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護る者たちの島  作者: 本郷 不羇雄
威容と現実と本音
4/10

不人気部門の「エリート」

 大正14年(1915年)1月、年が明けて松が取れた東京の街は、よく乾いた晴間の中で妙に埃っぽかった。

 海軍大学校・第22期を卒業した中村俊久少佐は、去年の末、横須賀防備隊に配属されることとなった。海軍大学校卒業者、つまり「エリート」が、防備という不人気部門に配置されるのは異例である。


 去年から、風邪はじめ様々な感染症が蔓延している。

 中村少佐は、昨年末、胃腸を患い著しく体調を崩した。ようやく回復し、療養から回復したばかりで、横須賀から汽車に揺られ、海軍省へ向かった。

 横須賀から2時間余りで新橋駅につき、そこで降りた。至る所で工事をしている。大震災から1半年、作りかけの街が広がっている。

 中村少佐は体を労わるように、海軍士官らしからぬ歩みでゆっくりと霞が関へ向かう道を歩いていた。

 足場の組まれた新橋駅は、だいぶ整理されてきた。ここから、海軍省へ向かう。震災後、人力車が減り始め、円タクが増え始めている。拾うかと思ったが、歩くことにした。時間にはまだ余裕がある。


 震災後、帝国政府と東京市は、「帝都復興」の大号令のもと、さまざまな計画をしている。街路の拡大と整備、都市不燃化に基づく鉄筋コンクリート建造物、上下水道、地下鉄その他都市基盤の整備等。

 いくつかのものは、工事が進んでいた。復興院総裁の後藤新平氏が唱える構想は、明るく煌びやかなものであった。

 だが、東京のところどころに、震災バラックが残る。そして生活の立て直しから取り残された人々がひしめいていた。


 道を渡ろうと思って立ち止まる。自動車が急速に増えつつあった。向こうに、建築中のビルがある。法被を着たとび職が、頭上はるかなうえで足場を組んでいる。何気なくそれを目で追った。

ふと、頭をよぎる。敵国が今回の地震火災を研究し、帝都をいかに効率的に灰燼に帰すことができるか、等ということを研究しないか。

 病み上がりのせいか、妙なことを考えているな、と自覚した。


 霞が関の一角にある軍令部・海軍省は、幸い震災の火災にも遭わず焼け残った。

 中村少佐は、軍令部での所用を済ませた後で、そこに配属されている「三角定規」とあだ名される海軍大学校同期生と会うことになっていた。海大では同期だが、海軍兵学校の卒業年度は中村少佐より2期先輩にあたるから、それほど気やすい関係ではない。

 だが、いろいろ思うところがあった。相談のような形で、今後の防備の在り方(また、自分の「身の振り方」も)を話そうとしていた。防備部門は、海軍全体でも、あまりに不人気であった。

 行ってみると、互いに思いのほか忙しく、時間が取れたときは午後も遅くなっていた。そういうわけで、彼らは、海軍省の外で話すことにした。

 二人は、芝の水交社でも、と言って歩き出した。中村少佐は紺詰襟の第一種軍装だが、「三角定規」は背広姿である。中央官衙では、執務時のみ軍服を着て、通勤時は背広を着る者が多い。大戦争(第一次世界大戦)から後の不況、そして軍縮気運、さらに震災による増税から、市民が軍服を見る目は、厳しかった。

 「三角定規」は、ソフト帽、やや古風なハイカラ―、皺ひとつない白いシャツに臙脂色のネクタイ、紺のマフラーに濃いグレーの三つ揃えを着ている。その上からウールの外套を着ている。法科大学の教授か三菱あたりの銀行員のような雰囲気だった。


 1月の寒気は、厳しい。朝は晴れていたが、いつの間にか曇天となっている。雪でも降るのではないかという空模様である。結局、寒さに追われるようにして虎ノ門にある蕎麦屋に入ることになった。

 震災から焼け残った一画、庇の上に看板を掲げた老舗の蕎麦屋は、瓦屋根、切妻二階建て、漆喰で白く塗った小壁の下は黒板張りである。1階窓は格子が入っている。入口も格子戸である。

