シグと剣聖
ところどころ雪によって白く染まる森。そこでは空を覆っていた葉が地面を隠し、根元から無残に折れているものまであった。
木陰に隠れているシグにはその惨状がよく見える。
からだの数か所は肉ごと抉られて血に染まっているのがコートの破れ目からわかる。
それでも嫌な汗がながれる痛覚を無視し、曖昧な記憶を掘り起こしていく。
楼閣の剣聖の二つ名から、フォティスは『空誅牢閣』の法則を使うのだろう。細かい詳細はフォティスが戦争の参戦期間が短いために詳しくはない。だが、使用者と相手の罪と業の大きさに威力は比例するはずだ。
発現された逆ギロチンのような一撃。最初の対峙のときには掠っただけだ。だが、それがシグの体に接触した途端に凶悪に牙を剥いた。何人も手にかけてきた悪人である彼には天敵だろう。
この場に隠れてから数秒にも満ちていない。
空気が変わる。いや、数秒前に戻ったのだ。殺意がゆきかう状況へと。
木陰からシグが飛び出した。背を預けていた針葉樹が根元から両断される。巨大な木の残骸が森を揺らす。それを聞きながら、シグは木々のあいだを駆け抜けた。
一歩。たった一歩を進むたびに背後でギロチンが下から飛び出してくる。背筋が寒くなるが、足はけして止めない。足がなくなるか死なない限り動かす。
シグの目にフォティスの姿が入り、反射的にナイフを投擲。銀色の刃は容易く法則によって止められ、死角になるよう飛ばした黒塗りだったものもフォティスに弾かれた。
単なる見せ札。自らが投げたナイフを追い、接近戦に持ち込む。それをフォティスが迎え撃つ。シグの腕を覆う手甲が闇にまぎれるように鈍い色を映した。
剣による刺突。手甲による貫手。それぞれの先端部分がぶつかり合い火花を散らす。
それを皮切りにシグは異形の手を拳、熊手、手刀、五指へと変化させる。フォティスは剣を舞のように無理なく動かし、攻勢を続けさせない。ギロチンが発現。背後へと跳んだシグの足に掠り、巨大化する。
事象干渉法則は発動されると“そういうもの”というふうに存在することになる。空気が周囲にあるように、踏みしめるための地面があるように。
無形の行使力で無効化できないほどの実体を持っている。
また肉が抉られる感触に目を細めつつ、シグは後方へとんぼ返りした。
これも見せ札。
空中でシグが手を閃かせた。音もなくフォティスの上へと輪切りにされた木が落下していく。『凶壊糸』で密集している木を切断し、すべてがフォティスへと落ちるようにさせたのだ。
フォティスの意識は一瞬だけ上へと向くが、ギロチンがそれらを薙ぎ払う。
まだ、見せ札だ。
意識をシグへと戻す。消えている。しかし、フォティスの周囲にはいくつもの気配が現れた。
外向干渉法則『智の変貌』
シグのもう一つの法具である黒コート。能力は存在の置換。姿かたちは変わらなくとも、認識の変換を起こす。以前、傭兵たちの弓矢が異様に外れたがそのときもこの法則が使われていた。
フォティスの周囲に出てきた気配のもとはナイフだが、それがシグとして誤認してしまい本物を見失った。
だが、気配には反応しない。なにもない背後に剣を振るう。
空気として存在を偽っていたシグが受け止めた。
「そんな気の抜けた心で私を倒せるとでも?」
「ぬかせ」
鍔迫り合いとなったところで両者が飛びずさる。
「まだ私のことを侮ってはいないかい」
「こっちに余裕があるわけないだろうが」
さっさと相手を無視してシグは森を抜けたい。だが、出られない。
範囲系の法則なのか影響は一種の処刑場へと変わっている。おそらく先行したケルビムたちも町に到達できていないだろう。
この結界が消えるのは、使用者を無力化するかシグが死ぬかの二択しかなかった。
ギロチンの刃をかいくぐりながら森を疾走する。
「ぐっ!」
足が重い。糸を操るのも億劫になってきた。
シグはそもそもスタミナがあるほうでもない。行使力を無変換で放出できる代償が、肉体の強化や障壁の展開ができないことに繋がるのだ。
