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発見されにくいルートを選び、気配を消して進んでいく――が、途中で馬鹿らしくなった。
学生寮周辺はパレードでもやってんのかと思うほど騒がしく、隠密行動の必要は皆無だった。
かつて仕事で訪れた中東のある都市を思い出す。
その年三度目になる革命により、中央広場が混乱する人間であふれていた、あの日の光景だ。
怒号とも悲鳴を吐き出しながら銅像を破壊する人々の間をすり抜けながら、とある国家が送り込んだ工作員と思しきデモ隊指導者の側近を拉致したわけだが、広場にいた千人近くの人々の中でそれに気づいたのはたった数人だった。
ここにいるのは情勢不安と貧困に追い詰められた人間ではなく、いいトコの若い娘達であるが、まるっきりかけ離れた両者に共通する点が少なくとも一つある。
それは自分たちを鎮めようとする者達と、反射的に敵対してしまうことである。
「吹き飛べ、このクソアマァ!」
「貧乳が出しゃばってんじゃねぇぞ!」
「そうだそうだ! 部屋に戻って豊胸体操でもやってろ!」
「このペチャパイ委員長が!」
まるでスラムの酒場だ。
女性の体の一部分をこれでもかとあげつらっているのは、花も恥じらう女子生徒達である。
中指を突き立て威嚇の攻撃魔法を放っている少女達は、元同業者の女どもが淑女に見えるほどの有様だった。
小綺麗に整えられた街路樹の影から覗き見た学生寮の玄関付近には、ウジのわく死体を見ても平気でハンバーグをもりもり食べていた俺が顔をしかめるレベルの、地獄絵図が広がっていた。
地獄の中心で震えていたのはひんにゅ――細身の少女である。
罵詈雑言を一身に浴びている彼女の腕には風紀の文字が記された腕章が見える。
状況としては単純で、学生寮から飛び出していこうという生徒達を風紀委員長が制止しているといった具合らしい。
人手が足りないのか自信があるのか、十名ほどの暴徒相手に一人で立ち向かっている。
「あれが風紀委員長の、高等部二年の牧原和恵さん」
後ろで蛍がそう囁いた。
小型犬を抱きしめるその声には緊張が混じっている。
その理由は聞かずともわかった。
推定AAカップの牧原さんは震えていたが、それは胸をえぐる心ない言葉に悲しんでいたからではない。
純然たる怒りを必死で押さえ込もうとした故の震えである。
青筋の浮かんだ額に手を当て、歯を食いしばりながら、自分より一回り二回りでかい乳達に向かって声を絞り出した。
「さ、先ほども説明しましたが、侵入者は危険性が高いため――」
「委員長! 胸が小さくて聞こえませーん!」
「たた、対応は警備部の方々に任せてですね、皆さんは学生寮で――」
「オメェのまな板で料理でも作ってろってか!」
「し、静かに大人しく、じっと口をつぐんで――」
「人と話すときに背中向けんなよ! 失礼だろ!」
「殺――迷惑をかけず、新学期に備えて勉学に励んだり――」
「誰か、おっぱい知りませんか! 牧原さんが落としたらしいんだけど!」
「……つまりですね……」
「なんか、ホントかわいそう」
プツン。
そんな音が聞こえた気がした。
《ひれ伏せ、我が威は汝らを押し潰す!》
問答無用の呪文詠唱。
しかもノーマスク。
通常、詠唱はその原理上、影響が及ぶ周辺の魔道師にはその術内容が理解できてしまうものだ。
しかし当然攻撃魔法なんかだと効果を知られてもらっては困るため、術の中にマスクと呼ばれる隠蔽式を組み込んで、術内容を瞬時には把握しにくくする。
一種の暗号化ともいえる。
