01
灰尾八雲(偽名)、二十二歳男性。
幼少期に社会を敵に回し、逮捕後はスパイとして育成され、世界中で活動。
しかし罠にはまって職を追われ、何の因果か女子校の教師となる。
「ユニーククラスの皆さん、おはようございます!」
我ながらイカレてる。
フランス人に食われるカタツムリの方がまだマシな一生だ。
誰かに文句を言いたいが、おおよそ身から出た錆というやつだからどうしようもない。
普通なら思い悩み、自らを改めようとアレコレやるのだろう。
だが、こちとらそんなまともな神経持ち合わせてない。
それどころか錆に錆を重ねてミルフィーユ状態、カフェと一緒にシルブプレ。
「おやおや、朝っぱらからシーンとしちゃっていけませんね。元気な挨拶は基本ですよ。先生も昔の職場じゃ、挨拶をミスって何度も死にかけました。紛争地帯では誰がいつ挨拶してくるかわかりません……先手をとれずとも、最大限の力で即座に挨拶を返す。それが生死を分けます」
俺は今を生きるだけ、過ぎた事は気にしない。
常に目の前の問題に対処し、解決するという何とも都合の良いリアリスト。
それが灰尾八雲という男なのだ。
「まあ小言はこの辺にして、出席を取りましょうか。呼ばれた人は元気に返事をしてください。では相沢渚さん――おや、欠席ですか。仕方ない、阿妻千鶴さん――む、こっちも欠席か。岩内環さん――チッ!」
俺はそう、確かにリアリストだ。
しかしどうだ、今はリアルが目にしみる。直視するのが辛い。
そこそこ優秀な工作員だった俺の心を折るほどのリアル、それはつまり。
「――学級崩壊」
新学期を迎えてから三度目の月曜日、朝のホームルーム。
俺が担任を務める教室の机は、十三のうち十一が空席だった。
「いや、決めつけるのはまだ早い。ひょっとすると感染症の流行かもしれんな」
「現実逃避は無意味ですよ先生。感染症は流行っていません。皆さん元気に朝食を取り、いつも通りの時間に寮を出たと寮長から報告を受けています」
二人しかいない出席者の片方が、淡々と俺に現実を突きつけた。
学級委員長、小野鹿桜。
長い髪をツーサイドアップにした少女は、野菜を囓るウサギのように無表情に俺を見つめた。
「……肉体は健康でも果たして精神はどうかな。四月もそろそろ終わるし、新学期から一ヶ月というのは緊張が解けて色んなものがどっと押し寄せてくる」
現実から逃げる俺の視線を捕まえたのは、もう一人の出席者だ。
長い黒髪を気だるげにかき上げ、首を横に振った。
「他のクラスならともかく、うちにそんな可愛げのある子はいない。むしろ我が強すぎるから、先生何人もやめちゃったんだし」
学園長の孫にして何かと俺の力になってくれる少女、神志女蛍はため息をついた。
ユニーククラス。
究極のお嬢様学校と言える九霄学園に設置された特殊クラスである。
魔法才能が傑出した生徒を年齢問わず集め、自由な個別教育を施す事を目的としている。
……と言えば聞こえは良い。
だが、実際は問題児や危険人物を一カ所に集めて管理するための教室だ。
これまで教育者としても魔導師としてもタフな教師達が、ユニーククラスの担任を務めてきた。
しかし、誰もが半年持たずに辞職した。
まともなヤツじゃ相手にならんという事で、俺に白羽の矢が立ったのだが……。
「学校に来ないってヤツをどうすりゃいいんだよ。暴力も脅迫も洗脳も駄目とか、女子校の教師は厳しすぎるだろ。何も出来ないじゃん俺!」
「当たり前でしょ。脅したり殴ったりして言う事聞かせる先生がどこにいるわけ?」
「え? 俺の通ってた中学校はそうだったけど?」
「それってこの間言ってた中央特殊ナントカ学校でしょ。変態小屋と一緒にしないで」
「俺の母校をそんな言い方するなんて……やっぱ気が合うよな俺達。今度一緒に窓ガラス割りに行かないか?」
「死んでも嫌」
デートの申し出を瞬殺された俺に、桜が挙手で発言を求めた。
「どうした委員長。君が代わりに行ってくれるのか?」
「それはまた今度……先ほどの先生の発言ですが、訂正があります。非出席者の皆さんはホームルームに出ていないだけで、一時限目には出席するようです。つまり学校には来ています。先生に会いたくないだけ、という事ですね」
「――良くわかった、ありがとう」
「いえいえ。もし感謝したいというのであれば、いずれ体の方で……」
心の涙がにじむ俺の皮肉に、ズレズレの小野鹿桜は頬を染めて頷いた。
俺の左の乳首を正確に突き刺す視線を躱しながら、教室の天井を見上げた。
出席者は哀れな馬鹿を放っておけない年下系保護者と、俺の肉体でよからぬ実験したい淑女見習いの二人だけ。
どちらも軽い変態プレイヤーだが、彼女たちは何を考えてるか大体わかる。
だが残りの連中は一学期が始まってから数週間経った今もさっぱりだ。
一体これはどういうつもりだよ?
