眠気って優しいね
朝、幼馴染に起こされる。
その事実だけを友人に話すと羨ましがられる。
「おま、おまぇぇぇええええ!!」とそいつは激昂し、そこでさらに俺が「やれやれ、俺にとっては厄介なだけなんだがな」と肩をすくめてやれば、そいつは滂沱の血涙を流して頭を掻き毟り、教室の床にのたうちまわって絶命するのだ。
教室の端の方からは「まーた男子が馬鹿やってる」と呆れた声がして、俺は他人の振りをし、そいつはゾンビがごときゆったりとした動きで机に這い上り呪詛を吐く。
「うんこ」
「はいはい」
「薄毛」
「殺す」
戦争勃発。
俺には幼馴染がいる。
名前を月ヶ瀬桜といって、可愛い。とても可愛い。
幼馴染という身内目線の俺から語らせても文句なしに可愛いので、多分男が百人いれば三千の可愛いで飾られるくらい可愛いのだと思う。
艶やかな黒髪は一切の曇りを知らず、整った目鼻立ちは気取らない美しさがある。その姿はまさしく大和撫子……というのが学内の評判であり、俺もそれには賛同しよう。
━━━━喋らなければ、の話である。
『春希、朝だよ』
「……ああ、教えてくれてありがとう」
『喜んでくれて、私も嬉しい』
「嬉しいついでに俺も教えてやろう」
『なに?』
「五時だ。今は、朝の、五時だ。……分かるな?」
『知ってるよ。おはよう、春希』
「おやすみ、桜」
通話を切る。慈悲はない。枕に顔を埋める。
ちゃんちゃらちゃんちゃん♪
ちゃんちゃらちゃんちゃん♪
「………………もしもし」
『春希は優しい』
「うるせえ」
『用事があるの。うちに来れる?迎えに行く?コンビニでプリン買っていくね』
「来なくて良い」
『プリンは?』
「好きにしろ」
『春希は?』
「…………」
『来れる?』
「…………」
『会いたいな』
「…………」
スマホを耳から離して目を閉じる。ああもう、このまま時間止まってくんねーかな、なんて考えて沈黙。
「……あのさ」
『うん』
「三十秒、黙ってたじゃん」
『数えてないよ』
「そのくらい黙ってたじゃん。拒否と捉えるべきじゃん。通話、切れよな」
『でも、また喋った』
「そうかもしれんけどさ」
『春希は、その優しさを誇るべき。自慢しないといけない』
「うざすぎるだろ自分の優しさ主張するやつ」
布団を跳ね除けてシャツを脱ぎ捨てる。スマホの通話をハンズフリーに切り替える。
「ヒナタは元気か?」
『うん。電話、代わるね』
代われねーだろ、とツッコミを入れるより先に向こう側で物音。
『んな、んなぁ〜』
ヒナタは猫である。
『ヒナタが言ってるよ』
「会いたいって?」
『朝ごはんくれって』
「その報告いる?」
『ヒナタは分かんないけど、私は会いたい』
「……そか」
『うん』
「待ってろ。行くから」
そいつとの戦争は大抵、女子からの蔑んだ目によって正気を取り戻すことで終わる。
「やるじゃん」「お前もな」「「へへっ」」という青春ごっこを挟み、女子からの蔑視に肩を縮こまらせて会話続行。
「でも実際さ」
「おう」
「死ぬほど羨ましい」
「せやろ」
「月ヶ瀬さんに朝、起こされるってことはさ?」
「うむ」
「月ヶ瀬さんに朝、起こされるってことだろ?」
「頭バグったか?」
「幼馴染がめっちゃ可愛くて、朝起こしてくれるとか。……君の前前前世はゴキブリだったの?」
「や、確かにさ、桜が可愛いのは認める」
「おう。そこで俺の幼馴染が可愛いなんて風潮分かんねーわーみたいなスタンス取ってたらブチのめしてるわ」
「でもさ、桜だぞ?」
皆まで言わなくても「桜だぞ?」の一言で大体分かってくれる。桜のキャラはそれくらい強烈だ。
「まあいいじゃん」
「振り回されるのはいつも俺だ」
「だからさ、それすら役得だって言いてーの。月ヶ瀬さんに振り回される。最高じゃん」
「最高か?」
「最高。可愛いは正義」
最高とは言わないまでも、本当は理解できるのだ。幼馴染に振り回されるのを嬉しく思う自分がいる。だから朝の五時に電話で呼び出されても簡単に絆されてしまう。
『会いたいな』なんて、そのたった一言で。
*****
「桜、お前は自覚をするべきだ」
「何を?」
「自分の可愛さをだ」
「ほほー」
「貴様、徹夜したな?」
「春希、鋭い」
月ヶ瀬の家は歩いて五分のところにある屋敷だ。勝手知ったる離れの戸口を開いて地下室に入ると、それまでかすかに聴こえていたギターの音色が止む。桜がへにゃりと頬を緩ませて「やっほ」と手を振る。
それこそ親の顔より見た光景である。桜がギターを始めたのは六歳の頃で、同時にこの地下室を練習場所として与えられたのだ。
「目の下、隈がある」
「あら」
「可愛いんだから勿体ないことしないの」
途中で買ってきたプリンを冷蔵庫に突っ込み、代わりに2Lボトルのコーヒーを紙コップに注いでやる。桜はくぴくぴと飲み干して一言。
「春希をもてなさないといけない」
「話の脈絡」
「らーらーらら」
「聞いてねえ……」
目を瞑ってリズムを刻み始める桜。こいつが話を聞かないのはいつものことなので気にせず自分の分のコーヒーを注いだ。早起きなのでめちゃくちゃ眠い。
「あ、」
最初の一口で気づいた。同時に眠気が吹き飛ぶ。聞き覚えのないギターの旋律。
━━新曲だ。
「……そういうことか」
ボソリと呟く。
桜は誰かに聞かせるためのギターを奏でない。自分のやりたいように音を作って、自分の中で完結させる。歌詞を書いたりもしないし、誰かと一緒に演奏しようとかも思わないらしい。
ただ、たまに、俺にだけは聞かせたがる。
今回もそれか。
ギターの弦に指を躍らせる桜の横顔を見つめた。
実のところ俺に音楽の素養は全くない。何か聴かされたところで気の利いたコメントは出来ないのだが、ギターを弾く桜の表情は好きだった。
なにせギターに集中している内はどれだけ美人を凝視してもバレない。役得だ。
しばらくすると曲が終わった。桜の隣に腰を下ろして二杯目のコーヒーを差し出してやる。桜は特に曲の感想を求めることなくコーヒーを一口くぴり。
「眠気って優しいね」
「なんで」
「眠る努力をしない人のことも眠らせてくれる」
意味のわからないことを呟いて桜はソファに深々ともたれかかった。ゆっくりと傾き始める紙コップに危うさを感じて取り上げると、桜はすぐに寝息を立て始めた。
「おい……」
思わずため息を吐いた。こいつ寝やがったぞ。
……まあ仕方ない。あと一時間半くらいは寝かせてやれるだろう。
桜の飲みかけのコーヒーを代わりに飲み干す。肩に体温を感じながら、俺はぼんやりと幼馴染の寝顔を眺め続ける。