13
ユニーククラスの最初のチェックポイントは、島の南部の農耕地帯――すなわち島民の領域。
広大な田んぼや畑の中に散在する建物の一つらしかった。
「ここってナユタさんの家だ。顔役の一人だし、イベントには良く協力してくれるからなぁ」
俺や他の生徒達は馴染みの無い世界だが、蛍にとっては庭のようなものである。
リストバンドから空間に拡大投影した地図を見つめた界主の孫は、一目でそこがどこであるかを把握した。
初等部の二人にも歩きやすいルートを美景に伝え、クラスの先頭を歩き出した。
学園を出て、メインストリートを横切り、島の中央を流れる川にかかる橋の一つを目指す。
橋に近づくとチェックポイントが同じエリアらしい他クラスの姿がちらほら見えてきた。
みんな同じように学校指定のジャージを着ている。
しかし〝見た目〟は千差万別だった。
「うわ、凄い量。お引っ越しみたい」
前を進む集団の荷物を見た恵麻が目を丸くした。
中等部らしいそのクラスの生徒達は、馬鹿でかい鞄やトランクを抱えており、中には持ちきれない分を使い魔に運ばせている者もいた。
学園の生徒達は魔法が達者であるため、あの程度の重量なら強化魔法でどうにかなるのだろうが、何しろかさばるため歩くのも大変そうだった。
「と言うか、うちらが少なすぎるんじゃない? こんなんじゃ二週間も絶対無理だって」
梢は不満そうに自分の背中に乗ったリュックサックを背負い直した。
学園指定のリュックであり、俺が今回のクラス旅用に指定したバッグでもある。
「あのな梢。こういうのは遠足と同じで絶対に必要な物は身につけて、それ以外の物は片手で一瞬で取れる大きさと重さにまとめなきゃ駄目なんだ。全力で跳んだり走ったりする時に邪魔になったらアウト。自分のためになると思って持ってきた物が、逆に自分にとってマイナスになっちゃ本末転倒だろう」
「そりゃそうなんだろうけどさ、さすがに着替えが三日分の下着だけってのは厳しくない? あたしも結構テキトーな方だけど、臭いのは嫌だなぁ。ねえ?」
梢が周囲を見渡すと、少女達は表現方法に違いはあれど概ねその意見に賛同した。
年頃の娘にとって清潔感というのは何物にも代えがたいらしい。
蛍ですら苦笑いを浮かべている。
例外は桜くらいのものだったが、俺にも人の心がある、淑女を目指せとは口が裂けても言えなかった。
俺は慈愛に満ちた表情を浮かべ、教え子達に優しく語りかけた。
「君たちの大部分が、脳汁の代わりに蜂蜜が頭蓋骨を満たしてそうなクソ甘い生活をしてきたというのを俺は理解している。また、これからもその生活が続くだろうこともな。だがな、有事というのは突然訪れる。その時に過度なストレスを感じて精神がやられないよう、今から自分が汚した下着を洗って日々を乗り切ることを体験しておいた方が良い。ごきげんよう」
不平不満を口にする少女達にため息をつきながら、俺は前を行くクラスを眺めた。
ユニーククラスは家柄こそ凄まじい生徒も多いが、そんな彼女たちの中身はガチガチのお嬢様では無い。
だから不満があっても教師の言う事にある程度従って準備した。
しかし他クラスの娘達は特権階級の金持ちらしさ全開で、自分のライフスタイルを変えようとはしないみたいだ。
この先夜になり、場合によってはテントの中で朝まで過ごすことになれば果たしてどうなることか。
学園長も過酷な試練を与えたものだ。
「あの先生、質問をよろしいでしょうか」
「なんだ小野鹿」
「携帯物資の最小化は合理的ですが、先生から出発前にいただいたこのウエストポーチには何が入っているのですか? 携帯を明示されただけで中身は教えて頂けませんでしたが」
「ああ、それか……」
俺はユニーククラスの生徒達が腰に巻いたバッグを見つめた。
クラレクの内容をあれこれ予測しつつ、しかしその正体にたどり着けないと悟った俺は漠然とした準備を行った。
キャンプを含んだ長期間のイベントということは間違いなさそうだったので、アウトドア的な道具などをまとめたバッグを人数分用意し、生徒達に支給したのだ。
「通称ヤックバッグだ。防水マッチとか縫合キットとか……俺が調合したパーフェクト・クレイジー・レーションも入ってる。こいつがあれば一口で一日持つし、最悪の環境でも一週間は命をつなげる優れものだ。一度に摂取すると変な妖精の幻覚が見えたりするから、少しずつ見極めながら食ってくれ」
