7/慈悲の国で
カンカンに照り付ける太陽。沙漠の道程は険しい。頭に布をぐるぐる巻きにして、沙漠の民の帽子を真似る。普通に帽子を被っても良かったんだけど、こういう民族衣装的な格好には憧れる。こんな場所でないとなかなか出来ないんだから、折角なのでやってみた。
「シールちゃん…」
「なんだ」
歩を止めて振り返る。
「うん…」
言おうか言うまいか…。
「えーと…一応ね? 病み上がりはKの方なんだけどね」
後ろには、膝に手を当ててぜーはーと肩で息をするシールが居たりする。熱にやられてぐるぐるしてるみたいだ。
「悪かったな体力なくて」
う~~~ん。そういう問題なのかな…。
「じゃ、その辺で休もう。これは散歩で、必要な歩みじゃないんだからね」
ぽつぽつと生える木の陰に逃げ込む。
此処はゲブラーとケセドの間の沙漠。
病み上がりのKの為に、aとグールが先にケセドに行って呼び寄せてくれるらしいので、その間ぶらぶらと散歩に出たのだ。
が。
思いのほか厳しい日光にKより先にシールがダウンする始末。なんていうか、…か弱い。
木陰に腰を下ろして頭から布を解く。
「もう着いてるかね、aさんたち」
「もう少しだろ。まだ一時間経ってねぇし」
そっか。結構歩いたと思ってたけど、まだそんなもんか。
「早く呼んでくれないと、どっちが先に倒れるか」
病み上がりと軟弱者だ。今にも倒れそうなのはシールの方だけど。
笑いながらシールを見る。
一拍、天を見つめるように考えて、
「俺だな」
言い切った。
「うわ。どうよこの子」
まあ、客観的に見てもそうだと思うけど…頑張れよ。
「どうシールちゃん。ちょっとは回復した?」
木陰で休み始めて30分強。Kは完璧に回復している。
「ああ。なんだ、この猛暑の中まだ歩きたいのか?」
「うん」
Kは散歩好きです。
そんな呆れたような目で見ないでくれます?
「あれか、自虐癖でもあるのか」
「ないないない! なんでよ」
ビビるわこの子。何を言い出すやら。確かに暑いけど、
「えー、そんなにキツいか?」
砂漠気候だから、木陰とか入っちゃうと結構涼しい。休み休み行けば全然平気そうなのに。この子は腰を下ろしたまま立ち上がる気配も見せません。
「俺は北国育ちなんだよ」
む。確かにケテルは寒かったけど…。割と城に引き籠ってたからそこまで実感ないや。
「むぅ…まあいいか。じゃあ此処で駄弁ってようか」
もう一度腰を落ち着ける。
「…まだかなぁ」
もう結構経ってる気がするのに、全然お呼びがない。
「さぁな。また何か問題起こしてるなら解決してから呼んで貰いたいな」
うわぁ。いや、確かに毎回申し訳ないけど、あれKたちの所為か…?
