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タイトスカートに包まれた形の良い尻を追いかけながら、俺は生唾を飲み込んだ。
すると怪しい気配を感じたのか、廊下を先行していた尻――滝本雪菜が足を止めて振り返った。
「どうかされましたか?」
「いえ、何でもありません」
俺が担当するクラスの副担を二年間務めている年若い女性教師は、目をパチパチとさせたが再び前を向いて歩き始めた。
その後ろを小ガモのようについて行く。
きっと朝っぱらからエロい事を考えているとでも思ったのだろう。
だが違う。
確かにスカートをめくり上げてストッキングを破いてみたいとは考えたさ。
でもそれが全てじゃない。
先ほどまでなんともなかったのに、廊下を歩き始めてから……いや、正確に言うとこの若くて美人の副担に会ってから身体の調子がおかしいのだ。
欲情とは真逆の反応、冷や汗と胃腸の不快感、のどの渇き。
理性や経験ではなく身体が警告を発している。
隙を見せるな、こいつは危ない、やられる前にやってしまえ――。
己を脅かす強力な存在を前にした時に感じる類いの緊張感。
かつての日常の中ではよく経験したものだった。
しかし奇妙な事に、いつもと違って恐ろしいと喚いているのは感覚ではない。
五感も六感も滝本に対して特別脅威を示していないのだ。脅威を抱くに足る情報はない。だと言うのに、身体が緊張を解かない。
例えるならそう、強烈なトラウマで記憶を思い出せなくなった人間が、知らないままトリガーに触れてフラッシュバックしてしまったような感じ。
頭が忘れていても身体が覚えている。
確かに俺の記憶には封印が施されている。
その中に滝本に似た女か、あるいは似た状況が存在し、肉体に変調を与えている可能性はあるが……。
「この教室です。準備はよろしいですか?」
ドアの前で立ち止まった滝本が俺を振り返った。
ユニーククラス。
壁に貼られたプレートには、飛行機の斬新な客室等級かと思うような名が記されていた。
受け持ち生徒と最初の挨拶をする気分ではなかったが、突っ立てる訳にもいかなかった。
違和感を消そうとして消せないまま、俺は頷いた。
滝本はドアをノック。
「滝本です。今から新しい先生と一緒に入りますので、身だしなみのチェックをしてください」
その言葉にドアの向こうからガタガタと音がなった。
静かになったところで滝本はドアに手をかけた。
「それでは入ります」
ゆっくりと開かれたドアの向こう、机に座った生徒達の姿が見えた。
滝本に続いて教室に足を踏み入れると、あっという声がぽつぽつと聞こえた。
目を合わせないよう気をつけながら、黒板の脇に立つ。
「皆さんおはようございます。今日から新学期という事で色々とお話はありますが、まずは皆さんから新しい担任の先生に自己紹介をお願いします。左の列から順番に、名前と年齢、好きなものや趣味などを一言添えてください」
滝本はにこやかに微笑むと、トップバッターに促した。
こくんと頷いて立ち上がったのは人形のように美しく、人形のように表情の乏しい娘。
口から出てきた声も、時報のように淡々としていた。
「小野鹿桜、十六歳です。夢は完璧な淑女となる事です。よろしくお願いします」
小野鹿は平安時代から続く古い貴族であり、長らく国政に関与してきた。
しかし大戦前から力が衰え始め、現在ではちょっとした名家といった程度。
ただし魔力に関しては衰え知らず、桜にもきっちり受け継がれているらしい。
勉学、魔法、身体能力。全てが高水準と資料には書いてあった。
中身さえ問題なければ、まさしく深窓の令嬢だったのだろうが……。
着席する座る寸前、俺を捉えた桜の瞳は意味ありげに輝いた。
解ってるよ、約束は守る。でも内視鏡は簡便な。
「あ、阿妻千鶴、十四歳です。よ、よろしくお願いします……好きなものは植物です」
続いて立ち上がったのは長い前髪で瞳を隠す少女。
顔をうつむかせて視線を合わせる事なく、慌てて自己紹介を済ませて腰を下ろした。
そのかすれ気味の弱々しい声は海岸で鼓膜を貫いた悲鳴とは大違いで、耳を澄ませないと聞き取れなかった。
阿妻も名家の一つだ。
古くから様々な薬草を取り扱ってきた家で、現在でも複数の製薬会社を経営している。
そういった家の人間は他人を見下すクズが多いが、珍しい事に阿妻の人間は評判がいい。
家長である千鶴の両親も人道支援にも力を入れている人格者である。
