交感的大酒家
方々で煙が昇っている。草木の焼けるにおいがしている。高原に茂っていた豊かな林が焼滅しているのだった。
夜だというのに、地平は赤く燃えている。
澱んだ空気が地上に滞留して、そこにいるだけで身体が重たくなるほどだった。
「ストレスでしょう。無理もないことです」
身体の不調を訴える男に、蛇を首に巻いた男が答えた。
「なにせ今は戦争中なのですから」
この国は隣国に侵略戦争を仕掛けていた。男たちが駐留しているこの地が戦争のフロントラインだ。高原の澄んだ空気は、一瞬にして血の臭いに換えられた。領主は領民を逃がし、義勇兵と僅かな私兵で防戦に臨むつもりらしい。数に勝る上に、死なない保証もあった。
「先生が誰でも、どんなに怪我を負っても治してくれるから、安心して戦っているのです! それが、ストレスだなんて!」
「認めなくてもねぇ、まあ、勝手になさい」
憤然と身を乗り出す男に対して、先生と呼ばれた男は冷淡だった。事実、彼は自分の診断が受け入れられようがいまいがどうでも良いと思っていた。
「わたしは心の病気は専門外です。そもそも、医者ですらありませんし」
口調は投げやりで、ひどくつまらなさそうだった。
「そんな! いい加減なことを言わないでください! まるで私が臆病者みたいではないですか! いくら先生でも、臆病者の誹りを受けたとあっては黙っていられませんよ!」
「……はあ」
「これはきっと、兄のせいです! 兄の虚弱が私にも感染ったんだ!」
「……はあ? 兄い?」
「そうです! 私たちは双子でしてね。見た目はまあ悔しいが似ていますよ。でも中身は全く違う! 兄は外にも碌に出かけられないような虚弱な人間なんです! みんな国のために戦っているのに気分が優れないだの眩暈がするだの言って働きもしない非国民なんです! 徴兵に落とされたのでさえ、恥だというのに!」
「で、それがどうしたんですか? カウンセリングなんて面倒なことに付き合いたくないので、簡潔に言ってください。──まさか、あなたのお兄さんの体調不良が自分にも交感しているとでも?」
「その通りですよ。僕たちは双子だと言ったでしょう? 徴兵検査に落とされるばかりか戦地で働く僕に嫌がらせまで為して。全く迷惑ですよ!」
あほらしい。
喉元までせり上がってきた言葉を飲み込んで、代わりに、
「……では薬を調合しておきましょう。あとで届けさせますよ。隊はどちらでしたか」
と訊いた。
所属と名を改めて伝え、男は満足げに医者の元を辞去した。その背中にそっと溜息が重ねられる。
「話が通じないな」
「全くだ。先生も大変だよなぁ。あんな軟弱野郎にまともに相手してよ」
天幕の奥から声がかけられ、先生と呼ばれた男は徐ろに振り返った。軍服を着崩した男がいた。
歳の頃は中年だろうか。服の上からは、その体型が筋肉によるものか脂肪によるものが判然としなかった。照りが目立つ顔には皮肉めいた笑みを貼り付けている。
「放っておけばいいんだよ」
「それはまた、過激な意見ですね」
男の言い草に先生と呼ばれた男は苦笑する。
「そうは思わないのか?」
「思いませんね」
「優等生だな」
「わたしは医者ではありませんが、医者の役割を期待されてここにいます。迂闊なことは言えませんよ」
「つまらねえ男だな」
男は興が削がれたように肩をすくめて、それからふと、悪戯子のように微笑んだ。
「そういや、俺の昔馴染みに、変わった奴らがいるんだ。双子の兄弟なんだが、おかしな体質でな」
「突然なんの話ですか?」
「まあ聞けよ。そいつらはそうだな。仮にミブスタとワサトって呼ぶか。兄貴がミブスタで弟がワサトな。この弟の方が曲者だった。
何せその、ワサトってのはくだらねえ男でな。酒も飲まねえし煙草も吸わねえ。とんだ腑抜け野郎だったんだ。それでいて顔が酷くてな。いつも虚ろな表情で肌はとにかく荒れてる。醜い奴だった。
ミブスタはまともだな。酒はもちろん煙草も吸う。紙巻きだが、日に何箱も吸うんだ。顔を覗こうとしたら、いつも煙の向こうを覗かなきゃならねえ。カッコつけだが、嫌いじゃなかった」