「aさんとグールだからね。そんなに問題なんか起こらなそうだけど」
「鳥頭。イェソドの事件は数日前だぞ」
「あぁ…」
そっか、そんな事もあったな。連日イベント満載で最早遠い昔のようだ。
「あー、グールが言葉誤魔化せばいいのにね」
そんな事してもあの顔じゃすぐバレるような気もするけど…
「そういえば、あんなに判り易い顔してたらすぐバレるじゃん。狩りなんて出来んのかね」
顔に硬角紋ついてるわけだし。
「ツェク・マーナっつったら一般には高山族の方が有名だからな。ちょっと学のある奴じゃなきゃ知らんだろ」
「そうなの?」
それとも鬼とかヴァンパイアみたいに、あんまり信じられてない存在なのかとも思ったけど。
しかしその割りに平地族との遭遇率の方が高い。っていうか高山族を見たことがない。
「でもグールのあの喋り方さぁ…」
西言葉にしては、なんと言うか、なんと言うか。
「妙なんだよね…」
「そうなのか?」
お。
「違和感ない?」
「さぁ。ツェク・マーナに知り合いはいないな」
そうか。この世界ではあれが普通なのかも知れないのか。
「Kの世界の一部の地方語に似てるんだけどね、なんか妙なんだよなぁ」
「世界が違うんじゃまったく一緒なんて事もないだろ」
それを言われたらそうなんだけど。
「到着っと」
青龍ちゃんから降り立って、辺りを見回す。白い街並みが印象的だ。
「よし」
aが降り立つのを見届けて、グールが歩き出す。
「じゃ、ケセドのターミナル探すか」
堂々と歩き出すグールについて歩き始めたaも、その言葉に慌ててグールを仰ぎ見る。
「え、聞いてないのシールに」
「忘れた」
「えー…」
まるで見知った街であるかのようにずかずかと歩くグールを追い駆けつつ、aは静かに溜息を吐いた。
街を歩き回って数分後、aとグールは唐突に、不思議な現象と出くわした。
「わー、セナだー♪」
「遊んで遊んでー」
「…っは?」
グールが、沸いて出たこどもたちに相当懐かれているのだ。突然の出来事にうろたえるグール。一歩引いた所で、aも呆然とその様を見ていた。
グールは決してこども好きのする人間ではない。外見も性格も、こどもが懐き易いとは思えない。それなのに、グールを見た瞬間にこのこどもたちは何が嬉しいんだか満面の笑みで走り寄ってきた。
剰、抱き付いたり引っ張ったりして相当に懐いている。
「な、ななな…なんやこいつら!? 放せっ、掴むなッ! 喰うてまうぞ!?」
…異様。グールに助けを求める視線を送られ、溜息を吐きながらもaが進み出る。
「本当に食べられちゃうよ?」
若干投げ遣りに忠告すると、こどもたちは「何を言われているのか解らない」といった視線をaに向けた。
「えー。セナは月の子供達は食べないんだよー。ツァドキとの誓約があるもん」
aは相変わらず解らない単語の羅列に眉を顰める。
「月の子供達?」
遥か昔。それはケセドという国が創られるより少し前のお話。
慈愛に満ちたケセドの創国者は、当時ホド近郊に暮らしていたツェク・マーナ平地族のとある種族と約束しました。彼らが決してカラの一族を襲わないように、と。代わりに、カラの特殊な力の一部を彼らに与えましょう、と。
その平地族の名はセナ。カラの一族を月の子供達と呼びました。
それ以来、彼らは月色の瞳と力を受け継ぎ、また、──その力のために、滅びへと向かっていったのです。
ケセド歴史書『月の血統譜』より抜粋
「…ふーん」
ぱたんと本を閉じるグール。その様子はまるで他人事だ。
「こいつ、セナとやらとは違うと思うよ? マルクトに居たし」
「嘘!」
ターミナルへ案内してくれるついでにaの質問にも答えてくれる、という事で、さっきのこどもたちの内のひとりが自宅へ招待してくれた。
そこで彼の蔵書を閲覧させて頂くに至ったのだが、少年はグールがそのセナだと信じて疑っていないらしく、自信満々に解説してくれた。
「だって月色の瞳はセナの証だもん。セナの事は解るよ!」
どうやらこの少年含め、寄ってきたこどもたちはすべて月の子供と呼ばれる血筋に当たるらしい。
「───…」
乳白色の睫で伏せられた瞳は思案気に艶めく。
考えてみると…
この瞳の色。マルクトでこの色を持ったツェク・マーナに出会ったことはない。感情が高まると金に近付く瞳。
そもそも群れの中に居なかったので、自分と他人の違いについて深く考えた事もなかった。ホドで、彼女を見るまでは。
