御所、炎上
天正十年(一五八二)六月朔日は夜。
斎藤利治は、主たる織田信忠とその側近らと共に京都・妙覚寺にいた。
羽柴秀吉率いる中国経略の部隊が備中の高松城にて毛利輝元の手勢と膠着状態となり、秀吉が泣きついてきたために、上様――信長様と共にそれに応えるべく西国への出陣の途にあった。
信長は本能寺、信忠は妙覚寺で宿を取っていた。
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明け方、儂は不寝の番が騒々しいことで目を覚ました。彼らの騒ぎは何事かと問う。
「……桔梗の紋の旗が、本能寺の方へと向かいまして、ございます」
「何じゃ貴様ら、惟任日向守殿が、上様を攻めたというのか? あの上様の信任篤き、惟任日向守殿じゃぞ?」
謀反、という言葉がそれでも過ぎる。急ぎ殿を起こし、報告する。
「父上は!? どうなっておるか!」
殿の鼻息は荒くなり、兵を纏めて本能寺へと向かおうとする。
だが、南方には、火の手が上がっているのが見えた。村井春長軒(貞勝)が自邸より駆けつけ、殿を制止した。
「本能寺は、惟任日向守の手に落ちております。上様の行方は……分かりませぬ。
しかし、彼の手勢は、何れ此方へと攻めてきましょう。此処、妙覚寺では耐えられませぬ。
二条の新御所の方が構えよく、堅固でありますから、急ぎ其方へと……」
二条の新御所と言えば、元は上様の手により造られ、今は東宮殿下――皇太子誠仁親王――の御所となっていた。
「春長軒の言も分かる、だが、それでは東宮殿下に……何と申せば」
「此処等一帯は、惟任日向守が手勢を放っておりまするから、内裏へとお逃げなされ、と。本能寺は火の手に包まれておりまする故に、説得もやさしいと思われまする」
殿は悩み抜くも、四半刻も経たぬ内に、妙覚寺を発った。
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「本能寺は既に灰燼に帰し、惟任日向は戦上手と謳われております故、我等を逃すはずはございませぬ。
然りとて、殿下を弑する事で朝敵となることは避けられるであろう。殿下は疾くお逃げ下され!」
我等は村井春長軒の言に従って、二条の新御所へと移り、東宮殿下には一刻も早く逃げるよう、殿が進言していた。
「東宮殿下はどこにお逃げになされと、三位中将殿は仰るのだ?」
「無論、内裏へと」
殿は殿下や、殿下に従う公家どもを諭す。それでも、殿下はすぐに動かれる事はなかった。
もう、二条の新御所から見える、すぐ近くまで、惟任日向の手勢は包囲を固めていた。
包囲の最中、村井春長軒は敵方へと一人駆け込んだ。上様が既に亡き今、信忠様と東宮殿下を守るために私は身を挺すつもりだ、と言っていた。
暫くして、春長軒が帰ってくる。
「殿下、徒歩ではございますが、今すぐ、ここよりお逃げ下され」
「殿下ほどの者に、徒歩などとは、惟任日向守は、なんと無体な」
「我等が輿に隠れて逃げおおせるのを嫌ったんでしょうな……それでも、彼奴等は朝敵の誹りを免れたいのでしょう。さあ! さあ! 疾くお逃げ下され!」
それでも彼らは難渋するが、防御が打ち破られる前に、殿下と公家どもは新御所を立ち去っていった。
「中将様、中将様も! 中将様は、上様の後を継がねばなりませぬ。さあ!」
東宮殿下が新御所を立ち去った後、襲撃が繰り返され、そのたびに撃退を重ねていた。
本能寺の救援に間に合わず、妙覚寺や二条の新御所に合流していた上様の馬廻の者は、この御所でも抗しきれないと判断し、殿にも逃げるよう進言していた。
しかし、殿は頑なに動こうとはしなかった。
「俺は、ここを動かぬ」
「何故! 今すぐここを抜け出され、安土へと戻られさえすれば、上様の手勢と合わせて、惟任日向を退治できましょう」
「これほどの謀反、奴らは決して我等を見逃すだろうか?
俺ほどの者が、惟任の部将に討たれるどころか、雑兵の手にかかる事は、後生にも名誉ならず、無念と残る。
奴らの手に、俺の首を渡すまい。ここで、腹を切ろう」
既に、鉄砲が隣の屋敷から撃ちかけられていた。
上様の馬廻と、今残る我等……殿の側近衆、そして周辺の警固のための手勢。
それらを併せても、一五〇〇程度。御所を包囲する惟任日向の手勢は、一万を優に超えるだろう。
どこからともなく火が放たれる。覚悟はもう、できていた。
「もはや……これまで、か。俺の首は、縁の板の奥へ隠せ。惟任の手勢に渡すな!」
それが、殿から、最期にかけられた言葉だった。
近習の一人と共に、殿は、炎の中へと消えていった。
我等、残された者は、御所に討ち入った敵勢にひたすら、突撃していく。
殿、あの世にて、二度相見えましょうぞ。
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