!」
ティオの興味が崖に移り変わったようで、腰のポーチを揺らしながら駆けていく。
「そんじゃ、いい案は降りるあいだに決めちまうか」
伸びをしながらローガンが馬車の整備のためにはなれていった。
崖を覗きこむティオの肩を背後からガッとつかむ脅かしをするファルナ。彼女たちを見ていたシグにネイシェンが横目で訊いた。
「あんたはティオのことどう思ってるの?」
「いきなりどうした。絶壁が絶壁を見てて悲しくなったのか?」
「蹴るわよ」
「蹴ったあとに言うな」
不意打ちのブーツで脛を襲われ、地味にひどい痛みを耐えた。
「どうと言われてもな」
返答に困る。それは誰だって同じことのはずだ。
怠惰に目を染めながら、肩をすくめて簡単な言葉を選ぶ。深く言おうとするのはなぜか嫌だった。
「手間のかかるヤツだ」
「それだけ?」
「どんな返事を期待していたか知らないが、お前はどうなんだ?」
「手間のかかる子」
「そうだろ」
風の唸りに耳をかたむけるティオのわき腹に、ファルナが執拗なくすぐりを敢行する。その場面を見てから会話の口火を切ったのはシグだった。
「お前たちは馬車の中で話していただろ。なんの気兼ねもなく」
「なによ、いけなかった?」
「いや、なんだ。旅のあいだはそうやって、あいつの相手をしていてほしい。いつも一人でしか行動できなかったからな」
後ろ髪をかきながら言いにくそうにする青年を、赤毛の侍女は鼻で笑った。
「分かってるわよ、あんたからティオを取るつもりで仲良くなってあげるわ」
「......そうか、頼む」
らしくもない他人事での安堵。彼女たちを見ていると、不器用な気遣いなどいらないかもしれない。むしろ、そのほうがいいだろう。
「あんたもあんたで甘いわよね。手慣れてるっていうか、兄弟でもいるの?」
「いつも隣に似たようなヤツがいただけだ」
なにかしら後始末や尻拭いに奔走させられるのは、それが原因だろうか。人徳のなさに嘆きながら、ファルナにもてあそばれているティオに視線をむける。
「敵だ!」
上にむける。ローガンの声が飛び、全員が警戒で体をこわばらせた。
次の指示が響き渡るまえにそれはやってきた。
「......こども?」
だれかが呟く。それは誰もが一瞬は疑問に思ったことだ。
ひどく小柄で痩せている、小さな存在。身体を覆うマントを羽織っていても、それが分かってしまうほど特徴を残す。フードの中で深緑に見える黒髪がちらちらと伸びていた。
なにより、手にもった武器が誇張していた。
槌。
間違っていけないのが、それを使用するのは筋骨隆々な大男だけということだ。いくら行使力による助力があろうと、一般人では持ち上げるだけしか出来ない。
ましてや、巨大な酒樽のような部分は常識ではありえない。
振りかぶった姿。上から飛び降りたであろう位置。
次に起こるのはなんだ?
「広がれ!」
警告と行動もまた同時。
轟!