ホドの公爵令嬢。彼女の瞳の色は、グールと同じ薄い青紫。天上から見下ろす無慈悲なあの月の色。感情が高まると金に近付く同種の瞳。
「…」
兄弟は居なかった。親も親類も、仲間も。
幼少期の記憶は曖昧。ただ、風が吹いて、雪が積もっていて──……
「知らん。俺は違う」
「そもそも月色って何色? グール薄い青紫じゃん」
ニホン人のaには、月色といったら黄色や金色だ。決してグールの瞳のような色は指さない。
少年は首を傾げて頭上を指した。空には、ビカビカと明滅を繰り返す煌月。
「そっか。あれも月っていうんだったね。確かに似た色かも」
慣れつつはあるけれど、馴染みない月。
「ま、どっかで血が混ざってるのかもね。セナとやらの」
「かもな」
当の本人も興味がなさそうな反応しか返さないので、重要ではないと判断したのか、aも話を切り上げる。
「で、ターミナルは?」
この家に寄った経緯を思い出す。
「あ、そうだった」
少年はぱっと顔を上げて手を広げる。
「じゃあ案内するよ。こっち。セナ、ちゃんとついて来てよ」
周囲に音符と花を撒き散らす少年の様子にaが苦く笑う。
「なんか、嬉しそうだね異様に」
「うん。自分でもよく解らないけど…」
少年はウザがるグールの手を引きながら跳ねるように進む。
「なんだか凄く嬉しいんだ、セナと一緒に居ると。これは僕たちの『血の記憶』かもね」
少年がグールの目を覗き込む。
どくん。
その瞬間、グールの中を何かが駆け抜けた。
「血?」
「そう。セナと月の子供達の契約は血に生きてるんだ」
グールの変化に気付く事なく会話を続けるaと少年。
どくん。
一瞬の間に物凄い情報量が脳内を駆け巡る。
──うるさい。
「ふーん。グールには何かないの、そういう―……グール? どうし──」
異変に気付き、aが手を伸ばす。
「待って」
それを遮って、少年が真面目な表情を見せた。
「危ないかも。少し、放っておいた方がいいと思う…」
小さく「やっちゃった」と零す少年に訝しげな目を向けつつもその言に従う。
──知らない記憶に押し潰される。
その瞳の色は青紫から金へと移り変わる。
何かが、脳を掻き乱す。
じゃ、契約な
俺たちは互いに互いを守る。
私たちは互いに、生き残る為。
ああ
この血に賭けて。
この名に賭けて。
「昔行われたセナとカラの契約っていうのは、互いに対する『血の封印』なんだ」
再び引き返して少年宅。
グールもあの後すぐに落ち着きを取り戻したが、何処か呆っとしていた。
少年は古めかしい本を取り出してページを捲くる。
「強すぎる力の所為で破滅へ進むしかなかった二種は、互いの血で力を封じる事にした」
互いに抑制作用を持っていたという事なのだろう。
「でも、カラがこの地にケセドを創国すると、多くの月の子供達はケセドへ向かった。セナはホドに留まったから、結果、セナの中の月の子供達の因子は次第に薄れ、結局セナも月の子供達も滅びへ向かった…」
少年は淡々とページを捲る。
「僕たちはまだ生きてる。力なんて殆どないくらいに薄まったからね。でも…セナの血は意外にまだ濃いみたいだね。それに月の血が薄まってる」
ふーんと聞き流しつつaは眼を細める。
ケテルの王子といい、この少年といい…可愛げが足りないと思う。
しかし少年たちがグールに懐きはしゃいでいた理由は、今の話から推測すると血を薄め合う為の本能のように思われる。少女ならまだしも少年がそんなに反応してどうする。
少年はグールに向き直る。
「もともとセナの瞳は金なんだって。それを月の血が封じている証がその色なんだ。だから稀に、抑えが利かない時なんかは金の瞳が垣間見える事もあるんだって」
「───…」
黙っていたグールが、朱く染まり始めた空を見上げる。
「──なら、俺はホンマにセナなん?」
ぼけっとしたまま誰にともなく問いかけるグールに、少年が自信を持って言い切った。
「うん。僕が感じてる。月の子供が、貴方をセナだと認めている」
「ふーん。グールの生まれね」
ターミナル参拝を終えて、aがくれたみかんを摘みながら別行動中にあった話を聞く。
あ、このみかんホドのヤツよりおいしい。ホドのヤツの方が高級なのに。それにあっちの方が気候的にも涼しいのに。っていうか、此処砂漠気候じゃん。え、みかん??