酒と煙草。聞いて、先生と呼ばれた男が眉を顰める。あからさまに不健康な組み合わせだ。医者でなくても分かる。
「そんな怖い顔すんなよ、先生。酒と煙草が嫌いなのか? 神経質なんだな。さすが医者だ」
「医者ではないわたしも、酒と煙草が身体に害となることを知っているくらいです」
軍服を着崩した男が肩をすくめる。
「まあいいさ。酒と煙草が害となることを知ってんなら、話が分かりやすいだろうぜ。なんせそいつらはそれで死んだんだ」
そう言って、男は話を続けた────。
────ミブスタは特にウイスキーが好きでな。少なくとも毎日二壜は空けていた。煙草は一日に十五本は吸っていた。もちろんどちらも、一等強いやつだ。若い奴だったが大したもんさ。
んで、さっきも言ったが、ワサトは酒も煙草も毛嫌い、においを嗅ぐことさえ悍ましいって態度でな。仲間ん中では「腰抜けのワサト」って嗤われていたもんだ。
で、こいつらは双子の兄弟の割に、顔つきも違えば、嗜好も性格もてんで違う有様だったんだが、交感が働いていてな。要はミブスタじゃなくてワサトの方に、手指の痙攣やら野苺みたく膨らんだ鼻やら淀んだ黄色い目やらの、アルコール神経症が働いていたんだ。醜い男だった。
ワサトもミブスタも、昔はそれなりに顔が整っていた。酒に害される前はな。やつら、生来骨格が良かったし、腕っぷしもな、上等だった。銃の腕も良かったんだが、ワサトが酒に冒されてからはひどいもんさ。腕が震えて、1フィートも先の的にすら当たらないんだ。1フィートだぜ、先生。あんなもん、外せって言う方が難しいもんさ。
ただな、先生。繰り返して言うが、ワサトは酒を飲まねえんだ。一滴も。人生で一度たりとも飲んだことが無いと言っていた。そんなやつが存在するのかって思ったぜ。やつならありそうな話だけどな。
ワサトの症状は全部、ミブスタに由来するもんだ。
大酒のみでヘビースモーカーなはずのミブスタは健康そのものな顔さ。ピンピンしてやがる。
「昔はこんなんじゃなかったのに!」
ワサトはよく喚いていた。その隣ではミブスタが平気な顔でウイスキーを煽っていたさ。ただ酒を愉しんでいるだけの時もあったが、賭け事だったり女だったりを伴にすることも多かった。ミブスタは変にツキがあったな。カードをやると、10回に8回は勝ってた。それで余所の女を買って酒に付き合わせていた。
「お酒、強いのね」
イイ女がミブスタにしなだれかかり、「まあな」とミブスタが得意げにグラスを揺する。その隣でワサトが恨みがましく言うんだ。「よく言うよ。酒に弱かったじゃないか。すぐに酔っぱらって気を失って」。もちろんミブスタも女も俺たちも無視する。「全部ぼくに押し付けているだけのくせに」なんてワサトが続けてもな、俺たちは嗤うだけだった。ワサトの潔癖さがとことん面白かったのさ。
仕事の関係で、俺は仲間内でほとんど唯一、ワサトと話すことがあった。
「ミブスタを止めてくれ」
ワサトは俺にこう言ってきた。必死だったな。
「あいつはぼくを殺そうとしているんだ! 自殺願望のあるやつみたいに狂ってやがんだ」
「自殺?」
俺は笑いをかみ殺すのに必死だったさ。
「そうだ。自分の身体のことは自分が一番分かっている。この身体はぼろぼろだ。治りようがない」
「ああ。でもな。自殺ってのは変だ。だって死ぬのはお前だ。ミブスタじゃない」
「…………」
「それに、死ぬのが怖いのか? そんな訳ないよな」
ミブスタも俺に同調して「腰抜けやろうが」と唾を吐いてきた。ワサトはミブスタの唾を浴びて、不安と剣呑を目に燃やしながら言ったよ。
「……ぼくとミブスタの間に交感が働いているということは、ぼくの身体の不調が、ミブスタにもそのうち伝わるってことだ。想像できるだろう? 賢いお前なら分かるはずだ」
「ああ分かるね。──ウイスキーを一壜もらえないかい?」
「ミブスタ!」
俺が差し出したウイスキーのボトルをミブスタは壜の口から直に飲んだ。ワサトが止めようとしたのを器用に躱してな。豪快な飲みっぷりだったさ。
