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姫とハロワと法則世界  作者: なよ竹
間章 楼閣の剣聖
18/39

吹雪と添寝

 男たちの下品な笑い声が鳴りやまない酒場で、リュピアはこの日も従業員として働いていた。

 それほど大きい場所でもないからか野太い声がいやに響く。酔いつぶれるほど飲める客もいないが、赤ら顔で普段より豪快になるところは共通していた。


「リュピアちゃーん、この酒も一本くれや」

「はーい、少し待っててくださいねー。奥さんにはもう気軽に同じこと言えないでしょうけど」

「さらりと失礼なこと言わなかったか!?」

「お酒がまわって幻聴でも聞こえたんじゃないですかー」


 テーブルを拭き終えたリュピアは注文されたものを取りに行こうと厨房へ向かう。

 ふと窓の外を覗いてみた。

 夜の闇の中でもはっきりと分かる雪が、猛烈な勢いで横殴りに飛んでいく。

 これはしばらく止みそうにない。


「おいリュピア、サボってんじゃねえ」

「はいはーい、分かってますよそんなこと」


 店主のドスが効いた声が厨房から飛んできて、リュピアは止めていた足を動かした。


「いやー今日も猛吹雪ですよ猛吹雪」

「音で分かる」

「しばらくは誰も町に来ないでしょうね」

「豪雪地帯を通って来る馬鹿がいるわけねえだろ。わざわざ言うお前も馬鹿だがな」


 洗ったコップを拭きながら店主はぼそりと返した。

 節くれのような老人だが、嘘か本当か昔は騎士団にいたらしい。愛想などないが、リュピアをこの酒場で働かせてくれる他におせっかいを焼くなど面倒見がよかった。

 偏屈な店主と軽口を叩けるのは長い付き合いをしたリュピアだけである。


「吹雪が止んでる時に来ればいいじゃないですか」

「ここ最近は盗賊や野獣が蔓延はびこってやがる。狂人だとしても突っ込んでってお陀仏だ」

「へー、それで?」

「......時々思うんだが、お前って怖いよな」

「なにか言いましたか?」

「いいや何も。おら、無駄話してる暇あったらさっさとこの酒を野郎どもに運んで来い」


 店主は安酒を棚から取り出してリュピアに押し付ける。

 この酒場の従業員は店主を除けばリュピアしかいない。偏屈ここに極めりな店主のせいで、彼女しか残らなかったのだ。

 酒瓶を手に持ちながらリュピアは小さく息を吐き、金髪をポニーテールに留める黒いリボンを撫でた。とても優しげな手つきだった。

 客席のほうから怒鳴り声が響き、店主の一睨みを受けてリュピアはすぐさまそちらへと向かう。


「おーい酒はまだこねえのかよ!」

「はいどうぞー」

「サンキューな。いやーリュピアちゃんはやっぱ可愛いな。どうだ、おれの嫁にでもならないか?」

「え、何あたりまえのこと言ってんですか。生理的に無理。絶対。嫌。やめて声かけないで」

「そこまで言う必要あるか!?」


 自らの冗談によって心を折ることとなった男を見て、周囲がどっと沸く。

 口笛などで男たちにもてはやされながら、手を上にぐっと突き上げるリュピアを見てさらに活気つく。

 基本的にノリがいいこの看板娘は容姿も相まって、酒場ではアイドル的な存在となっていた。本人に自覚はないが、町の同い年の少年たちは密かに狙っていたりもする。


「これだから独身のままなんですよ。メンタルが雪なみです」

「溶けてなくなる!?」

「大丈夫です。また空から降ってきますから」

「俺のメンタルってどんな仕組み!?」

「それくらいにしとけリュピア」


 追撃を加えるリュピアを店主が厨房から牽制する。

 少女はふざけるつもりで言い訳しようとしたとき、酒場の扉が盛大な音と共に開かれた。


「あー寒い。これだからクソ田舎は嫌なんだよ」


 まず一番最初に入ってきた男の言葉に、あとから続く三人ほどの取り巻きが品もなく笑う。

 いままでの喧騒が嘘だったかのように静まり返る酒場で、もとからいた人間は一様に嫌な奴らが来たと顔をしかめる。

 この町に大豪商がやってきたのは冬季に入ってすぐのことだった。なんでも、自分たちで商品を運んで来ていたらしい。

 この地方は冬季に入ってしまえば、隣の町や村に行くことは普通しない。

 馬車で行くのは雪が降り積もる道によって論外だ。人の足で移動しても、店主の言葉のように野獣や盗賊に襲われる。それならば行かなければいいと、特別な移動手段は発達していなかった。

