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姫とハロワと法則世界  作者: なよ竹
黒髪の王女
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傷痕と存在

 自分の部屋に駆け込んだティオは、棚からいくつかの小瓶や包帯といった治療道具を取り出した。それらをベッドに放り投げると、赤く染まった上着を脱ぎ捨てる。

 上だけ下着姿になりベッドに腰掛け、いまだに血が溢れている腰にハンカチを押し付けながら、手慣れた様子で応急処置を始めた。

 服に隠れていた白い肌をいくつもの古傷が覆うように残っている。その生々しさは彼女の容姿と相まって、どこか背徳的な雰囲気を出す。

 ーー昔よりはマシなんだろうけどね。

 そう思い、さらに後戻りできないところまで来ているとも気づき、苦笑をつくる。

 ティオは小瓶に入っていた青い塗り薬をすくう。それをわき腹に塗りたくり、薬が染みる痛みを歯を食いしばることで押し殺す。

 薬学をティオが専攻しているのは、元はといえば自分のためである。医師に知られることなく治療をできるように、自分で学び作ることを選んだ。

 心配を誰にもかけたくなかったから。

 ガーゼと包帯を使って真新しい傷を目立たないようにすれば、ドレスを着たとしても気づかれないだろう。


「ずいぶんと手慣れてるな。医学も勉強しているのか」

「ひゃわ!?」


 突然の声で、驚きと痛みの悲鳴がティオの口から漏れた。

 布団の毛布を胸元にかき集めてから後ろを見ると、ベッドの反対側に立つシグの背中がある。背中を向けているのは彼なりの配慮なのかもしれない。


「いつからいたの?」

「最初からだ。驚かせたのなら悪かった」


 まったく気が付かなかった。ティオはそこまで気が動転していたのかと思い、バツが悪そうにうつむく。

 ふと、柔らかく温かい存在が、毛布に置かれたティオの手にすり寄った。小さな舌で彼女の手を舐めるレトロをティオは優しく抱きかかえて、背後の護衛者に尋ねる。


「見てたよね、あの部屋のこと」

「ああ。俺の勝手な判断だったかもしれないが、だから勝手にさせてもらった」

「......どうして?」


 ティオの主語がない疑問は何に対して向けられていたものだろう。

 親である国王が刃物を使って娘を傷つけたことか、娘のことを厳しいというよりも敬遠していることか。


「俺はお前の護衛だ。何かしら危険があるのなら、遠くにいても俺は何もできない」

「部屋に戻ろうとする必要あったの?」

「俺にとっては必要な手順だ。詳しくは企業秘密だな」


 ティオは腕に込める力を少しだけ強める。 

 胸に抱き寄せている毛布は柔らかい。自分の体温でだんだんと温かくなっていく。

 それでも手に抱える小さな生き物の存在のほうが、とても温かく感じられた。

 心配そうにレトロが小さく鳴き声をあげる。

 こんな時にも笑顔を作っている自分は、なんなのだろうか。


「危ないって、私があの人に愛の鞭でしばかれるってわかってたの?」


 王女の体にある傷のことなど、知っている人間はごくわずかだ。


「俺は預言者みたいな怪しい奴ではないと言っておく」

「じゃあどうしてかな」

「俺も本当は言葉通りに戻ろうと思っていたんだが。お前と別れるときに、お前の顔を見て考え直した」


 背後で肩をすくめた気配を出したシグの言葉は、いつも通り淡々としていた。


「ーー弱くて脆すぎる目をしていたからな」


 思わずティオは背後を振り返る。しかしシグの後姿しか見ることができない。


「まさか、そんなことないよ。私は一人でも大丈夫だし、慣れてるからね」


 書斎の中で、父親に酷い言葉を浴びさせられても、ナイフでわき腹を抉られる時も、笑顔は崩れていなかった。

 終始見ていた者は異常は感じても、そこから弱さを連想しないはずだ。


「お前はすべて一人で背負い込もうとしている。なぜ一人でやることにこだわるのか、俺には分からんな」

「ーーそんなこと」

「あるだろう。その傷も腕のいい医者に診てもらわずに、なぜ自分でこそこそ治療する。親からの暴力も当たり前のものとして受けて、わざわざ誰にも知らせようとしない。いつまでも溜め込んで押し殺して、心の底では嫌でしょうがないんだろ?」

