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「…………あー、もうだめ」
すでに指一本動かせず、身体も起こせない。目も霞んでいる。ただ、自分の死際を誰にも見られないことは良かったか。そしてゆっくり目を閉じようとすると、近くの草むらから足音が聞こえてきた。
(……身体動かせない。………静かで安全な場所に………)
草むらから現れたのは、シャンパン色をした髪をおさげにした瞳の大きな冒険者の女の子だった。キャラメル色の瞳がこちらを認識して、大きく見開く。
「ちょっちょっ……クラノグ!クラノグ!!ラン!ランベルト!!兎さんが、うしゃ、兎しゃんがー!!」
革の肩当てを左肩につけ、同じ材質の胸当てと小手、左手にはラウンドシールド、短いプリーツスカートからは三分丈の黒いズボンを身につけ、膝上のロングブーツを履いている。背中にはショートソードを背負っていた。ロングブーツのヴァンプを覆うように鉄のような金具が付けられ、その外側には細かい銀細工にあしらわれた丸い魔法石があった。
「う、兎さん、だ、大丈夫ですか?」
全く動こうとしない兎の獣人を抱き上げて、その細さと軽さに女の冒険者は再び驚く。さらに抱き上げたことで、纏っていた襤褸から見えた身体には、治りきらずに腐った傷口とその傷口や身体からの異臭が鼻についた。兎の獣人は誰かが来たことは視界に入ったが、意識を保てなくなりそこで気を失ってしまった。
「ジル、どうした?」
「ジル、何かあった?」
「う、兎さんが死にそう……」
ジルと呼ばれた女の冒険者は三人のパーティを組んでいた。先に駆けつけてきた男性はクラノグという名前で、長い耳が特徴的な妖精であった。パールグレー色の背中までの長い髪を後ろで無造作に縛り、細い目には眼鏡をかけ厳しい雰囲気を醸し出していたが、妖精というだけでかなりの美形ではある。もう一人の男性はランベルト。見た目は狼だが、二足歩行で歩いていた。白い毛が綺麗な狼で腰にククリが二本括られていた。上半身には胸までしかないような上着をきており、肩当て、胸当て、腰当て、膝、肘に金属の鎧がつけられていた。尻尾は長くふさふさだった。
「………ジル、どうだ?」
「重症すぎて何とも……」
「……っていうか臭い……死臭?腐臭?」
「どちらもだろ?ランは周囲の警戒に当たれ。さっきまでサイクロプスがうろついていたからな」
「はーい」
そういうとランベルトは、クラノグに言われたとおりに周囲の警戒に行った。
「兎の獣人だな。サイクロプスにやられたのか?」
「うーん、私が見た時には激しい音が聞こえて、その方向に行ったら見つけたから……。でもこの傷は今し方つけられたものではないよね」
「あのパーティの奴隷か?最近は獣人を使ってると聞いたが……。念のためギルド本部へ連絡しておこう」
「よろしくねー」
そう言いクラノグは通信魔法をかけにその場を離れた。
ジルは兎の獣人を抱き抱えるようにしていた。彼女は剣士ではあるが、治癒魔法を扱える貴重な人材でもあった。他の魔法は使えないが、発動条件も重症又は重病に限り、触れて願う、呪文や陣は必要ない、という特殊なものであった。治癒魔法自体はジルの一族に伝わるものではあったが、ジルの場合特殊なケースであり、長い間、ジルには治癒魔法は宿っていないと思われていた。
「……死んでなければ助かる」
実際、ジルに抱き抱えられた兎の獣人は、先程までの浅く不規則な呼吸から規則的でしっかりとした呼吸に変わってきていた。傷口から臭う腐臭や嫌な感触も徐々になくなってきている。
ジルがこの魔法に気づいたのは、家を出奔して冒険者ギルドに登録してから依頼をこなすようになってからだ。重症の人を看取る際、手を握っていたら身体が真っ二つになるほどの傷がゆっくりとではあるが、治ったのだった。
「……相変わらすごい力だよね」
「あ、ラン、周りはどうだった?」
「うん、さっきのサイクロプスの咆哮でこの周辺の生き物は追い払われた感じだね」
「すごい咆哮だったよねー」
お互いに顔を見合わせて、すごかったね、と感想をもらす。ランベルトはジルに抱かれた兎の獣人を見て、ほっと息をつく。
「……兎さん、助かりそうだね。さすがジル」
