護憲と鉄棒(アングルバー)
中村少佐の言葉に、井上少佐は答えた。
「防備隊は、いい意味で軍隊らしからぬところがあっていいと思う。上位下達で型にはまるばかりじゃない。少し、自由な意見や考え方を許すようなところであってもいいんじゃないか。先ほどの延長で、大学や海運会社、民間造船所とつながっているような部門であっていい。」
「いえ、流石にそれはよくない。」
中村少佐は、やや怒りを込めていった。「三角定規」らしくもない、と腹の中で思う。
「防諜上、あまり民間とかかわるのは問題ではないですか。それに軍事は専門技術です。そんなに関係のない者から、良いアイデアが出るとは思えない。そもそも、今、防備にいる人材、特に士官は皆意気消沈しています。そこで軍隊らしからぬ、なんて言い出せば組織が崩壊しますよ。
大体、世の中に阿りすぎです。世間は、民本主義だの自由主義だの言っていますが、我々はそういうところから一線を画すべきです。そういう雰囲気で、不自由もしている。」
何を思い出したのか、不機嫌をはっきり顔に出した、中村少佐は手酌で盃をあおると、続けた。
「大体、政党は軍事のことが判らんのに、我々に口出しをしすぎる。退陣した山本総理を弁護するわけじゃないが、疑獄があったからと言って、兵器調達を厳格に行えとか、陸海軍で極力装備を共同化しようとか、つべこべと。海と陸とでは、戦い方が異なる。飛行機だってそうです。だから、政党主導で装備を一緒に、と言われる筋合いはない。挙句の果てには参謀本部と軍令部を廃止しろ、などと。そんな連中が護憲派だと。」
中村少佐が言っているのは、高橋是清蔵相が出した「参謀本部廃止論」のことを指す。
大戦争第一次世界大戦終了直前、陸軍は政治的な策を弄しシベリアに対し出兵をした。が、これが発覚し、国会、特に衆議院で大問題となった。その際、高橋蔵相が新聞に「諸悪の根源は、軍令が政府と全く独立するにあり、参謀本部が内閣輔弼の外にあることなり」という主張を出したことによる。これは大戦争第一次世界大戦後の一種の「反軍的感情」と相まって、非常な盛り上がりを見せた。
ただ、天皇大権との関係、さらに、軍部が「折れた」ことにより、どうにか鎮静化した。
折れた、とは、「大本営の発展・強化により、陸海軍統帥権は一元的に行うことを検討すること。また、極力抑制的に行使することの研究を行うこと。」「英国に倣った航空軍はこれを設置しない。しかし、軍事費の抑制・削除のために陸海軍が最大限協同し必要な措置を行う。具体的には、陸海軍共通での装備調達、軍事研究機関を設置する。」ということを認めたからである。
このうち、調達抑制に関しては、航空機が嚆矢となった。大戦争前に廃止した臨時軍用気球研究会を復活させ、臨時軍用飛行「器」研究会が再発足した。これは常設機関として、「軍用飛行機委員会」となる。
効率化は好ましいようにも思える。しかし、もともと海軍は(明治建軍以来の経緯から)陸軍からの独立、更に独自化を目指していた。これとは全く逆の道をたどる、陸海軍の「共通・統合化」には、嫌悪感が極めて大きかった。
井上少佐も、苦笑を浮かべつつ応じた。
「まあ、それもわかる。軍隊は軍隊であり、世間は世間だ。輿論がリベラルだからと言って軍隊もそうすべき、そうなるべきとは言えんな。」
「全く、けしからんですよ」
中村少佐は、酔漢特有の大声で応じた。
苦笑を浮かべる井上少佐は、それにゆっくりと応じた。
「だが、軍隊も社会の一要素だ。世間から超然としているということは、それもそれで、問題だ。
こんどのいくさでは、総力戦、つまり国家の総力を挙げるということがこれからの戦争だ、ということが示された。ならば、次があれば、今度と同じだ。海軍の軍人ばかり集まれば、軍人同士の意見ばかりで頭は固くなる。」
目の座った中村少佐ではなく、窓を見つめながら井上少佐は呟くように言った。
