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3.渡る世界に鬼が出る

 羅刹はベッドの上に転がり、ぼうっと豪奢なシャンデリアを見つめていた。

 出口は見つからない。代理決闘の闘士として、“ティナ”と名乗った主人に従う選択以外ないようだ。

 ここは言わばアプリゲームの中である。収容所でもレクリエーションの一部として、現代で流行っているそれを触ったことがある。

 タブレットは非常に高価なもののようで、ティナも半年間近く金を貯め、更に借金までして購入したと言う。

 塔の管理権を巡る戦いの他に、エンターテイメントとしての大会も催されている。報奨金も出るらしく、彼女はそれをアテにしたとのこと。

 危うい女だ、と羅刹は場違いな天井を見つめながら思った。


(この部屋は、まさにゲームの世界だな)


 部屋の飾り付けやトレーニング機材など、ティナの指先一つで部屋に現れる。

 初日はなまっていた身体を鍛えるに十分な運動をした。ティナもまた数分おきに確認するほどマメであった。

 しかし――三日目くらいからその頻度が減ってゆく。

 召喚を受けてから二週間が過ぎた今では、一日に一回どころか二日に一回までになっていた。


『おい、いるか』


 その時、壁がふっと消え、二日ぶりにティナの顔が映し出された。


『ふあ、ぁ……トレーニング、するぞ』


 ゆったりとした寝着姿。寝室・ベッドの上で寝そべっているようだ。

 顔はどこか気だるげで、目は半分落ち、今にも寝そうである。


「『私もしかしてクソゲーやってる?』って、目すんの止めろ。まだ二週間だろうが」

『だって、あまり代わり映えしないし……。飾り付けも金かかるのばかりだし……』

「ログインボーナスぐらいあんだろ。それモチベにしろよ」

『何だそれは?』

「一日一回、アイテムが貰えるやつだよ。『何々ゲットしました』みたいなのあるだろ」


 ない、とティナは言う。


「クソゲーじゃん」

『だろう?』


 ティナは力が抜けたように枕に顔を突っ伏すと、しばらく、規則正しく背を上下に動かし始める。

 まるで睡魔に負けた子供、子猫のようだ。

 おい、と大きな声で呼びかけると、ハッと頭を持ち上げる。しかし瞼は半分落ちたまま、薄い唇の端には涎が光っていた。


『トレーニング中止。今日はもう寝ろ……』

「十分寝たわ!」


 分かった分かった、と指を差し向けるが、それは少し手前で止まった。

 ティナの頭は再び重力に負け、枕に顔を埋めてしまう。鬼が呼びかけても顔を持ち上げず、もぞもぞとタブレットを持つ手を動かすだけであった。


「音切るんじゃねーよ! おいこら!」


 力尽き、タブレットを離したのか、画面は流れ灰色の天井が映され続ける。


 羅刹はここで初めて危機感を抱いた。


 この二週間、飢えも乾きも覚えていない。

 むしろ時間が流れている気配さえなく、部屋に設けられた窓が朝と夜を交互に表示するだけ。


 ――もし、タブレットの起動すらされなくなったら?


 収容所にいるよりも遙かに辛く、これまで脱獄など考えたことすらなかった羅刹であるが、いま初めて考えるようになった。


(今は“向こう”と繋がっている状態か……)


 石天井が映る壁に触れる。

 手のひらには“壁”の感覚が無く、軽く叩くと明らかに他の壁と違う、向こうが空間だと思える感触がした。

 やはり、と羅刹が確信した時にはもう、太い腕が持ち上がっていた。


「うるァッ!」


 轟音と同時に部屋全体がびりびりと揺れる。

 手への感触は、アクリル板のような弾力のあるものを殴っているのに近い。

 二発、三発、右手だけでなく左手も加え、四発、五発……数十発目にして、ついに壁にヒビが入る。

 鬼の拳は衰えることはなかった。

 いくらかの衝撃が向こうにも伝わっているのだろう。ヒビが伸び、色が濃くなってきた時、ティナは小さく呻いてタブレットに手を伸ばした。

 そしてそこからの振動に飛び起き、寝ぼけ眼をしぱしぱさせながら画面を覗き込む。

 赤い拳はどんどんと画面を殴り続けている。


『な、何をやっているんだ! おい止めろっ!』


 高いんだぞ、おい、と止める声を無視し、羅刹は殴り続けた。

 ティナは青ざめ、画面を閉じようと何度もスイッチを押すが、何の反応もないようだ。そんな光景をあざ笑うかのように、蜘蛛の巣の如きヒビが広がってゆく。

 小さな破片が転がり落ちたのを見るや、ティナはそれををベッドの上に放り投げ、自身は転げ落ちるように退避した。――直後、ばりん、と割れる音がした。


「ヌルァ――ッ!!」


 羅刹の腕はついに、壁を突き破る。

 吸い出される。そう思った瞬間にはもう、鬼の巨躯は“向こう”に渡っていた。


 ティナは尻餅をつき、愕然と鬼を見上げていた。

 ベッドの上にそびえ仁王立ちする羅刹は、幾度か身体を確かめるように捻り、ふむ、と納得の息を吐く。


「た、高かったのだぞ……!」


 ティナは絞り出すように咎めた。

 他に言うべき言葉があったが、口を衝いて出るのはそれしかなかったようだ。


「知るか、馬鹿」


 羅刹はティナを見下げながら吐き捨てる。

 頭を回して室内を確かめる。女の匂いしかせず、薄埃を被ったドレッサーを見る限り、身を持て余して長いと分かる。

 ニヤリ、と鬼は唇の片端を持ち上げた。


「万事俺に任せておけ。ご主人様に、そんなチンケなもの、と思わせてやるよ」


 この世界(じゆう)を満喫してやるついでにな。

 ティナの前で大仰に腕を組みながら、大きな高笑いを上げた。

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