星喰いの夜
※本作はややダーク寄りの現代ファンタジーです。※
その夜、俺は人を壊した。いや――違う。“人だったもの”を壊した。
骨が軋み、肉が裂け――光だけが残る。
あれが何だったのか、今なら分かる。けれどあのときの俺は、何も知らなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
俺はあの瞬間、――星を、喰った。
-------------------------------------------------------------------------------------
「……最下位かよ」
朝のリビング。テレビから軽快な音楽が流れている。テーブルの上には、焼きすぎたトーストと、少し冷めたコーヒー。いつもと変わらない朝。ただ一つ違うのは、テレビの占いだった。
『ごめんなさ~い!十二位はてんびん座のあなた!今日はついていない一日になるかも!』
「うわ……」
思わず声が漏れる。
『思わぬトラブルに注意!慎重な行動を心がけましょう!』
「ダメダメじゃん」
トーストをかじる。固い。ちょっと焦げてる。
コーヒーで流し込む。ぬるい。
最悪だ。
(……ついてないなぁ)
小さく息を吐く。
『ラッキーアイテムは銀色のアクセサリー!』
「持ってねぇよ……」
呟いてから、ふとテレビに目をやる。画面は次の話題へ切り替わっていた。
『続いては、星座適合試験についてです。』
大きな会場に並ぶ学生たちの映像。会場に広がる歓声と、緊張と、期待。
「またそれか」
天宮レイは軽く息を吐く。
『年に一度数日にかけて行われるこの試験は、星象庁および各インフラ機関を支える人材発掘を目的として――』
「エリート選抜ってやつね」
ぼそっと呟く。
星座。この世界では、それはただ空にあるだけのものじゃない。
画面の向こうでは、星導列車が青白い軌跡を引いていた。
ビルの光も、街灯も、信号も、どこを見ても同じ光だ。
星の力。
この街は、それなしじゃ何一つ動かない。
だからこそ、星に適合する人間は貴重だった。選ばれた者だけが、その力を扱える。
『適合者は転星者候補として登録され、専門機関での訓練を受けることになります。』
画面の中では、合格者が泣きながら笑っていた。
家族と抱き合って喜ぶ少女。将来は星象庁に入りたいと語る少年。
星座に選ばれた者の、未来を保証されたような表情。
『なお、今年の適合率は0.1パーセント未満と見込まれており――』
「少ねぇ……宝くじかよ」
思わず声が出る。
ほんの一握り。選ばれた人間だけが、星に触れることができる。
レイは自分の手を見る。何も起きない手。
去年、試験は受けた。星珠に初めて触れた。
結果は、適合反応なし。不適合反応すらなし。
担当官は少し困ったような顔で、「特筆事項なし」とだけ告げた。
普通なら弾かれるか、反発されるか、何かしらの反応はあるらしい。だがレイには本当に、何もなかった。
その結果を聞いても、何も感じなかった。
まるで最初から、この世界の仕組みに含まれていないみたいに。
ボーっとテレビを見ていたら時間は9時に迫っていた。そろそろ大学に行かなくては。
テレビを消して静かになった部屋で、レイは立ち上がった。
「よし、行くか」
-------------------------------------------------------------------------------------
大学の帰り道、昼間の熱気が引いた街をレイは歩いていた。
昼間の蒸し暑さがようやく引いて、街にはわずかに涼しい風が流れる。
高架を走る星導列車が青白い軌跡を引き、その残光がガラス張りのビルや濡れた車道を淡く照らしている。
「ねえレイ、聞いてる?」
白峰ミオが顔を覗き込んでくる。
「あぁ」
「絶対聞いてないでしょ」
「大体聞いてるよ」
「“大体”って話聞いてない人が使う返事なんだよ」
ミオは呆れたように言うが、その声は弾んでいた。
「今日さ、適合検査あったの」
「あぁ、ニュースでやってたね」
「仮認可出た」
「……よかったじゃん」
思ったよりも素直な声が出た。
「でしょ?」
ミオは少しだけ胸を張る。
「でも、まだ仮だから。本格的な配属とかはこれからだって」
「へぇ~何座?」
「みずがめ座!なんか強そうじゃない?」
「水撒くだけしかできないんじゃないの?プシューって」
