04
現れた三組目はある意味、ユニーククラスで最もヤバイ連中だった。
「しっつれいしまーす!」
ノックもせずに豪快にドアを開けたのは長浦梢。
サイドテールをジタバタ暴れさせながら、ソファーにどーん。
しかも何か小脇に抱えてる。
大きめのバッグ――いや、鈴本ノアだ。
幼児に乱暴に扱われる小型犬か猫のように、梢の脇の中でぐったりと伸びている。
「たしけて……誰かたしけて……」
小柄なハッカーに哀悼の意を捧げていると、異様な気配を感じて俺はとっさに左手を振った。
掌を開くと、そいつはリップクリームだった。
「完全に隙を突いた投擲を受け止めるとは――さすがですね先生」
バトルモノの少年漫画のキャラの如く、不敵な笑みを浮かべてドアにもたれかかる岩内環。
……なんと言えばいいのかわからない。
寝起きの口の中にヌガーを押し込まれたような気分だ。
一瞬の間にひどく疲れた俺は、リップクリームの蓋を取ると乾いた唇に塗り込み、持ち主に放り返した。
男性教師に勝手にリップクリーム使われた娘は、怒りか羞恥か頬を赤く染めた。
しかしそんな自分を恥じたのか、かっと目を見開くとリップクリームを己の唇に走らせた。
「そ、そんな攻撃は効かない! か、間接キス? 上等だぁ!」
「……そうか。わかったから座れ」
「はいっ!」
環が豪傑の如く荒々しくソファーに腰を下ろし、梢とノアの身体が跳ねた。
梢がガキのように笑い声を上げ、つられて環も笑い始めた。
おかしくなったノアまで笑い始めたので、多目的ルームはアメリカのコメディドラマのような笑いに満ちた。
――何だこれ。
目眩を覚えた俺は頭を抱え、言葉の下痢を漏らした。
「……三人とも元気みたいだな。帰って良いぞ」
「待ってください! 面談でしょう、しっかり殴り合いましょうよ!」
「岩内。君が武術を極めすぎて、思考と表現が個性的なったのは理解できる。しかし、先生はあえて言いたい。心のパンツを履きなさいと」
微妙なところで乙女心が死んでない環は再び頬を赤くした。
しかしその隣に座る梢に至っては中身が幼女である、ケラケラと笑ってノアをクッションの如く振り回した。
「あはは、心のパンツだって! 先生いーことゆーじゃん! 知ってる先生、タマタマは前の前の先生から何て呼ばれてたと思う? 正解はタマツキ! 男っぽすぎてタマが、タマが、あははは!」
「コズエェ! タマタマ言うなって言っただろ! あん時の先生は疲れてたから言い間違えただけだっての! 別に私にタマ――男っぽいと思ってた訳じゃないっての。ねえ、滝本先生!?」
「え、ええ。そうですね。言い間違えただけですよ」
同意を求められた滝本は慌てて頷いたが、俺はその視線がちょっとだけ泳いだのに気づいた。
なるほど、何度も言い間違えてたらしい。
「オッケー、じゃあタマナシさんは新学期からここまで、何か困ったことはあったか? タマのついてる担任に対しての要望とかある?」
「今困ってますね! タマナシと呼ばれても嬉しくないので改めて欲しいってのが要望ですかね!」
「わかりました。他の人たちの面談が終わるまで部屋の隅で正拳突きでもしといてください」
「人を格闘馬鹿みたいに……!」
怒れる環はソファーから立ち上がると、そそくさと部屋の隅に向かい高速正拳突きを始めた。
やっぱ馬鹿じゃん。
「では長浦さん、君はどうですか?」
「あたし? あー、時折記憶が飛んだりするけど毎日楽しいし問題ないよー? ハイヂも割といい感じ。前の先生達みたいにあたしを生温い目でみたりしないし」
「ハイヂ……ハイホーに続いてメルヘンなあだ名だな。ヨーデルでも歌ってやろうか……」
ため息をつきつつ、俺は梢を観察した。
新興宗教団体〈紫紺の救世〉の代表者、長浦蓮華の一人娘。
長浦蓮華は五年ほど前に逮捕され、現在も収監中。
近年最悪の宗教テロリストと呼ばれ、その罪の全容は未だに把握できておらず、被害者の数も増え続けている。
しかしその最初にして最悪の被害者は、娘である梢なのかもしれない。
担当医でもある保護者にはまだ会えてないため詳細は不明だが、事件当時調査室にいた俺にはある程度想像が付く。
娘の精神を弄くり回して超人でも生み出そうとしていたのだろう。
前の担任達は心を痛め、優しく接しようとしたようだ。
冷たくはないが、温かいと思えるほど近寄って来てはくれない。
梢が生暖かいと評したのは、そんな気持ちの表れだろうか。
馬鹿っぽいが鈍くはない……中々に扱いが難しい。
「では最後の小動物。お前はどうだ、回し車取り上げられて絶望してんのか?」
「だ――誰が小動物だこのクサレ野郎が! お前のナニよりビンビンだぜこっちはよ!」
ぐったりしていたノアが跳ね起き、唾を撒き散らす。
中指を突き上げ俺を挑発してきたが、笑顔の滝本に素早く指をへし折られ悲鳴を上げる。
のたうつハムスター。
相変わらずうるさい、発情期か。
「ビンビンねぇ……新学期前の騒動の罰として、ネット利用を厳しく制限されているはずだが。セキュリティにトンネル掘って色々やってないだろうな?」