 豪商たちはそんな町に足止めをくらっていた。


「おっさん! なんか酒はねえのかよ!」

「ギレン。金を払わん奴に飲ませるのは水だけだ。この店で飲みてえなら、さっさとツケ払いやがれ」

「はぁ? おれらにそれを言うか? おれ達はスタンバーグ一家の長男なんだぜ!」


 それは町の者にとって、あまり歓迎したいことではないことだ。

 大豪商スタンバーグ一家の悪い噂は聞けども良い噂はない。それがなぜかは、町の外にも滅多に出ない住民はすぐに理解した。

 まず一家の性格が悪い。当主はなにかといちゃもんをつけて、すぐに女に見境なく手を出そうとする。下のものも悪影響が及ぼされたためか、推して知るべしだろう。 

 実際、このギレンという男も名を持ち出して無銭飲食や器物損害といった軽微な犯罪を平気でやっていた。

 商売については敏腕であっても内面がどうかという奴らに恨みがある者も多い。


「名が金になるってんならどうぞ。それはお前の頭の中だけだがな!」


 店主の罵倒にもこの町の人間は小さくうなずく。なにかしら既に被害を受けたものも少なくなかった。

 歓迎されていない様子を見てギレンはあからさまな舌打ちをした。


「ったく、吹雪の中歩いて来たってのに骨折り損かよ」


 嘆かわしいとばかりにため息をついた口はすぐに端を持ち上げる。

 目は好色そうな光を嫌らしく備えて、トレイを持って立ったままのリュピアの体を舐めまわすように不躾な視線を投げかけた。


「なあ嬢ちゃん。これから夜、一緒にどうだ? 慰めてくれんならいくらでも楽しませてやるぞ」

「......もう夜ですけど。それにわたしの楽しみは趣味で十分です」

「んな固いこと言わずに、な? 女の楽しみってのも教えてやるぜ?」

「裁縫やダンスでしたら結構です。でも意外と芸達者ですね」


 会話がかみ合ってない。リュピアとギレン以外のものたちはすぐにそう思った。

 女心の機微を悟れないガサツな男でも、リュピアは本心からギレンの言葉の隠喩を理解していないと分かる。

 背後の取り巻きの傭兵たちも何と言ったらいいか分からない呆れ顔だ。


「おれらの宿まで来て酒をそそいでくれりゃあいいからさ」

「まだわたしには仕事が残ってるので。それに家に帰らないと」

「どこにあんだよその家?」

「教えません。押しかけられたら困りますし」


 ギレンはどこをどう曲解したのか、最初にこの酒場にやってきたときからリュピアが自分に惚れていると勘違いしていた。

 取り巻きたちもこれには呆れるしかない。脈なしで、これからの進展がありそうにもない。

 それが分かっていないギレンのストレスはたまり始めている。

 今日はいつもよりもしつこかった。


「そうツンケンすることはないだろ。彼氏でもいんのかよ」

「いませんけど。喧嘩売ってんですか」

「なら別にいいじゃねえか。ちょっとばかし、おれに付き合ってくれりゃあいいからさ」

「丁重にお断りさせていただきます。(ダンスや裁縫の練習は)嫌です」


 ギレン自身もリュピアの言葉の意味を根本から理解できなかった。自分に向けられたように見える拒絶に対し、困惑が怒りに変化するのはさほど時間が必要ない。

 感情を制御することを知らずに、激情のままに行動する節がある。

 ギレンの表情に出たのだろう。一般人でしかない客が僅かに身を引いた。

 同時にギレンが強引にリュピアの腕を掴む。

 取り巻きの一人が慌てて止めに入った。


「お、おいギレンさん。そんなことしていいのかよ? 暴力はなしだって......」

「あぁ? 別に無理やりってのもいいだろうが。親父が後始末なりなんなりしてくれるからよ」

「きゃっ」

 

