ミミナリ
「ねぇ、私と一緒にこない?」
昔母だった人から言われた言葉だ。
もう十年も前のことだからあまり深く覚えていないが、母だった人は私の元を去るときに言った。
その頃は私は5歳、母が去ることが悲しくて泣いたけど、父が手を引いて私を育ててくれた。
十五になってさすがにわかるようになった。
母は不倫したらしい。それに父が気づいて問い詰めた。母はすぐに離婚届を出して新しい夫の元へ行ってしまった。その時の言葉だったらしい。
何年も父と過ごしてきたので母に未練はあまりないが、一つ言いたい事がある。
「お前、何で私を産んだ?」
母の写真にカッターナイフを突き立てる。
ギリギリとカッターナイフをスライドさせていくと写真が綺麗に真っ二つになった。
少しだけスカッとした。
もうすぐ父が起きる。
アルコールを毎日飲んでいる父は何時も何時も何時もいつでも怒鳴り散らしている。
いつから飲んでいるのかは知らないし、どうでもいい。いつもは優しい父だ。困ったことがあれば父に聞けば一緒に難問に立ち向かってくれる父だ。
しかし、アルコール一つで別人になる。
きっとこれは昔からなんだろう。
母が不倫したのもきっとこの父の優しさとアルコールで人が変わる豹変ぶりに愛想を尽かしたのだろう。
今となっては確認することは出来ない。
父が起きた。
グルグルする頭を回転させる。
父が次にとる行動は置いてあったウィスキーの瓶を手に取り直飲みする。
起きてすぐだ。
そしてそのふらふらな目がこちらを見る。
恐ろしい。父の暴力が。憎い置いていった母が。
私が何をしたのだろうか。
産まれて、生きてきただけだ。必死に生きただけだ。なのに母と父が産んだ娘は今、産まれたことを後悔している。
起きた父がどうっと倒れた。
また、私に暴力を振るう前に…
また私を傷つける前に…
私は私を守るためにやったことだ。
握りしめたカッターナイフが、握りこぶしに血がベッタリとついている。
キーーーーーン
突如耳鳴りが響いた。
目眩もする。
だけど少し清々しい気持ちになった。
私は初めて生きている気持ちになる。私は生きている、生きているんだと。
外からサイレンの音が聞こえた。
早すぎる到着、私は刺したばっかなのに。
全裸の私は恥ずかしいのでパンツとTシャツを履いた。
入ってきた警察の人はぎょっとする。
お隣のお兄さんが心配げに覗いて、後悔した表情を見せた。
私は生きているのに、生きているのに、耳鳴りがやまない。
キーーーーーン
警察の人が「大丈夫だ、君を助けに来た。だからそのカッターを降ろして。」と声をかける。
でもそんな声も耳鳴りでよく聞こえない。
私はホントに生きているのだろうか。
私はカッターを喉に突き立てた。
(あ、耳鳴りがやんだ)
ピンポーン。
ピンポーン
ピンポーン。
「あ、どうしました?」
インターホンを何度も押す音に隣人が尋ねる。
「あ、すみません。ここの子に用があって…」
黒い髪を綺麗に流した清楚な女性であった。
「そこの人この前事件があって、父親も娘も亡くなられたよ。娘さんのひどい悲鳴が聞こえたから通報したんだけど…もう遅くて…」
その言葉を聞いて女性は持ってた紙袋を落とした。
綺麗な学生服が中から飛び出たが彼女は虚ろな目を扉に向けたままだった。
キーーーーーン
「―――ねぇ、私を何で産んだの?」
彼女の耳に耳鳴りが止むことはなくなった。




