曖昧な願い
現場から星象庁へ戻ったとき、レイはようやく息を吐いた。
夜の冷気が残るまま施設へ入ると、白い照明がやけに強く感じられる。
戦闘の感覚がまだ残っているのか、それとも別のものなのか――判別がつかなかった。
「対象、天宮レイ。医療区画へ、簡易検査を行います。」
天井のスピーカーから流れた呼びかけに、隣にいたミオが何か言いかけてやめた。
「……また後でね」
「あぁ」
それだけのやり取り。
けれど、ほんのわずかに間が空いた気がした。
医療区画へ向かう廊下は静かだった。職員たちは忙しそうに行き交っている。
だが、レイが通るたびに視線が一瞬だけこちらに向く。
興味。警戒。観察。
どれも声にはならない。だが、確かにそこにあった。
――守れたはずなのに。
あのとき、レイはミオを守った。
間に合わなかったあの夜とは違う。
ちゃんと、届いた。
それでも、周囲の見方は変わらない。
むしろ、“異質なものを見る目”が強くなっている気がする。
医療室の扉を開く。
中は無機質な白で統一されている。
消毒液の匂い。低く唸る機械音。
「座ってください。外傷の確認と星珠反応を測定します」
「……はい」
椅子に腰を下ろすと、すぐに数名の技師が周囲に集まった。
無駄のない動きで機器が展開され、細いアームがレイの腕へと伸びてくる。
冷たい感触が肌に触れた。ピッ、と短い電子音。
視界の端にあるモニターへ目をやると――0とだけ表示されている。
画面が変わり、綺麗なほどに単一的な波形が表示される。
レイはそれをぼんやりと見ていた。
反応検査では上限を大きく超える700という数値が出たのに、モニターの表示は0のまま動かない。
「次に、星珠接触時の現場周辺の反応ログを表示します」
技師はキーボードとマウスを操作し、時間と波形を表示させた。
『……回収する』
『おい、触るな――』
ユウゴの声が聞こえる。
その直後、星珠反応の波形が大きく跳ねた。
0から100へ。100から-100へ。-100から0へ。
一連の変化は1秒にも満たない間に起こっていた。
正と負を一瞬で往復する、ありえない振り幅だった。
――あの瞬間、自分の身体で何が起こったのだろう
それが何なのかは、誰も答えられなかった。
数秒間、誰も口を開かなかった。
技師がわずかに間を置いてから口を開く。
「任務前後で何か変化はありますか」
レイは少しだけ考えた。
「……あります」
「具体的に話してみてください」
「何かが、残ってる感じです」
言葉にすると曖昧すぎる。
だが、それ以外に言いようがなかった。
「流れてるみたいな……消えきってない感じが」
技師は無言で入力する。
「今後も任務後には検査を行います。違和感についても随時報告してください」
「分かりました」
技師に短く返し、椅子から立ち上がる。
医療室を出るときまで、背中に視線を感じた。
検査結果そのものよりも、“判断が保留されている存在”として見られている。
レイはポケットに手を入れ、軽く握った。
握った拳の中で、まだ“何か”が残っている気がした。
それが何なのか、自分でも分からないままだ。
廊下を歩き始めて少しして、廊下の先から声が飛んできた。
「お、レイく~ん。検査終わった?」
ハルが立っていた。その後ろにはユウゴとヒナ、そしてミオ。
「さっき終わりました」
「どうだったの~?何か収穫あった?」
「……星珠に触れた時、反応がプラスからマイナスに振り切ったみたいです」
結果を話した瞬間、ハルの目から光が消え、ユウゴの視線は鋭くなった。
「でも、そのあとはすぐに0に戻って、身体も何ともないみたいです」
――違和感については、言わなかった。
あの視線を受け止めきれる気がしなかったから。
ヒナがやわらかく笑った。
「でも、大きな異常が無くてよかったよ」
「……ありがとう」
そのとき、足音が一つ増える。シュウが歩いてきた。
「あの星珠についての調査結果が出た」
発された言葉で空気が変わる。
「回収した星珠だが、既存の星珠の組成とは異なる部分があった」
ユウゴが即座に反応する。
「どういうことだ?」
「俺たちが使っている星珠と別物の可能性があるということだ」
シュウの言葉を聞き、ヒナが不安そうに言う。
「そんな……」
「さらに詳しいことは、現在調査中らしい」
シュウは淡々と続けた。
「俺たちの任務も一筋縄ではいかなくなるかもしれない」
レイは無意識に指先に力を込めた。
星珠に触れた瞬間の、あの噛み合わなさ。
それが、ただの錯覚ではなかったと裏付けられた気がした。
「それと――」
「白峰さん、すまなかった。俺の判断が甘かった」
