何故ジュゴンは死んだのか?
3月19日午後5時頃、今帰仁村運天漁港の沖合150メートルで、絶滅危惧種のジュゴンの死骸が発見された。特に大きな外傷も無くやせ細っている訳でもないため死因は不明なのだが、辺野古から25kmぐらいの距離である事を根拠に基地が原因でジュゴンが~というのが、最近のこんな人たち界隈の主張だ。だがちょっと待って欲しい、今帰仁と辺野古は沖縄本島の真反対に位置している、そして言うまでも無くジュゴンとは海洋生物で陸の動物ではない。県民が自分の県の地理関係に此処まで疎い事などあり得るだろうか? 少なくとも辺野古にも今帰仁にも住んでいないし、何処にあるかも全く知らないレベルに無関心な人たちなのだろう。
ところで、ジュゴンによく似た生物がかつて地球に存在した。名をステラー海牛といい、北太平洋のベーリング海に生息していたそうだ。その肉は、子牛に似た味と食感をもっており大変美味であったとか、おまけに鈍重で簡単に狩れるとなればハンターの垂涎のターゲットであろう。遭難者がステラー海牛を発見してからたった30年ほどで絶滅したそうだ、1768年のことである。
そしてジュゴンの肉は牛やら豚のひれ肉みたいな味でやはり美味であるそうだ。ジュゴンは世界中で食べられてきた生物であり今日でもオーストラリアなどの先住民が伝統漁(ただし装備は最新)で捕獲している。沖縄県のジュゴン捕獲統計によると、琉球でも先史時代からジュゴンを捕獲し食用としてきており、近代以前は、首長が伝統的に捕獲制限を行うなどをしていたようであるが、明治頃にたがが外れて乱獲が行われたそうで、明治から大正の間の27年間に最低でも300頭前後が捕獲されるなど乱獲の記録があるそうで、大正に入る頃には既に少数になり捕獲規制がされる程であったそうだ。ジュゴンは酷く繁殖能力が低く、20頭の大人のジュゴンがいたとしても年に1頭増えれば良い方であるそうだ。大正時代にはすでに絶滅が確定しており、更に戦後の混乱期に行われたという乱獲がトドメを刺した形になる。
さて、トキも絶滅危惧種であるが、新潟県が環境省のサポートを受けながら人工繁殖に努め、わずか数羽だったトキの数を100羽超まで殖やすことに成功した。本当にジュゴンの絶滅に関心があるなら、沖縄県が音頭をとって国の協力を取り付け、ジュゴンの保護・繁殖のための施策を打ちだすろう。しかし、不可思議な事に、移設賛成派の仲井眞弘多知事の時代にその動きが見られただけで、保護・繁殖のための施策が打ちだされたことはただの一度もない。沖縄のメディアからも、また日本自然保護協会など主要な環境保護団体からも、繁殖についての前向きな提言はいっさいない。まるでほっとけば増えるとでも言いたげな無責任極まる提言が軒を連ねるばかりである。
もうお判りだろう。基地関連でジュゴンが~とか騒いでいる連中は、ジュゴンを絶滅から救う気など無いのである。彼らの関心は、自分たちの下衆な正義感を満たす事だけ。返還されたやんばるの森は即座にリゾート開発や伐採がなされ希少な動植物が存在する森林が破壊された。海岸にしてもそうだ。2014年の琉球新報の報道によると、埋め立てによる増加が全国で7番目だがその年は過去25年で最も小さい年だったそうだ。へそで茶が沸くような環境保護主義だ。