「それは......」


 ティオはレトロの頭をゆっくりと一撫でしてから、囁くように呟いた。


「私が、私だったから」


 聞き逃してしまいそうな小さな声だ。

 シグは呆れたように首を振った。


「お前は本当に、それでいいのか?」


 書斎内でティオに一度言ったことと同じ言葉をシグは口にする。

 今もあの時も、ただ現状を黙って受け入れるティオに対するものだった。

 しかし、この起爆剤にもなりえる言葉を否定するには、もはやティオの心はすり切れていた。


「............」


 ティオは何も言葉を見つけられない。

 そんな少女にシグはいらだった様子はなく、促すような真似もしなかった。

 窓から見える夕日が徐々に沈んでいく。

 部屋の中は茜色に染まり、影にあたる部分は徐々に濃くなっていった。

 ぎらぎらしたオレンジの光は、この日に限って赤い色合いが強い気がした。


「ちょっとだけ、一人にさせてくれないかな」


 ティオの横顔は影に隠れて、その表情は読み取れない。

 逆らわず、シグが扉へと歩いて行く。ティオの手から抜け出したレトロが、青年の足を伝ってフードの中に入る。


「夕食前には呼んでやる」


 一言を残して、シグは部屋を出ていった。

 あとに残ったティオは大きくため息を吐き、ポスッと身をベッドに投げ出した。




 ----------




 静かなところを探し、シグは王城マクシミランのサロンへと足を運んだ。

 いまの王族は良くも悪くも立場をあまり重視せず、このようなもとは貴族の社交場に使われていたところも、誰でも訪れるようになっている。

 ......のだが、仮に知っていても、遠慮して入らない者が大半なのだ。おかげでいつも広々としており、ゆったりと休めるわけだ。もちろん、シグには図太い神経があり、会いたくない人に遭遇するからと主のティオが近づかなくとも、一人の時ならばしばしば訪れている。

 シグはビロード地の椅子に腰掛けて、眩しく輝くシャンデリアを見上げた。

 ーーもう少し言い方があったか?

 相手の気持ちに対して、気の利かないところがあるとシグは自覚している。仮に荒れて燃える相手に、灯油を知らずのうちにザバザバかけてしまうとか。

 それを気にして素っ気ない態度を取ってもなぜか憤慨されることもある。ここが本当の企業とかだったら、彼に世渡りなど不可能だろう。

 悩みごとの多いシグに、おずおずと声が掛けられた。


「あ、あの、向かい側の席に座ってもいいですか?」


 第五王女のニーナが律儀に許可を求める。

 薄い色の金髪はよく手入れが行き届いており、服も淡い桃色のフリルがあしらった上物のドレスだった。

 格式の高いはずの相手に鷹揚に頷くだけだったシグを咎めることもせず、安心したようにニーナは机を挟んで彼のむかいに洗練された動作で座った。


「シ、シグさんのお姿が見られたのでここ来たのですけど、ティオ姉さまはどうしたのですか?」

「あいつは自分の部屋にいる。俺は休憩時間だ」

「そう、ですか。もう一度、謝ろうと思ったのですけど」


 肩を落とすニーナの姿は見ている者に罪悪感を抱かせるものだったが、シグは例外だったようで、慌てることもせず平常運転だ。


「俺から伝えておいてやる。どうせ明日は悠長に話していられる時間がないだろう?」

「あ、ありがとうございます。ごめんなさいと、伝えていただけませんか」


 ぐだぐだ言い訳のような文章よりも、飾り気のないほうが姉妹の間ではいいのだろう。

 それを承知して、シグは真っ直ぐにニーナの目をのぞき込む。あまり慣れていないのか、もとの性格も合わさって、ニーナの目はあらぬ方向へと動き始める。

 しかしだるそうなシグの両目は、物色するように動かない。

 とうとうニーナが耐えられなくなり、若干涙目になって口を開いた。

 