スカートめくりを試みるエロガキから戦場の兵士まで、程度の差はあれ、他者が望まぬ影響を与えたい時は、マスクを組み込むのが普通だった。
話はそれるが、このマスクを過剰に設定するやつの事を業界ではマスカキと呼ぶ。
さて、この怒れる委員長はマスカキではなかった。
むしろ一糸まとわぬ露出狂である。こちらは業界においてフリチン。
広範囲加重魔法。
丸出しの式を見て、術内容を理解した者達は反射的に防御魔法を展開した。
それは女子生徒にしては中々に手慣れた速度で、連中がまともな学生ではないことを知らしめた。
だが、委員長の一撃はその防御ごと生徒達をたたきつぶした。
ぐげぇえぇ、ぐふうっ、ひげえぇ。
辺り一面、そんな悲鳴がつぶれたトマトのようにわっと咲いた。
全身を上から押さえつけられ、土下座に近い格好でもがく少女達。
術を放った委員長は血走った目でそれらを見ながら口から泡を飛ばした。
「だぁらあぶなつってっし! むねのいえいおったまにもおくえ! ばらっくこっでチチごとつぶえっろ!」
感情が高ぶりすぎているらしく、言葉は不明瞭だったがその意味は漠然と通じた。
若干、いや、半分ぐらいは私怨が入っているようだったが、残り半分は風紀委員長の勤めを果たしていると言えるのだから偉い。
しかし、頭に行くはずの栄養を胸に蓄えてる連中はそれを理解せず、這いつくばりながらも憎まれ口を叩いた。
「潰れんよ、この胸も、野望も、な!」
「そう、よ――そうやって見下ろしていられるのも、今のうちだし」
「小さい女ね、器も、胸も」
映画に出てくるちゃちな悪党のような不敵な笑みを浮かべる土下座ーズ。
かといって魔法で反撃できる様子もなく、一見するとただの強がりにしか思えない。
しかし何か違和感を覚えたのか、隣で蛍が首を傾げた。
「状況がなんだか、おかしな気がする……」
「それは多分、こいつらが陽動か、もしくは味方の合流を待ってるからだろう」
俺はそう答えながら、来たるべき時に備えて魔法の準備を始める事にした。
「そうなの?」
「ああ。罵声を浴びせてる時の連中は何度か目線でやりとりをしていた。挑発して足止めし、こういった状況を作り出す事が目的だったんだろう」
「別働隊がいて、そっちを自由にするって事? まあ確かに時期が時期だし、委員長側の人手は少ないと思うけど……牧原さんがそんな手に引っかかるかなあ」
「引っかかってないさ。ちゃんと気づいてる。というか事前に対処してるよ」
「……今来たばかりなのにそんな事がどうして解るのよ」
「それはなあ――」
俺が根拠を口にするより早く、風紀委員長が先にカードを広げた。
「上手くやってるつもりでしょうけど、皆さんのお仲間はもうやられてますよ」
少し冷静さを取り戻したらしく、顔色を変えた生徒達を見下ろして委員長は淡々と語って聞かせた。
「寮から脱出可能なポイントには風紀委員と警備員の皆様に待機してもらっています。ですから今皆さんがやってる事は、骨折れ損……いや、乳潰れ損のくたびれもうけというやつです」
ああなるほどと傍らの蛍が頷いた。
「なにぃ!?」
「卑怯だぞ! 貧乳!」
「どうして解った! まさか内通者が……」
苦い顔をする者共を委員長は鼻で笑った。
「内通者などいりませんよ。だって見れば解るでしょ――ここに私の相手になる術者はいないんですから。だったら皆さんは馬鹿か、あるいは馬鹿な囮かのどちらかです」
触れ伏した少女達は顔を赤くしたが、何も言葉を発しなかった。
反論できないほど、実力差があるのだ。
例え人数をそろえても相手にはならない。
魔力の差を言うのはそういう種類のものであるのだ。
しかし、力の競い合いならともかく、大抵のケースでは個が群れを圧倒する事はほとんどない。