千鶴自身はどうか解らないが、変態と認識した相手と良好な関係を築けるほどの人格者ではないらしかった。
ごめんね。でも俺、別に変態じゃないから。マジで。
「岩内環、十五歳です! 趣味は格闘技で、人を殴ったり、殴ってくる人の拳を躱して殴ったりするのが好きです! 良ければ一発やりましょう! よろしくお願いします!」
見た目はボーイッシュだが、その中身はボーイが顔をしかめるような具合らしい。
変態狩りに意気揚々と繰り出し、森を彷徨っていたのだからこいつも基本は変態だ。
しかも格闘技というには凶悪すぎる技術を習得している。
岩内は鎌倉時代からの武家である。
槍やら弓やら使ってばったばったと敵を殺して戦果を上げていたらしいが、先祖もやっぱり相当な変態だったのだろう、素手で人をぶっ殺した方が最高だと思ったらしい。
巌打流なる徒手殺人術を生み出し、陰に日向に人間を殴ってきた。
時代が進むにつれて暗殺や護衛などに生業がシフトしていったが、人を殴る事ばかりに明け暮れていてはいけないと賢明な人間が気づいたらしく、権力者とのコネを生かして権力者そのものになった。
今ではイカレタ格闘術は身内の好き者にだけ伝授している。
環はつまり、先祖返りの変態なのだ。
俺は変態じゃないから一発も二発もヤラナイ。
「八重樫姫花、九歳です! 好きな事はお友達をいっぱい生み出す事です! よろしくお願いします!」
元気よく挨拶したのはゴーレムマスター。
見た目はそこいらの小学校に通っていそうなガキだが、召喚魔法のスペックはエクストラ。
その気になれば町一つ簡単に蹂躙できる力の持ち主だった。
八重樫は万札でケツがふけるほどの金持ちだが、これまでの少女達の家と違って古くはない。
歴史の浅い財閥で、魔法能力も特別高くはないはずだ。
輿入れさせた女が相当な才能の持ち主だったのか、あるいは姫花個人の才覚か。
何にせよ世間に放置する訳にはいかない子どもだ。
何をしでかすか解らないという点では、ある意味神志女よりも遙かに怖い。
子どもが好きそうなものを与えて手懐けようと思うが、九歳の女子は何を喜ぶか解らない。
取りあえず現金を握らせてみて反応をうかがうとするか。
「宮子路翼、十四歳。嫌いなものは無神経な人間。よろしくお願いしません」
これ見よがしの敵意を声と瞳に込めたのは白髪紫瞳の少女。
今回はあの時と違って魔眼は使っていない。
背中をまさぐられた事をまだ根に持っているらしいが、減るもんじゃないのにね。心の狭いヤツ。
以前担当した仕事で関わりがあったから、宮子路という家についてはよく知っている。
こちらは小野鹿よりもさらに古い。
元は祭司の家系とも言われているが、鄙から都に手を伸ばした辺りからは呪詛が主な生業となり、様々な術で数多くの人間や集団を狂わせてきた。
現在では呪術自体に厳しい制約が課せられているが、宮子路家は力を失うばかりか逆に深く根をはっている状況だ。
この翼という少女は妾腹であるがその才を惜しまれ、本家の養子となった立場である。
彼女は様々なトラブルを起こし、手を焼いた当主により繋がりのあった阿妻家に預けられたと聞いていたが、今はここが彼女の居場所となったらしい。
普通なら人間不信に陥って腐っているところだが、この様子を見る限りだとトゲはあるものの良い人間や環境に恵まれたようだ。
あちらはそのつもりはないみたいだが、俺はヨロシクしてやろう……トラウマを抉った事ちょっと後悔してるし。
「兎羽美景、十七歳です。本当の強さとは何かを知るべく、修行中です。よろしくお願いいたします」
見とれるほどに美しい一礼をした少女は、しかし残念、机の脇に一振りの刀を挿している。
見た目は良家のお嬢様だが、一筋縄ではいかない相手だ。
羽の生えた兎でトバネ。
一見すると可愛らしい名字に思えるが、ある意味では岩内よりも凶悪な武の家系である。
岩内は戦いこそに価値を見いだしたが、兎羽は己が認めた主君の刃となる事を尊んだ。
その剣術は常軌を逸した絶技らしいが、現在では振るう機会はあまりないようである。
ともあれ身辺警護の業界において、岩内は雇えるが兎羽は雇えないと語られており、彼らを従える者は一目置かれるというある種のステータスが、権力者達の中に存在する。
この娘もいずれ誰かに使える事になるのだろう。
その時までにすぐ刀を抜く性格をどうにかした方が良いと、俺は心から思います。
