第2話:魔法より速い一撃
「……信じられない」
聖女エルナ・ヴァン・ルードリッヒは、目の前の光景に息を呑んでいた。 彼女は世界ランク1位。人類最高峰の魔導士であり、現代探索者の象徴だ。そんな彼女が、Fランクダンジョンの視察(新人育成のデータ収集のためだったが)で、絶句していた。
目の前で、ジャージ姿の男がレイスを粉砕した。 それも、魔法でも魔導武器でもなく、ただの「掌」で。
(物理無効のレイスを、素手で? 聖属性のエンチャントも、魔力の残滓すら感じられなかった……今のは一体、何のスキルなの?)
エルナは反射的に、自身の特殊スキル『真理の眼』を発動させた。 相手のステータスや魔力の流れを視覚化する権能だ。
しかし。 「……え?」 視えたのは、あまりにも異常な数値だった。
【氏名:継星 カイ】 【魔力適性:0】 【保有魔力量:0】 【スキル:なし】
(嘘でしょ……魔力適性ゼロ!? そんな人間、今の時代に存在するはずが……。それに、スキルなしで今の現象を引き起こしたっていうの?)
混乱するエルナを余所に、男――カイは面倒そうに後頭部を掻きながら、地面に落ちた魔石を拾い上げている。 その動作には、一切の虚飾がない。 まるで散歩のついでに石ころを拾うような、無造作な動き。
「あの! 待ってください!」
エルナは思わず声を上げ、駆け寄った。 世界中のファンが失神するほどの美貌と、神々しいまでのオーラを放つ彼女が、必死の形相で一人の男に詰め寄る。
カイは足を止め、ゆっくりと振り返った。 「……何だ。怪我でもしたのか? 悪いが、俺にヒールは使えないぞ」
「そんなことじゃありません! 今のは、何をしたんですか!? 物理無効化を貫通するスキルなんて、聞いたことがありません。どこの所属ですか? ギルドの登録名は?」
質問攻めにするエルナ。 だが、カイの反応は冷ややかなものだった。
「スキルなんて使ってない。ただの、継星流古武術だ。……それより、あんた。足腰が浮いてるぞ。そんな重心じゃ、不意打ちに対応できない」
「……えっ?」
呆気にとられるエルナ。 世界1位の自分に対し、まるで道場の門下生にでも接するように「重心が浮いている」と指摘されたのだ。
その時だった。 ダンジョンの壁を突き破り、さらなる『異変』が姿を現した。
シュルル、と空気を切り裂く音。 現れたのは、本来このダンジョンには生息していないはずのモンスター。 Bランク相当の危険種――『シャドウタイガー』。
影の中に潜み、音もなく獲物の首を狩る、文字通りの暗殺者だ。
「っ、危ない! 退いてください!」
エルナが杖を構える。 彼女の脳内では、即座に『神聖魔法・第七階梯』の構成が始まった。発動まで、わずか2秒。人類最速の詠唱だ。
だが。 シャドウタイガーは、エルナの魔力に反応し、その「2秒」を待たずに影から飛び出した。 ターゲットは、無防備に背を向けているカイ。
「あ――」
エルナの視界がスローモーションになる。 魔法が間に合わない。 鋭い爪が、カイの首筋に届く。
――ガツッ。
鈍い音が響いた。 何が起きたのか、エルナの目には見えなかった。
気づいた時、宙を舞っていたはずの巨大な虎が、地面に叩きつけられていた。
「ガ、ア……ッ!?」
シャドウタイガーが、喉から血を吐き出しながら痙攣している。 カイは、振り返ってすらいない。 ただ、肩を少し動かしただけのように見えた。
「……遅いな。獣の動きに『拍子』がありすぎる。狙いがバレバレだ」
カイが静かに告げる。 彼は、シャドウタイガーが飛び出した瞬間に、最小限の動きでその顎を下から打ち抜いていたのだ。 予備動作を一切排した、継星流の真骨頂――『無拍子』。
魔法の詠唱よりも、神経伝達の速度よりも速い。 肉体そのものを「理」へと最適化させた、究極の暴力。
「……魔法より、速い……?」
エルナの杖が、カタカタと震えた。 彼女が一生をかけて積み上げてきた魔導の理論。 数千万人の探索者が信奉する「魔力こそが最強」という常識。
それが今、目の前のジャージ姿の男によって、いとも容易く粉砕されたのだ。
「悪いが、もう行く。バイトの時間なんだ」
「ま、待ってください! あなたの名前は!? せめて連絡先を――」
カイは答えない。 ただ、無造作な歩みで、闇の向こうへと消えていった。
残されたのは、粉砕されたレイスの魔石と、ピクピクと震えるBランクモンスターの死体。 そして、生まれて初めて「敗北感」を味わった、世界1位の聖女だけだった。
「……継星、カイ。古武術……」
彼女は、その名前を胸に刻み込んだ。 この出会いが、世界の序列を根底から覆すことになるとは、この時のエルナはまだ知る由もなかった。
一方その頃。 ダンジョンの外、動画投稿サイト『ダン・チューブ』では、ある動画が爆発的な勢いで再生され始めていた。
タイトルは――【閲覧注意】代々木Fランクに潜ってみたら、素手の不審者がレイスをワンパンした件について。
ネットが、そして世界が、一人の「時代遅れ」に気づき始めていた。