「どのみち、防備は人が足りん。いくさになれば予備、つまり素人を集めなければならない。船だって、民間の造船所を、今以上に使うことになる。いや、そもそも工廠だけでやれると考える方が非現実的だ。
だったらこの際、最初からそのつもりでやった方がいい。軍人が民間人を使うのではない。民間の力を生かして防備をやる、くらいの気持ちでいたほうがいい。陸との兵器共通化も、悪い話じゃない。考えようでは、シーメンスのような疑いの眼差しを向けられず、正々堂々、我々の要求を産業界に言える、ということでもある。ならば、本当の戦時に役に立つだろう。」
納得できない、中村少佐はそう思ったが、声には出ていない。しかし、酔いが回った表情にはそれが出ていた。それを見透かすように、井上少佐は云った。
「アングルバーじゃいかんよ。」
一息で盃を空にすると、続けた。
「我々は、海軍軍人だが、同時に船乗りである。船乗りは、判断に責任が伴う。海に出れば、自分の頭で目の前の状況を適切に判断していく必要がある。物事にあたっては。フレキシブルワイヤーであること、自由さも必要だ。」
中村少佐は、悔しそうな表情を浮かべた。
「おっしゃるとおりかもしれません。しかし、自分は船乗りでもありますが、海軍軍人です。防備隊の士気は、低い。そんなところでは、むしろ強固なアングルバーたるべき、それでもって海軍全体の雰囲気に痛撃をあたえ、目覚めさせてやりたい気がします。」
井上少佐は、中村少佐を見つめていった。
「防備は冷や飯喰らいかもしらん。だがな。」
続けて言った。
「もし、これから、いくさになるようなことがあれば、必ず必要になる。」
胃薬でも飲むような表情で盃を干す。続けた。
「プロフェッショナルたる海軍軍人ですら、そのことに痛い目に合わないと分からない。そういう無定見さは、悔しい。だが、やらねばならん。
防備は、これから造る新しい分野だ。現実に対応するなら、軍隊流じゃないような思考もあっていいだろう。つまり、リベラルは言い過ぎでも、ものにとらわれない自由な思考、発送も必要だ。そうじゃないか。」
火鉢の炭は、真っ赤になって熾っている。熱気が彼らを包んでいた。いつの間にか、二人とも上着を脱いでいる。
井上少佐も、チョッキすら脱いでいた。とうに手焙りを放り出している。
「少し、空気が濁っているな」
井上少佐はそういうと、曇りガラスの窓を開いた。
冷たい風と共に、粉雪が畳の上に舞い込んできた。通りを歩く人々、それをほのかに照らす街灯、そして街の明かりが見える、そのさんざめきが聞こえてきた。
店の往来を大勢の人が行きかっている。
仕事を終えたのであろう、外套の襟を立て電停の方に歩く背広姿のサラリーマン。
銀座の商家だろうか、中折れ帽、着流しに襟巻をまいてステッキをついて歩く初老の男。
刺し子半纏を着、懐手で寒そうに3人で連れ立って一杯ひっかけに行こうか、という風情の職人。
夜目にも鮮やかな桃色の、すっぽりと方から足先までを覆う道行を着た和服の女性。
ふと、窓の下、電柱の裸電球に照らされて小さな女の子がいることに気づいた。綿入れのねんねこに、子どもを負ぶって立つ小学生に上がったばかりくらいの子。母親でも待っているのか、じっと向こう見ている。足元は、素足に大人用の大きな下駄。この寒気の中、足袋さえ履いていない。
「酔ったな」
ぼそりと、井上少佐は呟くように言った。
この日のこの会合は、何かを決めた、というほどのものではなかった。
しかし、海軍の防備体制の方向を示した、といってもあながち間違いではなかった。
中村少佐は、その後も防備部門に留まり、防備隊司令や軍令部参謀を歴任する。
井上少佐は、その年に中佐に昇進し、駐在武官、軍令部、海軍省の要職に就く。幾度か、中村少佐(その時は少佐でなく昇進していたが)の上司となった。
大正は、もうしばらくして終わろうとしていた。