実力派の委員長は力があるが故に、バックアップの重要性を理解していない。
では、なぜ支援が必要か。
「……皆さんの様子を見てると、どうやっても自粛してもらえないようですね」
それはどんな高位の術者も、魔法を使い続ける事が不可能だからである。
すなわち、どんな術にも終わりがあるという事。
「変質者さんの動き次第では自主避難が必要になると思って躊躇っていましたが、こう騒がれては私も警備部も面倒です。ですから」
風紀委員長の魔力が蠢く。
加重魔法を終了し、違う魔法に切り替えるのだ。
制御領域のクリア、新しい式の書き込み、展開、発現。
どれほどの熟練者でもそこには隙間の時間が生まれる。
だからその間隙を埋めるカバーが必要になるのだ。
現場では何が起きるか解らないし、敵が目に見えるものだけとも限らないのだから。
「しばらく眠っていてください」
加重による空気の震えが止まった。
愚かなソリストによる新しい術式が花弁のように展開されていく。
それが力を持つよりも早く、俺は犬と蛍の目をふさぎながら声と魔力を吐き出した。
《青、白、青!》
詠唱が影響範囲にいる者の全ての耳に鳴り響き、術の効果が発現する。
それは暴徒鎮圧用に使われる閃光魔法。
直視すれば丸一日は使い物にならなくなるほどの効果があるが、威力をかなり抑えてあるため、少女達は昏倒せず、年齢に相応しい甲高い悲鳴を上げた。
風紀委員長もその一人である。
展開中だった魔法はクラッシュし、式が無意味化していく。
あれではしばらく魔法は使えないだろう。
己以外の視力にダメージを与えたところで、別の悲鳴を上げていた蛍を抱え込むようにして街路樹の影から飛び出す。
声色を変え、腹から叫ぶ。
「ここで何をしてるんだ! 校舎に変質者が逃げ込んだ! 早く寮に避難しろ!」
目を痛そうに瞬かせる少女達が、こちらを向いた。
視力がいいものなら、こちらが男である事が一目で分かる距離である。
しかし視界を焼かれた少女達には、傷ついた同僚を抱えた若干骨太な警備員が叫んでいる姿が、ぼんやりと見えただけ。だが反応は無駄に早かった。
「狩りの時間だあああああ!」
変質者退治したい隊の連中は弾かれたように立ち上がった。
制御領域の正常化に苦心する風紀委員長を突き飛ばすと、学園に向かって走り始めた。
視力が完全に回復しきってないのだろう、躓いたり転んだりするが、異様な気合いに満ちており、飢えた狼の群れのようだった。
「こちら囮の巨乳軍団! 校舎にマル変あり! 繰り返すマル変あり!」
「うんうん、だから今なら、玄関から出られるよ。貧乳? わかんないけど、閃光魔法で自爆したみたい!」
「ほら、あんたも日和ってないで来なよ。若い男だって話しだしさ、上手いことやれば……」
応援を呼ぶべく端末で誰かと話し出す者もいたが、その通信が終わるより先に歓声が寮の中から沸き起こり、玄関から次から次に女子生徒が飛び出してきた。
「うわっ、マジだ! 委員長倒してる!」
「やっぱ巨乳つえーわ、マジつえー」
「やったああ! まさかの勝利! ねえねえ、オッズはどれくらいだったっけ!?」
なるほど、いざこざをどこかで観戦でもしていたのだろう。しかもどうやら賭けまでやってたらしい。
とんだ乙女の園もあったもんだ。
「上手いこといったわね」
「じゃじゃ馬が多くて助かるよ」
自分も走りたくなったのだろう、短い尻尾をぶん回す毛むくじゃらに顔を埋め、蛍が大きくため息をついた。
その肩をぽんと叩き、さあどさくさに紛れて校舎を目指そうとしたその時、自責と焦りで顔を険しくした風紀委員長がこちらに駆け寄ってきた。
