私のプカプカ計画
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、健康診断、また太っちゃったみたいです。理想はもうちょっと軽めな体型なんですけどねえ。
――え? 筋肉は脂肪より重いから、むしろ自然?
なんですか、その言い草。私が相手じゃなかったら地雷ものですよ、その発言。
最近、気安いというか、遠慮がないんじゃないですか、先輩?
一応、体脂肪率の方は20ごにょごにょぐらいなんですけど、最後に測ったのは二か月くらい前だったような気がします。今はどうなっていることやら。
特に女子だと体脂肪率が下がりすぎると、身体によくないと聞きますね。それでも目先の体重の方が気になってしまうのですよ。
私はアスリートですが、辛さマシマシのトレーニング偏重は嫌いな性質でして。
うちのばっちゃんは、若い頃にだいぶ我慢を強いられた反動か、あの歳になってスイーツ食べたい、洋食食べたいと、舌が若返っちゃったみたいなんですよ。お迎えが来る前に、楽しんでおこうって、腹積もりなんでしょうか?
でも、若い時に美味しいものを味わうことができるのは、生涯に一度きり。その楽しみを抑えつけても、絶対にいい結果なんて出ない……という、正当化。
でも、なまじ結果が出続ける時は、たとえ努力を続けていたとしても、一度疑いを持った方がいいかもしれませんね。それを考えさせてくれた、私の姉の話、聞いてみませんか?
姉は高校へ行って、一人暮らしを始めたクチなんですが、クラスメートのみんなのスタイルの良さに、ちょっと危機感を覚えたようです。ちょうど、気に入っていた私服がきつく感じられるようになったのも相まって、「痩せよう」と思ったとか。
姉は特に空腹に対して抵抗力がない人間で、ついつい間食をしてしまうのがくせになっていました。
そこで夕方以降は、カロリーのない炭酸水を採用。何か食べたくなる前に、炭酸でお腹を膨らませておこうという策を採ったらしいです。
その分、朝と昼は量や栄養を考慮しながらも、好きなものを食べるという方針を確立していたとか。やはり姉妹なのか、好きなものに対する一線を譲りたくない点は、そっくりなようですね。
その炭酸水ダイエットが、功を奏したのでしょうか。
一週間後に体重計へ乗ったところ、姉の体重は1キロ軽くなっていたそうです。
――まずは、よし。慌てずに落としていきましょ。
姉は自分に、あせらないよう言い聞かせました。
急いてはことを仕損ずる。調子づいてペースを乱し、リバウンドしたら元のもくあみ。
じっくり自分のペースで落としていくつもりでしたが、ちょっと問題が。
姉には同じクラスで、ダイエットを志している友達が他にもいました。その子たちとの成果の競争や情報交換は、大きなモチベーションとなっていたそうですが、そのうちのひとりがリタイアしてしまったのです。病院送り、とのことでした。
すわ、無理のある断食で身体を壊してしまったか、と姉たちは放課後に彼女がいるという病院へ向かったのですが、受付で、面会ができない旨を告げられます。実際、部屋の位置を確かめようと訪れた時にも、個室のドアに「面会謝絶」の札が。
――やっぱり、無理のないダイエットこそが一番。
お互いに注意しあうことを呼び掛けて、その日は解散した姉たちでした。
姉の体重は、すこぶる順調に軽くなっていきました。
およそ三週間で1キロペース。これでも想定していたより、少し早めのペースです。その間でやっていることと言えば、バランス食事と炭酸水、あとは適度な散歩。
その日も姉は学校帰りに、新しいお店の発掘も兼ねて家の近くをうろうろ。たっぷり一時間ほどかけて、自分の部屋があるアパートへ帰ったのです。けれど、二階にある自分の部屋のドアへ鍵を差し込みかけた時。
ガタン、と中で何かが崩れるような音がして、びくっと肩をこわばらせてしまいました。
つい、ドアに耳を当てて更なる物音がしないか、警戒する姉。
一分……二分……。彼女の肌を、温かみを帯びた風が撫でてくるばかりで、部屋の中からは、わずかな気配も感じられません。それでも姉の身体には鳥肌が立ってきます。
いったんドアを離れて、一階にある駐輪場から自分の部屋のベランダを見上げてみる姉。すでに辺りには夜が立ち込めようとしていますが、薄いレースのカーテンからのぞく室内は、自分が出た時と変わらず、明かりが消えて真っ暗のまま。
いつもなら当たり前かつ、安心の証なのですが、その時の姉には誰かが息を潜めている兆しにしか思えなかったようです。
結局、近くのコンビニのイートインで食事を摂った姉。ここしばらく飲み続けている炭酸水ディナー。お腹が膨らむと、いくらか肝も据わってきます。
防犯グッズといえば、この数か月、一回も使ったことがない防犯ブザーのみ。念のため、その場で電池を買って入れ替えると、姉は慎重に自分の部屋へ近づいていきます。もう一度見上げた部屋のカーテンは、やはり揺れていません。