後者はともかく前者は無理やり改善できている。だが、生身の肉体であることに変わりなく、オーバーワークを続けるには燃費が悪すぎた。カウンターを狙うタイプの彼がいまやガス欠寸前である。
危険。その単語だけが頭を埋め尽くすようだ。
あちこちの木がなぎ倒され森は哀れな姿となっているが、自分もすぐにこうなるかもしれない。
シグはため息を荒れた呼吸とともにはきだし、
「......なにを拘っている?」
この戦いで何度目になるか分からない問いが浮かんだ。
結界内の把握ができるのか飛び出してくる刃は止まらない。溢れる疑問も止まらない。
だが、この泥沼な戦いそのものを起こす理由が分かった。あまりにも単純な理由であった。
シグは殺そうとしていないのだ。
『空誅牢閣』はたしかに強力だが、あれは対多数を目的とした武器だ。逆に糸は細やかに操作でき、さっきの接近戦の時にでもフォティスに使えばそれなりの結果は残せただろう。
体を反転させ来た道を戻るように駆ける。
いつものように殺せばいい。火の粉は振り払わずに消す。
フォティスは気づいたようで法則の発動時間の感覚が短くなる。シグが通ったあとの周辺には木っ端がはじけ飛び、時折血が混じっていく。
構わずに数が心もとなくなったナイフをばらまくように投げる。
ギロチンがそれらを迎撃しようと突き出た。だが、ナイフの群れはその寸前に空中で止まる。軌道を複雑に変えて避け、フォティスへと殺到した。糸が柄に張り付いていた。
「それだけかい?」
剣で前方からせまる凶器を弾いていく。力をこめる一瞬の隙。そこをシグが逃すはずもない。
が、断罪の法則で上からふってきたシグを切り裂いた。あとに残ったのはナイフの残骸だけ。囮だった。
フォティスは次に来るであろう小手先に身構える。
「そう来たか」
答えは正面からだ。薙ぎ払ったナイフを掻きわけるように目の前まで来ている。
それは悪手。探知能力を使う必要なくギロチンを跳ね上げた。
だが、シグはその上を飛び越す。仮想の刃には糸が絡みつき押しとどめている。
お互いが距離を詰め、剣を爪を相手の体へと突き立てる。
「ちぃぃぃっ!」
「はぁぁぁっ!」
早かったのはフォティスのほうだ。その剣先は風の音すらも置いてシグの頭部を貫く。
はずだった。
『智の変貌』が瞬間的に使われ、わずかだけだが位置がずれていたのだ。
ほおを剣が切り裂く。フォティスの攻撃は止まった。
しかし、まだシグの手は動き続けている。
届く。シグはそう直感した。
凶器を化した黒い手を、老剣士の頭を食いちぎるように開きーーーー
なぜか、リュピアやフォティスと過ごした短い月日が思い浮かぶ。
気づけばフォティスの顔の寸前で、手甲は止められている。他の何物でもないシグの意志で。
重い剣の一撃が迫り、なかば反射的にシグは腕で受け止める。
思うようにふんばりも効かず、少し離れた場所の木の残骸に叩き付けられた。
「ひどく温いじゃないか。そんな覚悟で君は人を殺してきたのかい?」
ゆっくりとフォティスが雪を踏みしめながらシグに近づく。
「やると決めて諦めずに続ける根気があるのは君の美徳だ。それがどうだい? 今はこんなありさまだ。さっきのも君が勝ったはずだというのに、まったくもってらしくない」
言われなくてもわかっている。殺すことを躊躇うのは過去にもほとんどなかった。彼らと関わりすぎたのだ。フォティスを殺せばリュピアはどう思うのかと考えた。恩のある人物を殺すのはいいことなのかともためらいを後押しする。
「たしかに......殺したくはないと思うのはいつぶりだろうな」
「私への攻撃はすべて急所をはずしたものだ。だが、それでは駄目だ」
シグは身じろぎをする。隠し持つナイフは二、三本。糸は動かせる。この状況を打破する可能性は少なくともある。
だが、自分はフォティスを殺せるだろうか?