「ちょっと!!私のことバカにしてるよねー!?」
抗議しながらも、ミオは笑った。幼いころから変わらない笑い方だった。
「レイはさ、」
ふと、ミオがこちらを見る。
「もし適合してたら、何したかった?」
「……別に何も」
少しだけ考えてから、肩をすくめる。
「考えたことないかな」
「ほんとに?」
「どうせ選ばれないし」
できるだけ軽く答えたつもりだったが、喉の奥に小さな棘が残った。
ミオはそれ以上踏み込まなかった。代わりに微かに聞こえるくらいの声で言う。
「……レイなら、いけると思うけどなぁ」
簡単に言ってくれる。その無責任さが、少しだけ救いだった。
そのとき。――破裂音がした。
乾いた音が、夜の空気を真っ二つに裂いた。
少し先の交差点。街灯が一本、根元から弾け飛んでいた。
ガラス片が散り、通行人たちの悲鳴が遅れて響く。
人だかりの中心で、一人の男がよろめいていた。
「……酔ってる?」
ミオが呟く。
「……もっと。つよく……」
「あの人大丈夫かな?……警察呼んだ方がよさげ?」
ミオが男に駆け寄ろうとした瞬間、その認識は吹き飛んだ。
「もっと、強く……!もっとツヨク!!モッド、ヅヨグ……
ナリダィィィィ!!!グォアアアアアアア!!!!」
男の足元が、わずかに浮いた。地面に触れているはずなのに、影だけがずれている。
次の瞬間、体が内側から押し上げられるように膨らんだ。
皮膚が引き伸ばされる。いや、違う。
“中身が増えている”
骨が音を立てて軋む。本来ありえない方向に曲がり、伸び、位置を変える。
関節の位置がずれる。腕が長くなる。指が裂けて、別の形になる。
皮膚の下で、光が脈打っている。血管じゃない。
もっと、はっきりとした“何か”。光が、流れている。
それが、体を作り替えていく。
顔が崩れる。目の位置がずれ、口が裂ける。声にならない音が漏れる。
人の形をしているのに。もう、人じゃない。
「なに、あれ……」
ミオの震えた声がレイの耳に届く。レイは答えられない。
そんなもの、見たことがなかった。
男だったものが、こちらを見る。
そして――跳んだ。
「ミオ!」
ミオの腕を引く。間に合わない。
今まで感じたことのない衝撃。身体が吹き飛ぶ感覚。
息が止まる。地面に叩きつけられ、痛みを感じる。
立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。目の焦点が定まらない。
「モ゛ッド、ヅヨ゛グゥゥ!!」
化け物がこちらへ歩いてくる。ゆっくりと。確実に。
逃げようとしても体が言うことをきかなかった。
化け物はレイを持ち上げ、レイの腹部に拳を数発入れた。
レイの身体がもう1度大きく吹っ飛ぶ。痛すぎてもはや痛みは感じなかった。
「……イ!レイ!」
ミオが叫んでいる気がした。
「やだよ!……レイ、起きて!!」
耳鳴りがして、ミオの声が水の中みたいに歪んでいる。
身体の内側は灼熱のように熱く感じる。内臓は出血でボロボロなのだろう。
(ここで死ぬのか)
レイは死を悟った。
もう立たなくてもいいか。そう思った。
しかし、レイの中にミオの言葉と昔から変わらない笑顔が浮かび上がった。
『でも、まだ仮だから。本格的な配属とかはこれからだって』
『みずがめ座!なんか強そうじゃない?』
『ちょっと!!私のことバカにしてるよねー!?』
『……レイなら、いけると思うけどなぁ』
立たなくては。自分が死ぬのはもういい。
でも、彼女を、ミオを死なせてはいけない。
ミオには約束された未来がある。その未来を無駄にするわけにはいかない。
(ミオには未来があるんだよ……)
そう思った瞬間、胸の奥で何かが“割れた”。
熱ではない。光でもない。
もっと空っぽな、冷たい何かが内側から溢れ出す。
化け物が足を止めた。
濁った目が、わずかに揺れる。怯えたように、後ずさる。
フラフラとその場で立ち尽くす化け物にレイは駆け出した。
横目に見えたミオは、信じられないものを見るように目を見開いていた。
レイは、化け物に拳を浴びせる。
化け物の身体は堅いはずなのに全く痛みを感じない。
指先から感覚がないみたいだ。自分の輪郭そのものが曖昧になる。
皮膚が溶けるような感覚ではない。
最初から“そこになかった”みたいに、自分の境界だけが消えていく。
ふと気づくと、視界の色が変わっていた。街の光が細い線になって見える。
