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魔法先生なんてガラじゃねえ!  作者: 砂握
序幕「失業。傘を差し出す悪魔」
19/48

19

 足を止め、暗い廊下の先に視線を向けた。

 天井の明かりは消してあるため、日がほとんど沈んだ現在、魔法で強化でもしない限り視覚はあまり当てにならない。

 頼りになるのは耳と俺特有の第六感。

 前者はごまかすことも出来るが、後者はそうはいかない。

 俺は膝をつき目を閉じると、後者の感覚を研ぎ澄ませた。


 屋上までの道はこれ一本。

 敵は下からやってくる。

 訓練を受けた人間なら外壁を昇ってたどり着くことも出来るが、要所要所に窓から怪しい袋をつるしてその選択を抑制している。

 例え中身が小麦粉と解ったとしても、無茶はしないだろう。

 何しろ俺は一人じゃないのだから。


 二人の〝人質〟の身元は十中八九割れているし、自分の意思で俺に協力している事も推測されているはずだ。

 しかしそれでも暴力的な手段の使用は難しく、閃光弾や催涙弾といった非殺傷の兵器かそれと近い効果の魔法を選択するしかない。

 不意を突かなければ十分な効果は発揮できず、制圧は接近戦を考えているはずだ。

 練度の高い部隊は一個の獣のように動き、獲物を狩る。

 単体でも勝てる確率が低いのだ、近づかれた時点で勝率はゼロになる。

 敵の姿を確認して数秒後には決着がついているだろう。


 圧倒的に不利だ。

 この状況で俺の方を有利にする事は極めて難しいし、相手だけを不利にする事も難しい。

 しかし、お互いを不利にする事は可能だ。

 まあノアが上手くやってくれればの話だが。


 協力すると本気で思った? バッカじゃねぇの――と鼻をほじるハッカーの姿が脳裏に浮かんだその時、反射的に目を見開いた。

 ごくごく微量の魔力の霧のようなものが、廊下の奥に感じられたのだ。


 何の姿も見えないし物音もしない。

 物と人で溢れている場所なら気づきもしないレベルの魔力。

 ひょっとすると俺の感知能力を逆手に取ったデコイの可能性もある。

 こちらがリアクションを起こした瞬間、死に体を狙って致命傷を――迷ってる場合か馬鹿野郎。


「水もしたたるいい男ォォォ!」


 腹から叫び声を上げた。

 呪文ではない。

 懇願だ。

 干ばつに苦しむ農民達が、数珠を握って空を拝むようなやつ。

 一秒、二秒……しかし何も起こらない。

 突入部隊が攻撃を仕掛けてくる気配もなければ、俺の祈祷が通じた気配もない。

 女子校に侵入した頭のおかしな男が発作的に奇声を発したような絵面だった。

 だいたいのところ間違ってないかもしれないが、さすがの俺もいたたまれなくなって唇を舐めた。

 その瞬間だった。


 けたたましい音と共に水が全身に降り注いできた。

 無論、雨ではない。

 天井に備え付けられた消火用のスプリンクラーが起動しているのだ。

 俺の雨乞いを聞き入れたノアが装置に介入し、センサーを騙す事に成功したらしい。

 幾らかタイミングが遅れたが、ちゃんと仕事はしてくれた。

 冷や汗を冷や水が流す中、俺は水しぶきが跳ね回る廊下の奥を睨んだ。

 水滴が、不自然に跳ねている。


 やはりいた――いる。


 発見したこちら、発見された事に気づいたあちら。

 それはほとんど同じタイミングで、行動を起こしたのもほぼ同時。

 不可視の敵が降り注ぐ数多の水滴を弾き飛ばしながら、矢のように襲いかかってくる。

 数は四つ、いや五つ。

 人間のものではない異様な速度に鳥肌を立てている暇はない。

 俺は反射的に床に触れさせていた両手に魔力を込め、呪文を唱えた。


《碧、赤、白、白、黒!》


 五節も必要な面倒くさい呪文。

 マスクで覆う余裕もないから、丸出しで放つ。

 瞬間、手のひらに触れた水を通して廊下中を電流が駆け抜けた。


 バチッという景気のいい音と独特の匂い。