無力化などとフォティスが言ったように温い手では、最初にシグの力が尽きる。
「君は人を私とおなじように何人も手をかけてきただろう。家族を抱えた者。恋人を待たせる者。生にすがりつく者。そのとき、何を思った?」
フォティスは剣をさげたままシグを見下ろした。
「なにも」
「なぜ? 相手はヒトだ。それは君も同じなんだ。敵だから? それならば、私の罪はなんだ?」
人は人を殺すことに、また傷つけることに多大なストレスがかかる。見ていただけのリュピアでも傭兵たちが片付けられることに忌避感を覚えていた。
実際に自分がやれと言われても、はいやりますと人間は返事をできない。
「人間として当たり前なだけだ」
「君も人間だろう。ならば」
「俺は違う。見かけだけが似ているだけで、ほかはまったくの別物。あんたとは違うから答えを期待するな」
喋るたびに傷口が痛む。だが、口が開けば止まらない。
「だが、一つだけ後悔がないかと言っても嘘になる。そのせいで前の仕事を辞めたんだしな」
「それで平気なのかな?」
「まさか。だが、そいつとは忘れないでほしいと約束をしたんだ。それを守るぐらいしかしていないだけだ」
「たかがそんなことで」
「ああ、そんなことだ。俺はそんなことをいつも思い出している。懺悔をしても逃避をしても消えないなら、いっそ受け入れようとな」
青年が口にしたことはフォティスにはもはや出来ない。
いつの間にか巨大になった罪や業によって押し潰されたのだ。法則を使用するたびに強くなっていることが、なによりもフォティスを追い詰め剣聖の座に押し上げた。
頂点に上ったのはすり切れ干からびたあとであった。
「君が羨ましいよ」
「そう楽なことじゃないんだがな」
シグは肩をすくめる。内側に付けてあったナイフが滑り落ち、柄が手におさまる。
「目をそらしながら生きてきて、満足だったか?」
フォティスはゆっくりと首を振る。剣を握る手に力をこめる。
「疲れただけさ」
「損な役割を押し付けてくれるなよ」
「ならばこれも受け入れてくれ。こうするしかなかったのだと」
首を狙ったナイフを弾き、ギロチンを使って牽制する。
剣聖は法律を紡ぐ。そこに恐れはなかった。
『罪の刃は腐肉を貪り、業の刃は穢れを喰わん。咎人の血よ、断罪者の権化よ、誓いの名のもとに天譴をーーーー』
膨大な量の行使力が遥か上空で形づくる。
砂浄の牢閣
法律を唱え終わった直後。
フォティスを剣聖たらしめた絶技が森全体を揺さぶった。
殴られた痛みに呻きつつ、リュピアはベッドの上から体を起こした。見回せば一度だけ来たことのある町長の家の部屋だ。
身じろぎするが手足は縛られて芋虫のようにしか動けなかった。
「起きたか」
巌のような傭兵が壁際のイスに座っていた。大剣がそばに立てかけられてある。
「あなたのおかげでよく眠れましたよ」
皮肉を込めてリュピアは睨む。街中でひとりになったところを傭兵たちに囲まれた。隠し持っていた木刀やナイフで何人かを潰したが、他とは実力が違うこの大男に負けたのだ。
「あそこまで抵抗されるとは計算外だ。やはり狼の子は狼といったところだな」
「それはどーも」
「ギレンたちが戻ってくるまでは寝ていろ」
「それより教えてください。お祖父ちゃんはどうなりました? それにトレントも」
「馬や犬は保護している。それも売られるためだろうがな。そして剣聖は、居候を殺しに行った」
「剣聖?」
「お前の祖父のことだ」
嘘だと思った。なぜ祖父がそんなことをするのかと。そしてなぜそんな誇称で祖父が呼ばれるのかも。
この傭兵はおしゃべりではないが、聞けばなにかしら答えてくれた。契約内容にはないからという理由だが今はそれでいい。
