海護総隊司令(仮)
海軍の勤務体制は、艦隊勤務を基本としている。だから、例え陸上勤務でも、部屋の清掃は「甲板掃除」であり、休日に外へ出るのは「上陸」である。しかし、陸上にある司令部には、艦のように艦橋があるわけでもなく、居住区があるわけでもない。だから、普通の役所のような勤務時間が設定され、それが過ぎれば、普通の役所のように、建物から人はいなくなる。明日が休日となると、猶更である。
そんな中、三井大尉は、定められた勤務時間をかなり過ぎたあと、他に人のいない幕僚事務室の隅で書類に目を通していた。
薄暗い幕僚事務室の扉が不意に開くと、大井中佐が入ってきた。そして、つかつかと三井大尉の机に近づくと、声をかけた。
「遅くまでご苦労だな」
「はい、ありがとうございます」
三井大尉は答えた。
「何を書いている」
椅子を引き寄せながら、大井中佐は訊いた。
「先日のニューギニア輸送に関する件です。」答えながら、三井大尉は書類を見せた。
「随分、手荒いことになったな。」
大井中佐は、溜息をつきながら喪失船舶に目を通した。
部屋の中は、三井大尉と大井中佐しかいない。表通りの路面電車が走る音が、微かに聞こえてきた。
大本営は、ガダルカナルからの撤退を決めた。一方で、ソロモン全体は諦めていない。また、陸軍はニューギニアでの攻勢を企図していた。
ニューギニア攻勢に関しては、兵力の配備増強を要する。このため、海軍はラバウルからニューギニア各地へ兵力の輸送を行っている。ラバウルには、新型機も投入されている。だが、物量には劣っている。このことは、制空権の喪失という形で現れた。
今、大井中佐の手元にある資料は、そのことを示している。
「悪いことばかりではありませんよ」
三井大尉は、答えた。
「海防艦は、どんどんそろってきています。そして。丁型駆逐艦も。丁型が連合艦隊に持っていかれるのは少々思うところがありますが。」
彼の言うとおり、海上護衛総がその任務に用いるべき兵力は、開戦から1年半を経て、ようやく充実しつつあった。
海上護衛戦力の充実は、紆余曲折の連続だったが、ようやく兵力が揃いつつあった。
「うん、そのとおりだな。そして君みたいな予備士官が支えてくれている」
大井中佐はしかし、別の感慨を頭の中に巡らせていた。
第一次世界大戦の経験から、通商破壊は潜水艦で行われることは明白だった。当然、対戦兵器、具体的には水測兵器の開発及びその使用人員を要する。
だが、対潜要員養成のための術科学校である対戦学校が横須賀の久里浜にできたのは、昭和15年(1940年)のことである。当然、人員は圧倒的に不足していた。単に不足していたということではない。中堅層の人材、つまり、新しい人材の教育、新たな脅威に対応し戦術を考案するべき者が皆無といっても過言ではない。
これは、砲術、水雷、航空といった攻撃的配置には人材も予算もかけた一方、防備には(海軍が国民に喧伝しているほどには)投入しなかったことによる。
三井大尉は、書類に目を落とす大井中佐をぼんやり眺めながら、感慨にふけっている。
いろいろなところが、違う。違うとは、要するに艦隊勤務のことである。海軍軍人としての職務に、自信と気概を持っていいのか。
ふと、艦隊勤務のことを思い出した。