シュウは、ミオの方を向き、頭を下げた。
「えっ……」
突然の出来事にミオは言葉が出ない。
「まさか対象が星喰い化するとは……君に危害が及ぶ寸前だった」
「……いえ、そんな!怪我もしてませんし……」
ミオは申し訳なさそうな顔をした後に、レイの方を一瞬見る。
そして、シュウはもう一つ続ける。
「白峰さん。君に星珠使用許可が下りた」
一瞬、空気が止まったように感じた。
ミオだけでなく、その場にいた全員の視線が自然と彼女へ向く。
ミオが息をのむ。
「……私に、ですか?」
「えぇぇ!?……許可出るのはっやーい!」
ヒナが驚愕の声を上げる。大きな瞳が一層大きく見える。
「いや~許可出るのこんな早いの初めてじゃない?」
「戦闘に参加させるということか?逆にリスクが増えるぞ」
笑いながら驚くハルとは対照的に、ユウゴは怪訝な顔をしていた。
「自衛の手段が必要だと上層部で判断された――主に俺が提言した」
「白峰さん、これを受け取るのは強制じゃない。」
差し出されたケース。中で淡く光る星珠。
「――君は、どうしたい?」
ミオは、すぐには受け取らなかった。
透明なカバーの向こうで、星珠が静かに光っている。
それはただの物体のはずなのに、視線を逸らせない。
――これを持てば、変わる。
――変わらなければいけなくなる。
そんな感覚が、言葉になる前に胸の奥へ落ちてくる。
指先が、わずかに止まる。
数秒の沈黙。だが、それは数十秒にも感じられた。
ミオは一度深呼吸をして、こう言った。
「……受け取ります」
迷いを振り切るような声だった。
小さく、それでもはっきりしていた。
ミオはそれを見つめ、ゆっくりと受け取った。
嬉しさと、恐れ。その両方が滲んでいた。
「――分かった。あとで訓練室で練習をしよう」
「30分後、訓練室に集合だ」
そう言って、シュウは廊下を歩いて行った。
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訓練室に入ると、空気がわずかに変わった。
無機質な床。均一に張られた照明。
外界から切り離されたような閉鎖空間。
戦闘のための場所でありながら、今は妙に静かだった。
「じゃあ、始めよう」
シュウは壁際に立ち、そう言った。
ハルもシュウの隣で壁にもたれかかる。
ユウゴは腕を組み、少し離れた位置からミオを見ていた。
ヒナはその隣で、不安と期待が混ざった表情をしている。
レイは少し距離を取って立つ。
訓練室の中央にはミオが立つ。
手の中には、さっき受け取った星珠。
小さな光が、かすかに揺れている。
「……やってみて」
ヒナが優しく声をかける。
ミオは小さくうなずいた。
ゆっくりと深呼吸を1回。
胸の奥にあるものを、確かめるように。
――受け取った。
あのとき、確かに自分で選んだ。
なら。
ゆっくりと、星珠を胸元へ引き寄せる。
目を閉じる。意識を沈める。
“転星”。
それは星珠と、自分の“願い”を重ねる行為。
――助けたい。
その気持ちは、確かにある。
あのとき、何もできなかった悔しさも。
怖かった記憶も。全部、覚えている。
だから。
――助けたい。
もう一度、強く思う。
「……転星――水瓶座」
星珠が、かすかに光った。空気が、わずかに震える。
――来る。
誰もがそう思った。
だがそれ以上、何も起こらなかった。
静寂が戻る。
「……あれ」
ミオの声が、小さく零れる。
もう一度。今度は、さっきより強く。
意識を押し込むように。
――助けたい。
――守りたい。
――変わりたい。
願いを重ねる。
それでも。
星珠は、応えない。
かすかな明滅のあと、光が消える。
何も起きないまま、終わった。
沈黙。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
ミオはゆっくりと目を開ける。
自分の手の中にある星珠を見つめる。
「……どうして」
その声は、ほとんど自分に向けられていた。
ユウゴが静かに口を開く。
「願いが“定まっていない”」
断定だった。
だが、責める響きではない。
「適性はある。反応もしている。だが、それだけでは足りない」
ミオの指がわずかに震える。
「転星は、感情ではなく“定義”だ。何を望むのかが明確でなければ、星珠は形を取らない」
ヒナがすぐに口を挟む。
「で、でも!反応はあったし……私も始めはそんな感じだったよ!」
ハルが肩をすくめる。
「まぁでも、“ゼロじゃない”ってだけでも上出来でしょ~」
軽い口調。だが、場の重さは消えない。
ミオは星珠を握る。少しだけ、力が入る。
「……あるはずなのに」