「ヤックバッグ――素敵なお名前ですね。先生と思って、夜は抱いて寝ることにします」
「いやいや、何がヤックバッグだ馬鹿野郎。お前、女子の腰にゲテモノくっつけてんじゃねえ!」
桜は恍惚と吐息を漏らしたが、その斜め後ろを歩いていたノアは野犬のように吠えた。
俺を目の敵にしていたハッカーは、運動不足による体力低下と相まってこれまで無言を貫いてきた。
しかし自分の疲労の原因の一つである腰の物体の正体を知って怒り狂ったらしい。
目を血走らせ、唾と汗を撒き散らし、勢いに任せてヤックバッグを地面に叩きつけた。
突然爆発したクラスメートに、さすがのユニクラの面々も驚いたように立ち止まった。
「お前みたいなクズの手製とかクソ食らえだ! 命を繋ぐどころかあたしの生命力奪ってんじゃねえか、こんなものこうしてやる!」
怒りが収まらないノアは足で踏み潰そうとしたが、梢によって阻止される。
肩を優しく叩いて思いとどまらせる訳でもなく、身を挺してバッグを庇う訳でもなく、もっとワイルドでスピード感に溢れた手段によって。
すなわち腹パン。
「ぐうっ……おえっ……コズエ、テメェ……」
「あたし寮で言ったよね、ノアちゃん。クラレクはみんなで楽しくやろうってさ。先生がせっかく用意してくれた物を粗末にしたら駄目だよ。ノアちゃんだって内臓ペシャンコにされたら悲しいでしょ?」
「悲しいっつうか……死ぬし……」
梢がどんな表情を浮かべていたのか、こちらからは見えなかった。
しかしよほど恐ろしかったらしい。
痛みと恐怖で顔を汗まみれにしたノアは大人しくバッグを拾った。
俺を振り返った梢は阿呆っぽさ全開のいつもの笑顔だった。
「はいオッケー、一件落着! 先生も落ち込まないでね、れーしょんとかいうのも美味しかったよ、世界中の動物の臓物を混ぜ合わせて発酵させた感じだね。あたしは割と好きな味、ごちそうさまでした!」
「そ、そうか……長浦は優しいな。しかしもう食ったのか、うーん。俺の予備の分をやるよ……」
「わーい、ありがとう! ああもう、今先生と喋ってるから話しかけないでよ……え? 世界の秘密を教えてくれるの?」
「梢、独り言なんか言ってどうした――さては妖精だな? よせ、そいつの言うことを聞くな。岩内、水を飲ませてやれ!」
俺は冷や汗を流しながら、梢の足元に視線を落とした。
そのスニーカーの下のタイルが大きくひび割れている。
ノアから離れた場所にいたはずの梢は、常人離れした身体能力によって一瞬で接近したらしい。
本気で殴ったらノアは内臓がペシャンコになるどころか風穴を開けられていただろう。
俺は密かに戦慄したが、ユニーククラスの連中は『またじゃれ合ってる』くらいの雰囲気だった。
そりゃあ教員が次から次に音を上げるわけだ。
「おほん、皆さん移動を再開してください。鈴本さんは和を乱すようなことは謹んで、長浦さんも暴力は控えるように」
「……わーったよ」
「気をつけまーす」
隊長である美景の指示により、その気になればガチで魔王が倒せそうなパーティーは再び歩き始めた。
一見すればちゃんとしたリーダーの振る舞いだが、喋っている時にナチュラルに刀の柄に手を触れていたから実はアウト。
従わないと斬る気かこのJK侍。
「まあ、あれだよ。みんな悪意はないから大丈夫だって」
呆れる俺にフォローを入れたかったのか、蛍が隣に来て肩をポンポンと叩いてきた。
しかし刀をぶら下げている美景より、身体能力お化けの梢より、この娘が一番危険なのだ。
無尽蔵に等しい魔力、正確な術式を必要としない実現強度、大量の魔法を同時に走らせることが可能な制御領域。
首から下げた銀のチョーカーで力を極小化されているが、その気になれば天候すら変えられる存在なのだ。
「裏を返せばつまり、悪意が生じたら詰むってことだよな……」
ぼそっと呟くと蛍さんは笑顔で無言。
……何か言ってくれよ。
距離は大したことがなかったが、初等部組の歩調に合わせて進んだ結果、チェックポイントに着くのに一時間ほどかかった。
田んぼの中にぽつんと建つ民家を前にユニーククラスは足を止めた。
デカい屋敷、デカい庭、デカい納屋。
如何にも田舎の農家といった姿。表札には鍬ナユタと記されてある。
「ピンポオオオン!」
「ピンポンピンポン!」
「長浦、岩内。口でピンポン言わずにボタンを探せよ。馬鹿に見えるぞ」
