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まさみのホラー短編集

蛾女

作者: まさみ

「そこ気を付けて、死んでるから」

「きゃっ!」


反射的に足をどける。明かりを照り返すコンビニの床に、まるまる肥え太った蛾の死骸が転がっていた。もう少しで踏んでしまう所だったと肝を冷やす。

初めて案内された時、思わず声を上げてしまった。

先導する店長はすっかり慣れっこなのか気にもとめず、私の大袈裟なリアクションに苦笑いする。


「うちで働くなら早く慣れてもらわないと困るよ、日常茶飯事だから」

「ここ……蛾の死骸が多いですね」

「まあねえ。夜通しやってるコンビニなんてでっかい誘蛾灯みたいなものだからね、都会の虫にとっちゃ天国かもしれない。安西さんは虫苦手?」

「ええと……得意じゃありませんね少なくとも」

引き攣りがちな愛想笑いで濁す。虫が得意な若い女の子っているのだろうか?いや、偏見はよくない。世の中広いんだからきっといる、たまたま私があてはまらないだけで。

「大丈夫大丈夫、噛まないから」

「はあ……」


店長の安全基準は噛む噛まないに尽きるのだろうか?

朗らかに笑い飛ばす店長に曖昧な相槌を打ち、陳列棚にぎっしり商品が並んだ店内を恐々見回す。

私が深夜シフトで入ったコンビニは、都会のど真ん中にあるにもかかわらず、何故か異様に虫の死骸が多かった。特に多いのは蛾の死骸だ、みんな何故かこの店に集まってくる。そして死ぬ。

虫への生理的嫌悪と恐怖を克服するのにはしばらくかかった。でもじきに慣れた。虫は毎日死んでいる、毎日見ていれば嫌でも慣れる。箒で掃き集め、ちりとりで捨てなきゃいけないのは辟易したけど、毎日やってれば自然感覚が麻痺してくる。

その店ではやけに虫が死んでいる。中でも多いのは蛾だ。

コンビニの深夜シフトを選んだのは時給がよかったから、それだけ。他に特に理由はない。若い女の子の深夜勤務は危ないよって周囲に脅かされたけど、どうでもいい。私はおカネが欲しい、生きていくのにおカネは大事。日々の食費に電気代水道代ガス代、アパートの家賃だって払わなきゃ。貧乏暇なし、昔の人は的を射てる。


「安西さんバイト慣れた?」

「ええまあ、多少は」

「ここさあ、暇でいいよね。それしか取り柄ねーけど。住宅街が近くにあって立地は悪くねェのにマジで客こないんだよね、おかげで好きなだけくっちゃべってられんだけど。とりま給料だけ貰えりゃいいって感じ?」

一緒にレジに立った馬鹿そうな男の子がなれなれしく話しかけてくる。うざい。距離感がない人は苦手だ。

「検品と補充いってきますね」


さりげなく断ってレジを抜け、バックヤードに回る。プラスチックケースを抱えて店に出、陳列棚をざっと見て、スナック菓子やカップラーメンを詰めていく。

コンビニの仕事は嫌いじゃない、特に深夜シフトは。殆ど人は来ないし、頭を使わずにすむから楽だ。最初の頃は強盗に狙われたらどうしようって妄想逞しくしたけど、杞憂だった。強盗だってこんな儲かってない店わざわざ狙わない、私が働いてるうちは潰れちゃ困るけどね。

私は内気だ。自分から同僚に話しかけることは滅多にないし、必要最低限の挨拶以外の接触はできるだけ避けている。接客はマニュアル通りやればいいから別。

あらかた補充を終えたら端末をかざして検品作業に移行、ピッピッとバーコードを照合していく。

深夜バイトの難点として挙げられるのは刺激が少なく退屈なこと。必然睡魔との戦いになる。


「だる……」


ふやけたあくびを噛み殺してバーコードを読み込んでく。

棚と棚に挟まれた通路に蹲っている時、背後でピンポンと音が鳴って自動ドアが開閉。


「いらっしゃいませー」


反射的に声を出す。顔は上げない。棚が遮る死角にあたり、向こうから見えないのだから構わない。

5分ほど後だろうか、検品を終えて腰を上げた時、再び音が鳴ってドアが開く気配。客が出て行ったのだ。


「ん?」


漠然と違和感を抱く。私は通路にしゃがんで作業していた。まっすぐ行って突き当たりにはペットボトルと缶飲料の冷蔵ケースがあり、大抵の客はそこを通るのだが……

今来た人、見えなかった。


「……そういうこともあるか」


買うものが予め決まっていれば、真っ先に目的の棚へ行く人もいる。

コンビニへ来る客が、必ず流し見するとも決まってない。今の人は何も買わず出ていったらしい。ひやかし?壁の時計を見ると夜の2時。こんな時間に物好きだな、とちょっと感心。