 電流を受けた襲撃者達の光学迷彩はエラーを生じ、黒い戦闘服を着たその姿が露わになる。

 だが、止まらない。

 連中は瞬時に俺の魔法式を読み取り、それに大した危険性を感じなかったため回避行動を取らなかったのだ。

 奴らが身にまとっているのは高価な装備、耐電は当たり前についている。

 姿を晒す程度なら問題ない。

 部隊のコアリーダーかバックアップがそう即断し、行動を継続した。

 結果、魔法を放ってから二秒と経たず、宙を舞う先鋒の戦闘員が俺の目の前に飛び込んできた。


 圧倒的な威圧感。

 放たれる一撃は必殺に違いなかった。

 俺が苦し紛れに前蹴りを放とうと腰に力をためると、顔を覆うバイザーの向こう、見えないはずのそいつの瞳があざ笑ったような気がした。


 間合いに入った瞬間、蹴りを放つ。

 しかし右のつま先は戦闘員の下腹部を捉える事はなく、虚空を刺しただけ。

 空中を飛んできたそいつはあろう事かその勢いを体の回転だけで殺し、俺の蹴りを間一髪で回避する事に成功した。

 彼我の距離はもはやゼロに近い。

 俺の懐に沈み込んだそいつは着地してガキをあやすように俺を取り押さえようと――


「着地するな!」


 警告が放たれたのはそいつの足の裏が床に触れるほんの少し前だった。

 だが、それはあまりにも遅すぎた。

 着地した瞬間、戦闘員はずるりとこけた。


「ィッ!」


 殺しきれなかった驚愕の声がバイザーの向こうで確かに聞こえた。

 体のコントロールを失って懐に落ちてきたそいつを、俺は女をあやすように巻き込み、がら空きにした首筋に人差し指を突き立てた。

 至近距離から放つ電気系失神魔法は絶大な威力を発揮し、その名の通り戦闘員の意識を奪った。


 さあてここからが本番だとヌルヌルの手のひらを擦り合わせていると、ずるんばたんどてんと愉快な音が聞こえてきた。

 見れば廊下の途中、他の戦闘員達が床を転げ回っていた。

 無事なのはただ一人、中腰でこちらに顔を向けたやつ。

 おそらく先ほど警告を放った人物――隊長の類いかもしれない。

 先ほど俺が行使した呪文の本当の効果を素早く見抜き、何らかの魔法によって対処したようだ。

 だがこちらに襲いかかってこないところを見ると、戦闘行動がまだ困難なのか、あるいは俺がまだ何か隠し手を持ってないか考えているのか。


 ふ、後者だったら悪いが、財布はもう空っぽなんだごめんね。

 だからホテル代は君が建て替えておいて。

 俺はへらへらと力なく笑った。


 スプリンクラーから水をまいて、その水を魔法を使って粘性化。

 手持ちのカードはそれだけだ。

 最初の電流は水を変容させるための手段であり、目的ではない。

 そのため式を見れば大した事が無い魔法に見えるから、威力の弱い電流など気にもとめない奴らは慢心する。

 効果に気づいても対処が意外と難しい。

 何しろヌルヌルするだけで無害なのだ、自分に害のある術を無力化・回避する訓練を積む魔法戦闘において、こういった術への対処は基本的に想定していない。

 粘性化した水の組成を分析して分解する術式を組むのも一苦労、何しろ敵――俺はその時間を与えるつもりはない。


 俺は両手を再び床につけ、詠唱を放つ。

 内容は先ほどとほとんど同じ、しかし少しだけアレンジを加えてある。

 粘性化のパターンを変えて、効果に発光を追加しているのだ。

 俺が放った魔法により、降り注ぎ続ける水によって薄まったローションは追加され、今回は更に幻想的なピンク色の光を放った。


 摩擦増強魔法でも使ったのだろう、ヌルヌルテカテカの戦闘服をエロティックに輝かせながら立ち上がる急襲部隊の姿に俺は舌なめずりをして、両足のつま先に力を込めた。

 こちらも同じく摩擦増強。

 しかしその目的は立ち上がる事じゃない。

 推進力を生み出すためだ。


「ドキッ! 特殊部隊だらけのヌルヌルローション祭り! 第一回の開催です!」


 ポロリしろよオラァと雄叫びを上げながら、つま先を蹴り出した。


 ズルゥゥゥゥゥッ―――!