鍵を鍵穴へ。「ガチャリ」と音を立てて回ったそれは、後戻りがきかなくなった合図。
自分が開いたドアの陰に隠れるよう、そばの壁へ背中を張り付けながら、一気に開け放つ姉。数秒待っても、何かが飛び出してくる気配なし。
「どうとでも!」と、姉はさっと顔を出して、部屋の中を思い切りのぞき込みます。
あの時の物音の原因と思われる、玄関先へ置いたごみ袋。分別のために何種類も分けたそれらのうち、ここ最近でかさを大いに増している、ペットボトルのもの。その中身が、何本も漏れ出し、散らばっていたのです。
姉は油断なく左右を見回し、誰もいないことを確認します。そっと靴を脱ぎ、転がっているペットボトル一本一本を手に取り、異状がないかつぶさに観察。まだ余裕が残っているごみ袋へ一本ずつ戻していくと、きゅっとしっかり口を閉めました。
それから十畳あまりの広さを持つ1DKの自室を、掃除しながら探ります。ゴミ、髪の毛、その他の誰かがいたであろう形跡を。
ですが、床を隅々まで調べ上げ、脚付きのベッドの中ものぞき込んでみましたが、怪しいものは見つかりません。棚やベッドの上も、同様です。
――絶対に、何かあると思うんだけどなあ。
姉は自分の勘については、誰よりも信じる人。一度見たところも、二度、三度と見直し、最終的に寝る直前まで続けていたとのことです。それでも大した成果は見られませんでした。
不満げに口をとがらせながらも、日課である体重のチェックは欠かしません。
その日もまた、前日より300グラムほど軽くなっていました。これでダイエット開始当初から、三ヵ月で5キロほど痩せたことになります。
翌日のこと。
ダイエット仲間のひとりがまた、学校を休みました。先生には体調不良という連絡が行っていたそうなのですが、放課後にいざ、実家通いであるその子の家へ行ってみると、お母さんが出てきます。
「ごめんなさい。あの子はちょっと頭痛がひどくてね……そっとしておいてくれないかしら」
そう追い返されましたが、お母さんの視線がかすかに右上へ逸れたのを、姉は見逃していませんでした。
――絶対に、何か隠している。
姉はそのままの足で、最初に病院へ運ばれた、もう一人の下へ。
面会はできました。
はた目には異常がないように見えましたが、彼女の顔色はあまりよくありません。
休んだ日の前日に何があったのか。尋ねたところ、彼女は布団に隠された自分のお腹をなでながら、答えました。
ベッドに腰かけたとたん、お腹の皮が破れて血が出たと。彼女がそっとめくりあげたパジャマの下には、厳重に包帯が巻かれていました。
「そう、ベッドに腰かけたとたんね。お尻から「ずっ」と何かが差し込まれたの。それから一気にお腹が膨らんで……」
パアン、と彼女は握った拳を、声に合わせて大きく開きました。想像して、姉もつい自分のお腹をなでてしまったそうです。
話によると、彼女もまたダイエットが順調に推移していた者の一人。姉と同じく、数か月で五キロを超える減量に成功していました。それがある日、突然、そんな目に……。
「うん、本当に突然だったわ。まるで急に地雷を踏んじゃったみたい」
その言葉が、姉は引っかかりました。
踏んづけたものに危害を加える兵器、地雷。それは、対人用と対戦車用に分かれているものもあり、対戦車用のものは人が踏んでも爆発しないように設定されているとか……。
姉は家に帰ると、自分の考えを実行に移します。
押し入れの中に入れている、非常用の18リットルポリタンク数個。それにどんどん水を入れ始めました。満杯まで入れて、蓋をきっちり閉めます。
同じ量でも灯油より重い水。手に持つと軽くよたついてしまいましたが、運ぶのはすぐそこ。自分が寝ているベッドの上です。
一つ、二つとポリタンクを乗せる姉。三つ目に関しては、空いているペットボトルに一度取ってから注ぎ、中身の重さを調整していきます。
目指すのは、かつての自分の体重。ダイエットを始める前の、自分の体重でした。
姉の予想は当たります。
物干し竿に無理やり引っ掛けた、三つ目のポリタンク。それが前二つと同じ位置に置かれ、重さを支える竿から離されたとたん。
三つのポリタンクが、無残に弾けました。その中腹は、花が開いたかのように大きな穴が空き、それぞれ半分以上の中身が外へ。あらかじめ雑巾たちを敷き詰めていた姉でしたが、ベッドにほど近いものは、吸いきれなかった水が、床へ漏れ出ていたとのこと。
天井にも盛大に飛び散り、即席のシャワー室と化した自分の部屋。しばし呆然としていた姉ですが、すぐに服を脱ぎ去って、風呂場わきに置いた体重計へ。
自分の体重はすっかり元へ戻っていました。三ヵ月前に示されたのと、同じ数値。先ほどベッドへ運んだ、ポリタンクたちとほぼ同じ重さに。
あの減量は、ダイエットに励む私たちを陥れるために、地雷を置いた何かが仕組んだ、一時的なものだったのでしょうね、と姉はさびしげに話していましたよ。