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 けーん、と鳥がひと声、鳴きながら空を横切っていく。美術室の窓からそれを見上げて、由佳は額に手を当てた。


「いい天気だねえ」

「ほんと」


 ベランダの手すりの上を、【貪食】が爪先で歩いていく。明依はそれを目で追って、「危ないですよ」と声をかけた。【貪食】はふっと明依に目を向けるが、そのまま足早に立ち去ってしまう。


「今日はあっちの気分なんだね」

「うん。まあ、元々食べた怪異の力、好きに使えるひとだし。【ヒカサ】も、なりたいときになればいいんじゃない?」


 明依は椅子に戻ると、広げていたノートを閉じて鞄にしまう。時計を見ると、もうじき昼休みも終わりだった。


「そういえば、【画客】は来てるの?」

「んー、姿は見えないけど」


 由佳は、窓際に立てかけてあったスケッチブックを取る。由佳の名前が書かれたそれを開くと、翼を広げた鴉のデッサンが現れた。


「元気にやってるんじゃない?」


 今にも動き出しそうな鉛筆画に、由佳は目を細める。そんな親友の顔を見上げ、明依は「ふうん」と薄く笑った。


「それ食べていいやつか?」

「わっ!?」


 由佳の肩越しに、少年が顔を出す。やや幼さが残る顔立ちだが、【貪食】の面影が残っていた。しかし瞳は薄く緑の混ざった黒、白髪はうなじで一つに束ねられている。


「ダメですよ」

「はーん。お前も大概あの怪異が好きだな」

「そういうんじゃないです。良い絵は残したいでしょ?」

「……ふん。じゃあ気が変わった。今日の【ヒカサ(おれ)】は明依の守護になる」


 少年は明依の後ろに移動し、わざとらしく両腕を明依の首に絡ませて寄り掛かった。


「え、待って私これから何かあるんですか」

「さーてな。明依は護ってやるからなー。次の怪談は甘い奴がいい」

「楽しそうでなによりです」


 けらけらと明依の頭の上で笑い、【ヒカサ】は由佳にも手を伸ばす。


「冗談。護ってやる、護ってやる。それが【ヒカサ】だから」


 掌の口が、明依と由佳の額に触れた。


「護ってやるから、腹いっぱい食って、飽きるくらい生きるといい」


 いずれ、必ず終わりはやってくる。それは人という生き物である以上、どうしようもない。語られなくなった怪異、祀られなくなった神。その終わりとはまた違う、命が零れる瞬間。

 けれど、それはまだ先のこと。


「いつか、」


 この二人に訪れる最期に、悔いがなければそれがいい。十も数えず人を辞めた自分では、先達にもなれないが。

 せめて、怪異の影がその道を閉ざすことのないように。


「想像もつかないような先の未来で」


 この想いは怪異のサガでないと知っている。けれど、何と名付ければいいか、まだ【ヒカサ】は知らなかった。


「お前達に、幸福な最期があるように」


 ずいぶん大きなことを言うものだと、二人の高校生はきょとんとした目で【ヒカサ】を見る。その視線を受け止めて、【ヒカサ】は、天神もこんな心持だったのだろうと思う。

 予鈴が鳴り、はっとして明依は【ヒカサ】の腕から抜ける。教室に戻る二人の死角に滑り込んで、自分を映さなくなった瞳が一瞬自分を探す、そんな様子に小さく笑う。

 渡り廊下から教室のある棟へ行き、階段を駆け上がる。明依が教室に飛び込むと、珍しいものを見るような視線が二人に向いた。


「今日の放課後時間ある人ー!」


 その視線をかっさらって、由佳が怪談話のお披露目会を計画する。ほどほどにね、と釘を刺して、明依は自分の席に戻った。時間通り、次の担当の教師がやってくる。


「委員長、挨拶」

「はい」


 背筋を伸ばして、明依は号令をかけた。


 窓の外では、涼しさの混ざり始めた風が、薄雲を流していた。天は高く、陽の光は刺々しさをなくしている。しかし陽の下でしばらくも走ればまだ汗が滴り、冷たい水が恋しくなる。夏休み明け、校庭では鈍った体に鞭打って悲鳴を上げている生徒がいくらでもいた。


「眩しいなあ」


 屋上から、そんな校庭を、それから陽に照らされる教室を見る。怪異の少年は、一度唇を引き結び、それからくしゃりと顔を笑わせた。


「ああ、眩しいなあ」


 彼が人の営みをやめて、百八十四年。


 夏がようやく、終わろうとしていた。

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