「お前と町の住民を人質にしてサルポネが交渉した。どうせそんなものは反故にされるのにな。ことが終わればサルポネはこの町を潰す」
「うそ。できるわけが」
「出来る。ここのような小規模な町が忽然と消えるのは珍しいわけでもない。南国のような法整備の甘い場所では頻繁にあるぞ」
実力からして傭兵集団“狼”に所属している彼の言葉なら嘘ではないのだろう。
「どう、なっちゃうんですか」
「さあな。お前は性のはけ口にされるか、裏の奴隷市にでも飛ばされるだろう。おれが依頼されたのはお前の逃亡の監視だけだ」
「わたしは、どうでもいいんです。シグさんやお祖父ちゃんたちはどうしてるんですか?」
どれくらい気絶していたかリュピアには分からない。
もう後戻りできない所まで来ているかもしれない。
傭兵は眼を反らすこともなく事実だけを述べる。
「もう終わった。おそらく勝ったのは」
その時、微かにだが聞き覚えのある咆哮が聞こえた。
町の門を破壊して飛び込んできたガナルクルホース。
第二種危険生物の呼称はそれこそ破壊の化身とも言える。討伐には最低でも千人隊長が率いる小隊が必要とされ、馬とはなんなのかと問いたくなるほどの化け物だ。
クリーム色の細長い物体を乗せたそれは、警戒していた傭兵に突っ込んでいく。
シグとフォティス。そのどちらかが門を潜ってきたときに殺せと言われていた。少し前のギレンたちのありさまから、弓矢を装備した者も多い。
第一射は黒い雨のように飛来した。全身に矢が刺さればどんな生物も例外なく殺せる。
ケルビムは地をえぐりながら蹴る。加速。後方へ矢を置き去りにし、傭兵の一団へと突っ込んでいった。
「なんだってんだ、こいつはよぉ!」
憎い奴のむごたらしい死にざまを見物しに来ていたギレンが叫びながら飛びのいた。すぐ脇を漆黒の巨体が通り過ぎた。逃げ遅れた傭兵が蹄によって肉塊へと変えられる。
戦い合う二人のうち一人は必ず死ぬ。フォティスは人質がいるのだから、必死になってやるはずだ。
生き残って町に来ても、その疲弊したところを数の質量で潰せる。そうくくっていたが、やってきたのはそもそも人間ではない。
グオオオッ!
馬の形をした悪魔が急ブレーキをかけて体を反転する。そして再びの突進。目指す先は人の住んでいない一軒家。しかし、その上には弓を構えていた傭兵の姿。
彼らが飛び降りた直後、家が爆砕した。
腰を抜かしているギレンの肩が軽く叩かれる。
「んだよテメェ! 早くあいつをなんとか、し......ろ?」
その顔はすぐに恐怖に彩られることとなる。
ガナルクルホースが町で暴れていると報告を受けたのは、町長が自宅でサルピエと話している時だ。それを聞いて卒倒しそうになる。
住民たちを守るために仲の良かったフォティスとリュピアを切り捨てることを選んだ。町長として少数より多数を生かすことに決めたのだ。自身が清廉潔白ではないと自覚している。それでも仕方のないことだと思った。
心労できついが、どうにかサルピエが町を潰さないように交渉していた。
「ふむふむ、大変ですな」
「ど、どうかお願いします。わたくしどもは世間を知らないので、あなた様の危惧することは起きません」
「いやいや、我々はなにもしませんぞ? しかし、ガナルクルホースですか。あのクリーチャーに滅ぼされた町もあります。とても危険です」
町長にはわかった。サルピエは今の状況も町の破滅に利用するのだと。すぐにでも彼らはここから離れられる準備をしていた。
内面の醜悪さを体現している男は気色悪い笑みを浮かべるばかりだ。
「ランク五のモリアーゼ殿がおりますよね? それならば、いますぐ彼を向かわせるべきでは」
「それが、彼は護衛の仕事もあります。まあまあ、そんな顔はせずに。ここまであの怪物が来れたら、相手をさせるのもいいでしょうな」
ーーそれでは遅すぎだ!
