#2 連れまわし
結局のところ、俺はここに転入して一週間の間、何もできないままでいた。パリピに絡まれるのを軽く躱しつつ、俺はひたすら目立たないように努めた。今日の授業が終わるまでひたすら耐えること、数時間。何とか乗り切ったかと思うと、早速話しかけてくる……
「お疲れ、綜。この後ちょっと用事あるんだけどさ……一緒行かないか?」
なんだ、俺が苦手な連中じゃなかった。彼は隆太。彼と一緒ならある程度安心できるのでとりあえずついていくことにした。
その選択は、間違いなく間違っていた。
「おーっす、お疲れ」
「……」
隆太が向かった場所は、化学実験室。そこには、数名の生徒がすでにいた。
「あ、先輩。ちょっとこれの解説が欲しくて……」
「なるほど……えっと、えぇ?二次関数で死んだ?」
なるほど、先輩と後輩なのか。俺はとりあえず近くに座って見物することにした。隆太は、そんな俺を気にするでもなく黒板に図を描いていく。
「なるほど、このグラフを表す関数の定数の正負判定をするってわけだな」
そう言いながら、隆太はざっと図を描き終えるとこちらに向き直った。
「じゃあ質問だ。このグラフはどっち凸?」
「下凸」
「だな。で、関数の定数のどこがこれに影響する?」
「……一番次数が大きいところ」
まぁその通りだ。そこまでは彼らは分かっているようだ。その途端、隆太の顔つきが変わった。
「つまり、問題にあるax^2+bx+cのaの部分だな」
「そう……ですね」
「分かっただろ?aが0以下にはならねえんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ぶっふぉ!!」
思わず、聞いていた俺も吹きだしてしまう。隆太が困ったような顔で言った。
「お前らさ、どうしてそこまで分かってるのに……」
「いや、でもこの続きが……」
そういうことか。俺も一緒に見せてもらいながら考えてみる。
「じゃ、次は定数cだな。このグラフ、原点を通ってるよな?」
「はい」
「ところでだ。x=0のときのyって?グラフ見れば分かるだろうけど」
「0っすね」
すると隆太は、黒板の右側に「=0」と記した。
「んじゃ質問。x=0のとき、与えられた関数は?」
「……あぁ!!そゆことか!!」
「な?」
a×0^2+b×0+c=0。すなわちc=0だ。
「原点通るってことはよぉ……cは0にしかならねえんだよぉぉぉぉ!!!」
何度も黒板を叩きながら叫ぶ隆太。この人は二次関数に親を殺されたんだろうか?
「じゃ、気を取り直して。つまりこの関数がax^2+bxであることが分かったわけだ」
「あ、これ式変形できますね。x(ax+b)かな?」
「そういうことだ」
隆太がうんうんと頷きながらさらに式を書き進める。結構言ってることは分かりやすい。
「そんじゃ……x(ax+b)=0になるためには?」
「え?」
隆太の質問に、呆気にとられる後輩たち。
「綜?」
「あ、えっと……x=0か、またはax+b=0じゃないといけないよね」
「そーゆうことだ。ところで、だ」
隆太はグラフを指しながらさらに続ける。
「このグラフ……見れば分かるけど、y=0とy=ax^2+bx+cの交点がax^2+bx+c=0の解って分かる?」
「…………そうなんすか?」
「いやそうなんだよ。そいでだ」
バシッ、という音と共に、隆太の持ったチョークが黒板のある場所を指した。原点ではない、放物線とx軸の交点だった。
「ここのx座標、正?負?」
「誰がどう見ても負ですね」
「終わりだ」
「…………」
隆太は、そこまで言って壇を降りた。
「すんません。分かりません」
「いいか、グラフの交点がこの方程式の解で、片方はx=0。もう一つがax+b=0ってことだ」
「そうですね…………」
「で、ax+b=0になる点が、ここ。ここのx座標は、負だろ?」
「…………それで?」
「あぁもう!!」
隆太が、もう一度黒板の前に戻る。
「aが正だってのはさっき言ったとおりだ。で、xは負なんだろ?だったらax<0じゃねえか」
「はい」
「じゃあax+bが0になるために、bは負になれるか?」
「そんなことしたら0よりもっと離れていきますね」
「な?そしてaもxも0じゃないからbも当然0じゃない。bも正の値にしかならねえんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
情緒不安定すぎてだんだん心配になってきた。というかこれ隆太が全部解いちまってんじゃねえか……
「ってことだ。あとはこういう考え方を応用すれば、いろんな問題が解けるってわけだな」
「えっと、その次も……」
「しょうがないね……」
結局、隆太はかなりの時間をかけて問題を丁寧に教えていた。情緒不安定であることを除けば、アプローチの仕方が結構面白くて好きだった。
「はぁ~あ……疲れたよ」
帰り道、隆太は眉間に皺を寄せながら歩いていた。俺はそれに並んで歩く。
「完っ全に俺が解いてたじゃないか……」
「それはお前が勝手に解いただけだと思うが……」
「でもなぁ……」
隆太はどの方面でも有能すぎるあまり、さまざまな部活動だったり、迷える後輩たちから頼られっきりなのだそうだ。で、今日もそんな感じだったせいで、ついて行った俺は俺は連れ回されたというわけ。
「結局あれだけ吹っ切れていくのも楽しいんだが、どうも力になれてる気がしない」
「その割にはちゃんとやり方は覚えてたみたいだけど」
「そうかなぁ……」
今のところ、隆太にその自信は無いらしい。疲れからか会話も弾まぬまま寮の玄関を通って、部屋に入る。いつもよりなんだか体がだるく、風呂に入って割とすぐ眠ってしまった。
朝起きた時、どうも体が重かった。熱を測ってみると、38度2分。どうやら風邪をひいてしまったらしい。同室のメンバーに今日は学校を休む旨を伝え、俺はベッドのカーテンを閉めて再び横になった。
「綜、元気か?」
この声、隆太じゃない。確か、この声は……