 店に入る。厨房の湯気が客席にも流れてきて、暖気と出汁の香りがした。帽子を取り外套を脱ぎ、2階の座敷にあがる。靴を脱いで預け、狭い急な階段を上がった。黒板張りの階段がよく磨かれてる。上がりきると廊下の右手にふすまで仕切られた部屋がある。開けると、畳敷き6畳の座敷に座布団と卓座がおかれ、通りに面した窓に曇りガラスがはまっている。窓の反対側には床の間がしつらえらている。寒椿が一輪、活けられていた。

 静かなのはいい。が、厨房の湯気が入る1階と異なり、寒い。座布団の上に座ることを躊躇するくらいの寒気が、畳から上がってくる。

 が、すぐに部屋に火鉢が運ばれた。そして、そして手焙りが運ばれてくる。二人はありがたく手焙りを受け取ると、それを抱き込むようにして座った。三角定規は床の間を背にしている。中村少佐はその向かいにすわる。火鉢にも手焙りにも、よく炭が熾っていた。

 ほどなく、海苔焙炉と蕎麦味噌、そして熱燗が運ばれてきた。海苔で味噌をくるみ、一口、口に含む。そしてぐっと猪口をあおる。腹の底から血が廻る。海苔を焙炉であぶり、香りを楽しみつつ食らう。海苔は江戸前だろう。

 「三角定規」は「潮の香がするな」と、つぶやいた。

 中村少佐はふと、この人は軍令部、海軍省、海外公館勤務、といった具合で、海上勤務が少なくなるんだろうな、と思った。内と外から、体があたたまる。


 中村少佐は、ぼつぼつと話を始めた。

 問題は、要するに「不十分」である。不十分とは、兵力、装備、人員、そして「理解」である。

 

 ひとしきり話を聞く。「三角定規」こと井上成美少佐は言った。

「理解については、いろいろ考える余地がある。」

 手にした盃を座卓に置くと、中村少佐は問うた。

「理解、とはどういうことですか。海軍部内で海上護衛と防備の理解を高めると。」

海大のとき、戦術教官の表情を思い出した。鉄仮面という綽名のある教官が、いかにも面倒くさいという表情で海上護衛に関する学生の発表を聞いていたのを思い出した。

「それもある。だが、海軍以外の力を使うこと、民間の意識を高めるなどの方法で、外部から意識を高めるということを考えていいのかもしれん。防備隊は陸上にある。だから、陸軍の軍旗祭のようなことをやって国民に防備の姿を見せて理解を深める、とかな。」

 そういうと、井上少佐は猪口を仰いだ。

 面白いことを言う、と中村少佐は言った。海軍も、最近は広報に気を使っている。


 話は、つまり防備をどうすべきか、ということになっていった。

「まず、我々の任務を論じるなら、目的からきちんと考える必要がある」

 中村少佐は即答する。

「分かり切っています。目的は、海戦での勝利。我々の任務は、それをなしうる技量を備えることと、敵のフネをたたき沈める力をもつ海軍を作ることです。」

「違う」

 井上少佐は断じた。

 中村少佐は、盃を止めて井上少佐の顔を凝視した。

 井上少佐は続けた。

「我々の目的は、我が国の独立の維持、そして国民の利益を守る点にある。」

 盃を干すと、中村少佐は言った。

「随分、高いところからの目的ですね。しかし、それは我々が考えるべきことでしょうか。我々は、軍人として死ぬまで戦う。そういうものではないでしょうか。」

「個人としてはそれでいい。しかし、軍人はともかく、政治家、国民、皆が皆、それでいいのか。」

 中村少佐は、話が妙な方向に進んだことに困惑した。

 井上少佐は、卓座の上の徳利から窓の方に視線を移しながら、何かを諦めたような表情を浮かべた。

「君の言うとおり、戦争をやるやらぬ、止める止めないは軍人が決めることではない。ただ、プロフェッショナルとして、意見はあっていいだろう。私は、海軍はdeterrenceであるべきだと思う。そして戦えば厄介な相手だと思わせることだ。」