「あ、うちの島はピンポンなくて外から大声で呼ぶ系だからさ。ほら、みんな知り合いだし」
「へえ、蛍がそう言うならそうなんだろうな。それじゃみんなでピンポン言うか。せーのっ――」
「「「ぴんぽーん」」」
「せんせー、バッサーとナギナギが声出してませーん!」
「長浦さん、私のことは放っておいて。あと、前から言ってるけどバッサーって呼ぶのやめて。せめて翼にして」
「……バカばっかり――ん、あはは、ちょ、ちょっと岩内、くすぐるのやめて!」
「一人だけすかした顔するの禁止。あれ、なんか相沢良い匂いがする……ちょっと舐めて良い?」
「ふふ、環ちゃんもイケる口かしらね?」
「奏、あなたとは違います。環は単純に良い匂いがするものと美味しいものが好きなだけです。子犬みたいなものですから」
「お、ここちょっとネットが繋がりそうだ。阿妻、ちょっと肩車してくれ!」
「む、無理だよ鈴本さん……ああぁ」
「ねえねえユカちん。これ何だかわかる? そう、マンドラゴラの苗木!」
「ヒメちゃん駄目だって、某プルーンみたいなテンションで勝手にゴーレム作ったら! ああでも、微妙にキモ可愛い……」
「皆さん、お家からどなたか出てこられましたよ」
熱の無い桜の声に、俺達は家の方に視線を送った。
玄関から足音を立てながら現れた人物は、額に青筋を浮き上がらせていた。
「飯作ってんのにギャアギャアうるさいなぁ! 盛りの付いた猿の群れだってもうちょっと大人しいわ! ちったぁ礼儀をわきまえろっての!」
見た目は二十代半ばくらいの、如何にもヤンキー風な金髪女。
怒声と共に手に持った竹刀を地面にパーンと叩きつけられると、さすがのユニーククラスもシーンと静まりかえった。
豊満な肉体をヒョウ柄の作務衣で包むというゲテモノ趣味に度肝を抜かれていた俺を、きっと睨み付けるヤンキー。
「あんたが例の担任だろ? 雌ガキの一人や二人躾けられねえでどうすんだ!? タマついてんのか!」
「ええ、やだなお姉さん。前時代的な考え方は今の教育現場には相応しくないですよ。躾けではなく対話と相互理解です。一方通行ではなく、双方向性があってこそ生徒達の真の社会化が果たせるんですから」
「はあ? 現場ズレしたご大層な理想論ばっか掲げてっから、いくつになってもガキみたいな大人もどきが量産されて――っておい、なんでベルト外してんだお前」
「タマがついてるかという疑問を抱かれたのはそちらでしょう!? 言葉では無く行動を重んじる方のようですから、実物を示さないと納得されないのでしょう!?」
「教育を語ってたくせに逆ギレで下半身露出するなよ……変態教師かお前」
「残念でしたぁ、教師になる前に変態認定されましたぁ、俺は教師変態ですぅ」
「――前言撤回するぜ。お前みたいなアレ相手にガキどもはよく頑張ってる。疲れたろ、中に入って飯にしよう」
ヤンキー女は悲しい微笑みを浮かべて、家の中へと誘った。
俺の勝ち、いわゆる論破成功ってヤツだ。
最初からタマを露出する気なんて無かった。
高度な情報戦、精神の削り合いにヤツの方が先に音を上げたわけだ。
トーシロ相手に本気を出しすぎたかなと肩をすくめる俺。
その隣を生徒達は関わり合いになりたくないと言わんばかりの顔で追い越していく。
「素晴らしいお勤めでした、先生」
「おう小野鹿。お前は俺の凄さがわかるか、さすがだな」
少し寂しくなったせいだ。
よせば良いのに、唯一声をかけてくれた桜に俺は無邪気に尻尾を振ってしまった。
桜はガラス玉のような瞳で俺をじっと見上げ、重々しく頷いた。
「反面教師とは元来、とても過酷な組織政策です。あえて劣悪な人間を組織内に留め置き、その醜態を見せることで、他の者に反感を抱かせ正しい方向へと導くのですから。孤独を承知し、これでもかと己を辱めるその覚悟、俗人にはとても真似できません。感服いたします」
激甘のストライクと思いきや手元で鋭くインコースに切り込み、最終的にあばらをへし折る変化球。
こっちはバットを振ってるから審判は無情にストライク判定。
悶絶するバッター灰尾八雲。
ピッチャー小野鹿桜は平気な顔で立ち上がるのを待っている。
「なんだか疲れたな。空腹のせいかもしれない……さあ、俺達も家の中に入ろう」
投手を睨み付ける勇気などない俺は、適当に空振りを一つして、すごすごとベンチに戻ることにした。