「……嬉しいんだけど、職業剣士だから何だか複雑」
ジルの呟きにランベルトは笑いを溢す。そこへクラノグが戻ってきた。
「ラン、どうだった?」
「うん、サイクロプスの咆哮で皆追い払われた感じだったよ」
「そうか。……助かりそうだな」
先程よりも整った呼吸を見て、クラノグは一息ついた。
「ギルド本部へ連絡をした。サイクロプスの一件は奴隷を使っているパーティが依頼を受けていたようだな」
「あいつらかー。俺あんまり好きじゃないんだよな」
ランベルトの言葉にジルも頷く。
「奴隷を使うだなんて酷いよね……自分の力でやればいいのに」
「奴隷も力の一つと考えていたのかもな。にしても扱いがひどいな」
クラノグが兎の獣人の顔をよくよく見る。
「………そういえばクラノグの探し人って兎の獣人だっけ?」
思い出したかのようにランベルトが問うと、クラノグがうなずいた。
「ああ、狩りに一緒に行ってた兎の獣人が奴隷狩りにあって……。面影が似てるな」
薄汚れて頰がこけており、顔色も悪いため、はっきりとは断定はできなかった。
「汚いからわからないな」
「……確かにこれじゃあ、元の髪色も泥と汚れでわからないよね」
男性二人の身も蓋もない会話にため息をつきつつ、これからのことをどうしようか考えた。
「とりあえず、どうしようか?」
「依頼は終わってるし帰ればいいだろう?」
「いやいや、この子どうしよう?」
「……ランベルト、背負えるか?」
「おう!」
ランベルトが状態の落ち着いた兎の獣人を背負い歩き始める。その後をジルとクラノグが続き、ギルド本部へと向かっていった。
***
夢を見た。
仲間達がいる。皆保守的で村から出ようとはしない。村から出たがる私が変わり者だった。古の妖精達はそんな私を歓迎して、マジックアイテムをくれた。速さと幸運が上がるそうだ。だからこれまでなんとか生き延びたのだろう。お礼をいいたいが、もうそれも叶わない。仲間達にも迷惑をかけてしまったと思う。お父さん、お母さん、ごめんね。私が奴隷狩りに捕まったことはもう知っているはず。親孝行できなかった。悔しい。一目会いたかった。
死際は人に抱かれたけど、それはそれでよかった。天国に行きたい。
……なんだかいい匂いがしてきた。これはスープの匂い。天国には美味しいものがたくさんあるのかな……。
ぎゅるるるるる。
「………お腹空いた」
自分のお腹の音で目が覚めた兎の獣人は、木の板の天井が目に入り、何とも現実的な天国だと思った。
「………目が覚めたな」
横にはよく一緒に狩りに行っていた、古の妖精のクラノグが座っていた。
「………クラノグも死んだの?ここ天国?」
「…………リリーだな。死んでないし、天国でもないな」
「……生き返ったの?」
「一度も死んでない。怪我も治ってるだろう?」
クラノグの前だが、服を上から覗き込み胸や腹にあった治りようのない腐った傷が無くなっており、手足の痛みもきれいになくなっていた。
「………どこも痛くない」
「だろう?」
「……クラノグが助けてくれたの?」
「いや、俺じゃない。俺の仲間だ。後で礼を言えよ」
兎の獣人のリリーは、いつのまにか襤褸ではなく、きれいな白いネグリジェに着替えており、髪や肌も元の色が分かり、異臭がなくなる程度にはきれいになっていた。ただ、栄養失調により頰がこけ目が少し落ち窪んでいる顔貌は、以前と面影が違って見えた。そのため、クラノグも探していたリリーだとは気づかなかった。
「わかった。でもクラノグにもお礼を言っておく。探してくれてありがとう」
「……目の前で奴隷狩りにさらわれたからな。オーベンとラクランも心配していた」
「……そっか。お父さんとお母さんは元気?」
「元気だ。探し出して欲しいと泣いて頼まれたさ」
「………助かって良かった。本当にありがとう」
リリーは泣きそうになり目が潤んだが、再び自分のお腹が鳴り涙が引っ込んでしまった。
「野菜のスープだ。食べるだろう?」
「……うん。お腹空いた」
野菜をメインに出汁をとり、その野菜を細かくした具の入った優しいスープだった。リリーの栄養状態では、固形の食事を受け付けることができないと判断されたからだ。
「……スープ美味しい」
「良かったな。お代わりはするなよ。身体がびっくりするからな」
「うん」