「あ、あの、どうしましたか?」

「俺とは普通に話せるんだな、と思ってな」

「......どういうことでしょう」

「朝に会った時には俺が怖がられていると思ったんだが、こうして普通に話せるとそれはないみたいだ。嫌われていなくてよかった」


 シグの言葉の意図に気づくことができないニーナは僅かに眉を寄せる。


「い、いったい何を......」

「それはどうでもいいからともかくだ。ニーナ、お前はどうしてあいつを、自分の姉を恐れている」


 目に見えて動揺するニーナは否定の言葉を吐くためか口を何度か開閉させ、しかし慌てすぎてそれもできずにいた。

 つらつらとシグは判断材料というほどでもないことを並べていく。


「まだ二回だけしか会っていない俺と普通に会話してるが、何度も会っているはずの姉を怖がるのは何故だ?」

「そ、それは......」

「入り口から見れば俺が一人だということが分かるはずだ。あいつはここへは来ないからな。わざわざ俺を介して謝罪を伝えるための三文芝居を打つ必要があったか?」

「あ、うぅ」


 いつの間にかニーナの目には、溢れてしまいそうなほどの涙がたまっている。

 ここまでとなるとシグも後味が悪い。


「......悪い。怯えさせるつもりはなかったんだが」


 怯えた小動物のようなニーナは、うつむいたままだ。

 サロンの入り口から使用人の怪訝そうなまなざしがシグに突き刺さってきたころに、ニーナが上目遣いでシグを見上げた。


「わ、わたしからは、何も言えません。わたしが本当に小さいころにあった出来事ですから」

「......そうか」

「あ、あの! シグさんはある日突然、身近な人が変わってしまったらどう思いますか?」


 ニーナの質問にシグは即答した。


「どうとでも思わないな」

「あぅ、そういわれると、何も続けられなくなります」

「変な答えだったか?」

「みんながみんな、あなたほど楽観的ではないのです」

「楽観的......」

「これからの行く先が心配です」

「姉妹そろって余計なお世話だ」


 おそらく自覚のないであろう幼い少女による言葉の刃が、ズバズバとシグの心を穿っていく。

 それを気にした様子もなく、ニーナは居住まいを正した。


「す、姿はそのままだというのに、中身が全て変わってしまう。それがたとえ、良い変化だとしても、普通の人ならばこう思ってしまうのですよ。気味が悪い、と。わたしは、ただ怖かったのですが」


 ひどく遠回しな言い方だが、彼女なりにしっかりと説明しておきたいのかもしれない。

 だが今のままでは判断材料が少なすぎる。

 特に人が何かを変えるときは、必ず転機がなければ何も起こらない。


「わたしも、何があったのかは分からないんです。勝手に臆病に怯えて怖がっているだけですから」

「まあ、何もなかったのに身を縮こまらせているほうが問題だからな」

「わ、わたしは、そのほうがよかったです。ただ、その」


 ニーナは太ももに置かれていた手を強く握る。これから言うことは声を大きくして言えることでもなければ、決して褒められたものですらない。しかし、姉の護衛者ガードである青年は知っておいたほうがいいと思った。


「ティオ姉さまのお母様、つまり第三妃が亡くなられた日に、あの人は、笑うようになったのです」


 それを聞いても、シグの表情に変化はなかった。




 ーーーーー




 夕日の色もなりを潜めて、月も隠れているため夜の闇と同じように暗い。

 ティオの部屋に戻ったシグを照らす明かりは、廊下から漏れた淡い光だけだ。


「おい?」


 ベッドの上にはティオが足を投げ出したまま横に倒れており、規則正しい寝息とともに胸が上下している。

 服は新しく、けれど血で汚れたものは部屋の隅に置かれていた。

 起こそうかとシグは思ったが、中途半端に起してもあまり良くないので、寝かせたままにしておく。幸い明日にならなければ、これからの予定はない。

 風邪をひかないようにシグが毛布を掛けてやると、ティオはくすぐったそうに身じろぎしたが、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。

 こうして寝ているときは普通の年頃の少女と同じだ。笑顔もなくなり、安らかな顔となる。

 いつもの笑みが、貼り付けたようなもののように思えるほどに。

 本当はその通りなのかもしれない。

 先ほどのニーナの話を頭の中に思い浮かべた。


「シグさんや、最近になってこの城にいらっしゃる方には想像できないでしょうけど、むかし、何度か会ったティオ姉さまは、人形のような人でした。とても冷たく、どこか抜けているような、空虚な感じだったと思います」

「あの好奇心で動く犬みたいなヤツがか?」

「ええ、そうです」


 否定はせず、ニーナはそのまま続ける。口元はわずかに震えていた。


「ただ、です。わたしもティオ姉さまに会った数は、他の姉さまと比べても少ないのです。何故だか、分かりますか」

「軟禁か?」

「だ、断言はできません。わたしも、それほど早くから会ったわけではないのです。ティオ姉さまは何年か前に、はじめて姿を見せられたのですから。それ以前では第三王女の階位は空席となっており、誰かがティオ姉さまを見たということはなかったので」


 その時の城で働く者は戸惑ったらしい。突然、存在すら知らなかった少女が王女などと言われれば、いつから居たのかとか疑問は尽きないだろう。最近になってやっと使用人たちも慣れてきたということだ。

 しかしもとから空席とされていたということは、最初からティオはその位置に留まるはずだったということになる。

 なぜ、ティオの存在が隠匿されていたのか。なぜ、ティオの母親が亡くなった時が転機となったのか。

 なんともきな臭い話だとシグは思う。

 ティオのことはあまり知らないが、さきほどのニーナとの会話でいくつかの情報を知ることができた。それだというのに、また疑問が積もるばかりだ。

 国王の態度といい、ティオを中心としての禍根が広がるのならば、面倒事のほうが自分からやってくるだろう。

 分からないということがもっとも面倒くさいことだと、シグは経験から学んでいる。


「想像以上に中身がブラックな就職先だ」

「キュイ!」


 同意するように鳴いたレトロ鼻をひくつかせ、フードから飛び降りた。

 シグはそちらに目を向けることもなく、窓の外に広がる暗い景色を眺めた。

 夜は始まったばかりである。

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