猟犬と馬車
大地を叩く馬蹄の音が、森の静寂を破る。先日の大雨によってぬかるんだ土は、その上を通り過ぎた巨大な車輪によって飛び散らされた。
深い朝霧のかかる中を疾走するのは、一つの黒塗りにされた馬車。それを引くのは四頭のガナルクルホースという馬の怪物。
ただの馬が倍いたとしてもその最高速度にはかなわないだろう。しかし、今は地面の状態や木にぶつかる危険性からそれを生かすことは出来ていない。
「ちくしょう、やっぱ来なけりゃあ良かった!」
激しく揺れる馬車のうえにいるのは、一人の軽薄そうな外見の男。前方に背をむけ、セットしていたはずの髪はぼさぼさとなっている。
名をローガンといい、かつてやっていた傭兵業から足を洗ったが、いまは護衛の真似事なぞをしている。
その原因を作った青年は御者席に座り、無茶苦茶に暴れる綱を制御していた。
「なら飛び降りろ。お前が襲われている間に、俺たちは遠くに逃げる。犠牲は忘れん」
「なにこの外道」
軽口の応酬をしてはいるが、どちらもいまの状況を維持するので精いっぱいである。
「うしろはどうだ?」
「......来たぜ」
ローガンは吐き捨てるように答えた。二人の会話は途切れた。変わり映えしない風景が流れ続ける。ローガンの銜えたタバコから生まれた煙が、すぐあとには置き去りにされた。
世界をミルク色に染め上げる霧は視界を最悪にする。
どんなに目をこらそうと、その向こう側は分からないはずだ。それでもローガンの口調は断定の形をしていた。
それが正しいかのように、霧を掻き分けて飛び出してきた存在。
それは犬だった。いや、虎か、獅子か、豹か、とにかく四足で走る生き物だ。長い顎には大量のよだれに濡れた牙があり、ナイフで裂いたような目があった。
それが馬車を囲むように十体。
第三種危険生物ガナルクルファング。
森林狼を一回り大きくしたぐらいの姿。だが、脚力や顎の力はその比でもなく、数が集まれば村だろうと蹂躙可能だ。
「可愛くねえな」
ふざけた雰囲気を消して、冷めた嘲りの視線を浴びさせる。
快くない感情を感じ取ったのか、犬たちは牙を剥きだし攻撃態勢に入った。
「後悔しろよ」
告げると、ローガンは両腕に持った得物を持ち上げた。
それは一見棍棒のように思える。だが、手で持つ部分からくの字に折れ曲がり、腕の延長に伸びるようだった。その先には丸い穴が開き、薄い光を鈍く反射していた。
ローガンは銃の銃爪を引く。轟音のあとには即座に結果が現れる。
すぐ近くにいた一匹が頭を破裂させて吹き飛んだ。バウンドして転がる死体は木に衝突し、さらに無残なことになる。
銃爪をさらに引く。轟音は森の静寂を破り、そのたびに犬の形をしたクリーチャーの頭が弾け飛ぶ。
五体が一瞬にして物言わぬ死体になったところで反撃が始まった。
速度を上げた犬たちが一斉に飛び掛かる。濡れ光る牙がローガンに、そして馬車の車輪に迫った。
三匹がローガンにありえない跳躍の高さで襲い掛かる。
「遅い」
正面に迫った一匹の顎を蹴り、追い返す。
同時に両腕を左右に伸ばす。突き出された銃身が犬の牙を砕いて、銃口を口内に押し込んだ。
仮想の光が牙の隙間から零れ出る。
犬の表情など分からないが、たしかに驚きを浮かべた。それが膨らみ、弾丸と共に吐き出された衝撃波が犬の胴体を粉砕した。
蹴り飛ばした一匹に銃弾を食らわせ、さらに車輪に噛みつこうとする二匹を見る。
「あばよ」
両手の銃からの轟音が呟きをかき消した。
「それで最後か?」
「ならいいんだけどな、オレらのために」
ゆっくりと減速する馬車の上で、ローガンは霧をにらみつける。
「いないぜ」