 強引に腕をひかれたことによりリュピアが体勢を崩した。

 客たちは何か言ってやろうとしたが、ここで豪商一家に因縁を付けられるのを恐れて逡巡する。それほどまでに影響力が強く、最悪この町への商人の往来が無くなり生活が出来なくなる可能性があった。

 無抵抗なままでいるつもりのないものもいた。

 店主が鍋を手にし、リュピアがトレイをギレンの頭部に振り抜く。

 その直前になんの前触れもなしに酒場の扉がゆっくりと開かれた。


「うおっ!?」


 隙間から雪の混じった身の凍るような風が吹き込み、扉の前にいた傭兵は慌てて飛びずさった。それによって注目はそこに集まる。

 驚きの声は風に向けられたものではない。

 扉に近かったからこそ見えてしまったのだ。向こう側にいる存在を。

 ゆらりと扉の隙間から音もなく入るそれは後ろ手で入り口を閉める。ギレンが来た時とは違う静寂が酒場を支配した。


「な、なんだよ......お前」


 誰が口にしたのかは分からなかった。だがそれは、店内にいる人間の疑問を代表したものでもある。

 マフラーと冬用の防寒着の下にはちらりと黒いコートが見えた。こちらもまた黒い手袋をはめた手で革袋を一つ肩にかけていた。どれもガチガチに凍ってあり、風もなくなったのに無駄になびいている。

