第9話:初めての『稽古』
「ハッ、雑巾がけの修行だと? 笑わせるな」
金髪のS級探索者、レオポルドが鼻で笑いながら道場に足を踏み入れる。 彼の背後には、最新鋭の魔導パワードスーツを装着した部下たちが展開し、静かな道場の空気は一変して重苦しい魔力のプレッシャーに包まれた。
「エルナ、君は目を覚ますべきだ。こんな魔力も持たない格闘家の真似事など、何の役にも立たない。実戦を見せてやろう。――おい、その男を軽く捻ってやれ」
レオポルドの合図で、一人の大男が前に出た。 全身を分厚い魔導装甲で固め、手には高周波振動を起こす巨大なメイス。現代探索者の「力」を象徴するような装備だ。
「……カイ、様。ここは私が」
エルナが雑巾を置き、前に出ようとする。だが、カイはその肩を軽く叩いて制した。
「いや、いい。ちょうどいい『動く標的』だ。エルナ、さっきの雑巾がけ、腰の使い方を覚えているか?」
「え……? はい、なんとか」
「なら、あんたがやれ。魔法は一切使うな。ただ、雑巾がけの時のように、重心を低く保って『滑る』だけだ」
道場内に驚愕が走る。 世界最高の魔法使いに、魔法を捨てて素手でS級パーティの重装歩兵と戦えというのだ。正気の沙汰ではない。
「ふん、正気か。殺しても文句を言うなよ!」
重装歩兵が咆哮し、高周波メイスを振り下ろした。 空気を切り裂く轟音。直撃すれば、人間など文字通り肉片も残らない一撃。
「エルナ! 動くな! 意識で避けようとするな。床の滑りを感じろ」
カイの鋭い声が飛ぶ。 エルナは目を閉じた。 迫りくる鉄塊の恐怖を、無理やり意識の底へ沈める。 (力を抜く……雑巾がけと同じ……。腕で動かない。地面から、力を貰う……!)
その瞬間、エルナの身体が「消えた」。 いや、横に滑ったのだ。 ドゴォォォォォン!! メイスが畳を叩き割り、土煙が舞う。 だが、そこにはもうエルナの姿はない。彼女は最小限の動きで、まさに雑巾を滑らせるかのような滑らかな歩法で、大男の懐へと潜り込んでいた。
「なっ……速い!? 魔法の加速もなしに!?」
レオポルドが叫ぶ。 だが、驚くのはまだ早かった。
「次は、掌を当てろ。押すんじゃない、衝撃を『置く』んだ」
カイの指示通り、エルナは戸惑いながらも、大男の分厚い胸部装甲にそっと掌を添えた。 魔力は練っていない。ただ、雑巾がけで鍛えた足腰の回転を、肩、肘、そして掌へと繋げる。
「――っ!」
ドッ。
という短い音。 次の瞬間、重量数百キロを超えるはずの重装歩兵が、砲弾のような勢いで道場の外へと吹き飛んだ。
門を突き破り、庭の木をへし折り、向かいのビルの壁に激突してようやく止まる。 魔導装甲は無傷。だが、中の男は白目を剥いて完全に沈黙していた。
「……私の、一撃で……?」
エルナは自分の掌を見つめ、震えていた。 魔法を一切使わず、純粋な身体操作だけで、自分より遥かに巨大な敵を圧倒した。それがどれほど異常なことか、世界1位の彼女には痛いほど理解できた。
「バ、バカな……! 演算ミスだ、こんなことがありうるか!」
レオポルドが狼狽し、自ら腰の魔導剣を引き抜く。 しかし、カイは彼を見向きもせず、欠伸をしながらサヤに向かって言った。
「サヤ、門が壊れちまったな。修理代、あの金髪の兄ちゃんに請求しておいてくれ」
「分かった! お兄ちゃん!」
「き、貴様ぁぁ! 私を誰だと思っている! 世界ランク5位、『黄金の夜明け』のレオポルドだぞ!」
激昂したレオポルドが魔導剣を振りかざした、その時。
ピピッ、ピピッ、と。 場違いな電子音が、カイのポケットから響いた。
「……おっと、悪い。バイトの時間だ」
カイはスマホのタイマーを止めると、レオポルドの横を風のように通り過ぎた。 レオポルドは何が起きたのか分からず、ただその場に凍りついた。 気づいた時には、自分の握っていた魔導剣の刀身が、根元から綺麗に「折れて」地面に落ちていた。
「……折ったのか? 通り過ぎざまに、指先だけで……?」
レオポルドの膝がガクガクと震え始める。 もはや戦いではない。次元が違いすぎる。
「エルナ、後は任せた。サヤ、夕飯は唐揚げがいい」
カイはジャージの裾を翻し、呆然とする報道陣の群れを割って、夕暮れの街へと消えていった。
翌朝。 ネット上には、さらに衝撃的な画像が溢れかえることになる。 『聖女エルナ、深夜の雑巾がけ動画が流出。その動きが早送りレベルだと話題に』 『S級探索者レオポルド、精神的ショックで一時引退を表明』
そして。 世界の裏側で、カイの「技術」を狙う闇の組織が、ついに最強の刺客を送り出す準備を整えていた。
「……継星流か。かつて我が一族が滅ぼしたはずの『古の技術』、今一度根絶やしにしてくれよう」
闇の中から、カイと同じ「型」を持つ男が、静かに立ち上がった。