叫びだしたい気持ちを喉元に必死に押しとどめた。サルピエが言ったようでは、町が蹂躙されたあとである。少なくとも、町の破滅が遅いか早いかぐらいにしか見えないとしてもだ。
「どうか、どうか......!」
懇願を続けようとしたとき、客室に張り上げた声が聞こえる。
「親父! たのむ、助けてくれよ!」
ギレンの声だ。その必死さから、彼は現場から逃げてきたのだろう。
サルピエは控えている数人もの傭兵のうち一人に目くばせする。その傭兵は鍵をかけてある扉を開けるために部屋を出ていった。
「我々もはやく荷を都市に届けておきたい。どうせなら、あなたも一緒に来ますかな?」
「それは望んでなどいない! 私はここまでやってしまったんだ。町を捨てるつもりならはなから裏切りはしない!」
「それはそれは、残念です。町と運命を共にすると、受け取ってもよろしいと?」
町長は歯噛みしながら沈黙する。
それがしばらく続いたとき、サルピエが不思議そうに扉のむこうを見た。
「ギレンはまだこないのか?」
傭兵も戸を開けに行っただけなのに戻ってこない。報告くらいはしにくるはずだ。
「ふむふむ、扉のあけかたが分からないかもしれませんな。町長殿、お願いしても?」
どうにでもなれというふうに、町長は客室を出て家の入口へ向かうために通路を通る。
そして、
「ひっ!?」
空中に浮かんでいる傭兵の姿を見つけた。
手足が限界までに広げられたまま土台もなく浮かんでいたのだ。生きている。痙攣しているところからそう思ったが、はたしてそれがいいことなのか分からない。
顔の穴がすべて閉じられ、声を上げようにも喉が潰されている。不自然にある赤い点が糸が通されているためだとは気付けなかった。
ご丁寧に客室から出てきたらよく見えるように配置された奇怪なオブジェ。
自然と悲鳴をあげることも忘れて目を引かれた。
背後の空気が人の形を成し腕を振るったのもわからず、意識は沼のなかへと落ちていく。
一般人を気絶させたシグは通路を歩く。ギレンはいない。声真似だ。本人はもう路傍にでも転がっているだろう。
町長の存在をコピーして客間へ入ると傭兵たちが斬りかかってきた。シグに気づいたわけではない。誰が入って来てもそうしろと命令されていたのだ。
シグは腕をふるう。殴るためでもない。爪の先からつながる糸が撒き散らされただけだ。
それらに最初に触れた物体は剣であろうと人体であろうと歪なブロック状へと変わる。
部屋へと足を踏み入れる。
「モリアーゼ!」
サルピエが声を張り上げると同時に、部屋の天井が破壊され客間を半分に分けるように何かが通り抜ける。シグの姿も攻撃を受けた。だが、それは法則を使った囮。本人は天井を見上げる。新しくできた穴からは大剣を手にした巨漢が見えた。
他の傭兵は巻き込まれるか、シグと接触していたかで倒れている。どちらにしても原型は保っていなかった。
「もう終わっている」
シグが肩をすくめて何も持っていない手をふった。それは、一秒前にナイフを手にしていたほうだった。
モリアーゼが見下ろせば、サルピエの額に張り付くように柄が飛び出している。
巨悪を尽くしていた男のあっけない幕切れがそこにはあった。
「それとも、あんたもやるか?」
「依頼主が死んだ今お前を殺すことに必要性がない。仇討は依頼内容にはなかった。剣聖を下した存在に勝てるとも思わないが」
大剣を鞘に納めたモリアーゼにはなんの感慨もない。
その背後からは数時間前に聞いた少女の声が聞こえた。
「シグさん......?」
「悪いな。遅くなった」
