いままでも これからも
まだ誰も住んでいない家にこの手紙を送ります。
わたしより一週間早く引っ越しを済ませたあなたは、ふたりの新居にもう手紙が届いていることに驚くはず。なにかの間違いだろうと思って手に取ったらわたしの名前が見えて、さらに驚くかもしれないわね。
でも、あなたはちょっと大雑把なところがあるから、郵便受けの中をすぐには確かめたりなんかしないかもしれない。寒がりだから外の郵便受けまで行くのも億劫で、もしかしたらわたしが引っ越す日まで気づかないかもしれない。
そうなったらつまらないな。せっかく驚かせようとしているのに。
それに、わたしの目の前でこの手紙を読まれたら困るもの。だってそんなの恥ずかしいじゃない。あなただって照れて読みにくいでしょう? あなたの驚く姿を見られないのは残念だけど、やっぱりわたしが着く前にこの手紙を見つけてほしい。ちゃんと見つけてくれますように。
過ぎたことはすぐに忘れてしまうあなただから、わたしたちの出会いなんて覚えていないかしら?
他県の支店勤務だったから、仕事上のメールのやり取りしかなくて、声を聞いたことさえなかったわね。会話はすべて電気信号。手書き文字なら伝わるものもあったのかもしれないけれど、メールなんて誰が綴っても代り映えのしない整った文字が並ぶだけ。その並んだ文字列だって、向こう側にいる人を映すわけもない。
それでも、あなたはほかの誰とも違っていた。なにに対しても、そんなのどうってことないって口ぶりで。どんな案件でも安請け合いして、あまりに軽く扱うもんだから、なんかこの人危なっかしいな、と思ったっけ。それでも受けた以上はなんとかしちゃうから、感心するやら呆れるやら。だけどそんな様子が眩しくて。
仕事での関わりが増えると、だんだんと気安いやり取りになっていったっけ。文末には砕けたひとことが添えられるようになって。添えるようになって。
ただの仕事仲間なのに不思議ね。いつしかあなたからのメールを心待ちにしていた。なにかメールを送る用事がないかしらって繋がる口実を探してた。だから相談事があるとすぐにあなたのことが浮かんだの。小さな相談をいくつかしたでしょ? 今思うと、危なっかしいと感じていながらも頼りにしていたのかもしれない。
ねえ、覚えている? わたしがミスをしたことがあったでしょう? あのとき、あなたの言葉に救われたの。電気信号の文字列に優しく頭を撫でられた気がして、少し泣いちゃった。そんなの大げさだって笑うかしら。
その頃には、あなたの印象が少し変わっていた。どうってことなく振る舞うのは強がりなんじゃないかと思い始めてた。そんなふうに自分に言い聞かせて、必死に進もうとしているんじゃないかって。
あなたはきっと、そんなわけないと笑うわね。べつにどっちだっていいの。もし鎧だとしても、それを脱がせたいわけじゃないから。ただわたしはそう感じるっていうだけ。
初めて会ったのは、あなたが出張でこちらに来たときだったわね。ちょうど今ごろ。冬の真っただ中。
子供みたいに元気な挨拶が聞こえて顔を上げると、入り口には場違いなほどやわらかな笑みを浮かべたあなたがいた。
そう、あのとき。なぜか「ああ、この人だ」と思ったの。「あのメールの人だ」という意味ではなくて、「この人を探していたんだ」って。おかしいでしょう?
一目惚れではないと思うの。あ、だからってルックスがどうってわけじゃなくて……って、えっと、言いわけすると余計に失礼な感じになっちゃうわね……許してね。つまりね、運命みたいなのって信じてないの。
だから不思議なのよね。あれはなんだったのかしら……今でもよくわからない。
だって、誰かを探してなんかいなかった。なにも探してなんかいなかった。なのに、やっと見つけた気がしたの。
あの頃のわたしは仕事も新しいプロジェクトを任されていたし、恋人もいたし、足りないものなどなにもなくて、すべてがうまくいっていると信じていた。
でも、あなたに会った瞬間に気づいてしまった。今まで信じていた満足はなんてちっぽけだったんだろう、なんて薄っぺらだったんだろう、って。
わたしの世界を覆っていた幕をカーテンでも開くように容易く取り除くから、外の光が差し込んできてしまったの。満たされていた世界の外側にも世界が広がっていると知らされたの。
あなたはよくわたしの笑顔を褒めてくれるけど、わたしはあなたの笑顔に照らされて、初めて世界がこんなにも彩りに満ちていると知ったのよ。
どうしてあなたがわたしを気に入ってくれたのか、いまでも不思議に思う。
けれども、初めて手を繋いだあの日に感じたことはきっと同じ。緊張とときめきが合わさって早まる鼓動に戸惑いながらも、ずっと前からこうしていたような気がしたの。
あのね、あれからいくつ目の冬だか知っている? あなたのことだから、数えてなんていないでしょうね。ええ、いいの。これからは数えきれないほど冬を重ねていくのだもの。ねえ、そうでしょう?
いくつ冬を数えても、会うたびにときめく。不思議ね。緊張することはなくなったし、あなたと出会うずっと前からあなたの側にいた気がするのに。一緒にいるのが当たり前になった今でも、ときめきだけは薄れることがなくて。馴染んだ感覚と新鮮なときめきに包まれる。
あなたったら、初めのころは未来の話をしなかったわよね。わたしが、「もしも……」と問いかけても、「先のことはわからない」だなんて、古い映画のセリフみたいなこと言って。わたしは、なにも気にしてないふりして笑うしかなかった。あのとき本当はどんなに寂しかったか、あなたは気づいていないでしょう?
それがいつしか「俺より先に逝くな」なんて昭和の歌みたいに亭主関白気取ったりして。先のことなんてわからないんじゃなかったの? まったく、あなたってば勝手なんだから。
でもいいわ。言うこと聞いてあげる。そのかわり、わたしが飽きる前に逝ったら許さないわよ。わたしがいいと言うまで逝ったらダメ。ずっと元気で、ずっとそばにいてくれなきゃダメ。
さあ、わかったらこの手紙をたたんで、わたしが行くまでに荷物を片付けておいて。サボったりしちゃダメよ。
そして、わたしの引っ越しの日には、ちゃんと玄関で出迎えて。初めての「おかえり」を言って両手を広げて。わたしは「ただいま」と言って飛び込むから。これからはいつだって、わたしの帰る場所はあなた。
これからもよろしくね。
いつまでもよろしくね。
もうすぐ帰ります。
両手いっぱいのありがとうを花束にして、あなたのもとへ。
毎朝最初のおはようと
毎晩最後のおやすみを――
恋文企画 参加作品です。
♡ 恋文企画 ♡
【投稿期間】
2018年2月10日(土)0:00~17日(土)23:59
【お題】
書簡体小説であること
ラブレターであること