「明らかにどうでもいいんだな」
aが呆れた表情でみかんを剥く。
「興味ねぇ。ないこともないけど」
知ったからってどうこうなるもんでもないし。
「なに、aさん気になんの? グールの過去が?」
「まぁ…Kよりは、あるけど…興味」
ふーん…。だからKも、ないことはないんだってば。でもほら、あんまり詮索するのもね。
今日は少年宅に泊めて貰える事になった。どうやら両親は居ないらしい。大きな一軒家だったが、少年以外の人を見ていないし、彼が誰かを気にしている様子もない。両親は不在なだけらしいのだが、4人とも泊めて貰えるならと余計な詮索はしなかったし、遠慮もなかった。
「消すぞ」
「あぁ」
シールが灯りを消すと、開けっ放しの窓から冷えた夜風がカーテンを捲った。
****、**** 雪が降ってきたよ、ほら!
だめだ、行ったらだめ。
****、**** おまえはこっちを食べなさい。
どうして? 俺はそっちも食べたいのに。いつも野菜ばっかり。偶に食べれるのは魚で、よくても鶏だけ。
****、**** はやく家に入りなさい。今日は人が多いから、おまえは家から出るんじゃないよ。
どうして?
どうして───
だって。おまえは。
──俺は?
****、**** 目覚めてしまったのか…私はおまえを殺さなくてはいけない。 死になさい、****…
───そんなのって、───
「───…」
首元の金具が小さな音を立てる。
「嫌な夢、見たなァ」
「おはようセナ!」
「っ、」
おー、元気だ…。宿主らしい少年が思いっきりグールに飛びついた。どぐっといい音がしました。
「大丈夫かグール。顔色良くないよ? アタック激しかった?」
aが気遣わしげにグールを見上げる。
む。何だか面白くない空気。
「確かに激しかったけど…。ちょぉ夢見が悪ぅてな」
夢見、ねぇ。意外に繊細な男。
「ねぇセナ、今日発っちゃうの?」
「あ?」
甘えるようにグールに纏わりつく少年。
え、そういう趣味?
aから話には聞いてたけど、なんかどうにも違和感だ。だいたい、セナって言うのは種族名なんでしょう? おいニンゲンとか呼ばれてるようなもんじゃないのか。
「あぁ─」
おっと、今追い出されたら困るんだった。
「うんにゃ、出来ればもう一泊くらい貸して? シールに風邪染しちゃったみたい」
なんか様子が変だとは思ってたけど、突然熱出すんだもんな。まったく、風邪だったなら風邪だって言えばよかったのに。そりゃ沙漠の散歩はキツかったろうよ…。…でもちょっと良かった、本当にあそこまでかよわいんじゃなくて。
「え、大丈夫なの? Kの風邪でしょ?」
ん? どういう意味?
「本人曰くね」
大丈夫だって言い張ってるけど。全然大丈夫じゃなさそうなんだけど。
「…大丈夫だ」
「まぁまぁ。看病の仕返しですよ」
こほこほと咳をしながらよく言うよ。
シールの迷惑を顧みず水を用意して持っていった。
まぁなんていうか…
「今はaさんとグールがなんかラブラブしてるからね」
Kは置いてけ堀で少し寂しいよ。
「いいのか?」
「ま、偶にはね。迷惑かけたし」
aをずっと独占してるわけにもいかないみたいだ。
「グールには、世話になったしね」
先日のお礼も込めて、ちょっとだけ目を瞑っといてやるさ。ちょっとだけだよ。
「…そうか」
「───…」
宿泊延長の遣り取りの途中、aは何か考え込む風のグールに気付き、その様子が気になっていた。
「あ、居た」
少年宅庭の、大木の枝にグールを見つけて手を振った。
「おまえか」
「グールも風邪じゃないの?」
座りなおしたグールの隣に一跳びで腰を下ろす。
「そらないな。言うたろ、夢見が悪かっただけやて」
「…ね。今更だけどさ、本当の名前はまだヒミツ?」
aが地面を見つめながら小さく呟く。
「なんや。俺の事知りたなったん?」
「~───」
表面上茶化して見せるグールにaが不満の色を示す。
「なんだよケチ」
「別にヒミツにしとるわけやない。ホンマはなァ…俺もよぉ知らんねん」
全くいつもと変わらない、軽い調子で言われた言葉にaが耳を疑う。
「──は? 名前を?」
aには理解できない事だった。教えたくなくて、適当に言ったのかとも考える。グールの顔はさっきから変わらず涼しげで、何処か気だるげ。嘘か本当か解らなかった。
「アイツなんか眉顰めとったけど、お前も気ぃ付いとった?」
嗤いながら横目でaを見る。
「え? は? 何? 突然」
「言葉」
aは首を傾げて続きを待った。
「俺の言葉。かなり怪しいやろ?」
「うーん…まぁ」
グールのいい加減な西言葉がおかしいのかどうかはaにはよく解らない。チキュウの感覚で聞けばおかしい処もあるが、此処は違う世界だ。そういうものかも知れないと、曖昧に考えていた。
(やっぱ、おかしいんだ…)
「アイツにもぽくない言われてもぉたけどなァ」
aは黙って聞いているが、先程から、アイツが誰を指しているのかが解らない。シールかKの事だろうか?