ちょうどそこへ依頼の報告に行っていたジルとランベルトが戻ってきた。
「クラノグ、兎さんは目覚めた?」
ジルの後に続くようにランベルトも入ってきた。
二人はベットに上半身だけ起こしているリリーを見て驚き、次に喜んでいた。
「うわー、助かったんだ。良かったー」
「ジルはやっぱりすごいね。兎さん、良かったね」
飛びついてきそうだったジルを、すんでのところでランベルトが後ろから引き留めた。
「まだ本調子ではないと思うから、飛びついたら駄目だよ」
「あ、可愛くて思わず……」
リリーは二人に驚いたが、クラノグに促されて二人に自己紹介をした。
「初めまして。私は兎の獣人で名前をリリーと言います。この度は命を救って頂きましてありがとうございます」
ベットの上でペコっと頭を下げた姿に、ジルは可愛いーと何度も言っていた。実際、出会ったときには泥や垢だからで、異臭を放っていた姿ではあったが、今はまだ少し薄汚れているが匂いはとれて、パールホワイトの毛髪、耳と尻尾、黒い瞳はぱっちりしていて可愛らしい容貌だ。触り心地が良さそうだった。
「リリーちゃん、初めまして。私は人間の女性、冒険者で剣士をやってます。治癒魔法も使えます。よろしくね」
「同じく、こんな形だけど、僕も冒険者で剣士をやってるんだ。本当は人間だけど、呪いでこんなになってます。よろしく」
そう言い、二人と握手を交わした。
「ジルさんの治癒魔法で助かったんでしょうか?」
「そうだよ。結構条件が厳しくて汎用できる感じではないんだけどね」
「………この恩は一生かかっても返せるものではありませんが、しばらくの間恩を返すためにご一緒しても良いでしょうか?」
「ええ!?そ、そんな大層なことしてないからいいよ!」
「だめです!そんな訳にはいきません」
獣人は感情的ではあるものの、情に厚く義理堅いと言われている。また一族の結束が固く、一人が受けた恩は一族で返し、仇に対しても一族の最後の一人となろうとも打ち返そうとする。
その獣人の尽きそうな命を救ったのである。生涯かけてその恩を返さなくてはいけないとリリーは心ながらに誓ったのである。
「どんなことでもします!貴女が望めば私ができることなら何でも!」
「な、何でも?」
「はい!何かありますか?」
「………私達のパーティに参加しませんか?」
「ジル!!だ「はい、喜んで!」
リリーの何でもします、という可愛らしいお願いに陥落してしまったジルは、ついついパーティの強化が図れないかパーティに勧誘してしまったのだ。クラノグはリリーが奴隷として酷使されていたことを思い、思わず叫んでしまったが、本人は特に気にはしてなさそうだった。そんな様子にクラノグは脱力しかけてしまった。
「おい、リリー、あんな目にあってもまだパーティに参加するつもりなのか?」
「はい。クラノグも一緒だし、恩を返さないことには集落には帰れないし……帰ったら叩き出されそうです」
「……一度、集落に戻って顔を出さなくていいのか?」
「はい、手紙を書きます」
「それでいいのか?」
「はい、お母さんもお父さんも恩を返すまでは帰らなくてもいいっていってくれるはずです」
「……オーベンとラクランにも忘れるなよ。あの二人も探しに行くといって聞かなかったからな」
「もちろんです!」
ジルのパーティは近接二名、中距離一名という偏ったパーティであった。長距離攻撃ができるメンバーか盾役が欲しいと常々考えていたところの出会いではあった。
「盾役として敵を引き付けるのは得意です!攻撃を躱すのは得意です!攻撃は今ひとつなのでそちらでは貢献で!きます!」
「良かった!攻撃は私達で担うから。パーティの戦力強化が計れるわ」
「ジルさんはパーティを強くしたいのですか?」
「ジルでいいよ。……うーん、そうね。強くなればといいなと思ってるけど……。出会いがなくてはね。その点では貴女に出会えて良かった」
ジルの笑顔にとても嬉しくなり、差し出した手を両手で握り返した。
「パーティを強くするために、新たなメンバーの勧誘にも協力します!」
「それは相性もあるから気にしなくていいよ」
優しいジルと昔馴染みの頼れるクラノグや皆の様子を見てくすくすと笑っているランベルトに、リリーはこれからは辛い思いも痛い思いも、我慢だってしなくてもいいのかな、とそっと思った