山が揺れた。それは錯覚だ。想像を肯定するかのようにそびえ立つ山頂は健在だ。
土煙がうっとおしいぐらいに舞い上がる。世界は土気色だ。
「シグ!」
ティオの声が聴こえた。ガナルクルホースの咆哮がローガンの叫びを消し飛ばす。
衝撃の余波によってビリビリと肌がしびれる。襲撃者は槌を横にふりまわした気配。
風が荒れ狂い土煙をかなたに追いやった。
シグは目があった。それ自体が光を放つかのような黄金色の瞳と。
「シィィィッ!」
獣の威嚇のようなそれは、声変わりしていない少女のものだ。
「チクッとするぞ」
言葉通りにはならない勢いをもったナイフを投げつける。槌によって弾かれたが、相手の意識が自分に向けられたのを意識して息を吐く。
「来い」
手甲に包まれた両手を構え、内心舌打ちをした。
場所が悪い。先の攻撃にこの道を破壊されなかっただけ幸運だった。だが、うかうかしていられないのは、ティオが崖の近くにまだいることである。
「シャァァァッ!」
シグの焦りを感じ取ったかのように、少女はゴム玉を地面に叩き付けたかのごとくはねる。
目の前にしてわかる。まだ十を少しこえたばかりに思えた。
衝撃だけで人体を破裂させるであろう槌。だが、シグはあえて同時に前進する。
「......っ!?」
驚きで少女の手がわずかにゆるむ。筋肉の弛緩。蹴りを叩き込むのは難しくなかった。
少女が壁際まで吹き飛ばされたのを確認し、様子を見ていたネイシェンたちが動いた。
「ティオ、こっちに!」
ファルナに補助されながら、ティオは気を持ちながらネイシェンたちのいるほうへ走る。
「うがあああああっ!」
少女が起き上がったのはそんなときだった。
「あの鬼畜キックで起き上がんのかよ」
ローガンの唖然とした声をシグは聞き流す。だが、同意しなければならない。
胸の中央部に豪脚を振り抜いたのだ。
心臓は破裂するのはまだしも、自分が喰らえば肺に助骨が突き刺さってもいいはずだった。
危険度が高い。そう認識し、糸を扱おうとばらまきはじめ、止まる。
立ち上がった少女の頭からボロボロなフードが取れた。その精悍な顔だちや光を放つかのような大きな金の瞳が、ネコ科の小動物を思わせた。
違う。注目するのはそこではない。
こんな触れれば折れてしまいそうな可愛らしい少女が轟槌を扱うことも驚く。だが、これも違った。
光の加減によって深緑に見える黒髪は、目にかかるくらい長くあとは後ろで尻尾のようにまとめている。額の右側の部分には、それらを掻き分けるかのように飛び出た人にはありえない物体が生えていた。
刃のように伸びた角。そうとしか言えないようなものが、山羊のように湾曲しながら青空を映す。
「どこで、それを......」
殺すことも忘れてシグの喉から出たのは形とならない言葉だ。
それは彼の都合。少女には関係ない。
再び空気を破るように少女は地を蹴った。
「逃げて!」
ティオの悲鳴。それがはっとシグの意識を戻した。
だが、遅かった。少女は取り落とした槌を手に振りかぶっていた。ローガンの牽制の銃弾は小さな的の横をすり抜ける。
歯を食いしばり背後に飛ぶ。相手の大地を震わす踏み込みとともに。
奈落のような崖のほうへと。
衝撃。
腕が消失したかのような感覚。受け流すのも馬鹿馬鹿しい怪力。当たり前だ。一軒家のような重量を持っている物体が撃ち込まれたのだから。
「......まだだ」
「......くぁっ!?」
糸を少女にからませ、奈落へと引きずり込む。あいにく『凶壊糸』は発動できなかった。それでも十分。
これで危険は残る側から去るーーーー
「シグっ!」
「待ってティオ!」
黒髪の少女が崖のすぐ前まで青年を追うように走っていた。
そのとき、最悪のタイミングで周囲の地面が崩れた。
赤銅色の髪を持った侍女もそこに含まれている。だが、空中でありながら彼女は王女の腕を掴んで振るうと、ティオだけでも無事な地面に飛ばす。
ネイシェンの足場も同時に崩れ、身体は土の塊と一緒に落ちる。
「あの馬鹿」
シグは自分が助かるために操っていた糸を操作しネイシェンに向かわせ、
「させるかっ!」
存在を忘れていた少女の蹴りを腕で受けた。
素の剛力だ。嫌な音が空中に置いていかれた。
そんなことを気にせず脳が痛みを認識する前に、まだ残っている腕の糸すべてを侍女へと飛ばす。
不運は重なるものだ。
亡者の声が大音声で糸の進行も邪魔し、その風によって思うように動かせない。
「クソがっ......!」
引きまわしてくるかのような水流に落ちる。襲撃者も水しぶきを上げながら墜落した。
暗い水の中。
抵抗すれば水流に殴り続けられるような場所だった。
彼の意識がなくなったのは、それからしばらくしてのことだった。