「すみません、閉じ込めに失敗しました。予想外の攻撃を食らって――って、え? あなた……」
ぽかんとした顔で俺を見つめる少女にニコリと笑いかけた。
「女は胸じゃない。ほどよくだらしない下腹に限る」
慰めの言葉と当て身をプレゼント。
すとんと声もなく崩れ落ちていく身体を抱き上げ、肩に担ぐ。
「さ、急ごう」
「……なんだかなあ」
だんだん慣れてきたのだろう、蛍は非難がましい目線をよこしてきたがそこには諦めも多く含まれており、担がれた風紀委員長を哀れそうに一瞥すると走り出した。
俺が男であるのを一目で見抜かれないように配慮して、前を走ってくれることにしたのか。
それとも単に俺から逃げ出したくなったのか。
一瞬疑問が脳裏をよぎったが、俺はすぐさまその形のいい尻を追いかけることにした。
蛍はいい子だからきっと前者に違いないね。
じゃじゃ馬の群れを追ってたどり着いた校舎の前は怒号が飛び交っていた。
荒ぶる生徒達と落ち着けようとする警備員達。
図式としては先ほどとそう変わりないが、状況は大きく異なっている。
生徒達は安全な寮から出て行こうとするのではなく、防衛システムなどが機能している校舎に入ろうとしているのだ。
窓や非常口から突入しようとする生徒を、警備員が必死で制止している。
それをすり抜けた者の何人かは侵入者用の撃退装置の一撃を食らい、悲鳴を上げて地面を転げ回っている。
俺は警備員に同情した。
「それで?」
俺と同じ心情らしい蛍が、集団から幾らか離れた辺りの物陰で足を止め、こちらを振り返った。
「働く女性達には申し訳ないが、警備の応援が来る前にやっちまおう。悪いが陽動頼めるか?」
「どういうの?」
「さっき俺がやったみたいな閃光でもいいし、轟音系でもいい。俺が合図したらあの辺りにばーんと何か一発やってくれ」
アゴで一方を示しながら頼むが、蛍はひどく難しそうな顔をして黙り込んだ。しばし遅れてなんとも煮えきれない口調で答えた。
「……魔法はあんまり使いたくないんだけど。さっきみたいに自分でやるわけにはいかない?」
「え? いや、無理だな。学生と違ってあっちはプロだから、俺が魔法を使ったら俺の存在がばれる。警戒されて奇襲にならないどころか、逆にたたきのめされるぞ……何だお前、魔法苦手なのか?」
「まあ、ね」
嘘だろと口の中で呟く。
俺の魔力感知は漠然とその人間の魔法技量を把握できる。
上手い人間は魔力が水のように全身をさらさらと流れており、下手な人間は砂利を転がすようにがたがたしている。
これは体質に近い類いのものだから、ごまかしはきかないのだ。
では蛍はというと、風紀委員長なんかとは違って学生の域を出るレベルではないが、癖も歪みもなく流れの質自体はむしろ強い。
閃光魔法程度、造作も無くやってのけるはずなのだが。
「そうか。それじゃ、変質者があっちにいるとか叫んでくれ。それなら頼めるか?」
「うん、それならやれる」
「よし」
やはり複雑な顔で頷く蛍に合図を教え、持ち場に移動してもらう。
よく解らないが、まああいつにも色々あるのだろう。
精神的に参ってる時とか妊娠してる時とか、魔法制御が不安定になるし。
あとアレとかコレとか。
まあ協力が嫌になったって感じでもないから、一安心といったところか。
集団の注意を逸らすのに足りない部分は、このスレンダーガールに手伝ってもらうとしよう。
俺は担いだ少女の頭をなでながらじっと喧騒を観察した。
じゃじゃ馬共は御者に鞭打たれ、いくらか弱ってきている。
一度で成功させなければパニックは解消されてしまう。
均衡を崩し、退治したい隊に流れを傾けるには無論警備を叩く必要があるが、全部をやるのは無理だし、仮に出来たとしても不自然になる。