レジじゃ男の子があくびしていた。彼なら今の客を目撃しているはずだ。それにしちゃ「いらっしゃい」「またお越しください」もない。もともと遅刻の常習犯で勤務態度も不真面目だけど、さすがにどうなの。

一言注意してやろうかと悩んだけど、腐っても年上の先輩に生意気言えないし、こじれる億劫さの方が勝ってしまった。真面目で小心な自分が嫌になる。いいや、反面教師にしよ。

1ヶ月も経てばどうにか仕事に慣れた。蛾の死骸を掃きだす時も無表情でいられるようになった。この店では蛾が死んでいる。いい加減慣れなきゃ、後始末はバイトの仕事だ。

ピンポンが鳴る。ドアが開く。反射的に時計を見る。夜の2時、誰かがやってきた。


「いらっしゃいませー」


間延びした語尾で出迎える。検品作業から手を離せず、従って顔も上げず、声だけ張って挨拶する。私の位置からは姿の見えない誰かが店内を一巡する気配がする。なにげなく突き当たりの冷蔵ケースを一瞥、通りかかるのを待てど誰も来ない。

「…………」

壁時計の針を観察。次の音が鳴るまで2・3分程度、体感ではもっと長い。なんか変だ。自動ドアはセンサーが通行者を捕らえると信号を送り、ドアが開閉する仕組みになってる。だから今、確かに誰か来たはずなのに。

今日の同シフトは中年のおじさんだった。


「あの」


背中合わせでだるそうに検品している彼に、思いきって声をかける。


「何?」


作業の手を止めて怪訝そうに振り向くおじさんに、唾を飲んで質問する。


「今、鳴りましたよね。ドア開いてお客さんきましたよね」

「さあ、見てなかったから」


興味なさそうに肩を竦める。そりゃそうだ。原則お客さんがレジにくるまで放任主義、ぱっと見でヤバげな人じゃない限り監視に張り付いたりしない。お客の気持ちになってみたらすぐわかる、バイトがずっと見張ってる店なんて最悪、プライバシー侵害だ。

私が働きだしてからこの現象は何度もあった。多い時は週に4・5回、決まって深夜シフトに入ってる時だ。

音が鳴る、自動ドアが開く、気配が一巡する、ドアが閉まる、延々そのくり返し。

私は客の姿を一度も見ていない。

気にしてないうちはよかった。気にしなければ害はない。

深夜2時頃、自動ドアが開く。通路を見渡しても誰もいない。しばらくしてまたドアが開く、ただそれだけ。

店で起きているのはただそれだけの現象で、オカルトに分類するのも憚られる。

ある時、私は店長に言った。


「店長……ウチの自動ドア、故障してるんですかね」

「いきなりどうしたの」

「いえ、深夜シフトに入ってると勝手に開くんで……センサーおかしいのかなって。決まって同じ時間帯に開いて閉まるんですよ、音も鳴るし。なんか気持ち悪い」

「ふーん、変だね」

「変ですよね」

「おばけとか?」

「やめてくださいよ」

「おばけでもおカネを払ってくれるなら歓迎だけどね」


店長がおどける。

半分は本音かも、コンビニ経営は苦しいのだ。


「昼間はそんなこと全然ないんだけど……とりあえず見てみるよ」

「お願いします」


気安く受け流す店長に、丁寧に頭を下げておく。店長はほぼ昼シフトだから関係ないけど、主に深夜シフトの私には結構な懸念事項だ。俯いた拍子に足元で死んでる蛾が目に入り、嫌な気分になる。

勝手にドアが開く。そして閉じる。私は一度もお客さんを見ていない、ただ何かが来た気配だけを感じる。その何かは決まって私が検品作業をしている時にやってくる、私がレジに立っていると訪れない。ずっと立ってればいい?無茶言わないでほしい、検品はバイトの仕事だ。相方に任せる?おじさんならいいけど、例の若者はすぐサボる。私がした方がずっと早い。

