悪夢と蠢動
これが夢だと思ったのは、何かの根拠に基づいた結果ではない。ただ夢であってほしいという願望によってだ。
だからこそ、本当は現実ではないのではないか。また前のように戻ったのではないのか。否定したい考えが頭を埋め尽くし、侵略していく。
真実も虚実も等しく交わっては消えていく。
日が当たることのない石造りの湿った部屋には、明かりといえば蝋燭の心もとない灯だけであり、感じる肌寒さは地下という理由だけではない。
それに反するように、甘く激しい熱を帯びた声が反響し、並び立てるのは冷酷な言葉だ。
「いつ倒れていいなんて言ったのよ! 立ちなさい、さあ早く立ちなさいよ!」
長身の美しい女性だった。腰までのばされた黒髪は闇に溶けそうで、細身ながら豊かな体つきは、彼女の着ている黒色のドレスでは隠しきれない。いまだに二十代にしか見えない姿は、とても子持ちの母親とは思えなかった。
類まれな美貌は怒りと焦燥で色あせている。
彼女の子供はいま、石畳の上でぼろ雑巾のように転がっていた。
硬く冷たい石畳の上ではなく、病室のベットに寝ているほうが相応しいほど、痛々しさなど通り越した傷が自己主張している。
体を纏うぼろ布は、かつての清楚で白いドレスだったが、少女の血と汗と裂傷によって無残なものとなっていた。冷たい床にへたり込む少女の目には年相応のあどけなさも好奇心も失せ、そこにはもう何も残っていない。
体が本当の人形に成り代わったように、少女は動けなかった。
女が手に持っていた棒が振るわれる。バシンと少女の背中を打ち据えても、もう少女は叫び声も上げられない。
ぶてればなんでもいいのか少し前までは鞭を使っていた。
少女にやらせているむごい行為も何でもよかった。
私怨でもない。鬱憤を晴らすためではない。目的は確実に持っている。だから間違っているとは思えない。万人の賛成を得られない点を除けば。
「何度も言わせないで! 早くやりなさいよ、さあ! 息できるのなら動くことだってできるでしょ!!」
少女はすでに限界だった。
しかし女性はお構いなしに、むしろさらに煽るように声を張り上げる。
無理やり、錆びた人形のように少女は動く。何度も何度も何度もやらされたことを繰り返すために。
水が満杯近くになった桶を感覚の怪しい腕で持ち上げる。
少女がやらされていることは巨大な水槽から水を汲み、十メートル離れた場所にある同じ大きさで作られた空の水槽に入れるということだ。
これだけの説明ならば、簡単だと割り切れる。
しかし運ぶ量は桶を十杯満杯にしても、水槽の水を全て汲むには足りないほどだ。仮にやりきってもまた同じことを繰り返させられる。違うのは水を汲む水槽と入れる水槽が逆になっただけだ。
やった回数など、とうの昔に忘れた。
意味のない時間など、とうの昔に忘れた。
母親からは理不尽にぶたれて水をこぼし、さらにぶたれる。水を汲むほうの水槽には満杯になるまで再び水かさが増やされ、理由などなく最初からだ。
何が悪かったのか分からないから真面目にやった。ぶたれた。言葉遣いも正した。ぶたれた。声はいつの間にか出せなくなっていた。ぶたれた。
食事すら不定期で最低限どころか食べられたものでもない。
人の心は何かに支えられてこそ成り立つ。それが目的もなく延々とやらされ続ければ、いずれは折れるものだ。
折れてなお、女は少女の心をぐしゃぐしゃに砕き蹂躙し、どこまでも追い詰める。続けていれば肉体も精神も、死ぬ。
「......ぅぁ」
少女は数歩も歩かないうちに、地面へと崩れた。落ちた桶から盛大に水しぶきが上がり、小さな存在に降りかかる。
女は棒をどこかへと投げ、足音を鳴らしながら近づいた。
モノを扱うように、娘の腕を引き上げ、その細首に手をかける。ミシリと嫌な音がした。
「ねえ、なんでなの! なんで思い通りにならないの!? これじゃあ私があの人に見捨てられるじゃない! なんでこんなことになってるのよ! 私は間違ってなんかいないのに!」
ーーなんで?