「俺、ガキん頃はホーマサスん中で育ってん」
風が吹いて、木の葉を揺らす。沙漠から熱を運んできた風は乾ききっている。
「自分がツェク・マーナなんて知らんでな。羊の皮被って生きとった。でも、そんなん長くは持たへん。その内剥げてもうたんや。皮が剥げた狼はもう羊の中では生きていかれへん」
後はもう、殺るか、殺られるか。
「皮が剥げた事に気ぃつかんまま群れに戻った狼は──」
私はおまえを殺さなくてはならない──
──そんなの、そんなのって──
「──…」
「──…」
初めて喰らったのは、『姉』として一緒に暮らしていた、長老の孫娘。自分が何をしたかも気付かずに家に帰ると、じじぃが物凄い形相で立ち竦んでいた。血だらけの俺を見て、目覚めたのか、と呟いた。
俺を殺すと言いながら斧を振り上げたじじぃが恐くて、好きだった姉さんとじじぃが居なくなってしまったのが哀しくて、ただ、血肉だけが温かかった。
「──知ったんや。自分の正体と居場所を漸くな」
「…(名前の話は終わってたのか…)」
爪を尖らせて嗤うグールをaは暫く無言で見つめていた。
「でも…」
視線をグールから逸らす。
「グールはセナなんでしょう? ヒトと生きてける可能性を持った…」
「は」
aの台詞を、グールの失笑が遮る。
「だとしても、今更無理や。もう餌にしか見えんわ」
aはつまらなそうな顔をして、なるべくグールを見ないようにしながら言う。
「でもほら、今、」
こんな事を聞くのは恥ずかしくて堪らない。こんな事を言うのは、照れくさくて仕方がない。だからその声はわざと素っ気なく。
「その『食糧』と、助け合って旅してんじゃん」
───ふぎゃあふぎゃあ
赤子の泣き声が聞こえる。
風が強いね、こんな日は外に出てはいけないよ。
──どうして?
おまえが連れて行かれては困るからさ。
──風なんかで飛んでかないよ。
こんな風の強い日にねぇ、おまえは家に来たんだよ。風が運んできてくれたんだ、私におまえをね。遠い遠い地を繋ぐ、魔風に乗せて。だからまた、おまえを運んで行かれないように私はおまえを家に入れておきたいのさ。
──どうして?
ほら、そんなふうに。おまえはすぐに、何処かへ行ってしまいそうだからね…
──大丈夫。俺は何処へも行かないよ。
だって…
ここにはこんなに、食糧があるんだから。
あれもこれもそいつもこいつも、ただの肉。
ただの喰い物。
喰らえ。喰らうんだ。
ただの肉。
喋るからってなんだ?
喰え。喰えば良い。
───セナ───
違う。
「セナ」
違う。
「セナ」
さあ、殺すぞ!!
──殺らなきゃ、殺られる。
殺らなきゃ───
殺すぞ、****!!