糸を使ってリュピアがいる場所まで移動する。
「お祖父ちゃんはどうなったんですか!? なんで、そんな怪我なんかしてまで!」
「近づかないほうがいい。お前が血で汚れてしまう」
「どうだっていいんです! 答えてくださいよ!」
拘束を解かれるとリュピアはシグに詰め寄った。気丈なはずの彼女が目に涙をためて、噛みつかんばかりにシグの服を掴んだ。
だれのとも分からない血がしたたり落ち、リュピアの白い腕を伝う。
「フォティスは俺が殺した」
「なんでそんなことしたんですか!」
理不尽な言葉だと思った。
もしシグがフォティスをを殺していなければこの場にはいなかっただろう。
どれほど失望されようと、シグは彼女に言わなければならない。
「全てが終わったあと、あいつは死ぬつもりだった」
リュピアの端正な顔立ちがゆがむ。これ以上は聞きたくないと。
それでも、シグの言葉を止めようとはしなかった。
「死に間際にこう言った。お前に対してだろうな」
貫手で穿ったときに、たった一言だけ呟いていた。
「すまない、とな」
リュピアにはもう涙を押さえつけることは出来なかった。
騎士団の訓練場所に隣接する駐屯場にまで、早朝だというのにやたらと気合の入った暑苦しい声が届いてくる。
その中にはティオの姿もあるのだろう。
しかし、護衛者の仕事をしているシグはその駐屯場にいた。
いい意味で歴史を感じさせてくれる厳かな建物には、それこそ立派な全身鎧や業物の剣が飾られている。そんな歴史資料館のようなところにシグのような青年がいるのはだれでも首をかしげるだろう。
例によって黒コートを着込むシグは、ガラスのむこうにある武器などには目もくれず、壁にかかった一枚の肖像画を見入っていた。
鞘から抜き放った赤みを帯びる剣を手にした騎士像であり、その視線は遥か向こうにいる敵軍を睥睨している。彼がむかい来る敵軍をたった一人で退けたという、今でも語り草となる有名な戦いの直前の立ち姿なのだ。
副官と今生の別れを告げて、まさに敵を向かい迎え撃とうとしている。
不思議なことに、眼光鋭い偉丈夫ながら彼の姿にはどこか温かささえ感じられる。自分のなすべきことを愚直に、ただひたすらその道を突き進もうとする。
力や畏怖心を喚起させる騎士の肖像画は他にいくらでもあるが、その中でもこの絵は異端なのかもしれない。
胸の内を完全に潰した、すぐあとに壮絶な戦いを繰り広げるはずなのに、殺気だった表情とはほど遠い。
その法具や実力の高みから、“楼閣の剣聖”と呼ばれていた人物だった。
「その方を知っているのか?」
歩み寄ってきた女性に聞かれ、シグは小さくうなずく。
千人隊長のレノアはなにかの書類の束を抱えながらシグと一緒に肖像画を見つめた。
そしてレノアは重ねてシグに訊いた。
「彼と会ったことがあるのか?」
「若いころのフォティスは知らない。だが、生前には会っている」
「そうか......最近は余裕も出来て、我々八方手を尽くして探すようになった。だが、匿名で既になくなっているという話しか聞いていない」
「だろうな」
視線は肖像画に固定したまま、僅かたりとも動かさない。動揺の色も皆無だった。
「一緒に連れられて行った孫娘の方は分からないままだ。そちらは、なにか知っていないか?」
「どうだろうな」
ひどく曖昧な答えだ。レノアはなにやら考え込むそぶりを見せた後、頷くだけに留めた。
いまどうしているのか、それはシグにも分からない。
シグはその孫娘との別れ際を思い出していた。
「やっぱり、わたしはシグさんとは行けません」