 気絶した仲間と共に、床を凄まじいスピードで滑ってくる俺を見た時、果たして奴らはどう思っただろうか。

 混乱したか?

 呆れたか?

 恐れたか?

 ちょっと笑っちゃったか?

 バイザーに隠れた表情は見透かせなかったが、全員が強制的に祭りに参加させられる事には変わりなかった。


 いつだって俺がこの術式を使うと、始まりは必ずボーリングになる。

 突っ込んでくる俺を迎撃するか、回避するかしようとした飛び上がってよけるか。

 連中が行動を選択しようとしたところを見計らって、俺は共に滑ってきた意識のない戦闘員を射出した。


 仲間の元へお帰り!

 ってな具合に、涙を飲んで孤独を選んだ俺はまさしくアライグマを森に帰したペーターの気持ちだった。いや、名前が違った気がする……レーニン? スターリン?

 まあとにかく社会主義だ。


 俺の唐突な善意に対して、連中は上手く反応できなかったらしい。

 何しろさっきまで冗談を言い合ったり、胸をもみ合ったりした仲間が、そこそこの坂道を下る自転車並のスピードで、しかも回転しながら足下に飛び込んできたのだ。

 回避できたのは二人だけ、残りの二人は巻き込まれて床を転がった。


「もういっちょ!」


 最初に俺の狙いを見破ったヤツは大きく廊下の奥へと飛び退いたが、もう片方は中途半端に空中を飛んでいた。

 俺は腹ばいのまま、再びつま先を蹴って加速。

 落下してくるところをすかさず身体ごと刈り取りにかかる。

 敵が取り得る反撃の選択肢はいくつもない。

 予想通り、のど元を狙って踏み下ろされたかかとを、摩擦増強と解除を使って巧みにかわして、背後に回り込んで押し倒す。

 相手はグラウンドテクニックを駆使して優位を取ろうとしてきたが、何しろ滑って上手くいかない。

 一日の長がある俺の敵ではなかった。

 首筋を晒し、馬鹿の一つ覚えの失神魔法。

 あと三人。


 全身にまとわりつくローションの感触が、過酷なトレーニングの日々を思い出させる。

 訓練施設、夏のプール。

 教官と共にローション格闘術を極めようとした、夢幻のようなあの時間だ。

 こいつは必ず役に立つ、覚えておいて損はない――俺が知る最高の暗殺者はいつになく鋭い目つきでそう言い放った。


 その言葉に偽りはなかった。

 水さえあれば、格闘術やフィジカルが格上の相手でも泥仕合ならぬヌル試合に持ち込んで優位に戦える。

 今までどれだけ俺の窮地を救ってきた事か。

 16歳の一夏は丸ごとローションに塗りつぶされたが、それだけの価値はあったと言える。

 ごついオッサンと絡み合う中、刺激に反応してしまった身体の一部に怒りと失望を覚え、生暖かい目で頷く野郎を本気で殺そうとし、返り討ちに遭い、歯を食いしばり、絶望を経た諦観からの覚醒……オクラや納豆を見るだけで震える手足、ローションが足りない、足りない、足りない!


「うおおおおおおお!」


 頭の中で何かイケナイものが弾けた。

 衝動に身を任せ、ロケットのような勢いで手近なターゲットに向かって頭から突っ込んだ。

 そいつはこのコンディションでの戦い方を把握したのだろう、無理に立ち上がらず俺に倣って腹ばいの姿勢を取り、迎撃態勢を取った。


 にわかローショナーめ……!

