第22話:全能の調停者
神域の最上階。そこに待っていたのは、人の形を模しながらも、その輪郭が虹色のノイズで揺らめく「全能の調停者」だった。 彼が指先をわずかに動かすだけで、背後の空間に無数の魔法陣と、これまでカイが打倒してきた「影の王」や「銀の巨人」たちの武装が具現化される。
「……面白いな。あんた一人で、システムの全部を体現してるわけか」
カイはジャージの裾を整え、静かに構えた。だが、その瞳にはこれまでにない緊張感が宿っている。 目の前の敵は、カイが拳を突き出す「瞬間」を狙うのではない。カイが「攻撃しようと決断した過去」と、「攻撃が命中した未来」の整合性を消去し、因果の連鎖そのものを断ち切ってくる。
「……判定。継星カイの存在は、世界の均衡にとって致命的なノイズ。これより『全否定』を実行」
調停者が手をかざした。 瞬間、カイの周囲から「空気」が消え、「重力」が消え、さらには「自分という概念」を維持するための五感すらも奪い去られた。 完全な無音、完全な暗黒。
「師匠!!」
離れた場所で雑兵を食い止めていたエルナの叫びすら届かない。 カイは、漆黒の虚無の中に放り出された。 (……なるほどな。殴る対象も、殴るための腕も、その感覚さえも定義から消されたわけか)
普通なら、ここで意識が霧散して死に至る。だが、カイの肉体は死んでいなかった。 十数年、毎日数千回繰り返してきた正拳突き。 呼吸。 脱力。 それらはもはや脳で考える「定義」ではなく、魂に刻まれた「習慣」となっていた。
(……理屈がいらないなら、捨ててやるよ。古武術も、継星流も、俺の名前も)
カイは虚無の中で、あえて自分を縛っていた「技の型」を捨てた。 最強でありたいという意志も、サヤを救いたいという執着も、すべてを削ぎ落とす。 後に残ったのは、ただ一点。 宇宙が始まる前のような、純粋な「震え」だけ。
「――『継星流・最終奥義――虚』」
調停者の演算装置が、突如として激しいエラーを吐き出した。 「警告。消失させたはずの個体から……『特異点』の発生を確認。存在しないはずの質量が、因果の網を食い破っている……!?」
暗黒の虚無が、内側からバリバリと割れた。 そこから現れたのは、黄金のオーラでも、強大な魔力でもない。 ただ、そこに「立っているだけ」で世界を定義し直してしまうような、圧倒的な存在感を放つカイだった。
「あんたの『全否定』ってのは、結局のところ、計算式の外側にあるものを消せないんだよな」
カイが一歩、踏み出す。 その足音一つで、調停者が展開していた数万の魔法陣が、物理的に粉砕されて霧散した。 「……計算不能。貴様は、何を根拠にそこに存在している!?」
「根拠? ……そんなもん、俺がここにいたいからに決まってるだろ」
カイが拳を引く。 それは、第1話で見せたような無造作な正拳突き。 だが、その速度は光を超え、その重みは銀河を凌駕していた。
「『星穿・零式――無想』」
ドンッ。
という短い音。 調停者の胸の中央、システムの心臓部にカイの拳が沈み込む。 調停者は、防ごうとしなかったのではない。「防ぐ」という概念そのものが、カイの拳が触れる前に「古臭い理屈」として過去へ置き去りにされたのだ。
「ガ、アアアア……ッ!! 全能の……私が……ただの『突き』に……!!」
「あんたは『全部』持ってたかもしれないが、俺は『これ』一本しか持ってないんだ。……積み重ねた時間が、あんたの演算に負けるはずないだろ」
バキバキバキッ!!
調停者の虹色の身体が、カイの打撃による「共鳴」に耐えかねて、粉々に砕け散った。 神域の最上階を支配していた重圧が消え、塔の天辺からまばゆい光が溢れ出す。
「……お兄ちゃん!」
光の繭の中から、サヤの声が聞こえた。 カイは崩れゆく塔の中で、囚われていた妹をその腕に抱き留める。
「……遅くなってごめんな、サヤ。カレー、まだ間に合うか?」
「……バカ。そんなこと、どうでもいいよ……!」
サヤが泣きながらカイの胸に顔を埋める。 だが、安堵したのも束の間。 崩壊する調停者の残骸から、最後の、そして最も巨大な『門』が開き始めた。
『――エラー。エラー。……システムの最終防衛ラインを突破。……世界の初期化を開始する。これより、全人類を「魔力」というリソースへ還元し、新世界を創造する』
「……最後の最後まで、往生際が悪いな」
カイはサヤをエルナに託すと、開いた門の深淵を見据えた。 そこには、システムの本体である「神」の意志が、巨大な目となってこちらを覗いていた。
「エルナ、サヤを連れて先に降りてろ。……ちょっと、神様に『挨拶』してくる」
「師匠……! まさか、一人でその中へ!?」
「挨拶だ。……二度と俺たちに手を出さないように、しっかり『教育』してやらないとな」
ジャージの裾を翻し、カイは世界の理そのものである「神の深淵」へと自ら飛び込んでいった。




