第1話:時代遅れの道場破り
「……おい、継星。悪いことは言わねえ、その『看板』はもう畳め」
新宿の路地裏。古びた雑居ビルの三階にある『継星流古武術道場』。 道場主である俺――継星カイに向けられたのは、同情と、隠しきれない蔑みの視線だった。 目の前に立つのは、かつて親父の門下生だった男だ。今では最新の『魔導強化外骨格』を身に纏い、人気探索者として鳴らしているらしい。
「今はダンジョンの時代だ。魔力適性が全て。剣だ魔法だ、あるいは銃火器だっていうこのご時世に、素手で『勁』だの『合気』だの……。悪いが、そんな時代遅れの踊りは、Fランクモンスターの肌すら傷つけられやしねえよ」
男は札束の入った封筒を床に置いた。 この道場の跡地を、探索者用のトレーニングジムにするための買収資金だという。
「……親父が死んでから、門下生が全員消えたのは知ってる。お前の魔力適性が『0』だったこともな。不運だったな、カイ。だが、これが現実だ」
男が去った後、俺は静かに畳を撫でた。 魔力。二十年前に突如として世界中に出現した『ダンジョン』と共に、人類に発現した異能の力。 今の世の中、魔力がない人間は人間にあらず。ダンジョンという宝の山から締め出された、ただの「持たざる者」だ。
「時代遅れ、か」
俺は拳を握り込む。 親父は死ぬ間際、俺にこう言った。 『カイ。魔力などという、外から与えられた不安定な力に頼るな。己の肉体の内側を、宇宙と同じ密度まで練り上げろ。それが継星流の真髄だ』
魔力適性0。それはつまり、外的なエネルギーを一切受容できないという体質だ。 だが、俺は知っている。 古武術が、魔力を超える「唯一の解答」であることを。
俺は道場の隅に置いてあった、ボロボロの探索者ジャケットを羽織った。 手元に残ったのは、明日の食費すら危うい数千円と、使い古された拳一つ。
「……まずは、晩飯代を稼ぐか」
向かったのは、都心から少し外れた場所にある最低難易度、Fランクダンジョン『代々木・廃駅地下』。 入り口には、最新の装備に身を包んだ初心者探索者たちが溢れている。 ピカピカの魔法杖や、重厚な自動小銃。その中で、ジャージに素手という俺の格好は、浮いているどころの話ではない。
「おい見ろよ、あの格好。自殺志願者か?」 「武器も持ってないぞ。魔力適性もなさそうだし、正気かよ」
嘲笑を背中に浴びながら、俺はゲートを潜った。 ひんやりとした、湿った空気。魔素が充満する、異界の匂い。
数分も歩けば、最初の『敵』が現れた。 Fランクモンスター『レッサースライム』。 物理攻撃が効きにくく、初心者が魔法の使い方を覚えるためのサンドバッグとされる存在だ。
俺の前に、青黒いゲル状の塊が立ち塞がる。 普通のパンチなら、核を外せば衝撃を吸収されるだけだろう。
「……ふぅ」
俺は呼吸を整える。 肺に吸い込んだ空気を、全身の細胞一つ一つにまで行き渡らせるイメージ。 足裏から地面の反動を受け取り、膝、腰、背筋を経由して、肩から拳へとエネルギーを繋げる。 魔力など使わない。ただの「運動連鎖」だ。
シュッ、と。 予備動作のない、ただの掌打がスライムに触れた。
「――『浸透・一重』」
ドンッ! という鈍い音が響いた。 直後、スライムの体表面は何の変化もないまま、その「核」だけが内側から粉々に砕け散った。 青いゲルが霧散し、魔石だけが地面に転がる。
「……少し、密度が足りないな。親父なら今の半分以下の力で十分だったはずだ」
俺は落ちた魔石を拾い上げた。これ一つで、牛丼一杯分くらいの金にはなる。 だが、その時。 ダンジョンの奥から、嫌な冷気が流れてきた。
ガリッ、ガリッ、と。 壁を削るような音が聞こえる。
「……おっと」
現れたのは、本来Fランクには存在するはずのないモンスター。 下半身がなく、虚空を漂う白い影。 Cランク相当の難敵――『レイス(亡霊)』。
物理攻撃が100%無効化される、魔法探索者の天敵。 本来なら、高価な魔力武器か、高度な聖属性魔法がなければ倒せない相手だ。
レイスが、獲物を見つけたと言わんばかりに耳を劈く叫び声を上げた。 死を振りまく冷気が、俺の周囲を囲む。
「……物理無効、か。ちょうどいい」
俺は逃げるどころか、一歩前に踏み出した。 普通、格闘家なら絶望する場面。だが、継星流において「物理無効」などという概念は存在しない。
なぜなら、継星流の真髄とは――「存在しないはずの衝撃」を打ち込むことにあるからだ。
レイスが俺の魂を食らおうと、実体のない腕を伸ばしてきた。 俺はそれを避けず、逆に懐へと飛び込む。
「『継星流・極意――崩』」
俺の指先が、レイスの虚空に触れた。
その瞬間、ダンジョン全体の空気が震えた。
「ギィ、ァ……!?」
実体がないはずのレイスが、苦悶の声を上げた。 俺が放ったのは、単なる打撃ではない。 細胞の振動、呼吸の波、そして意識の指向性――それら全てを同期させ、相手の「構造」そのものを強制的に崩壊させる技だ。
パキィィィン!!
まるでガラスが割れるような音を立てて、レイスの身体が空間ごと砕け散った。 後に残ったのは、最高級の輝きを放つ大粒の魔石。
「……これで一週間は食いつなげるな」
俺が魔石を拾い上げようとした、その時。
「……嘘、でしょ?」
背後から、震える声が聞こえた。 振り返ると、そこには豪華な魔法衣を纏い、黄金の杖を構えた少女が立っていた。 その顔には、隠しようのない驚愕が張り付いている。
彼女は、世界ランク1位にして『聖女』と呼ばれる探索者――エルナだった。
なぜこんなところに、世界最強の一角がいるのか。 そんなことより、俺が今一番気にしていたのは……。
(……しまった。今の、誰にも見られてないと思って派手にやっちまった)
現代の常識が、今、音を立てて崩れようとしていた。