「抑止力、ですか」

「そうだ。抑止力と抵抗力、とでもいおうか。」

 中村少佐は、井上少佐に酌をしつつ、言った。

「あえて言うが、海軍の目的は艦隊決戦による勝利、ではないと思う。大きく言えば国力維持、国家経済を維持するための海上通商路の保護が目的だ。」

(目的、か。)言葉に出さず、中村少佐は反芻した。不意に、床の間の寒椿が目に入った。

 防備は、目の前の敵をすべて沈めてしまえば勝てる、ということにならない。究極的には、国民の生活を守る、ということか。常に目的を考えねばならない、ということだろう。


「目的がdeterrence、抑止力と抵抗力とすると、では、そのあとはどうなるでしょうか。」

 中村少佐は、井上少佐に酌をしつつ問うた。

「兵力量の決定、というところか。目的をなすために必要な目標だな。」

 井上少佐は杯を受けつつ答えた。

 まるで海大の続きだな、中村少佐は思いつつ、問うた。

「目標ですか。これは、数的なもの捉えてよいでしょうか。」

「そうだ。誰でも分かる、客観的な指標だ。」

「では、兵力です。つまり、敵艦隊の撃滅をできるだけの艦艇整備ですね。」

 そういって盃を干した。

 井上少佐が引き取る。

「そう、兵力を目標としよう。では、どの程度の兵力を持つべきか」

「ここは簡単です。我々の仮想敵は、アメリカ海軍です。そして、海上勢力の原則から、敵の兵力をの七割を保持すべき、ということになります。ですから、我々は、米国海軍の7割程度の中型駆逐艦をそろえるべき、ということになります」

「違う」

 と、井上少佐は断じた。

 中村少佐の動きが止まる。

 井上少佐は続けた。

「よく考えてみろ。仮想敵国はアメリカだ。アメリカは、我が国の国力をはるかに優越する。例えば、敵を撃滅したが、我が海軍の半分のフネが沈んだとする。それでも戦争が終わらないとしたら。アメリカ艦隊を全滅させたことで、目的は達成したと言えるのか。」

「それは。」

 中村少佐は言葉に詰まった。

 井上少佐は続けた。

「船の数しか数えられん連中が、軍縮が怪しからんとか、対米七割を割り込んだから国防ができん、軍縮条約破棄すべき、とか言っている。が、そもそも我が国にアメリカと同等の艦隊を整備して維持できるだけの金があると思っているのか。帝都ですら、復興する金に苦労しているのに。」

 井上少佐は、苦り切った表情で天井から下げられた電灯を見上げた。

 流石に中村少佐は困惑した。

「それはどうでしょうか。敵は戦艦、艦隊で攻めてくる以上、我々も戦艦という手段で対抗します。となると、その手段としての兵力量が、正に目標になるのではないでしょうか」

 井上少佐は、やや憮然としてぶぜんとして答えた。

「国力、国民の生活を無視して我が海軍とアメリカ海軍の兵力量だけ考える、これがそもそも間違いだ。目的が国民と国家のため、ということを考えなきゃいかん。単純に米国のフネの数だけ見てその七割、なんてそんな安直な話になる筈はない。」

 盃を干す。井上少佐は続けた。

「そもそも、漸減要撃は、目的のため取りうる一つの選択肢に過ぎない。それよりも、イギリスのように、通商破壊をされても国家の経済活動の寸断ができない、と思わせる国家、海軍をつくることこそ肝要だ。結局、我が国の国力相応の目標、つまりバランスの良い兵力量を設定すべき、そうなる。

 アメリカが戦艦を10隻そろえたから、こちらは7隻そろえれば国防は出来る、しかし、6隻ではできない、というのはあまりに視野が狭く、独善的で、非現実的だ。」

 井上少佐の顔は、赤みを帯びている。もっとも、それは中村少佐も同じだが。

 さすがにかなわんな、と思いつつ、中村少佐は問うた。

「そうすると、防備の兵力量や兵力整備方針は、どうなるでしょうか。まずフネをそろえることでしょうか。研究に着手して、必要な船をそろえる。」

 井上少佐は、静かに答えた

「研究に着手して、ということは正しい。しかし、船はどうだろう。そんなに簡単に予算が付くか?」

「それは」再び言葉に詰まった。

 笑みを含んで、井上少佐は答えた。

「リアリストであるべきだよ、防備に行き、将来の海上護衛を担うならね。」

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