そう空っぽの机に問いかけても、返事なんて戻ってこない。
いやひょっとすると、それこそがある種の答えなのか。
「それじゃ私達、一限目に急ぐから」
朝っぱらから黄昏れる俺に蛍がおずおずと声をかけた。
九霄学園は大学型の教育形態で、生徒達は自分の受講科目にあわせて講義室を行ったり来たりしなくてはならない。
桜も蛍もノート型の教育用端末片手に席を立った。
学園における俺の授業は魔法戦闘。
教員未経験の人間が担任を務めるという事で、現時点ではユニーククラスを対象に週三回しか行われていない。
残りの時間は授業計画を立てたり、同僚に教員のイロハを教えて貰ったり、他の授業を見学したりしている。
今日は五時間目に魔戦授業があるが、この二人以外の出席者が現れるか疑わしかった。
二人をぼんやり見送った俺の背中に声がかかる。
「灰尾先生、これからどうされますか?」
声の主は教室の隅で影のように佇んでいた女――副担任の滝本雪菜。
整ってはいるが何となく記憶に残りにくい容姿を見つめながら、俺はため息をついた。
「……月並みですが欠席の理由を把握し、解決策を考えます。しかし」
「しかし?」
「ちょっと奇妙な状況です。先週までも欠席者はちらほらいました。ですが、欠席の理由が思い浮かぶ生徒がほとんど。今日は理由が思いつかない生徒まで含めて、一斉に欠席している。神志女蛍の雰囲気から察するに、誰かが何かしたと考えた方がいいかもしれません」
「はい。私も同意見です」
滝本は軽く微笑んだ。
副担であり、最も身近な指導者であり、採点者でもある人間は無人の机達を見渡した。
「完全な登校拒否であれば地道なコミュニケーションを取るべきですが、ホームルームの欠席というのは明確な意思表示です。もしそうであれば今日の魔法戦闘の授業も欠席する気でしょうから、その時間を使ってちゃちゃっと面談でもやってしまいましょう」
「面談ですか――コンテナとライト、あとは水がいっぱいに入ったタライが必要ですね」
「面談ですよ灰尾先生。尋問ではありません」
「うーん、カタギのヤツは自信が無いですね……法律はどれくらい無視できますか?」
「一つも無視してはいけません。同席しますからご心配なく。生徒達には私の名前で連絡をしますから、ちゃんと来るはずです」
ユニーククラスの担任は何人も辞めたが、担任はずっと滝本一人。
それだけ生徒達の事も良く把握しており、生徒達からの信頼も厚かった。
もうアンタが担任やれば良いじゃんと思うが、そういう訳にもいかない事情があるのだろう。
「……よろしくお願いします」
感じたことのない無力感を覚えながら頭を下げる。
やっぱ大人しくテロリストでもやった方がよかったかなぁ――。
俺はとぼとぼと職員室に戻り、滝本と面談の打ち合わせを行った。