生徒が疑問を持てば今度は俺と連中の追いかけっこだ。
違和感少なく、バランスを崩す。
狙うのは一番タフな警備員ではない――エントランス脇で生徒に自制を呼びかけているDカップだ。
観測魔法の光球を複数飛ばしながら、生徒の動向を観察し、味方と共有している。
あれがターゲットだ。
深く息を吐き、大きく吸う。
お決まりの身体強化に加え、詠唱不要の視覚強化魔法をトッピング。
オエェ。
感覚強化系の中でも最も効果が高く、そして身体にも悪い。
発動するや否や、視界がぐにゃりと歪んだように膨らむ。
猛烈な吐き気と頭痛を引き替えに、大量の視覚情報が滝のように脳みそに突き刺さる。
世界がギラつき、舌の上で血の味がした。
「――ぐ」
膝から崩れ落ちそうになるのに耐え、目的の巨乳を凝視した。
瞬間、鮮やかすぎて目が回る景色の中、どこをどう進めば巨乳まで誰にも邪魔されずに進めるかを、いとも簡単に理解する。
脳みそがハングアップする前に、地面を蹴ってスタートを切った。
四歩目で何人かがこちらに気づいた。
ゆっくりと投じられる視線を、顔を伏せたり担いだ少女で弾いたりしながら、頃合いを見計らって自由な方の手で蛍に合図を出す。
人差し指と小指を立てた、キツネのサイン。
コンコンコン。
「あっ! 職員寮の屋上に全裸でムーンウォークしてる男がいる!」
蛍の渾身の叫び声が人々の視線をあさっての方向へと引き寄せる。
だが全てではない。聞こえなかった者、訓練された者の数名は視線を動かさなかった。
Dカップもその一人だった。
だが集団の後方、俺の正面に位置する連中の視線ははがせたので十分だった。
俺は人混みに飛び込んでいきながら、エントランス正面に立つ警備員の方に向かって担いだ少女を放り投げた。
推定四十五キロが宙を舞う。
「――あれぇ、マッキーじゃね」
空を向いていた者の視線、視線を動かさなかった者達の視線が宙を舞う少女に残さず引き寄せられた――はずだろう。
俺はそれを確認しないまま、身を低く低くかがめて人混みに突っ込んだ。
顔の横を通り過ぎていくスカートの裾をふわりと巻き上げながら、誰にも触れず誰にも触れられずに素早く慎重に駆け抜けていく。
一瞬視界の端にパンチラを捉えた気がしたが、視線は巨乳から逸れなかった。目が三つあれば良かったのに、ダーウィンの馬鹿。
人混みから抜けきる。
見上げるとそこには警備員服に包まれた巨乳、その視線は傍らで少女を受け止める同僚を見ている。
すぐに気配を察知したか。
振り向こうと首筋の筋肉が緊張するのが、ゆっくりと見えた。
――遅い。などと格好つけた言葉を吐く余裕はない。
吐きそうなのはもっと別のものだ。
早く術を停止しないと脳みそがイッチャウ。
狙うはたわわな二つの乳。
ではなくヘソの辺り――臍下源渦と呼ばれる魔力の流れの中心となるその部位に、手のひらをそっと触れさせた。
瞬間、巨乳がびくんと跳ねて後方へと倒れ込んだ。ぴくりとも動かない。
上出来上出来、さすが教官直伝のナントカカントカ。
巌打流の最奥をパクった技とかで、あのおっさんはあっさりデコピンでやってのけるが、他人の魔力に敏感な俺でも臍下源渦に直接打ち込んでも失敗が多い。
しかし成功すればこの通り、全身の魔力の流れを乱されて一撃昏倒。
何よりの強みは技であって魔法ではないから、防御の術式には阻まれないという点。
しかし直接触れて集中しないといけないため、現代の魔法戦闘では実用的とは言い難い。
使いどころがなかなか見つからない高等技術だった。
何はともあれ第一目標を無力化できたため、視覚強化を停止。