シフトを変えてもらうのも考えた。けど調整が上手くいかない、深夜は希望者が少ないのだ。私個人としても、時給の旨味を手放したくない。実際害はないのだ、不気味なだけで。

この店では蛾が死んでいる。私は機械的に蛾を掃きだす。都会のコンビニはでっかい誘蛾灯だと言った、店長の顔を思い出す。だとしたら、何かよくないものを引き付けたっておかしくない。

ある日私は、同シフトの男の子に聞いてみた。


「あの、宮下さん」

「ん?」

「シフトに入ってると勝手にドアが開くの、気付いてます?」

「あーアレね、安西さんも体験済み?ほっときゃいいよ、多分故障だから。前からいる深夜シフトのヤツはみんな知ってる」

「やっぱり……故障なら直した方がいいんじゃ」

「それ店長に言ったヤツがいるけど放置だよ、業者に持ってくのが面倒なのかカネがねえのか。後の方に賭けるね」


彼は笑い話でまとめてしまった。

ということは、私の申請も保留の建前で却下される確率が高い。

昼間はドアがひとりでに開くこともないのだから、まともに取り合ってもらえないのは仕方ない。この問題が、否、この現象が解決しなくてもとりたてて不便や不都合はない。仕事に差し障りがないのだから、下手な干渉はよそうと考え直す。

同シフトの男の子とおじさんはどう考えても私ほど気にしてない。眠たそうにあくびばかりして、自動ドアの異常に無関心だ。

ドン、鈍い音が響く。


「わっ!」


驚いて顔を上げる。レジの内側から、入口正面の窓ガラスへと向き直る。


「びびったあ、ただの蛾かよ」


男の子が舌打ちする。蛾がガラスに衝突したのだ。ガラスは透明だから存在に気付かず、飛行を妨げられ激突し、体液の道筋を引いて落ちていく。この店ではよくあることだ。蛾はコンビニに集まる。常夜灯の蛍光に増して、煌々と夜を照らす、コンビニの明かりを慕うのか。

この店では蛾が死んでいる。毎日大量に死んでいる。蛾を掃きだすのが私の仕事だ。箒で掃き集め、自動ドアから外の駐車場に出した蛾は、排水溝の格子の隙間に追いやってぽとりと落とす。死骸は下水を流れていく。

男の子やおじさんにやってほしいと思ったこともある。頼めばやってくれるだろうたぶん。でも、口を利くのがだるい。他人に、それも異性に頼む位なら自分で動いた方が早くすむ。

それからも自動ドアは無人で開閉した。私は意識しまいと務め、半ばそれは成功していたと思うけど、頭の片隅には常にモヤモヤした違和感がひっかかっていた。

なんで誰もいないのに開くのか。店内をひっそり一巡して去っていく、気配の出所はなんなのか。深夜の来訪者は肉眼でとらえられないだけで、本当は実在してるのか。

バイトを始めて早半年が経った。自動ドアの異常は相変わらずだ。店長は何ら手を打たないし、私も既に諦めた。深夜に数時間だけ入る職場で、自動ドアが故障してようがしてまいがどうでもいいじゃないかと開き直ったのだ。

ピンポンは無視し、自動ドアの開閉も無視し、例の気配も無視をする。バイトの仕事は補充と検品と接客とレジ打ち、それ以外はどうでもいい。時給に含まれないトラブルはお呼びじゃない。