 それすらも覆い隠すように、全身が雪にまみれて真っ白だ。

 長い距離をこの猛吹雪の中、自分の身ひとつで歩いてきましたと言わんばかりの格好であった。

 少なくとも町の人間ではないことが分かるが、かといってギレン一行も知らないようだ。

 注目を浴びたままゆっくりとそれは歩く。ビキビキと服を包んでいた氷の層が割れて床に落ちる。


「わ......」


 失礼だがリュピアは思わず声が出た。

 近づけば分かるが猫背気味でもかなり背が高く、そして痩躯だ。ずんぐりしたきこりが多い町では見ることがないタイプだ。

 顔もはっきりと見えてきてぼさぼさの灰髪や怠惰に染まった目が認識できる。

 なぜここまで分かるのかと言われれば、青年がリュピアのほうへ歩いてきたからだ。


「あの、どうしました?」


 ギレンに腕を掴まれたままリュピアはそのまま青年に尋ねた。ギレンは青年の異様さに飲まれ、すぐそばに来たことにどう対応すればいいか迷っている。


「......なにか、メシはないか」


 いまにもぶっ倒れそうなかすれた声音だ。


「食料を、なくしてな。金はある。食えるだけ用意して......くれ」


 ウェイトレスらしいのはリュピアだけなので、注文をしたかったようだ。

 リュピアは腕を掴まれたままの自分の状況をもう一度確認した。動けない。無理やりほどいてもいいが、あとがめんどくさそうだ。


「わたし、不審者に襲われてるんですけど助けてください」


 だからこの見ず知らずの人物にすべて押し付ける。

 青年はいま気づいたとばかりに傭兵を見下ろした。

 それが癪に障りギレンが息を吹き返して因縁を吹っ掛けようと、子供が泣きだす睨みを効かせる。

 正確にはギレンは手を伸ばし相手の襟首を掴んでメンチを切ろうとし、


「なに邪魔してん......」


 次の瞬間には逆さになって空中にきりもみ状に回転しながら浮いていた。

 外から見ていればギレンの強面に怯むか、または反撃で殴り返すのかとは思うだろう。

 周囲で見守っていた客にすら、予想の斜め上どころか背後を取られた結果に呆然とする。

 頭から受け身も取れず、鈍い音と共に床へ激突したギレンが起き上がることはなかった。


「お前が邪魔だ」


 白目をむいているギレンに青年の若干の苛立ちが含まれた言葉が降りかかる。


「死んでないですよね?」

「顔面を殴って気絶させたから死んではいない......たぶんな」


 最後はとても小さく付け加えられたのが人をひどく不安にさせた。見ず知らずの人間がやったとはいえ、この酒場で豪商の護衛が死んだとなっては後味が悪い。

 リュピアには先の一幕がすべて見えていたのだ。動体視力が人よりも優れているがゆえに。

 ギレンが青年の襟を掴んだとき、逆に青年に掴まれて足払いを掛けられた。空中に浮いたギレンの体を持ち上げたあと、青年はその逆さにまで浮いた顔面に拳を突き入れる。

 それでただ落下も出来ずにきりもみしながらギレンは地に落ちたのだ。

 一瞬の停滞もない技だった。


「それよりもだ。早くなにか食い物をくれ......死にそうだ」

「それよりもです。あと三人がただでは食べさせてくれそうにないですけど?」


 少女の見る先ではギレンの取り巻きの三人が臨戦態勢に入っているのが見て取れた。殺気立ち、数の有利を生かすために半円状に青年を取り囲む。

 さすがにここで剣を抜くほどではないが、二人はナイフを手にしていた。


「てめえ、自分がなにしたか分かってんのかよ?」

「それはねえわ。普通に帰れると思ってんのか」

「......いびられんのは俺らなんだぜ」


 口々に言いながらじりじりと青年との距離を縮めていく。

 客はリュピアを含めて全員が壁際に退避していた。無駄に危機探知能力が高いものたちである。


「分かってんのか! 椅子とテーブルを壊した奴には弁償させんぞ!」


 店主の悲壮な叫びが開戦の合図となった。

 行使力マナによる肉体の活性化を併用して向かってくる男たち。殺意を形として持っている。

 それを見て、青年は小さなため息を吐いた。






 深い眠りから一気に覚醒したシグの目に入ってきたのは、見慣れない天井であった。

 明るさからして朝日が顔を出し始める前だろう。ひんやりとした室内の空気が心地いい。

 ピーチクパーチクチチチチチなうなうなう。

 冬の真っ只中でも活動する鳥たちのツイートさえずりが聞こえてくる。シグの耳はそれをはっきりと捉えていたからこそ目覚めたのかもしれない。

 頭を枕に沈めながら、シグは今の状況に戸惑う。

 丁寧に毛布を掛けられてベッドに寝かせられている。

 なぜこうなっているのかが分からない。町に着いてからの記憶がひどく曖昧だ。

 おそろしいほどの空腹で、その飢餓感をなんとしても癒そうとしていたためか視野狭窄しやきょうさくに陥っていた。

 たしか酒場に入り、チンピラを殴り飛ばした。だがそこからが思い出せないのだ。

 そしてなによりもだ。

 シグはゆっくりと視線だけを横に向けた。


「......ふぅ......ん」


 すぐ隣の同じ布団に入っている可愛らしい少女の存在が思考をさらに混沌とさせてゆくようだ。

 ゆっくりと視線を天井に戻したシグは、強く目を閉じた。

 心の中で十かぞえてから横を見た。気持ちよさげに寝ている黄金色の髪を持った少女がいた。

 密着どころか少女の腕や足がシグの体に絡められ、いわゆる抱き枕状態。

 __なぜ、こうなった......?

 朝チュン。そんな不埒な単語が浮かんですぐに消えた。

