第12話:合気という名の怪異
昨晩の襲撃から一夜。継星道場の前には、昨日以上に異様な光景が広がっていた。 ギルドが派遣した「特別防衛隊」の車両が並び、近隣住民は何事かと遠巻きに眺めている。
「……だから、俺は普通にバイトに行きたいんだが」 「ダメですよ師匠! あの『裏』の連中がいつまた刺客を放つか分かりません!」
エルナが必死にカイのジャージを掴んで引き止める。 その時、ギルドの無線機から悲鳴のような怒号が響いた。
『緊急事態! 道場正面に、空間歪曲を確認! ランク……計測不能! 実体がないぞ!』
突如、道場の門前、アスファルトを割って「それ」が這い出してきた。 全長三メートル。不定形の粘液状でありながら、半透明の霧のように揺らめく。 特異個体モンスター――『ヴォイド・スライム』。 「物理攻撃……完全無効の魔獣!? なぜこんな街中に!」
防衛隊の銃撃が始まる。だが、放たれた魔導弾は怪物の体を「透過」し、背後の建物を破壊するだけだ。 怪物が腕のようなものを伸ばし、装甲車を叩き潰す。 物理的には触れられないのに、相手の攻撃だけは質量を持って襲いくる。まさに格闘家にとっては「詰み」の相手だ。
「カイ様、下がって! 私が『聖滅の光』で――」
「待て、エルナ。そんなもの街中で撃ったら、道場ごと消し飛ぶぞ」
カイはエルナの前に歩み出た。 「お兄ちゃん、危ないよ! それ、触れないんだよ!?」 サヤの悲鳴を背に、カイは無造作に怪物の目の前まで歩く。
怪物が咆哮(のような震動)を上げ、巨大な粘液の触手を振り下ろした。 直撃すれば、人体など一瞬で圧殺される。
だが、カイは逃げなかった。 彼はゆっくりと右手を上げ、その「触れられないはずの霧」に掌を当てた。
「『継星流・合気奥義――無明』」
その瞬間、周囲の時間が止まったかのような錯覚が一同を襲った。 ――ズ、ゥゥン。
実体がないはずの怪物の体が、まるで透明な糸で操られるように、強引に地面へと叩きつけられた。 「な……ッ!? 透過している相手を、投げた……?」
エルナは自分の目を疑った。 物理攻撃が透過するということは、そこに「抵抗」が存在しないということだ。 合気は相手の力を利用する。だが、相手が透過しているなら、力そのものが受け流されるはず。
「……あんたの理屈は『透過』じゃない。ただ『分子間の結合を魔力で緩めている』だけだ。水に触れるのに、特別な才能はいらないだろ?」
カイの指先が、空中で複雑な弧を描く。 「『合気・渦』」
怪物の体が、カイの指の動きに合わせて高速回転を始めた。 逃れようとしても、自分の魔力の流れをカイの指先に「同期」させられ、逃げられない。 「グ、ガガガ……ガァァッ!?」
怪物がパニックに陥り、実体化して反撃しようとする。 その「実体化の瞬間」を、カイは待っていた。
「形を作ったな。なら、もう終わりだ」
カイの拳が、初めて重く握り込まれる。 「『星穿・零式』」
衝撃波すら起きない。 ただ、カイの拳が触れた一点から、怪物の体が「内側へ向かって」収縮を始めた。 膨大な質量を一点に押し込める、超高密度の打撃。
パキィィィィィン!!
という結晶が割れるような音と共に、三メートルの巨体は親指ほどの大きさの魔石へと圧縮され、粉々に砕け散った。
静寂。 防衛隊も、野次馬も、取材陣も、全員が「何を見たのか分からない」という顔で立ち尽くしている。
「……合気って、お化けも投げられるの?」 サヤの素朴な疑問に、カイは肩をすくめた。
「お化けだろうが魔王だろうが、そこに『力の流れ』がある限り、俺の客だ」
エルナは、その場でノートを取り出し、猛烈な勢いで書き込みを始めた。 「透過現象に対する分子間同期……質量反転のベクトル制御……。魔法を介さない『概念への干渉』……。師匠、これ、論文にしたらノーベル賞どころか世界宗教が開けます!」
「やめろ、勘弁してくれ」
一方、その様子をビルの屋上から見ていた影が、舌打ちをする。 『物理透過すら「技術」でねじ伏せるか。継星カイ……貴様、人間をやめているな?』
通信機から、より冷酷な声が響く。 『……ならば、次は「数」だ。古武術は一対一の最強。だが、万単位の軍勢に、たった一人の拳で何ができるか試してやろう』
街の地平線の向こうから、不気味な魔力の波動が、黒雲のように湧き上がり始めていた。