それは少女が聞きたいことだった。
ーーなんでこんなひどいことをするの?
目の前の女の双眸には、生まれ持って得た夜色の他に、狂気が内包されている。
瞳に自分が映っていないことを、少女は誰よりも理解した。
「......」
もう、どうでもよかった。
乾いた笑みが、少女のほおに張り付いた。
「......ぁは、は」
溜まり続けた『なにか』が、脆い心の壁を儚く散らす。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
枯れたと思っていた涙が頬を伝い、哄笑が口から溢れ止まらず、頭は何も思い浮かべることもできずに真っ白となる。
嗤いながら泣き、泣きながら嗤う。
傷だらけの腕で自分を抱きながら少女は訳もなく狂う。
ーーそして、少女は壊れた。
突然、ティオは絶叫を聞きいて飛び起きる。
いや、これは自分が叫んでいただけかもしれない。
自分のほかには暗闇の中に、誰もいなかったのだから。
「夢、だよね。ううん、夢、あれは絶対に夢......」
止まらない胸の上下を落ち着けようと、冷や汗の気持ち悪さを無視してティオが静かに深呼吸する。
口元は笑みを作っていることを確認すると、周囲を見渡す。ここは自分の部屋であり、何も変わっていない。
あんな夢を見たのは久しぶりだ。
シグの姿を探すも、やはりこの部屋にはいないようだった。
心細さを感じつつ、ベッドわきに置いてある明かりをつける。
温かい光を体に受けて、ようやくティオは安心というものを感じることができた。
時計は日付が変わってからそれほど経っていない時間を示す。
シグが起こしてくれると胸のどこかで思っていたが、放置されたため空腹だと自覚した。そう思うと、腹部から可愛らしい音が鳴る。
「おなか、減ったなぁ」
夕食をすっぽかして寝てしまったため、本来満たされている食欲が飢えを強調してきた。
「キュイ!」
「あれ、レトロ? 聞いてたのかな?」
いつもシグと一緒に行動する小動物は、ティオの体を這い上がって首に巻き付く。
もう一度ティオは周囲を見回したが、灰髪の護衛者の姿はどこにもなく、レトロは珍しく一人、ではなく一匹行動らしい。
レトロが首を揺らし、それを追ってみると清潔な布がかかった皿があった。めくってみると、中にはパンと冷めてもおいしいおかずが入っており、脇には水差しもある。簡素な食べ物がティオにはとてつもなく魅力的に映った。
手をそろそろ伸ばそうとして、皿の下に挟まった紙切れを見つけて手に取った。
『毒はない』
短い乱雑な文章だったがシグが用意したものだろう。
ありがたい気持ちになって何気なく裏面を見た。
『案外、寝相が悪かったな』
「あ、感謝しなくていいや」
握りつぶして紙くずに変えたものをゴミ箱に放り、ティオはパンを手に取った。硬くなっていたが味は美味だ。もともと食べるものにこだわらないが、何もつけていなくとも空腹の時に食べるパンは格別の味である。
雑食と説明されたレトロもおこぼれをもらい、器用に手を使いながら食べる。
一人と一匹はなんともいえない満足感を得て、皿をテーブルに戻すと、また手紙を見つけた。
食べ物に心を奪われていたせいで、さっきは気づかなかったものだ。
『部屋からは絶対に出るな』
形のない不吉な予感が胸をかすめる。
ふいに外からなにか音が聞こえた......気がした。
窓からは穏やかな光を放つ月と、きらめく星が見えるばかりだった。
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ミシミシと、湿った鈍い音が生まれる。
それは体から生まれてはいけない音だ。
黒装束ならぬ灰装束、今しがた登っていた王城の壁と同じ色の服に身を包んだ存在は、己の胴体に叩きつけられた何者かの豪脚を見た。