「はっ! ガサ入れしたきゃやってみろよ。テメェの脳ミソ焼き切ってやる!」
こちらを睨み付けるノアの瞳はギラギラ光っている。
鈴本ノアという人間は、常日頃からニコチンの切れた愛煙家のように苛々しているが、俺に対しては明確な怨恨が向けられている。
理由はおそらく、例の新人教師品評会な騒動で俺はお咎めなしだったからだろう。
状況や経緯を考えれば悪いのは学園長で、俺はむしろ被害者の部類に入るべきだから当然――とも言い切れないが情状酌量。
一方で変質者が出たと生徒達を煽り、賞金をかけ、警備とネット上で抗争を繰り広げたノアは悪質とされた。
混乱に乗じてネットワーク権限を奪おうとしたのが動機となれば、お咎めなしとなるはずもない。
かくして若く無謀なハッカーはサイバースペースへのアクセスを幼児レベルまで制限され、苛立ちの矛先を俺に向けたのだった。
「ノアちゃんさー、先生に八つ当たりすんのやめなよ。悪いのノアちゃんだし、下手こいたのもノアちゃんの腕がショボかっただけじゃん。ダサすぎてくしゃみでそう――くしゅっ!」
梢は面倒くさそうに顔をしかめながら、鼻水をノアの制服で拭った。
ノアは鬼の形相になったが、梢の身体能力は学園でもトップクラスであり、単純な魔力の強度も突出している。
情報魔法戦が専門のノアが食ってかかれる相手ではなかった。
となればその怒りはやはり、俺に向けるほかない。
「テメェ、すかした顔してられんのも今のうちだぞ。学園長のお気に入りだろうが、このままの状況が続けばお払い箱だ。さっさと再就職先でも探すんだな!」
「このままの状況って何の話だ?」
「ふん、虚勢張りやがって……勘違いするなよ、お前のクビを絞めんのはアタシじゃなくてお前自身だ。業ってヤツよ、業! 自分の愚かさに後悔しまくるといい、ふはははは――あひゃひゃひゃ、こずっ、やめっ!」
せっかく悪役のように格好つけて笑い始めたのに、梢にくすぐられるノアに威厳も畏怖もあったもんじゃない。
妙なスイッチが入ったのか、正拳突きを続ける環がノアの笑い声に負けじとセイセイッと奇声を上げ始めた。
頭がおかしくなりそうだったので、俺は降参するように両手を挙げた。
「この面談は異常だ! いや以上だ! 可及的速やかに教室に帰ってくれ!」
一目散に部屋を出て行こうとするノア、追いかける梢、なぜか回転受け身を取る環。
「やめろ梢! アタシはちゃんと歩いて帰る! うわぁぁぁ、持ち上げるなぁぁ――」
「ボールは友達、ノアちゃんは友達、ノアちゃんはボールだ! タマちゃん、教室までラグビーのパス練習しよう!」
「駄目だぞ梢! ラグビーはこうやって回転をかけるんだぞ、セイッ!」
ドアが閉まり、部屋の中は台風が過ぎ去ったように静かになった。
俺はアルコールが無性に欲しくなった。
「大丈夫ですか、灰尾先生。目が虚ろですよ」
「メンタルは強い方だったはずなんですけどね……それより、首謀者がほとんど特定出来ましたね」
滝本は複雑な表情を浮かべ、こくりと頷いた。
十三人しかいないクラスであるため、候補は最初からある程度絞られていた。
今の三人の面談を終えた時点で決まったようなものだった。
「岩内と長浦は状況を把握しているが、詳しい事情は知らないみたいですね。まあ知らせない方がボロが出ないと〝彼女〟が判断したんでしょうが」
岩内は武術の達人であり、長浦は捉えどころの無い変わり者ではあるが、どちらも嘘は得意じゃない。
というか嘘が得意な人間の方が珍しいのだ。
問い質されることを想定し、破綻しないストーリーを考え、バレないように相手を観察しながら受け答えをする。
想定外の質問は頻繁に生じるから、臨機応変に対応しなければならない。
しかも相手は嘘と偽りの世界で生きてきた俺である、言葉や演技でごまかせるとは思わかなかったのだろう。
「そうですね。長浦さんはいつもあんな感じではありますが、岩内さんは少しはしゃぎすぎでした。気合いの声も、いつもはもっと低く鋭い感じですから」
「……はしゃいでない時も正拳突きはするんですね」
俺はぞっとしつつ、チェックシートに記した名前を指ではじいた。
「鈴本は黒でしたね。ただし首謀者ではない。ただ情報を提供し、ボイコットを促した。その理由は俺に対する怨恨なんでしょうが……」
「うーん、灰尾先生との一ヶ月ちょっとの付き合いでそれほど恨みを深めるとは思えないんですが。鈴本さんは確かに感情的に行動しますし、ルールも平気で破ります。でも労力を注ぎ込むのは自分にとって楽しそうなことで、恨みを晴らすという動機が持続するタイプではありません」
「まあ確かに、私としても違和感はありますが」
俺がこの島にやってきた時のゴタゴタの後、ノアは退屈を持て余して苛々していたが、俺を攻撃しようという悪意を持っているようには見えなかった。
俺をこれ見よがしに睨み付けるようになったのは、ここ数日の話である。
「それに鈴本さんは悪者に憧れる子どもタイプではなく、どちらかと言うと――」
滝本が何か言おうとした時、ノックの音が響いた。
話はまた後で。俺は視線で滝本にそう告げると、四組目の入室を促した。