 体温がお互いに馴染んでいることから、長い時間こうしているのかもしれない。

 押し付けられる様々な柔らかな感触を意識の外に投げ飛ばして、シグは思考を進めていく。

 記憶の暗黒部分で何があったのか。それをまずは確かめねばなるまい。

 現在の状況説明その一。この少女は酒場で働いていた。

 __見覚えはあるな。少なくとも面識もか。

 その二。それからベッドイン。

 __いきなり飛躍しすぎだ。

 その三。これは夢である。

 __現実との線引きくらいは出来る。

 その四。そしてベッドイン。

 __なにも変わっていないだろうが。

 シグは荒事や不測の事態に陥れば対処できる自信はあるが、いまの状況の解決方法は学んでいない。

 結果的に情報が少なすぎて判断できなかった。


「すぅ......すぅ......」


 そう思ったが、すぐそばから聴こえる寝息に考えを改めた。

 情報源ならばすぐ横にあるではないか。

 これは何かの間違いなのだろう。なぜ間違いでこうなったかは横に置いておくとして、シグ自身も間違いを犯してはいないはずだ。

 密着状態であるために微かな振動でも少女に伝わる。シグが起きたことによってか、彼自身の心の準備もないままに少女が眠そうに両目を開けた。

 蒼穹を思わせる双眸だった。


「んにゅ......? あ、おはようございますダーリン」


 __詰んだ。

 絶望感のようなものがシグの胸を支配しようとする前に、少女がそれを救った。


「と、いうのはもちろん冗談です」

「......だろうな」

「いやー、でも昨日はすごく激しくやったみたいですね」

「俺は本当に何をしていたんだ」


 そして叩き落とされた。事態はだんだんと悪い方向に向かっている気がする。

 少女はすぐさまシグから離れるとベッドを抜け出した。寝巻きはしっかりと着ている姿がシグの目に入る。


「起きれますか?」

「ああ......普通にな」

「それなら朝食でも食べます? すごくお腹減ってますよね」


 それを言われてシグは自分がいまだに飢餓感を持っていることを自覚した。飢えなど感じられる余裕がなかったからか、意識するとそれが強くなる。

 だが、起きる前よりは幾分かましになっている気がする。

 少女は長い髪を古ぼけた黒いリボンでまとめてポニーテールにすると、部屋を出ていく。

 彼女なりのペースがあるようで、もうシグのことは気にされていないようだが、聞きたいことをなにも知ることが出来なかった。

 特大のため息を吐いたシグは、少女の背中を追いかけた。

 シグの服装はインナーの上にサイズの小さいセーターが着せられている。シグのサイズに合う服はなかなかないため、借り物なのだろう。ズボンは濡れなかったからか自前のものだ。

 ベッドのある部屋からすぐに居間と思われる空間に出た。

 パンが焼けるこうばしい匂いやスープの穏やかで濃密な匂い。食欲をこれでもかと刺激する香りがシグの鼻孔を撫でる。 

 シグの気分は沈んでいくばかりなのだが。

 朝食がもう出来ていることから、少女の他にも誰か住んでいるはずだ。

 別にこのまま闇に葬って証拠隠滅! とは考えていない。無駄な殺しは後片付けも含めて面倒くさいだけだからだ。


「お祖父ちゃん見てください! 一緒に寝たらすごいことが起きました!」

「おぉ、そうか。それは良かったね」


 __まったく良くないだろうが。

 これは保護者公認だったのか? と心中で毒づくほど、シグはやけっぱち寸前となっている。

 木製の大きなテーブルの上にある食べ物にまず目がいった。

 こんがりときつね色に焼けたパンに、冬では珍しく野菜を使った瑞々しいサラダにはフレンチドレッシングがアクセントとなってかけられている。さらに湯気のたつホカホカのシチューが皿によそわれていた。


「おや、もう起きて歩けるようになったのかい?」


 棒のように突っ立たままのシグに声を掛けてきたのは初老の男だ。決して好々爺には見えない姿であった。

 骨の上に直接筋肉が付いたかのような、鍛え抜かれた痩身。顔はむしろ穏やかと言えるが、直視を躊躇う眼光の持つ力が厚みを帯びている。

 体の軸にはまったくぶれがなく、日常の中で何があってもすぐに動ける体勢を維持している。


「......ああ、だが俺はもうやってしまったのか?」

「む? なにをやったのかと言われると、なにをかな?」

「それは......」


 シグが内心気まずくテーブルに皿を運ぶ少女の後姿を見た。

 老人はシグの視線を追って納得したようだ。


「リュピアのことか。私のほうから礼を言わせてくれ。彼女を助けてくれたんだろう」

「助けた?」

「そう聞いているよ。孫娘が絡まれたときに、追っ払ってくれたそうじゃないか」


 そういえばそんなことがあった気がする。曖昧な記憶しか残っていないため、素直に頷くことがシグには出来ずにいた。


「話は食事をしながらでもしようか。時間はたっぷりとあるしね。私はここの家主をしているフォティスという隠居人さ」

「シグだ」

「さっそくで申し訳ないが、シグ君はどこかの暗殺者でもやっているのかな?」


 フォティスが端にある暖炉のそばのテーブルを示す。暗殺者という単語にシグは一瞬目を細めたが、フォティスは見ていなかった。

 テーブルの上には丁寧にもコート、手袋、ナイフ、小物、小袋、ナイフナイフナイフナイフナイフ____そして白い毛玉もといレトロ。脇には一見なんの用途か分からない黒い手甲ガントレットがあった。