いきなり何の支えもない空中を流星のように落下する。
「ぐぉぁっ!」
灰装束は肺から全ての空気が抜けた錯覚をうけた。
壁伝いに登っていれば、襟元をいきなり掴まれ、引きずり降ろされる。それも空中で。
まさか自分より上から飛び降りてくる、酔狂な人間がいるとは予想外だ。
「ーーぐぅッ!」
重力、位置エネルギー、やられた蹴りによる加速。
そのどれもが灰装束が地面に落下してひしゃげるのを助長するものだ。
あまり大っぴらに使いたくはなかった。しかし躊躇いなく、重力に干渉する法則を持った指輪を使用。
落下の速度が目に見えて減速する。灰装束は地面へと四つん這いになるように着地し、その衝撃を四肢で吸収して殺す。
間髪を置かずに、強化した足で全力で後方へと跳ねた。
そこに複数のナイフが突き立つ。
あとから降って来たのは黒コートの青年。彼は壁を蹴って衝撃を逃して飛ぶ。体を弓なりにして着地する。
一旦そこで、青年の手が止んだ。
月の光が両者を照らす。
「道に迷ったのか? 俺で良ければ監獄行きの道なら知っているんだが」
灰装束への暴力がなかったかのように、シグが話しかける。
「......」
刺客の灰装束は警戒を最大まで高めた。
極限まで接近されても、接触するまでこの護衛者の姿を認識できなかった。
肉体強化の法則を使ってくるほかに、姿をくらます法則を使っているとしたら、法則者ではない。
一度に使用できる法具は最大二つまで。それ以上になるとそれぞれが反発して、暴発かそもそも使うことができなかったりする。法則者の持つ法則は特殊であり、彼らが法具を使用するだけで法具を三つ以上使った時と同じことが起こってしまう。
「黙秘するなら肯定と受け取る。俺は慈悲が深いからな。遠慮しなくても拷問部屋まで案内してやるさ」
灰装束が考えている間に、監獄からさらにひどいところを目的地として定められた。慈悲深い人間を馬鹿にしている言動だ。
腹をくくり、灰装束はお返しとばかりに、月光すら反射しない艶消しをされたナイフを飛ばす。
怪しい液体で濡れた刃をシグは体をずらして回避。
互いの肉薄は数瞬してから。
しかしすぐに灰装束は、シグの放った死神鎌のような手刀を避ける。
「逃げるな、元同業者」
ティオの部屋を灰装束が目指していたなら、シグは獲物を狩るだけだ。
攻撃を避けられたのなら追従するのみ。距離を取ったのは刺客が先だというのに、そのまま広まることはなかった。
刺客は対処法を変え、大ぶりなナイフを手品のように取り出す。
猛毒の、一撃必殺の武器だ。
その刀身を振るえればだが。
その手を待っていたかのように、シグがナイフを蹴り上げる。絶対の武器は上空へと弾き飛ばされた。しばらくは落ちてこないはずだ。
得物を持っていた灰装束の片手がありえない方向に曲がった。
舌打ち。同時に灰装束が幽霊のように接近する。重力を限りなく低減させた、間合いを測らせない足運び。だがリーチを見誤っていたのは灰装束も同じだ。鞭のようにしなる長い脚が、灰装束の鳩尾に叩き込まれる。シグの脚にくくり付けられていたナイフも、一気に根元まで埋まった。
ナイフは王から拝借したままのティオを傷つけたものだ。高級品が体に付いたのだから、相手も光栄だとシグは思った。
「......ああ、障壁を張ったのか。生憎だが俺には効かない手だぞ」
灰装束はカウンターを目論んでいたが、行使力の障壁を使うのは、シグが相手では完全な悪手だ。
障壁はもともと行使力に形を持たせて緻密に構成されたものであり、これによって法則によるものも物理攻撃も防ぐことができる。
ただし核となるのは行使力であることには変わらず、何も干渉せず人体内にあり続ける時は、誰でも同じ状態の燃料を抱えていると思ってよい。