そんすぐ後だ。ミブスタじゃねえ。ワサトが吐き気を訴えたんだ。酒を一気飲みしたときのあれさ。しゃっくりも始まったし、目の焦点も急に合わなくなった。
「おいミブスタ。とっととこのアル中野郎を連れ出せ」
「へいへい。おい、ワサト、行くぞ」
ミブスタはワサトの身体を支えるように俺のところを去っていった。
と、まあ。大体はこんなところだ。
ワサトはまもなく起き上がるのもやっとになってな。ミブスタもさすがに、酒や煙草どころじゃあなくなった。確かにワサトの不調がミブスタにも伝わるのは想像がついたことだったし、今更健康ぶったところで遅かったわな。気付いた時には息をするのもやっとって具合よ。
ま、憐れっちゃあ憐れだったな────。
────「そいつらはとうとう逝っちまった。病死だよ。死に顔は兄弟揃って不様だった。酒をずっと飲んでたらそうなるって顔だ」
軍服を着崩した男は挑むようなギラついた目を医者風の男に向けた。
「さて先生。あんた軍医なら、こいつらに何が起きていたか分かるだろう? こっからは謎解きの時間だぜ。
ああ。念のため言っておくが、病死ってことは間違いねえ。そこに魔術や呪いの類は絡んでねえよ。なんなら病名も言おうか? 肝硬変だ。兄弟揃ってな」
問われ、先生と呼ばれた男は即座に挑発に応えた。
「基本的に、生物を何かと融合させると、身体がアレルギーを起こすんですよ。自己免疫疾患ってやつです。一度殺して生き返らせれば定着することは分かっているのですが、さすがに二回も蘇生させるのは気が引けまして。だって、二度目は自業自得じゃないですか。酒と煙草を馬鹿みたいに摂取して。ロルさんも、それで納得してくれました」
「……つまり?」
「いわゆるシャムの双生児ですよね。肝臓の部分で融合していて、兄弟でひとつの肝臓を有していた。兄の方が肝臓の先の部分を有していて、肝硬変が先に起こっていたから、早く死んだ。まもなく残りの部分にもアルコールが回って、弟も後を追って死んだんです。
そうでしたよね、デトロンドさん」
「……俺を覚えていたか」
「もちろんです。組織の闇医者のデトロンドさんでしょう? 組織のお金に手をつけてファミリーを追われた。最初は分かりませんでしたよ。──言っておきますけど、わたしが現れたのとあんたが追放されたのは無関係ですからね」
「……そんなことは百も承知だよ」
「ていうか、よく殺されませんでしたよね。ロルさんも寛大なんですね」
「殺されかけたさ。今も命を狙われてる」
「そうですよね。ロルさんに連絡したところ、『殺していいから引き渡せ』とのことでしたよ。──かぶら、頼んだ」
刹那、不穏な気配を感じ、軍服の男──デトロンドが首を回し、見上げる。よく鍛えられた腹筋が視界に入り、そしてそれがデトロンドの見た最後の光景となった。
「──なんてな」
「勝手なナレーションをつけるな。殺してない」
言いつつ、デトロンドの襟ぐりを掴んで引き摺ってくるのは、しなやかな筋肉を全身にまとった若い男の姿だった。
「全く、ヘビ使いが荒いな」
「蛇遣いだからな」
肩をすくめる医者風の男を見る目は冷たかった。縦長の瞳孔が細くなる。
「訳の分からないことで悦に浸っていないで、早く治しなよ。本当に死んでしまうよ」
「おいおい。何が殺してない、だ」
「ヒトの体は脆い。手加減に困る」
「少しは申し訳なさそうにしろ」
悪態をつきながら、二人は手際良く、デトロンドを縛り、猿轡を噛ませ、関節を外し、材木用の袋に全身を入れ、そして気絶を治療した。
「もうここには居られない」
「また旅か。仕方ない。道連れだ。どこへでもついていくさ」
のたうつ袋を引きずって、一人と一匹は夜の闇の中に姿を消していった。
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☆はひとつだけでも構いません。数字に表れることが嬉しく、モチベーションになります。よろしくおねがいいたします。