 シグが服などの中に隠し持っていた物である。革袋は動かされた形跡はない。

 最後のはともかく中盤からは投擲用やサバイバル用の物騒なアイテムばかりだ。

 これだけ見れば誰かの討伐に来たかのように思われても仕方がないだろう。


「俺は小心者で武器がないと心もとないだけだ。それより、どこかの偉い人間でもこの町に来ているのか?」

「スタンバーグという豪商一家だ。ちなみに、酒場で君が最初に殴り飛ばしたのはそこの長男さ」

「......覚えていない」

「しかし事実さ。まあ、本当に遭難しただけみたいだし、食事でもしながら話を聞こうか」


 シグとリュピア、そしてフォティスの三人がテーブルを囲む。この小さなログハウスに住んでいるのは二人だけらしかった。

 食事は遠慮しようとしたシグだったが、リュピアにパンを無理やり口に押し付けられるので自分の手で持ちかじりついている。


「シグ君は一人でこの町にやってきたと考えてもいいのかな?」

「あんた達の話通りなら何日か前に、隣の近いほうの町から歩いてきた」

「止められなかったのかい?」

「だれもいない時間だった」

「装備もなくては無謀極まりないよ」

「途中で壊れただけだ。丸腰で出ていくほど俺は無謀じゃない」


 そのまま行軍をやめないこと自体が無謀だと青年は気づいているのだろうか? さも当たり前と言わんばかりのはっきりとした言葉がそれを裏付けている。


「野獣や盗賊は襲ってこなかったのかい?」

「ああ、うようよいたな。ほとんどは隠れてやり過ごしたが」


 彼の通ったという道にはほとんど障害物もない場所だ。どうすればそんなことができるかと思ったが、そんな法則ラウズがあるのかもしれない。

 途端、シチューを口に運んでいたリュピアが間に割って入る。


「ほとんどってことは鉢合わせした時もあるんですか?」

「......まあな」

「シグさんって強いんですね。酒場で三人の男が宙を舞う光景って、間違った妖精の世界みたいでした。格闘技でもしてるんですか?」

「護身術程度だ。それに俺は昔の仲間と比べれば、瞬殺されるレベルで弱い」

「でもすごい過激な護身術でしたよ」

「はしたないよリュピア」


 リュピアは興味津々といった風にスプーンを手にして振り回す。シグの真似をしているようだ。


「エネルギー使うんでしょうか。三人を倒した後にぶっ倒れましたけど」

「......倒れた、だと?」

「はい。空腹で気絶していました」


 この流れならば、いままで聞けなかったことも聞けるとシグは思った。


「それから俺はどうなった?」

「あのままどこかの宿にでも放り込もうと思ったんですけど、商人一行が全部抑えてたんですよね。それで遠いけど、一人増えても少し余裕のあるわたしたちの家に保護しました」


