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御所、炎上

作者: 雰音 憂李
掲載日:2025/10/18

 天正十年(一五八二)六月朔日は夜。

 斎藤利治(さいとうとしはる)は、主たる織田信忠(のぶただ)とその側近らと共に京都・妙覚寺(みょうかくじ)にいた。

 羽柴秀吉率いる中国経略(けいりゃく)の部隊が備中の高松城にて毛利輝元の手勢と膠着状態となり、秀吉が泣きついてきたために、上様――信長様と共にそれに応えるべく西国への出陣の途にあった。

 信長は本能寺、信忠は妙覚寺で宿を取っていた。


 ******


 明け方、儂は不寝(ねず)の番が騒々しいことで目を覚ました。彼らの騒ぎは何事かと問う。

「……桔梗(ききょう)の紋の旗が、本能寺の方へと向かいまして、ございます」

「何じゃ貴様ら、惟任(これとう)日向守(ひゅうがのかみ)殿が、上様を攻めたというのか? あの上様の信任(あつ)き、惟任日向守殿じゃぞ?」

 謀反、という言葉がそれでも過ぎる。急ぎ殿を起こし、報告する。


「父上は!? どうなっておるか!」

 殿の鼻息は荒くなり、兵を纏めて本能寺へと向かおうとする。

 だが、南方には、火の手が上がっているのが見えた。村井春長軒(しゅんちょうけん)貞勝(さだかつ))が自邸より駆けつけ、殿を制止した。


「本能寺は、惟任日向守の手に落ちております。上様の行方は……分かりませぬ。

 しかし、彼の手勢は、何れ此方へと攻めてきましょう。此処、妙覚寺では耐えられませぬ。

 二条の新御所の方が構えよく、堅固でありますから、急ぎ其方へと……」


 二条の新御所と言えば、元は上様の手により造られ、今は東宮(とうぐう)殿下――皇太子誠仁(さねひと)親王――の御所となっていた。

「春長軒の言も分かる、だが、それでは東宮殿下に……何と申せば」

此処等(ここら)一帯は、惟任日向守が手勢を放っておりまするから、内裏へとお逃げなされ、と。本能寺は火の手に包まれておりまする故に、説得もやさしいと思われまする」

 殿は悩み抜くも、四半刻も経たぬ内に、妙覚寺を発った。


 ******


「本能寺は既に灰燼(かいじん)に帰し、惟任日向は戦上手と(うた)われております故、我等を逃すはずはございませぬ。

 然りとて、殿下を(しい)する事で朝敵となることは避けられるであろう。殿下は()くお逃げ下され!」

 我等は村井春長軒の言に従って、二条の新御所へと移り、東宮殿下には一刻も早く逃げるよう、殿が進言していた。

「東宮殿下はどこにお逃げになされと、三位中将殿は仰るのだ?」

「無論、内裏(だいり)へと」

 殿は殿下や、殿下に従う公家どもを諭す。それでも、殿下はすぐに動かれる事はなかった。

 もう、二条の新御所から見える、すぐ近くまで、惟任日向の手勢は包囲を固めていた。

 包囲の最中、村井春長軒は敵方へと一人駆け込んだ。上様が既に亡き今、信忠様と東宮殿下を守るために私は身を(てい)すつもりだ、と言っていた。


 暫くして、春長軒が帰ってくる。

「殿下、徒歩(かち)ではございますが、今すぐ、ここよりお逃げ下され」

「殿下ほどの者に、徒歩などとは、惟任日向守は、なんと無体な」

「我等が輿に隠れて逃げおおせるのを嫌ったんでしょうな……それでも、彼奴等は朝敵の誹りを免れたいのでしょう。さあ! さあ! 疾くお逃げ下され!」

 それでも彼らは難渋するが、防御が打ち破られる前に、殿下と公家どもは新御所を立ち去っていった。


「中将様、中将様も! 中将様は、上様の後を継がねばなりませぬ。さあ!」

 東宮殿下が新御所を立ち去った後、襲撃が繰り返され、そのたびに撃退を重ねていた。

 本能寺の救援に間に合わず、妙覚寺や二条の新御所に合流していた上様の馬廻の者は、この御所でも抗しきれないと判断し、殿にも逃げるよう進言していた。

 しかし、殿は頑なに動こうとはしなかった。


「俺は、ここを動かぬ」

「何故! 今すぐここを抜け出され、安土へと戻られさえすれば、上様の手勢と合わせて、惟任日向を退治できましょう」

「これほどの謀反、奴らは決して我等を見逃すだろうか?

 俺ほどの者が、惟任の部将に討たれるどころか、雑兵の手にかかる事は、後生にも名誉ならず、無念と残る。

 奴らの手に、俺の首を渡すまい。ここで、腹を切ろう」

 既に、鉄砲が隣の屋敷から撃ちかけられていた。

 上様の馬廻と、今残る我等……殿の側近衆、そして周辺の警固のための手勢。

 それらを併せても、一五〇〇程度。御所を包囲する惟任日向の手勢は、一万を優に超えるだろう。


 どこからともなく火が放たれる。覚悟はもう、できていた。

「もはや……これまで、か。俺の首は、縁の板の奥へ隠せ。惟任の手勢に渡すな!」

 それが、殿から、最期にかけられた言葉だった。

 近習の一人と共に、殿は、炎の中へと消えていった。


 我等、残された者は、御所に討ち入った敵勢にひたすら、突撃していく。

 殿、あの世にて、二度相見えましょうぞ。

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