しかし昔からの体質で、シグは自身の行使力を媒介なしでは無変換でしかだせない。
「だからどうした」と言われればおしまいだが、放出したそれで相手の行使力によるバランスの取れた改変を乱して邪魔することができる。
人体には無害とはいえ、障壁も法則も意味不明なものに変えて消す。
ただの特異体質だ。
「不法侵入はこの国では違法だ。それが女の部屋ならなおさらな。知らなかったか?」
数時間前、国王と王女の自室に侵入してどちらも侵していた青年は、自分のことを遥か棚の上に置いていた。
いまだに灰装束は無言を貫く。
「それとーーーーん?」
今頃になって落下してきたナイフがシグによって掴まれる。
刃に塗られたかすかに甘い匂いのする毒をしげしげと眺め、シグは眉を少しだけ上げた。
「たしかこれは北国の山脈にしか生えない草から取れるんだったな」
はじめて灰装束が反応を見せる。
まさかベニケイ草なんてマイナーなものを知っているのは、よほどの毒草マニアか限られた裏の人間のみのはずだ。これを髪の毛ほどの傷にしみこませれば、毒殺ではなく心臓麻痺として自然に処理される。
何よりも危険なのは、これは北国のさらに奥にある極寒の山でしか取れないことだ。
「たしか北国は戦争後もこの毒の存在は隠していたよな。それを使ってんのなら、あんたの親はベルフか?」
「......」
「いや、違うな。あんたは東国のニンジャか? あの戦狂いの国が本腰を入れたのか?」
「......それだけは、違う」
うめくように灰装束が初めて言葉を口にした。
「きびきび吐くのなら、情緒酌量の余地があるぞ。まあ、果てない拷問か永久投獄のどっちかだろうが、生きていればいいことあるさ」
灰装束が何か言おうと顔を上げ、そしてすぐにさらに上を見る。
その時にはシグは後方に飛びずさっていた。
腹に来る重ぐるしい音が庭に響く。
突然出現した『それ』は空中から落ちてきた。いや、叩き付けられたのか、『それ』は灰装束を抵抗なく地面ごと押し潰し、赤い染みを生む。
シグめがけて次々生まれる壁を、彼は縦横無尽に地面を跳ねまわっていなしていく。障壁が叩き付けられたあと、地面には綺麗すぎる正方形の穴が穿たれた。庭師が見たら余裕で泣くだろう。
ほぼ無色透明な『それ』は、空気や水の塊ではなく、行使力による障壁であった。
シグはそれに気づき、
「ーーシッ」
短い呼気と共に、腕を真上へと振り上げる。
透明な壁は黒い手袋に包まれた拳と接触し、いままでの暴虐性が嘘のようにバラバラとなり霧散すした。
行使力で出来た壁ならと、シグは無変換の行使力で対抗した。
一見無謀な策は成功だ。
......しかし、殴った感触がない。
首を鳴らしてシグは遠く離れた城壁を見上げる。
何かが、いた。
暗い影が邪魔をして、さらに遠すぎることも加わり見えない。そもそも視界に収めてなお、いるという認識が出来ない。見つけられたのは、コツを掴んでいたからに過ぎない。
明らかに人間ではないそれは、気のせいで無かったのかと思わせるように、空気へと溶けるように消えた。
「シャイだな」
シグの呟きと同時に、いつのまにかねじ曲がっていた空間が元通りとなる。
周囲には濃密な吐き気を催す臭いが広がっていた。シグは特に気にした様子もなく、赤いペンキをぶちまけた惨状を見る。生かして捕えておくつもりが、くだらない横槍のせいで不可能となった。
無数の足音が近づいてくるのを聞きながら、シグは骨折り損だと頭を掻く。
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裏通りのさらに奥に進まなければ見つからない、気ままに荒れ続けた広場。無法者のアジトがあった場所だ。