「安西さん、ちょっといい?」

「なんですか」


検品作業が一段落し、更衣室で賞味期限切れの菓子パンを食べてた時だ。

シフトを組んでるおじさんが、携帯を持ってやってきた。


「いやね、アパートの管理人から電話で、下の部屋から出火したって」

「え、大変じゃないですか。大丈夫なんですか」

「寝煙草が原因みたいなんだけど……すぐ帰らなきゃ。悪い、後頼める?」


コンビニの深夜勤務は原則2人体制だ。物凄くお客が少なければ1人に任せる事もあるけど、あんまりない。防犯上の理由もある。残された片割れが女性だと特に危ない。

おじさんは気の毒なほど動揺してる、自分が住んでるアパートから火が出たなら当たり前。同情して帰宅を促す。


「いいですよ。どうせ人来ないだろうし、1人で大丈夫です」


この状況で断れるわけがない。

「悪いね」と平謝りするおじさんを送り出した後、深夜のコンビニに1人ぽっちの私は暇を持て余す。

菓子パンで小腹を満たし、袋をくずかごに捨てる。時を刻む秒針の音がやけに耳障りに響く。夜の2時。

ピンポーン、間の抜けた音が来客を報せる。


「いらっしゃいませー」


先に身体が反応する。パイプ椅子から腰を浮かせて駆けだし、レジに立って見回す。誰もいない。白々と眩い電灯が、等間隔に並ぶ陳列棚を照らすだけ。

またアレか、傍迷惑な。頭じゃわかっていたのに、脊髄反射で挨拶してしまった迂闊さが悔やまれる。鼻白んで奥にひっこむ。恐怖はとっくに薄れて消え、空振りの徒労感だけが募り行く。

誰もいないならレジで監視する義務もない。パイプ椅子に掛け直し、ふとステンレスの事務机を見れば、店内数か所に仕掛けられた防犯カメラの映像が、デスクトップパソコンに分割で映しだされている。

そこに、いた。


「え」


店内には誰もいない、音が鳴ってすぐ自分の目で確認したんだから断言できる。なのに液晶には、見知らぬ女が映っている。茶色い生地に斑模様のセーターを着た、年齢不詳の地味な女。その女が妙にカクカクした動きで店内を一周している。カクカクしているのは映像が粗いせいか、砂嵐で寸断されているからか。映像が乱れ、ノイズが走り、途切れては繋がる。

外周は四角形で、陳列棚がその中を区切る形で並んでいる。女は外縁に沿って巡り、手ぶらでレジへとやってくる。

ささくれた生唾を飲む。カウンターの前に無言でたたずむ女。

長い黒髪が揺れて分かれ、カウンターの内側、目立たぬ位置に設置された防犯カメラをまっすぐに見上げる。


「…………ッ!!」


口を覆って悲鳴を殺す。

防犯カメラを虚ろに凝視する女の瞳は真っ黒で、白目がない。無機質で人工的な黒い瞳。

何かに似てる。でも何?

無表情で無感情な瞳が瞬きもせず、そもそも瞼がない瞳が、パソコンの向こうからこちらをじいっと……

一気に膨れ上がった恐怖が弾け、パイプ椅子を蹴倒して飛び出す。

レジ内に転がり出し、殺気立って左右を見渡す。

女はいない。どこにもいない。跡形なく蒸発している。


「嘘」


パニック寸前で口走りカウンター内を徘徊、程なくピンポーンと間抜けな音が響き渡る。

再びドアが開いて誰かが……否、何かがすり抜けていく。

またお越しくださいませなんて絶対口に出せない。

不気味な目が脳裏に焼き付いて離れない、瞼が存在しない真っ黒な目、無機質で虚ろな瞳……どこかで見たような既視感の正体は


「!防犯カメラっ」


肉眼では見えなくても、防犯カメラになら何か映ってるかもしれない。なんでかわからないけど、アレはきっとそういうしくみなのだ。

大急ぎで更衣室に取って返し、マウスを小刻みにクリック。来店時まで巻き戻して再生、足跡を辿る。


ノイズで途切れ歪み膨れ縮んだ女が、カクカクと店内を一周する。


何も買わず手を付けず、予め決められた行動をトレースするようにレジにきて……

瞼がない真っ黒な目がこちらを凝視、直後に私が飛び出す。

女は消えてない、まだいる、カメラにだけ映っている。電子機器にだけ記録される現象?カウンター内を走り回る私を身動きせず眺めたのち、レジを離れて自動ドアから出ていく。


「いたんだ……」


怪異とニアミスしていた。

カウンター内で取り乱す目と鼻の先に、瞼のない女はずっとずっと立っていたのだ。十数秒間も。開いた自動ドアから出た女。もっとよく見ようとマウスをクリック、映像を拡大し……

