05
「失礼いたします」
見惚れるほどに美しいお辞儀をして入ってきたのは小野鹿桜。
その後ろから軽く頭を下げる神志女蛍と相沢渚が入ってくる。
桜はスカートの乱れを丁寧に直しながら、浅くソファーに腰掛け淡い微笑みを浮かべた。
完璧で優雅な所作。
ユニーククラスで最もお嬢様学校に相応しい生徒――しかし淑女である。
「聞いての通り、新学期開始から今日までの生活状況を調査してる。まずは小野鹿、何か変わったことや困ったことなどはないか?」
「そうですね。これまでと違って男性を毎日目にするようになったからでしょうか、ちょっとした仕草にも艶が出てきたと言われることがあります。嬉しいのですが、何だか困ってしましますね」
照れたように頬を染め、流し目を送ってくる桜。
しかし無表情。
俺は何とか苦笑いを浮かべることに成功した。
「年頃の女子としては良いことなのかもしれないな。でも小野鹿、学校がある日は顔を合わせるが毎日じゃないだろう? 滝本先生に変な勘違いをされたら困るじゃないか」
「いえ、毎日ですが?」
真顔。
おいおい、やぶ蛇かよ。
土日にお前と顔を合わせたことはないぞ。
何だよ、元工作員に気づかれずにどうやって監視してんだよ……いや、いい。
スルーだスルー。
「――ともかく、良い方の変化があったということだな。それでは次に相沢……」
「お待ちを。先生へのご要望はお聞きにならないのですか?」
「え? あ、ああ、そうだな。ちょっと今さ、質問の方を切らしてて」
「それでは僭越ながら私が補充いたしましょうか? 少々お待ちを」
「待て。その怪しすぎるポケットに手を突っ込むな。待て、待て……お、質問が追加された。ふう、何とか間に合ったな。それでは質問だ、小野鹿は俺に何か要望や不満はないな?」
「あります。身だしなみについてですが」
「――なんだ、そういうやつなら大いに結構。言ってくれ」
俺は桜の言葉にほっと息をついた。
良かった、やばい質問じゃなかったか。
さすがに副担の前である、物騒な要望はしないか。
「段々気温が温かくなってきますので、汗をかくこともあるかと思います。先生は現在、ワイシャツの下にはギル・ジャンドロ社製の下着を着ていらっしゃいますが、たまには男らしく直接ワイシャツを着てみては如何でしょうか? 汗で白いシャツが透ければ、男性的なフォルムがより強調され我々生徒もより一層お言葉が耳に入るというものです。またワンサイズ小さなシャツをお召しになれば、時が経つのも忘れるほど集中出来るはずです。どうぞ、教育のためにご一考ください」
……人前だぞ。
大体何で下着のメーカー知ってんだよ。
俺も支給されたやつを着てるだけだから知らねえよ。
何でそんな真面目に直ワイシャツを教師に提案できんだよ。
ちょっとは猫被って淑女隠せよ、頼むよ。
滝本も窓の外を見て現実逃避すんな!
「なるほど。貴重なご意見をありがとうございました――それでは相沢さん」
血の気が引いた俺は助けを求めて相沢を見た。
すると相沢は嫌そうな顔をし、俺を睨み付けてきた。
ノアのような怒りや憎しみがこもった目ではなく、弱い小動物が身を守るための威嚇のような目である。
人間不信な少女の精一杯の抵抗に、淑女の毒で淀んでいた俺の胸はすっとなった。
これこれ、やっぱ渚ちゃんよ。
「相沢はどうだ、困ったことや俺の対する不満があったらいっぱい教えてくれ! もう罵倒してくれ! 何ならビンタしてもいいぞ、ほら、こい相沢! 先生をぶて!」
「落ち着いてください灰尾先生、相沢さんが怯えています! 辛いことがあったら、私が後でお話を聞きますから!」
「す、すみません滝本先生……つい、気持ちが昂ぶってしまいました。悪かった相沢、でも何かないか? 困ったことや俺への要望は……」
縋り付くように見つめると、相沢はうざそうに顔を背けた。
「――別に」
くううぅぅっ!
ああ、心が洗われる!
このとりつく島のない冷たいリアクション!
ワケわかんねぇ男がいきなり担任になったんだ、普通はこうでなきゃ!
不満たまりまくってるけどお前なんかに教えてやんねぇ、口もききたくねえ、顔を見たくねえときた!
やっぱ相沢は最高だわ!
「次、私でしょ。先生さっさと質問して」
変態的な感動に打ち震える俺に我を取り戻させたのは蛍である。
呆れ顔で腕組みをし、顎で促すという超上から目線。
学園長の孫だから調子に乗ってるというわけではなく、純粋な力関係。
俺にとっては学園で一番気楽に接することができる相手であり、一番頭が上がらない相手だった。
見事にシュンとなる駄目な俺。
「……では神志女さん。生活の変化や新人担任への要望、批判があったら教えてください」
「個人的な変化はないけど、男性教師が初めて来たということで他の生徒や先生達も浮ついてる感じがする。こういう時はトラブルが起きやすいから、色々と注意して欲しいです。自分一人で解決しようと考えず、積極的に他人を頼ってください。私も力になるから」
口調は淡々としているが思いやりのこもった言葉。
イケメンだわ。
俺の乙女心が揺れる揺れる。
「先生については、うん。そこそこ頑張ってるというのが正直な評価。生徒を子ども扱いせず、一人の人間として接しようとしているところは良いと思う。ただその反面、尊重しすぎて一歩引いてるような感じもする。私達は確かに一人の人間であるけど、未熟な子どもでもある。厳しい態度で接することも時には必要。でも、思いやりは忘れずに」
「……はい。精進いたします」
うーむ。これではどちらが教師かわかったものではない。
まあ、あの学園長の孫となれば苦労もしてるだろうし、精神年齢はあちらが上かもしれん。
俺は首筋をポリポリやりつつ、チェックシートにペンを走らせた。
「よし、面談は以上だ。気をつけて教室に帰ってくれ」
ソファーから立ち上がり、三人は部屋から出て行く。
ドアを閉める寸前、蛍がこちらを振り返り声を出さずに口を動かした。
――頑張って。
「ふふ。蛍さんとは良い関係を築けたようで良かったですね」
「この島にやってきてから頭が上がりませんよ。教師としてはダメダメですが、個人的には非常に有り難いです……しかし、次の組が最後。いよいよですね」
「はい。かなり手強い相手ですが、頑張ってください」
頑張れ、か。
蛍のあの雰囲気から察するに、影で助けてくれようとしたのだろう。
そして上手くいかなかった。
俺自身が差しで勝負して勝つしかない。
だから頑張ってと、そういう話なのだろう。
一方で滝本の頑張ってという言葉には、一教師としての重みが乗っている。
新米の俺が巧言令色を用いたところで、容易く主張を変える相手ではないと理解しているのだ。
俺から見ても首謀者であるその生徒は、確かに意志が強い人間だ。
善良で誠実で、しっかりと芯が通っている。
面白半分でボイコットなどする生徒ではない。
理由は依然としてわからないが、極めて厄介なものに違いない。
俺が深呼吸を終えた時、ノックの音が響いた。
最後のペアのご登場だ。