あぁ──
…どうか… ツァドキ… ─この子に─
──セナのこどもに…貴方の、加護を…
こんな風の強い日にね、おまえは家に来たんだよ。だからまたおまえが風に乗って行かないように、家に居て欲しいんだ。
──大丈夫だよ、何処にも行かない。
だって
だって俺は、 ジイさんも姉さんも、大好きだから─
──ふぎゃあ、ふぎゃあ。
赤子の泣き声が聞こえる。
老人は、月の照らす夜道を家へと向かう。
風の強い日。
強い風の音に混ざって、小さく聞こえる声がある。
その泣き声に気が付いて、足を止めた。
「──? 何処にもこどもなんぞ…」
──ふぎゃぁ。
何処からともなく響く泣き声。
その時、老人の背後で空間が乱れた。
「───!?」
急速に収束する空気。
強い風が集まっていく。
「!!」
旋風は弾け、其処に遥か彼方からの忘れ物を残していった。
ふぎゃあ、ふぎゃあ。
「 ! …この子は…」
土の上で震えながら泣き続ける赤子。
いつの間にか風は止んでいた。
「おじい様おかえりなさい。その子はなぁに?」
老人は風の運んできた赤子を自宅へ持ち帰った。
駆け寄ってきたのは老人の孫娘。
「今日からおまえの弟だよ」
赤子は老人の手の中で大人しく眠っていた。
「わぁ。かわいい!」
少女は弟と聞いて嬉しそうに覗き込んだ。
初めての兄弟だ。
老人は月の一族。
この赤子は恐らくセナの一族。
孫娘は月の血統ではないが、うまくやっていけるだろうか。
この子に封印を施して、一緒に暮らしていこう。
人間の中で暮らしていけるのか、在りのままに生きるのが幸せなのか。
いつかこの子が人を喰らってしまった時は、…その時は、ツェク・マーナとして生きていけるよう、人をちゃんと食糧と見れるように、責任を持たなければ…。
「ねぇ、おじい様」
「ん?」
「この子の名前は?」
「ふむ…何が良いかね…」
「決まってないのね? じゃあ──」
「じゃあ、グールだ」
「よし、じゃあグールな」
違う。
俺は──
「グール~」
茶色の髪がはねる。俺に向かって手を振る。
橙色の髪が揺れる。俺に向かって指を差す。
「今日からはグールなんだからね」
「今までがどうであれ」
「グールはグールでしょ?」
ほら、今。助け合って旅してんじゃん。
こんな風の強い日にねぇ、おまえは家に来たんだよ。魔風に乗って。だからまたおまえが風に攫われて行かないように、家に居て欲しいんだよ。
──大丈夫だよ、何処へ行っても。
だって
暖かい羊の群れが、護ってくれるんだ。
風にも嵐にも負けない、強い強い羊たちが。
そうか。
安心した。
「───アレ?」
朝。
家主の少年が、起きてきたグールを見るなり驚いた表情をした。
「セナ…」
呟いたきり、グールの顔をじぃいっと見つめる。Kも倣ってみたけど、特に変わった様子はない。
「?」
じっと見られてる本人も落ち着かない。無視しようとしてたみたいだけど、し切れてない。
「なんや」
あ、負けた。
「セナ、なんか変わった…。安定してる…って言うか」
? 今度は少年がグールの目を覗き込む。
「え、ちょっと、そんな事したらまた…」
変な事に、と少年の肩に手をかけるa。
「たぶん、大丈夫…セナは…」
「──…」
慌てるaと不可解な台詞を吐く少年と、ゆっくりと目を閉じるグール。何が何だかさっぱりついていけません。
「なに、グールなんかあったの?」
こっそりとaに耳打ちする。
「あ、や。何だか解んないけど昨日ああやったらグールの様子が…」
「──?」
不思議そうに目を開けるグール。
なんだ、やっぱり何の変化もない。本人さえ何が不思議なのかも解ってないみたいだ。
「やっぱり。セナ、血の封印が安定してる」
少年がaと何か話し始めたけど、さっぱり内容が掴めない。
隣を見ると、シールも興味薄そうにしてる。
少年の話はまだ続くようだけども…
「えーと…。よく解んないけど、次はコクマだよ?」
「え、お、」
あまりに唐突に入りすぎたか、少年とaがうろたえて見える。少年にいたっては、「こんなのがセナの仲間…?」なんて失礼な呟き付きだ。仲間なのかな。どうなんだろう。仲間ではあるか。
「…」
話題はグールの事らしいのに、aたちと違って当のグールはボケッとしてる。ちょこんとKを見つめるもんだから、ダメなこと言っちゃったのかなと思い始めた。だってシールも回復したみたいだし、さっさと次行きたいんだけど。
「え、何。何か支障あんの?」
なら留まってもいいけど…。少年は喜んで泊めてくれそうだし。
グールを見上げる。
「いや、ない」
何か考えるようにしてたくせに、あっさりと頷いた。
んー、…まぁ。
「色々あるみたいだけどさ」
悩ましきお年頃なんだろうか。そんな考えたって仕方がない事で、よくも迷う。
「血とか生まれとか。今更グールが変わるわけじゃないし。どーでもいいじゃん」
実際。『自分』なんて探すものでも考えるものでもないだろうに。今此処に居る自分と歩んできた過去が全てなんだから。探したって考えたって、過去と事実は変わらない。どんなに見つめて、何を知ったって変わるものでも変えられるものでもないんだから、仕方ないだろうに。
グールは苦笑とも取れる笑みを零した。でも、なんだろ。多分そんなに不快ではない笑顔。
「Kおまえな」
「いや、ええよ」
怒ったのはaで、でもグールが遮った。
そのまま、グールがわしわしとKの頭を掻き乱す。
「うわ。なんだよ、やめれ」
わしわし、わしわし。
や、もう本当にやめて下さいって。これ以上髪爆発させないで。やめてって、勘弁!