 胸を張ってリュピアが言った。保護という所にやたらと強調しているのは、ご愛嬌と言うべきか。


「運んでこられた時に君は全身凍傷の一歩手前でね。医者を呼ぶ暇もないから、私が応急処置だけをしておいた」


 しかしまあ、もう治っているのには驚いたがと老人が苦笑する。

 下手なことを言えばぼろが出そうなため、シグはそのことに関して特別口にしない。

 なぜ治療から添い寝という展開になるのか疑問が尽きないのだが。


「あ、それですか? 体温がすごい低くなった時にやる行為だって、おじさん連中から常々言われてるんですよ。女のわたしのほうが体温高いみたいですしね」

「私は湯たんぽなどがあるからと止めたのだが」

「......もっと自分を大切にしろ」

「してますけど?」


 ふっとシグの肩から重い荷が下りた気がする。全てが思い違いにしてつじつまが合っている。妙に自分に対する意識が薄い少女のおかげで、いらない苦労の一人芝居だ。

 パンの最後の一かけらを水と一緒に喉に流し込むと、シグは改まって住人達を向いた。


「助けてくれた礼を言わせてくれ。メシも食わせてもらって、面倒もみさせてしまった」

「気にしなくていいよ。私たち二人では潰しきれない備蓄もあるし、人を助けるのは当然のことだ」

「だが、俺の荷物に宝石や金なら入っている。その中から好きな分を取ってくれないか」


 突然の謝礼にも老人は困ったように微笑むだけであった。


「申し訳ないが、私たちには必要のないものだ」

「それは......」

「あまり口を大きくして言えないが、余生を生きて、孫が成人するまでに必要な分ならあるのさ」


 そこまでのぶんは平民が用意するには土台無理な話だ。どことなくこの家にある不自然さが見えてくる。

 内面を探ろうとする無粋な疑問を喉元に抑えるシグに、穏やかなままフォティスが続ける。


「そのあと君はこの町を出ていくのだろう?」

「まあな。そのつもりだ」

「あまりお勧めできない選択だよ。いまでさえ冬季に入ったばかりだ。ここらの地方ではさらに厳しくなっていき、君がここに来る時と同じに見てはいけない」

「それなら、この家を出て町の安宿でも借り続けるさ」

「どの宿もいまは満杯だ。追い出されるのがオチだろうね」


 表情の変化は微細なものだが、シグの顔が苦々しいものになる。だんだんと選択の幅が狭まっていくのを教えられなくとも分かっているからだ。

 フォティスがリュピアに当たり前のように聞き、彼女も当たり前のように答えた。


「それならばどうすればいいかな、リュピア?」

「はいはい! しばらくウチに居続ければいいと思います!」


 それしかないとばかりに二人は頷きあった。ここで勝手に決められてもシグは困る。

 世話になり続けてしまうのを居心地が悪く感じるのだ。豪胆なところがありながらも妙なところで律儀な青年である。


「俺はロクに身分もない怪しい奴だ。そんな俺を泊めるとは本気か?」

「別にわたしたちに何かするわけでもないですよね?」

「まあ、そうなんだが」


 二人からの提案はシグにとっても魅力的であった。この家の食事にありつけるのは、今しがた味を知ってしまったために自然と引き寄せられそうになる。

 それらを振り払うように、無駄なあがきと思いながらもシグは抵抗を続ける。


「なによりも迷惑になるだろう」

「大丈夫さ。食料もあるし、ここは広い」

「だが、やはりな」

「それならば君がここに居てくれることが、我々にとっての謝礼を受け取ることになると言おうか」


 強引な話の持っていき方だが、フォティスはゆっくりと言い含めるように穏やかな顔だ。

 リュピアも小さく何度もうなずきながら同意していた。


「シグさんが事を大きくしてわたしはしばらく酒場で働けなくなりました! 責任取ってください!」

「リュピアのことはともかく、ここで男手として働いてくれれば私達もラクが出来る。冬が終えるまででいいから、これが私達の望んでいることだと受け止めてくれ」


 これで、さすがのシグも折れた。

 大きくため息を吐き、分かったと首を縦に振る。


「やった! これで労働力確保です!」

「お前はもっとオブラートな包み方で表現できないのか?」

「人は選んでますし、面倒くさいのは嫌です」

「俺ならいいのか」

「当たり前じゃないですか。ベッドで一晩一緒に寝た仲ですしね!」

「誤解を招く発言はもうやめてくれ」


 とある町のとある家にお世話になることとなったシグ。

 不思議な一人の少女と一人の老人に出会ったことは、シグにとって良かったのかどうかは分からないことだ。

 今も、これからも。答えは見つかることがない。






 時は少しさかのぼり、町で最も高価な宿屋に戻ってきたギレンたち。

 VIPルームというべき部屋にその姿はあった。もちろん、この部屋に泊まる人物は他にいる。

 むせるような汗を据えた匂いが鼻につく。

 取り巻き三人もボロボロにされ、片足を引きずり顔の青あざが全員にも見られる。だが、ギレンに至っては頭部へのダメージがデカかったからか、包帯や器具で固定しているありさまだ。