「水船優香里、十歳です。可愛い動物とか縫いぐるみが好きです。よろしくお願いします」
これまでの連中と違って年相応の雰囲気をした少女は、そこそこ大きな会社社長の娘であるらしい。
しかしこんな学園に入るほどの家格はない。
事実、少し前までちょっとした私立小学校に通っていたそうである。
渡された資料には詳しい事情が書いてなかったが、親の会社が八重樫財閥の系列企業である事を考えると、姫花のお守り役として白羽の矢を立てられたのだろうと推測できる。
少女漫画やアイドルに熱を入れてそうな普通の子どもだが、その気になれば人間の精神支配も朝飯前という力の持ち主だ。
扱いには十分気をつけなければならない。
「長浦梢、十六歳でーす。甘いものとか面白いものが好きです。よろしくお願いしまーす」
へらへらと挨拶をした少女は、そのアホっぽい様子に反して一番エグいプロフィールを持っている。
新興宗教の代表を務めていた母親は服役中、父親は消息不明。
現在は梢の担当医だった女性が保護者をしているらしい。
肉体は健康、問題は精神の方にあるそうだが、どういったトラブルがあるのかは知らない。詳しい話はその保護者から聞けと資料には書いてあったから、よほどの事なのだろうと思うが。
梢の母親の悪名は凄まじく、世間には公表されていない犯罪についても俺は知っている。
ただ、担当が違うため狂人が自分の娘に何をしたかまでは知らされていない。
出来れば知りたくもないが、立場上そうもいかない。
その日までは取りあえず、犬が喋ると信じて疑わないアホ娘として接するとしよう。
「和歌森奏、十七歳です。好きな男性のタイプは優しくて少しだけ意地悪な人です。よろしくお願いします」
濡れた瞳、赤い唇。
美貌と美声は恐ろしいほどに甘かった。
こいつが階段で女子を食ってた時にもその妖しさは感じていたが、直接目にするともはや危機感を覚える。
無意識に服従したくなったが、それは俺の趣味なんかじゃない。この少女の体質だ。
和歌森グループは表向きはただの企業だが、本質的にはマフィアの類いである。
法執行機関に尻尾を掴まれてはいないが、競合相手の関係者が謎の失踪を遂げるなどは日常茶飯事。
直接関わった事はないが、仕事の知り合いが何人か取り込まれている事からしてただのヤクザではないのは明白だ。
奏はトップの一人娘。
情婦だった母親は由緒正しい巫女の家系であるらしい。
神を降ろす女どもは人間を狂わせるほどの力を持っている。それがこの娘にも遺伝しているのだろう。
接する時は気を強く持っていないと大変な事になる。
まあ精神訓練をこれでもかと受けた俺なら大丈夫だろう――ああ、あの白いうなじから続く胸元の美しさ、指で触れたらどんな感触、どれほどの体温が感じられる事だろうか、いや、どうせなら舌で味わいたい、それにしてもなんて綺麗な瞳だ……。
「鈴本ノア、歳は十六。趣味は隠されているものを暴く事。よろしく」
ハムスターが喋ってる。
うーん……チビだし貧乳だし全然エロくない。
やっぱ奏様が最高だな。
大体、両親が二人ともハッカーって何だよ。
しかも対立組織の情報部に所属してるって何だよ。保護者面談はサイバー空間でお願いしますってアホか。
ガキを作ったのもサイバー空間か?
「古泉恵麻、十三歳です。特別な趣味はないんですけど、友達と遊ぶのが好きです」
少女が放つ一般人気配に若干正気に返る。
しかしこちらも奏様――奏の母親のところ並に古い家だ。
貴族としてバリバリ鳴らしていた時期も長かったが、今ではほとんど一般家庭。
先祖伝来の土地がわずかに残っているが、父親は普通のサラリーマンで母親は近所でパートをしているらしい。
恵麻も普通の公立小学校に通う普通の少女だったらしいが、中学に上がる頃に極めて厄介な特殊能力が発現。
父親が知り合いの貴族に連絡を取ったところ、この学園を薦められたらしい。
特殊能力の方はともかく、基本的にはただの女子中学生なのでちょっと気が楽だ。
他の連中の相手で頭がおかしくなりそうになった時は、こいつと話すとしよう。
期待してるぞエマージェンシー。
「……相沢渚。十五。よろしくお願いします……」
相沢ァ!
俺だ! 元気にしてたか!
してる訳ないか。めっちゃ俺に怯えてる!
不信感丸出し、そうこなくっちゃ!
魔法が全然使えない体質らしいが気にするな!
魔法なんていらない! 変態に怯える普通の心を持っている人間の方がよっぽど素晴らしいんだ!
よろしくゥ!