寂れた場所に、錆びた鉄の擦れる耳障りな音が響いていた。
ギィコ、ギィコ、ギィコ。
もとは遊び場だった名残か、ロクな塗装も整備もされていないブランコに乗る人影が存在した。
久しぶりの遊んでくれる存在だからか、ブランコはどこまでも嬉しそうに錆びた音を鳴り響かせる。
ギィコ、ギィコ、ギィコ。
腰をそこにおろしているのは、この場には不釣り合いな少女であった。
黒を基調としたゴスロリファッションに身を包むのは、まだあどけない顔の娘だ。ツインテールに結ばれた金髪を持つが、エメラルドグリーンの瞳からこの国の貴族ではない。夜だからこそ映える美貌が、幼い歳だというのに兼ね備えて、人形のようなと使い古された表現がピッタリだ。
錆びてボロボロなブランコでなければ、一枚の絵になるようである。
太ももに乗せてあるぬいぐるみを視界に収めないことを条件として。
幼子の座高の半分ほどしかない、ウサギのぬいぐるみだ。これだけならまだいいが、体全体をつぎはぎが覆い、煤けた色はもとが何色だったかも分からなくさせる。所々の赤い染みは、ワインかペンキによるものだと信じたい。
『マジ、どおしよぉう!』
前振りもなく、スプラッタなウサギから情けなさすぎる声が出た。口は開かず音だけが発せられる、中性的で無駄にハイテンションな、毒々しい声だった。
「なにをしているのですか」
答えるのはウサギを膝に乗せる幼女だ。
こちらは抑揚の全くない、無機質な声だった。
『それはさっきの失態のことぉ? それとも原因のわ、た、し? あでででで! 伸びちゃう伸びちゃう、アレが伸びちゃうよおぉ!』
「全部に決まっています」
幼女はウサギの耳を問答無用で掴み、引き抜くのかと思う力で引っ張る。
そもそもぬいぐるみに痛覚があるのかとツッコむ者はこの場にいない。
「それにしても、失敗しましたね」
『第三王女のほうに向かった彼は、意味不明な護衛者に殺されたさ、可哀想に。僕は彼の雄姿を三日間忘れないヨ!』
「スマイルさん。今回は遊びではないのです」
『おぉ、レミリアちゃんが激怒プンプン丸です......ちょっ、痛、待て待て待て!』
レミリアと呼ばれた少女は再び、ウサギもといスマイルの耳を掴み、あらゆる方向に引っ張った。ブチブチとスマイルにとって死活問題な音が断続的に鳴る。
スマイルが慌てて弁解した。
『だ、大丈夫さ。後始末はしたし、それに彼から僕たちの情報が漏れるはずないと思います先生!』
「あの護衛者はベニケイ草の毒に気づいていましたが?」
『ーーえ?』
ぴしりとスマイルが固まった、ように見えた。
そのことが何を意味するか、あまりものを考えないような頭でも分かったからだ。
『それで?』
ブチリとひときわ大きな音と、スマイルの哀れな悲鳴が上がる。
訂正。何もわかっていない。
レミリアはなにかの耳の残骸を投げ捨て、ブランコを揺らす。
「北国ご用達の毒を知られたんです。馬鹿でも......あなた以外ならだれでも分かる方程式です」
『オゥ人種差別、いや玩具差別で御座いますよ旦那ァ! だから器も胸も小さいって、影で囁かれてるんでさぁ!』
布地が勢いよくちぎれる音と気持ち悪い悲鳴がまた上がる。
レミリアは引きちぎった物体をまた投げ飛ばす。
「分かりましたか?」
『そうですね棒読み。スマイルちゃん、反っ省!』
何のぬいぐるみなのか一見しても分からなくなったスマイルは、ゲラゲラと笑う。
ケラケラカラカラフフフのフ。
なにが楽しいのか、いや、楽しんでるからこそ笑っている。
今の状況も、なにもかも。
それをレミリアは冷たい視線で見下ろした。
「やるのならば徹底的にやらなければ、こちらとしては大損害です」
『あれれのれ? レミリアちゃんッたらちょ~っとばかし、勘違いしているんじゃございませんこと?』