 俺は激突の寸前、片手の摩擦力を上げる事で身体を半回転させ、蹴りを放った。

 この種の攻撃はある程度予想していたのだろう、相手は身をよじり、蹴りをかわしざまに足を取ろうとしてきた。

 俺はローションまみれの顔をほころばせた。


 そうだよな、俺だって最初はそうした。

 そして自分の勘違いを悟ったんだ! ローションコンバットを二次元だと思い込んだら負けだってね!


 過去の自分をあざ笑い、俺はもう一方の手で身体を急停止させた。

 体幹に力を込めて遠心力のベクトルを強引にずらし、斜め上へと跳ね上げる。

 一見すればブレイクダンスのパワームーブだ。

 腕で虚空を抱きしめた敵は、ひねり上げられる俺の足を呆然と見つめた。

 そしてそのまま防御姿勢を取る事も出来ず、急降下してきた踵と床に頭を挟まれ、一撃で昏倒した。

 生身なら即死だが、バイザーをつけてるから多分生きてるだろう。

 多分。


 ちょっとだけ俺が日和ってると、もう一人がこちらに向けて滑ってきた。

 頭から突っ込んでくるそいつは、手に警棒を持っている。

 形状を見ればスタンガン付き。濡れた床に触れさせるとかして、離れた場所から通電するほどの威力はないが、ローションまみれの人間が少しでも触れれば一発だ。

 体制が整っていないところを、魔法に頼らず身体と武器で急襲する算段。

 素早い判断と決断は素晴らしい。

 しかし、やつは本当に戦闘環境を理解しているだろうか。

 どれどれ、ここは一つ試してやろう。

 俺は両手を床に触れさせて叫んだ。


《碧、白、黒!》


 滑走のスピードと彼我の距離を考えれば、呪文が何らかの効果を発揮しても敵の攻撃の方が早い。

 相手もそう考えたはずだ。

 編まれる魔法を気にかける事無く、そいつは冷静に俺の動きを見極め、そっとスタンバトンを構えた。

 間合いに入るや否や、視界から消える動きで繰り出されたその先端。

 しかし俺の脇腹に電極が触れる寸前、ぴたりと制止した。

 止まったのは警棒でもなく、それを握る腕でもなく、敵そのものだった。


 動揺、理解、対応。

 相手は訓練を受けた人間である、行程が完了するまで二秒もかからなかった。

 だが、仕掛けて状況を作った俺が先手を取るのには一秒もかからなかった。

 相手の手首をねじり上げて警棒を反転させ、通電スイッチをオン。  


「ビリビリィ!」


 特別な効果音もしないから口で言ってやる。

 ブルッと身体を硬直させた敵が、だらりとその場に伸びた。

 思わず吐きかけた安堵の息を飲み込みながら、俺はそそくさと立ち上がった。


 約半径一メートルのローションは粘性を失っていた。

 ピンク色にも光らない。

 先ほどの魔法でただの水に戻したのだ。

 粘性化するよりも解除する方が簡単で素早い。

 そういう風に作られた術である。

 先手を取られた際にローション化して彼我の優位を一端失わせ、こちらが早く行動を起こす事で優位を得る。

 相手が状況に合わせて行動してきたら水に戻してしまう。

 そうすると、この敵のように行動に間隙を生じさせることが出来る。

 水さえ確保できる閉鎖空間であれば使い方次第でそこそこの武器になるが、一度この展開を見せてしまうと簡単に対処されてしまう。

 まあ俺が持つ子供だましの一つだ。


 大人は騙されないと思っている時点で、子供だましは有効だというのが教官の持論であり、俺も同意するところである。

 ただし誰を騙すかというのが最大の肝であるため、ヤツを最後に残してしまった以上、今回は失敗したと言えるかもしれなかった。


《なかなかに面白い見世物だった》


 普通の台詞と同じ文言で放たれたそれは、しかし間違いなく呪文詠唱だった。

 ピンクに輝いていた床が光を放つのを止め、廊下が一瞬で暗くなった。

 廊下の奥、闇に溶け込む戦闘服を着たそいつは、反射防止加工を施されたバイザーで光を吸い込み続けているようだった。



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