とたんに世界が緩やかに朧気に姿を変える。
強烈な負担から解放された脳みそがふわっと天まで昇ってきそうな感覚に、不健康な快感を得る。
全身から噴き出る汗と強烈な眠気に耐え、手近な警備員の足を絡め取った。
予想通り、風紀委員長を抱き留めていたそいつは上手く受け身をとれずに床に後頭部を強打。
しかしさすがに魔法と訓練で強化された人間、くぐもった悲鳴を上げただけで意識は失っていない。
すかさず握った足のかかとを回転させて足の骨をへし折ってやろうと、
「道ができたぞおおおお! なだれ込めえええええ!」
戦国ドラマよろしく、女子生徒どもがときの声を上げてエントランスに出来た穴に殺到してきた。
慌てて手の中の足を放し、背後から突き飛ばされる勢いで校舎内に飛び込んだ。
身体を丸めて転がっていく。
ローリンローリンローリン。
安全な壁際でダンゴムシを止め、気絶した振りをして床に伏せる。
ちらりと視線を送ると、飛び散ったスリッパと転がった消化器の向こう、風紀委員長の安全を身を挺して守るあの警備員が、次から次に現れるローファーに踏みつぶされていくのが見えた。
あんた偉いなあ。
人間って素晴らしいっすと暖かい気持ちに浸りつつ、せっかくなので呼吸を整え回復に努める。
と、誰かが肩を掴み声をかけてきた。
「大丈夫!?」
ここにも優しい人がいるなあ――歓喜と共にその手を引きずり込むようにして地面に叩きつけた。
足音の質と肩を掴んだ手の力、声の雰囲気で生徒ではないと判断したがどうやら正解だったらしい。
腕の中で沈黙するその女は警備員服を身にまとっていた。
頭痛はまだ幾分残っており、誰かが警戒する気配もしなかったため、抱き枕になってもらう。
はあはあはあ。呼吸がむしろ荒くなりそう。今日は何色の下着つけてんの?
緊張が薄い状態で襲えたため上手い具合に意識を奪えた。
抱き枕さん、戦いで優しさは命取りだって中学校で習わなかった?
俺は習ったぜ。
倒れた者には敵でも味方でも近づくなって。
敵地潜入の時は寝返り・人質を避けるため確実に殺して進めとも。
ああ懐かしの中央特殊戦闘技能訓練学校。
「ね、ねえ……ハヤコさん、よね?」
ひたすら痛めつけられた日々を思い出して感慨と殺意に浸っていると、声と共にまた誰かが肩に触れた。
足音、声、気配。なじみの彼女である。
「ええ、ちょっと調子悪くって……昨日の夜三回もしちゃったせいかしら」
「――はあ、無事そうで良かったわ」
肩を貸してもらう演技で立ち上がると、相変わらず元気そうなポメ公を抱えた蛍が安堵の息を吐いていた。
「取りあえず移動する?」
「ええ。そうしてくださる?」
心配と緊張で疲れた様子の蛍を和ませるべく、しなを作って見せたのだが、蛍は頬を緩ませるどころか聞こえよがしに舌打ちをして鋭く睨んできた。
ぐっとこちらの襟首を掴むと、そのまま無言でぐいぐいと廊下を進んでいく。
ううん、顔も下を向いて隠せるからいいんだけど、ちょっとちがくない?
「ご希望は?」
「男子トイレ」
「焼却炉は外よ」
「……図書館で。上手く使えそうだし、屋上が近いし」
「了解」
警備員端末で目的地までの比較的安全そうなルートを確認してあったので、地の利のある蛍から生の情報を聞いて補強しようと口を開いた時、何かくぐもった音がした。
単刀直入に言えば、それは昼飯を取り損なった健康的少女の腹の音だった。
蛍の歩くスピードが少し上がった。
「もう三時くらいか。何か食べられそうな場所ある?」
「……調理室なら何かあると思う」
「それじゃ、まずはそっちでよろしく」
「……了解」
少し前を歩く蛍の顔は見えなかったが、その耳はピンク色に染まっていた。