小さく、呟く。
「助けたいって思ってるのに……それだけじゃ、足りないの……?」
言葉にしても、どこか輪郭がぼやける。
その“足りなさ”を、自分で分かってしまう。
自分の願いの、具体性のなさを。
レイは、その様子を黙って見ていた。
そのとき。
「……っ」
右手に、違和感が走る。反射的に目を落とす。
一瞬だけ、指先に黒が滲んだ。影のように揺れて、すぐに消えた。
違和感は消えていない。
体の奥に、曖昧で形のない何かが残っている。
体の奥で、何かが脈打つ。さっきより、はっきりと。
――流れている。
言葉にできない。理解も追いつかない。
ただ、“ある”ことだけが分かる。
「……今日はここまでにしよう」
シュウが静かに言った。全員がシュウを見る。
「願いは無理に引き出すものじゃない。焦る必要もない」
その言葉に、ミオは小さくうなずいた。
「……はい」
だが、その声はわずかに沈んでいた。
決めたはずの気持ちが、どこか揺らいでいるように。
訓練室を出たあと、廊下の空気は少しだけ冷えていた。
さっきまでの静寂とは違う。
どこか現実に引き戻されるような、乾いた空気。
レイは自販機の前で立ち止まり、適当にボタンを押した。
落ちてきた缶を取り出す。指先に伝わる、わずかな冷たさ。
「……レイ」
背後から声がした。振り向くと、ミオが立っていた。
「……失敗しちゃったなぁ」
ミオは少しだけ間を置いて、続けた。
「悔しい……」
「……そっか」
短く返す。それ以上、何を言えばいいのか分からない。
ミオは自分の手を見る。そこにはもう、星珠はない。
それでも、さっきの感覚が残っているようだった。
「私、助けたいって思ってるのに」
ぽつりと、言った。
「それだけじゃ、足りないんだね」
レイは缶のプルタブを開けた。
「……俺は」
言いかけて、少しだけ間を置く。
言葉を探す。
「何ができるのか、まだ分からない」
正直な言葉だった。ミオが顔を上げる。
「でも――何かは、ある」
右手を見る。
さっき感じた、あの違和感。
黒い、曖昧な流れ。名前も、意味も分からないもの。
それでも。
「分からないままでも、進むしかないと思う」
ミオが、じっとこちらを見る。
「曖昧でも?」
「……ああ」
少しだけ息を吐く。
「止まるよりは、いいと思う」
ミオは視線を落とす。
さっきの言葉が、まだ胸の中に残っている。
“願いが定まっていない”。
その感覚。
「……怖いんだと思う」
ぽつりと、こぼす。
「はっきり決めちゃったら、戻れなくなる気がして」
レイは何も言わず、聞く。
「……でも、決めないと進めない」
ミオは小さく笑う。
「難しいね」
「……そうだな」
短い肯定。しばらく沈黙が続く。
けれど、それは気まずさではなかった。
同じ場所で立ち止まっているような、静かな時間。
ミオがゆっくりと顔を上げる。
「もう少し、考えてみる」
「うん」
「ちゃんと、決められるように」
ミオの言葉は、自分自身に言い聞かせるようだった。
まだ、完全には信じ切れていない声で。
けれど、さっきより少しだけ前を向いている。
「……ありがと」
小さく言って、ミオは歩き出した。
背中が、少しだけ軽くなっているように見えた。
一人になったあと。レイは缶を傾け、少し飲む。
冷たさが喉を通る。
だが、意識は別のところにあった。
右手を見る。何も起きていない。
だが。
「……」
目を細める。ほんの一瞬。
指先に、黒が滲んだ。
影のように揺れて、すぐに消える。
見間違いかと思うほど、短い時間。
見間違いではない。確かに、そこにあった。
体の奥で、何かが脈打つ。
さっきよりも、わずかに強く。
静かに。確実に。
――流れている。
それが何なのか、まだ分からない。
力なのか。異常なのか。
あるいは、そのどちらでもないのか。
答えは出ていない。
ミオは願いを持っている。だが、形にならない。
レイは何かを持っている。だが、まだ定義できない。
どちらも、曖昧なまま。未完成のまま。
それでも。
止まるわけにはいかない。
わずかに、手を握る。
その奥で、“それ”が応えるように脈打った。
願いはあるはずなのに、
――まだ、形にならない。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、回収された星珠の謎と、ミオの葛藤を書いた回でした。
曖昧なままの2人の思いは、ここからどうなっていくのか――
次回もぜひお付き合いいただけると嬉しいです。
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