「……はぁ」
艶やかな光沢のある長い黒髪、吸い込まれそうな黒い瞳。
すっと通った鼻梁、桜色の唇。
まだ未成熟ながらも完成された容姿。
相沢との再会で興奮する俺の内心を見抜いたのか。
教室向かって右端の最後尾、ゆっくりと席を立ったラスボスは呆れたように息を吐いた。
この島に来てから何回ため息をつかせたのか覚えていないが、これからは数え切れないほどつく事になるだろう。
そう思うと申し訳ない気持ちもあったが、
実のところ、彼女の素性を知った俺の方が深いため息をつきたくなったのだからイーブン。
そういう事だから許してくれ。
「神志女蛍、十五歳。趣味は変人のお世話です。ヨロシクお願いします」
細められた瞳と弧を描いた唇。
それはまあ、ちょっと腹が立つほど魅力的で、俺は口の中で舌打ちをした。
神志女、蛍。
神志女羅沙の孫にして次期当主。
そう理解した今でも、俺にはただの面倒見の良い少女にしか思えないのは良い事なのか悪い事なのか。
見当がつかない俺を、滝本は教壇へと促した。
「皆さんおはようございます」
「「おはようございます」」
少しだけ高い位置から見下ろす教室には総勢十三名の生徒がいる。
年齢も出身も成績も進路もばらばら。
子どものオモチャ箱の中を覗いたような感覚。
愉快な光景だが、それぞれが極めて扱いにくい相手である事を考えれば、パンドラの箱と例えるべきかもしれない。
「私は本日から皆さんの担任をする事になりました、灰尾八雲です。先ほどは自己紹介をありがとうございました。短い内容でしたが、それぞれの個性が出ていて大変良かったです。より深いところはこれから教えていただきたいですし、知っていきたいと考えています」
彼女たちは普通のクラスに入れると大変な事になると判断された者たち――大変な事になった者たちだ。
一カ所に集めればリスクは高まりそうなものだが、各クラスに分散していた時よりも安定しているらしい。
しかしそれはまあ生徒達の話であって、ユニークという名のトラブルメーカーを一手に引き受ける事になった教師の方は胃にブラックホール。
去年だけで三人も担任が替わったらしい。
教師達は皆が優秀で真面目だったそうで、真面目すぎるが故に悩み、苦しみ、そして膝を屈したのだという。
「私も自己紹介をしたいところですが、実際のところ何を紹介していいものか悩みます。立場上、前職の詳しい内容は伏せざるを得ませんし、それ以前のプロフィールについても話せる事は限られています。この先質問があれば、答えられる範囲で答えていく形にしたいと思います。まあ、私がどういう人間かは先日の一件である程度把握していると思いますが……」
じゃあ不真面目な人間にやらせてみればいいんじゃね?
そう考えたのか知らないが、学園長が新たな担任に指名したのがこの俺、ヘマをしてクビになった元スパイという訳だ。
どうかしてるぜ、あの女。
「私はこの世で最も教師に相応しくない人間の一人です。しかし学園長は、この私が皆さんにとって最も適切な教師であると考えているようです。また、私にとって皆さんが最も適切な生徒であるのだと。私はそんな事とても信じられませんし、皆さんもそうだと思います。ですから今日からしばらくの間、一緒に答え合わせをしてみましょう。正解ならば親指を。不正解ならば中指を、学園長に立ててやりましょう。それくらいの権利は私達にもあるはずですから。しかしまあ――」
見渡した生徒達の顔は当たり前だが、講堂の時よりもすぐ近く、はっきりと見えた。
視線は合ったり合わなかったり、表情もそれぞれ全く違ったが、全員が俺の話をちゃんと聞いているようだった。
それが何とも面白かった。
今までに感じた事がない、不思議な面白さだった。
「私は学園長の親指を立たせるつもりです。そちらの方がすかっとしそうですからね」
笑って見せると、右奥の生徒が腕組みをした。
挑発的なその瞳はらんらんと輝いている。
話に乗った。そんな声が聞こえてきそうだった。
「それでは皆さん、どうぞよろしくお願いします」
頭を下げるとパチパチと拍手が鳴り響いた。
歓迎でもなく、賞賛でもなく、賛意でもなく、感動でもなく、揶揄でもなく。
ただ何となく叩かれた手の熱のない音が、どういうわけか耳に心地よかった。
ちょっとだけやる気になっている自分に気づかないわけにもいかない。
驚いた事に、俺はこの立ち位置を悪くないと思っているらしかった。
――先生か。ガラじゃないけど頑張ってみるか。
そんな訳で、教師としての俺の日々が始まった。