短くなった煙草を吐き捨て、マイナスイオンたっぷりの空気を吸い込んだ。ため息にして外に出す。
ローガンは屋根に寝そべりながら下を見た。
いまだに興奮するガナルクルホースを落ち着けようとしているシグは、止まった馬車の扉が開いたことで顔をそちらに向ける。
「どうした?」
「さっきの酷い走りでティオが......」
侍女服を着た赤毛の少女であるネイシェン。彼女の顔にも疲労が色濃いが、そのうしろからふらふらと出てきたティオの青い顔のほうがひどい。
運動能力の高い彼女だったが、あくまでも非力な少女であることに変わりはない。
そんなティオが激しく揺れまくる馬車のチェイスに耐えられるかと聞かれれば、黙って首を横に振るしかない。
「安静。これ以上は体を壊す。休憩を提案」
もう一人の侍女であるファルナが王女を介抱する。
「出来るだけ早くこの森を抜けたいんだがな」
「さっきの音でほかにも集まってくるぜ。一時間もないうちに出られるから、それまでの辛抱だ」
彼らはこうは言うものの、すべての決定権は王女にあると弁えている。
同行者四人の視線を受けたティオは呼吸を整えながら気丈に頷いた。
「私は大丈夫だから、先に進もう」
各々が再出発の準備に取り掛かり始める中、馬車にもたれ掛かっていたティオは近づく足音の主に謝罪した。
「......ごめん」
「お前が謝る必要なんてない。俺も昔はお前みたいに、死にそうな顔してこれと同じのに耐えたんだからな」
シグは意外そうな顔で見てくるティオに肩をすくめた。
「二日も寝込んだのは内緒だぞ」
不器用な青年が彼なりに励まそうとしていることに、ティオは弱弱しくも嬉しげに笑った。
「おーおー、オアツいねえ」
「そっ、そんなんじゃないよ!?」
いつもなら笑って受け流せるローガンの冷やかしに焦るのも、微笑ましさがあるようだ。
ニヤニヤしているローガンをシグが咎める。
「おい、警戒はしていろ」
「わーってるよ、ったく」
背後もロクに見ずにローガンは銃を無造作にぶっ放す。遠くで何かが破裂する音が彼らの耳にも届いた。
「いちゃつきは森を抜けてからだぜ。それまでの我慢だ」
「辛抱。一時間くらい、待てるよね?」
傭兵と行き違いの金髪の侍女による言葉に、ティオはなにか言いたそうな顔をしつつもいそいそと馬車に戻って行った。
そこでローガンは、赤毛のほうの侍女が見上げてきていることに気づく。
ネイシェンは勝気そうな目に抗議の色を混ぜていた。
「クリーチャー呼び込む一番の原因って、ローガンさんのせいじゃないですか?」
「仕方ねえだろ、遠距離で撃てんのオレだけなんだしよ。嬢ちゃんはここで大立ち回りしてみたいってのか? かわいい顔が吐き気でゆがむぜ」
「下品で最低」
キッとにらみつけた後、ネイシェンも馬車に戻って行った。
「怖っ。おまえマジであんな嬢ちゃん怒らせたのかよ」
「業務外に城での荷物運びや、休日に街での荷物運び。十分罪滅ぼしをしたはずだ、服の中に手を入れたがな」
「待てい! 最後にさらっと、とんでもねえこと言いやがったぞこいつ!」
「訓練のときに過剰攻撃されそうになったんだ。行使力を使わせる集中力を乱すためにやった。後悔はしていない」
「それで女性陣が納得すればいいな!」
発進した馬車の上でローガンはどうしてこうなったかと、遅まきながら原因を考える。
シグとローガンという戦闘要員の護衛二人。
武礼侍女であるネイシェンとファルナ。
そして、彼らに守られる第三王女のティオ。
身分も実力もバラバラで一見して統一性のない五人組。
異様で異例な彼らこそが宗教国家カルシアスへの来訪組であった。