ビルも道路も人も、全部が不安定な輪郭の集合に変わる。
その中で、化け物の胸の奥にだけ、いやに強い輝きがあった。
「グォアアアア!!ヅヨ゛グナ゛ル゛!!!!」
化け物が叫びながら抵抗する。
だがレイ――いや、もはやそれがレイと呼べる存在なのかどうか分からない“それ”は、避けもしなかった。
レイは馬乗りになって拳を浴びせ続けた。
化け物に拳が当たるたびに、化け物の身体が少しづつ軋んでいく。
骨格が歪み、肉が裂け、光が散る。
化け物の咆哮。暴れる腕。
舗装が砕け、車道に亀裂が走る。
周囲の看板がへし折れ、窓ガラスが連鎖的に割れた。
異様だった。
化け物よりも、それを壊している“レイの変貌”の方が、ずっと異様だった。
人の姿を保っているはずなのに、人間らしさがない。
全身の輪郭が揺らぎ、肩や背中のあたりから黒い空白のような揺れが滲んでいる。
星の光を吸い込むような、夜そのものが形を持った姿。
化け物が最期の力で腕を振り上げる。
“レイだったもの”は、腕を化け物の胸に突っ込んだ。
光り輝くものを抜き出したとき、化け物の身体は内側から崩壊し、消滅した。
抜き出した“それ”には見覚えがあった。星珠だ。適合試験で触れたもの。
レイがそう思った瞬間、星珠が音もなく宙へ浮かび、レイの胸元へ引き寄せられた。
レイの身体へ、溶け込むように吸い込まれた。
胸の奥に、異物が突き刺さる。心臓とは違う“何か”が脈打ち始める。
途端に、暴風みたいな衝撃が走る。
その瞬間、レイの視界が激しく明滅した。
怪物が見ていたもの、抱いていた衝動、底の抜けた飢えみたいな感情が一気に流れ込んでくる。
頭の奥を掻き回されるような不快感に、膝から崩れ落ちた。
同時に、自分の身体の輪郭が急速に薄れていく。
夜に溶けていた異形が、ばきばきと音を立てるように剥がれ落ち、元の少年の姿へ戻っていく。
静寂。
さっきまで暴れていた化け物は、もういない。
ただ砕けた道路と、ひしゃげた標識と、異様な沈黙だけが残った。
レイは荒く息を吐く。
手を見る。いつもの手だ。ただの自分の手。
「レイ……」
ミオが恐る恐る近づいてくる。
その顔には安堵と、戸惑いと、怯えが同時に浮かんでいた。
「今の、なに……?」
答えられない。レイ自身が、一番分からなかった。
そのとき、遠くから鋭いブレーキ音が響いた。
黒塗りの大型車両が二台、交差点の脇へ滑り込む。
扉が開き、統一された装備の集団が無駄のない動きで降り立った。
黒い戦闘服。顔の半分を覆うマスク。肩には見慣れない紋章。
星象庁のマークに似ている気がする。
先頭にいた男が、壊れた現場を一瞥し、次にレイへ視線を止める。
「対象は?」
低い声。
部下らしき人物が、レーダーを見て一瞬言葉を失う。
「……消失しています。」
「星珠反応は?」
「この青年の中に反応があります……!」
男の目が細くなる。
そこで初めて、レイは自分が見られていることに気づいた。
いや、観察されている。
「おい、ちょっといいか。」
先頭の男が声を投げた。
「今、何をした?」
答えようとして、喉が詰まる。
ミオが思わずレイの前に出ようとするが、別の隊員がそれを制した。
「一般人は下がってください。」
一般人。その言い方が妙に引っかかった。
「一般人の退避を優先しろ。情報拡散を防げ。」
上司であろう男が部下たちに指示する。
この連中は、事後処理に慣れ過ぎていた。
まるで、こういう事態を最初から知っていたみたいに。
朝の占いが、不意に頭の奥で蘇る。
『ごめんなさ~い!十二位はてんびん座のあなた!今日はついていない一日になるかも!』
『思わぬトラブルに注意!慎重な行動を心がけましょう!』
占いなんかじゃない。
これは、最悪の一日だ。
黒い部隊の視線が、夜の中で冷たく光る。
逃げ場は、もうなかった。
壊れた交差点の真ん中で、レイはようやく理解する。
もう、自分は元の日常には戻れない。
「……ほんと、ついてないな。」
その言葉を小さく漏らし、レイは気を失った。
星が落ちた夜。
それは、世界の裏側に触れてしまった最初の夜だった。
読んでいただきありがとうございます!
第1話は「日常の崩壊」と「レイの異常性」を書いた回でした。ここから一気に物語が動いていきます。
次回は、星喰い制圧部隊との対面です。レイの立場が大きく変わります。
よければブックマークや評価などいただけると励みになります!