自動ドアの外で女が立ち止まる。拡大された背中を見て、今度こそ私は絶叫する。

女の背中には目があった。大きな目。丸く、円く、まるく……

吸い込まれそうな。


「なんなのよ!」


ピンポンピンポンピンポン、店中に響き渡る単調な音、不規則に開閉するドア。

マウスに被せた手が汗ですべり、映像が激しくブレる。女の後ろ姿が歪んで崩落、黒い何かが拡散され、宙でうねって自動ドアから逆流してくる。

震える手でマウスを押しまくる、何故か強制終了できず焦りが募り行く。いっそ電源ごと切ってしまおうと思った時

突然視界が暗くなる。停電だ。最悪のタイミング。デスク上の液晶だけが青く光っている。

ドン、鈍い音が鳴り響く。ドンドンッ、連続する。何かがひしゃげて潰れる、不快極まる衝突音。


「ひっ!?」


液晶に分割で映し出された防犯カメラの映像、それが暗闇に飲まれていく。ドンドンッ、鼓膜を底から叩く音。涙でかすむ目を液晶にこらす。

蛾だ。

夥しい蛾の群れが防犯カメラに群がって、レンズを覆い隠している。


「やだ、嘘」


宙から沸き出したとか思えない大量の蛾が防犯カメラに殺到、不気味に蠢いて液晶の映像をすべて塗り潰す。

目が合った。

蛾の翅に入った黒い斑点、瞼のない黒目に酷似した模様が、カメラ越しにじっとこっちを見詰めている。

喉を焼いて絶叫が迸るピポピポピポピポポ頭を抱えてデスクの下にもぐりこみ音が止むまでひたすら耐えるドンドッドンドッドドドドドドドド、音は殆どひと繋がりに聞こえる、雪崩のように外から降り注ぐ。

真っ暗で何も見えない、何重にも視界を塞がれ息が苦しい、窒息しそうな暗闇の重圧に咽喉が委縮……


何かが私の顔を力ずくで掴んで引き寄せる。

こじ開けられた目に映る女が膨らみ弾けて分裂、私を群がり包み込む無数の蛾となる。


発狂。


コンビニはでっかい誘蛾灯だよと、耳の奥でだれかが囁いた。


翌朝、床で伸びてる私を最初に発見したのは朝シフトの店長だった。


「どうしたの、大丈夫?」

「店長……蛾が、蛾がたくさん」

「ああ。すごいね、たくさん死んでるね」

「え?」


店長に連れられ外へ出、絶句。


「何これ……」


店の外周に大量の蛾の死骸が積もっている。コンビニの明かりに惹かれ、ガラスに衝突死した群れ。彼らが体当たりした自動ドア、及び窓にはべったりと体液がなすられている。


「ね、掃除が大変でしょ?店の中にも紛れこんでたよ、外ほどじゃないけど。安西さんは?更衣室で寝てたの」

「あの、見せたいものがあるんです」


ズレた受け答えをする店長をパソコンの前に引きずっていき、マウスをカチカチ操作。昨晩の映像を見せる。店長は不審げな顔で映像をチェックし、呟く。


「これがどうしたの」

「は?どうしたのって。いますよね、女のひと。自動ドアから入って出てく、目が真っ黒で瞼のない」

「いないよ。君が急に飛び出して、レジであたふたしてるだけ」

言いかけて途切れる。私の目には防犯カメラの女が見える、でも店長には見えない、まるで知覚してない。

「夢でも見たんじゃない?後始末はお願いするよ」


気味悪そうにこっちを一瞥、そそくさと離れてく店長。私の頭がおかしい?幻覚?ありえない。マウスをカチカチ早送り巻き戻し、女が自動ドアを出た直後を見直す。

目を見張る。


「停電じゃなかったんだ」


停電ならパソコンの接続も絶たれなきゃおかしい。

自動ドアを抜けた瞬間女の輪郭が歪み、膨れ、崩れ、そこから飛び立った蛾の群れが店内に逆流し、次々電灯にたかっていく。

店のガラスにも蛾がたかって、真っ暗で、停電だと勘違いして……

放心状態で店に出、昨夜女が立っていたカウンターの手前に近付く。


足あとがあった。

蛾の体液でできた足あと。惨たらしく踏み潰され、臓物がはみでた蛾の死骸が床にへばり付いている。


「…………」


次にすることは決まってる。

掃除用具入れから箒とちりとりを持参し、死骸を掃いて捨てる。あとでモップかけなきゃ、とボンヤリ考える。


私は今日も蛾を捨てる。

毎日毎日捨てている。

毎日毎日蛾を捨てて、気付かず吸い込んだ鱗粉に息が詰まって、仮に幻覚を見ることがあるとしても。

どちらにせよ、蛾女が二度と来ないことを祈る。

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