「おまえは楽でええなぁ」
「どーゆーイミ」
手を退けろ。
「──…」
「…」
わしわしやられてるKの横で、シールとaが静かに目を合わせてた。
「いいの?」
やがて口を開いたのはa。
「何が。おまえこそ放って置いて良いのかアレ」
向こうではまだKが羽交い絞めにあっている。
「…そうは言ってもね。アタシは役に立てなかったみたいだし」
「あーもうっ。シール助けてーっ」
頭をぐしゃぐしゃにされたKが逃げてくる。
「あ?」
「えっ、なんで機嫌悪そうなの。あ、体調まだ…」
「完治した」
「ならなんでさ…」
騒がしい空気の中で、aにも声が掛かる。
「おい」
「え?」
呼び掛けたのはグール。何処か明後日の方向を見たままぼそりと言った。
「ありがとうな」
「え?」
何が??と心底不思議そうに尋ねられ、グールが苛々と頭を掻く。
「~―あ~、ほらっ、話…聞いてもろたり…色々やっ。言わすな阿呆」
「や、あれはアタシから──…わ」
「じゃかぁし。礼は素直に受け取っとき」
くしゃっと頭を撫でられる。慣れない感覚でくすぐったい。ぼうっと頭に手を伸ばして、髪を直す。
「──うん。…どういたしまして」
「じゃあお世話になりました」
少年宅に別れを告げる。
「うんっ、セナ! また来てね!」
ぶんぶんと元気に手を振る少年。うん、K無視だ。
「──あぁ、気が向いたらな」
主に、Kの。グールが一人でまたここまでやってくる可能性は相当低い。a付ならなんとかアリかも知れないけど。
うーん、なんでK少年に嫌われてるんだ?
「さ、じゃあ行こうか」
フェニックス君に乗ろうとして、何か変な空気に気付く。
「あれ? どうかした? 二人とも」
aとシールが目を見合わせて止まっている。
「乗らないの?」
二人は暫しの沈黙の後、意味の解らない事を言った。
「俺がおまえの後ろか?」
「グールあたしの後ろでいいの?」
「はい??」
きょとんだよ。それは何、つまり?
「え――――っと。偶には逆が良くなった? とか?」
さっきからふたりでなんか話してたけど、そういう相談してたのか?
「むー、なんだろう。何となくKの後ろはシールだと思い込んでたや」
何故か。そう言えば最初の頃シールは龍がいいって言ってたもんな。
「俺も。それにコイツの後ろなんてよう乗らんわ。いつも通りでええやん」
「Kもグールなんか乗せたら落としちゃいそうだよ」
ムカつく奴。本当に落としてやろうかなもう。
「「…」」
ふたりはまた目で会話してる。なんだよ、仲良しさんだなふたりとも。
「ならいい」
「はぁ? なんだったのさ?」
いつも通りの配置で空へ向かう。
「おまえはラクでええなぁ」
何かよく解んないけど、小馬鹿にされたみたいでムカついた。