「そうかそうか。おまえたちの言い分もわからんでもない」

「あ、ああ! そうなんだよ! あの野郎の行為は親父の顔に泥を塗ると一緒なんだ!」


 ギレンが限界までその体躯を小さくしながら、目の前の人物に同調する。

 目の前のベッドに座っているのは、肉の塊。そう思ってしまうほど肥え太り、とても醜い男だった。

 冬だというのに汗をかき、髪が生えていない剃髪やその姿から年齢は分からない。三十代とも六十代とも言われても、どちらでも納得できてしまう。

 その男、サルピエは自らにはべり媚びる所有物の女たちを撫でながら鷹揚に頷く。


「なるほどなるほど。モリアーゼ! モリアーゼはいるか!」

「......ここに」


 声高らかに、悪く言えばヒステリックな叫びに答えたのは、筋骨隆々な大男だ。

 室内だというのに背中に下げた大剣グレートソードが存在感を否応なく発揮し、そこにいるだけで威圧感が生まれる。ギレンたちでさえ、その姿を見て更に縮こまった。


「ギレンの後ろにいる役立たずたちは護衛すらできんのだ。すぐに殺せ」

「なっ!?」


 まるで物を捨てるがごとくあっさりと言ったサルピエに、モリアーゼ以外の傭兵たちが驚きの声をあげる。

 冷酷な父親のことを知ってはいたが、ここまで簡単に人間を捨てられるのかとギレンも戦慄する。


「人員を割く真似になるのでおすすめは出来ません。せめて、補給できる場所についてからでなければ」


 モリアーゼの合理的な判断に基づいた言葉にサルピエは思考する。

 金さえ積めばどんな仕事でもするこの男。裏を返せば金があれば不要な真似をしないのだ。

 サルピエにとって信頼できる数少ない人物である。モリアーゼからの提案はそれなりに重く受け止めることも多い。

 女の心地よい柔らかさを肌で感じながら、サルピエは撫でる手を止めない。


「なるほどなるほど。たしかに命は取らなくともいい。後始末に金をかけることもない」


 ギレンたちをろくに見ることもせずにサルピエは言い切った。自らの言葉で一喜一憂しようと、彼の意識には留まらないのだ。

 肉と欲望の塊の興味は、別の所に向いていた。


「ギレンよ」

「な、なんだ親父っ!」

「リュピアという少女はお前が恋い焦がれるほどの容姿なのか?」


 ここで人物や人柄ではなく姿形すがたかたちと言う所がこの豪商らしい。

 そして、部外者どころか肉親からも何かしら気に入ればすぐに奪おうとするところがあった。


「そ、そうだけど、親父の眼鏡にかなうほどではねえし......」


 ギレンはそれが分かっていたからこそ、あえてこの場だけでリュピアの評価を下げる。

 サルピエは女に目がなく、いま侍らせている女も旅の途中で拾ってきたのものだ。飽きればそこが何もない平野だとしても、すぐにでも捨てようとするだろう。

 そんな男がリュピアに目をつけては、どうなるかなど分かっている。

 ギレンは自分のために彼女をかばう真似をした。


「だが、まだ若い生娘というのもなかなかいいではないか。味わうのは久しぶりではないかな? そして評価するのは、お前ではなくワタシだ」

「しかし......」

「ワタシに口答えするのか? お前をそこまでやった男を殺してやろうというのに、欲深い奴だ」


 __どっちがだ!

 一瞬、ギレンは激情に任せて父親に殴り掛かりそうになるが、隣にいるモリアーゼが牽制していた。いくら息子という立場でも即座に切り捨てられかねない。

 それを見て、ギレンは己を押さえつけながら声を絞り出す。


「なにも......言うことは、ない」

「ふむふむ、そうかそうか」


 満足げにこうなると分かっていたように何度もサルピエが頷く。憎々しげな視線にならないように、ギレンは精いっぱい愛想笑いを浮かべる。


「なに、ワタシが楽しみ終わったらお前にくれてやるさ」

「ほ、本当かよ!?」

「ああ、本当だ。それが分かったなら早く情報を調べてこい。こんな町でなら一週間もかからないだろう」


 下種な笑みを浮かべる男二人。取り巻きたちは呆れを、モリアーゼは無表情なままそのやりとりを見ていた。


「青年もしばらくはこの町にいるだろう。報復などは認めてやらんでもないから、捕まえて適当にいたぶればよい。時間はたっぷりとあるのだから」


 そこまで言うとサルピエは虫を追い払う時にやる手を振るうしぐさをして、女たちへの熱烈な愛撫を再び始めた。

 上機嫌となりギレンはそのまま部屋を出る。

 すべての鬱憤はあの忌々しい男にぶつけるために、まずは情報を集めることに専念しようとする。

 そして最も重要なのは、もう少しであの少女の体が手に入ることだ。父親を出し抜けば最初に手を付けられるのは自分だ。

 歪んだ愛情と妄想はどこまでも膨れ上がるばかりだった。

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