「......どういう意味ですか?」
『別に僕ちゃんが彼に指示したのは暗殺じゃないんだよ。言うなれば第三王女の拉致だね。拉致監禁って言葉言ってなんかぞくぞくしたよいま! 彼には転移系統の法具も渡してたけど、それも破壊しちゃったのが実にもったいない。もったいないお化けに嬲り殺されちゃうよーん!』
レミリアは黙り込む。わざわざ第三王女アルティナを狙わなくとも、第一、第二王女が政治的な価値は高く、また大きな混乱を呼ぶことができるからだ。
『ま、過ぎたことだし忘れようぜベイビー!』
喉に突っかかった疑問を出すことなく、レミリアはスマイルの意見に反対しない。
先ほどまでのやり取りを見れば意外でしかないが、二人の間ではスマイルのほうが格が上だ。
そのままでも説明不足と感じたのか、スマイルが補足した。
『西国の第三王女である美姫だからこそ、意味があるのさ! 彼女はこの世界にある複数の鍵のうちの一つさ! それもとびっきりのさ!』
「国は関係ないのですか?」
『それが一国という定義ならっす。国どころか、巻き込むのは世界! どうしてこんなものが地に埋もれていたのか分からないくらいのね! 下準備はいろいろ必要になるけど、世界を終わらせる劇薬よ!』
「あの王女がですか」
行使力を使えない少女。それにどれほど価値があるのかは分からないが、意味ならばあるということだろう。
その点で、厄介なのはあの護衛者だ。しかし格闘術に秀でるならば、心配は無用かもしれない。
ちょうど頭に上がった男が近づいてきた。ブランコを止め、レミリアは彼を見上げる。さっきまで荒れた広場の地面に膝をつきながら、東の方向に黙々と祈りを捧げていた無特徴な男だ。
「次はなにをすればいい」
『お疲れちゃ~ん、でもさっそく仕事だよ~ん! やぁっと乗り気になってくれましたよ、この人』
「今でもおまえたちを殺せるならば、そうしたいところだ」
『寝ながら言葉を吐くとは、おぬしなかなかやるな!』
平淡な声と、笑い続けるハイテンションな声。
敵意を明確に持っているのは前者だった。
「忌々しいクズが」
『そそっかしいおバカさんが。それでそれでそれでさ。前に教えてあげた仕事の一部を取り消して、第三王女をどうやってもいいから持って来てくれないプリース?』
「持って来いだと? 連れ去るのではなかったのか」
『そそ、どうやっても持って来い! どうやっても、その間に事故であんなことやこんなことしてでもオッフオッフ! 僕ちゃんとレミリアちゃんの内緒話、聞いてたでしょ~?』
「ならば......」
『この人に言えないお仕事終わっちゃえば、あとは自由でフリーダム! 正義のために、煮るなり焼くなり好きになっておしまい!』
男は迷うそぶりを見せるも、
『準備はこっちでやっときますんで、ささ、お引き取りなさって!』
その言葉に、踵を返して広場を出ていった。
月はいつの間にか雲に隠れ、広場には一切の光がなくなる。
「なぜあの人を連れてきたのですか? たしかに、能力的には十分ですが、他にも連れてくれば......」
『なぜって、おんもしろい舞台を作れるからさぁ! 僕ちゃん、楽しめればそれでよしでございますよ、ハイ。その点、彼は予想通りに動いてくれるからねえ。実に計画通り、実にね』
当たり前だが、ぬいぐるみの表情は変化しない。
しかしレミリアは確信できる。この気持ち悪い声の主も、気持ち悪く口の端を釣り上げてるのだろうと。
どこまでも勝手で、どこまでも引っ掻き回そうとする。タチの悪い上司の鏡である。
楽しげに楽しげに、歪んだ理想を持った存在は声高らかに宣言する。
『役者はすべて揃ってる! 世界を殺す、最高の喜劇を! 僕たちで完成させてみようじゃないかぁ!』
夜に響き渡る言葉は、世界への宣告だ。