「お前がそうしたいと言うのなら、俺はそれで構わないが」
「少しくらい惜しんでもいいんじゃないですか?」
「荷物が減ることを残念がるやつはいないだろう」
相変わらずのシグの態度にリュピアは苦笑した。
小さなログハウスの前で最後になるであろう会話なのに、この青年はなにも堪えることがない。初めて会った時と違うのは、包帯まみれの姿というところか。
「わたしは自分のせいで、誰にも迷惑を掛けないぐらい強くなってから、この家を出ていきます」
シグは自分の知りえることをすべてリュピアに話した。
聞き終わってからしばらくして、彼女はそうですかとだけ言って、その答えがいまのセリフなのだろう。
「師匠の代わりもいますしね」
今までにおこなった横暴の数々から居づらくなり、数少ない生き残った傭兵たちは町を離れていった。
例外として依頼を受けたモリアーゼが残ることになる。契約内容はリュピアの護衛と師事。報酬はシグの持っていた宝石で十分に足り、意外にも常識人である彼なら間違ったこともないだろう。
「キューイ」
「レトロもありがとうね」
「キュイ!」
元気よく、ケルビムを乗りこなしていたレトロが鳴いた。
ケルビムが暴れたことによる町民の被害がなかったのは、ひとえにレトロのおかげなのだろう。
その飼い主であるリュピアが責任を問われずに済んだのは、町側の後ろめたさもある。町長からの謝罪などいまだに彼女には複雑だが、これで良かったと思っている。
「......リュピア」
「謝らないでください。全部を終わらせてくれたのは、シグさんのおかげなんですから」
「俺のおかげだと?」
「はい。お祖父ちゃんを救ってくれて、ありがとうございました」
この時にいたるまでフォティスの話題をリュピアは口にすることがなかった。
「わたしは感謝しているんです。この町だけが世界じゃないって、シグさんが気づかせてくれたこと。それに、助けてくれたことも。それに......」
リュピアはかすかに微笑んだ。
「好きな人を恨めるはずないじゃないですか」
シグのリアクションは目を少しだけ見開いたぐらいだが、少なからず驚かせたことにリュピアは満足した。
「さようなら、シグさん」
どれだけ猛威をふれる力を持っていても、それを使うのは人間だった。
この剣聖の人生を表すならばそんなところだ。
巻き込まれた不幸な少女は、今どうしているだろうか。
意識はいまに戻り、肖像画を見やる。
死は受け止めてやればいい。彼にはこう言ったが、変わろうとして仕事をしている自分はいつまでこの自論を持っていられるのか。時間が経てば皮肉な結果になるかもしれない。
「シグってばここにいたんだ! レトロに探してもらわないと見つからなかったよ」
「キュキュイ!」
「私をひとりにするなんてヒドイよねー」
「キュイ」
レトロを腕に抱えた王女が部屋へと入ってくる。
「姫様、もう終わったのですか?」
「うん! あと、セリオスさんがレノアさんに書類出してもらいたいって」
「もうそんな時間ですか!」
一礼すると慌ただしくレノアは駆け出していった。
それを笑顔のまま見送ると、ティオはシグに向き直る。
「シグはもういいの? なんなら待ってるよ?」
「別にいい。たいして用はなかったしな」
ティオは顔をほころばせるとシグの手をひいた。
「じゃあ一緒に行こう!」
武骨な黒手袋に覆われた手は小さな柔らかい手に包まれた。
ここ最近はこんなことが当たり前となってしまった。悪くはない。その考えに内心苦笑する。
しばらくは穏やかな春の日常が続けばいいと思った。




