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魔法先生なんてガラじゃねえ!  作者: 砂握
序幕「失業。傘を差し出す悪魔」
10/48

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「しかし、あんな小さいガキもいるんだな。全寮制だったよな、ここ」

「初等部、中等部、高等部があるの。ただ、初等部は他の二つと違って人数も少ないし、七歳とかそれくらいから入学するのは希ね」

「やっぱりあれか、普通の学校じゃ手に負えないのがやってきてるって事か?」

「さっきの二人みたいな例もあるし、否定はしない。けど、普通の子も多いの。大抵は親の目論見によって学園に来てるって事」

「パイプ作りか。しかし小学生のガキに上手い具合取り入れってのも無理な話だろ」

「無理な子もいるし、そうでない子もいる。幼い見た目の愛らしさを利用して、中等部や高等部の権力者の娘達の〝妹〟になりきる八歳もいる。ライバルを文字通り階段から蹴落とした子もね。ある意味じゃ日本のどこよりもどろどろとした権力闘争が日常的に繰り広げられている場所でもあるの。どう? あっちに帰りたくなった?」

 

 蛍の挑戦的な瞳に、俺は不敵に笑った。


「お嬢ちゃん、心の底から魅力的に思える職場なんてどこにもないんだよ。天国はないが、最下層だと思った地獄には実は下がある。輝いて見えるハリボテの空に手を伸ばすのも大事だが、困難から逃げ出さず抗う事も大事だ。帰りたくなったか、だと? 俺を馬鹿にするな――凄く帰りたい」


 俺は最後の一言に万感の思いを乗せた。


「……学園長に私から言ったげようか?」


 可哀相に思ったのか、それともこいつ駄目だと思ったのか。

 まあ多分後者なんだろうが、蛍はそんな出来もしない、明らかな慰めを口にした。

 俺は力なく首を横に振った。


「気持ちだけ受け取っておくよ。どのみち、今の俺には学園長しかいないからな――と、あれがそうか」

「ええ、そう。牧場ね」


 二人のちびっ子と別れてからおよそ十五分、足早に歩き続けた結果、遠くに柵が見えてきた。

 一応人目につかないような場所を選んで進んできたが、幸いにも牧場には人の姿は見当たらなかった。

 気配もない。

 視力と聴力を強化して探ってみたが、時折犬の鳴き声が聞こえるだけだった。

 俺は蛍を近くの茂みに待たせ、一人柵へと慎重に近づいていった。

 木製の一メートル五十センチほどあるそれに、触れるか触れない程度まで掌を寄せる。

 

 簡易解析魔法起動。

 

 ――力のある術者が防腐と強化の魔法を定期的に施しているが、防犯魔法やトラップの類いは仕掛けられていない。

 学生が動物との触れ合いのために訪れるらしいから、それが当然だろうとは思いつつも、念のため柵の内側の地面に手をかざし、脅威を探る。

 が、こちらもただの地面だった。

 先ほども遠視してみたが、ここから見渡しても監視者やスナイパーが身を潜めるポイントはないし、遠隔操作のサーチャーも飛んでいない。

 出来すぎているくらいに安全だった。


「……まあ、いいか」


 ちびっ子に送らせたメールが上手い具合に効いていると解釈しておこう。

 生徒のいる主要施設の警備に手一杯で、ここら辺はたまに巡回しに来るのかも知れない。

 安全だという理由でこの場を離れたがっている自分を制し、俺は蛍の隠れる茂みに手で合図を送った。


「ね、大丈夫だったでしょ?」


 走り寄ってきた蛍は何でもないようにそう言い、勢いをつけてとんと美しいフォームで柵を跳び越えた。

 綺麗に着地し振り返った蛍は、どうだと言わんばかりの顔をした。

 少女のどや顔に苛ついた俺は、その挑戦に答えるべく、思わずアクション映画のように柵を全身でぶち破ってやろうかと考えた。

 だが、ふとベネット大尉のニヒルな笑みが頭に思い浮かび、冷静さを取り戻した。

 ああ、ろくな事にはならない。

 

 俺はふっと大人っぽいため息をついた。

 柵に手をかけると地面を蹴り、全身をバネのように伸縮させた。

 イメージ通りに空中で数回無意味に身体をひねり、しゅたっと着地してポーズを決めると、挑発にはのらんぜと蛍をチラ見した。

 すると憮然とした顔がそこにあった。


「馬鹿じゃないの」

「お、お前に言われたかないぞ」


 そう言い返しながらも、彼女の言葉は一理も二里もあると思ったため、俺は慌てて目星を付けていた地点を指さした。


「取りあえず、あの厩舎に行こうぜ!」

「ホントにこんなガキっぽいのが教師なんてやれるのかしら……」


 割と真剣に眉根を寄せる蛍の背を押し、俺はそそくさと厩舎を目指した。

 厩舎は近づいてみると、予想以上に大きかった。

 蛍によると馬もかなりの数がいるらしいが、アルパカなんかもいるそうだ。

 ちなみに牛や羊、豚や鶏などの家畜は島の真ん中を東西に流れる川――七枝川より南の農作地帯にのみおり、この牧場には愛玩系の動物しかいないとの事。

 あくまで生徒が動物とふれあうための場所らしい。

 馬のイチモツを見て羨ましいと思う事はあっても、アルパカの咀嚼を観察して癒やされる事のない俺には、全くもって意味のない建物である。

 むしろ動物特有の曇りのない瞳で見つめられると、軽く死にたくなるタチなので、正直近寄りたくはないのだが、状況を考えるとそうも言ってられない。

 目立つし予想しやすい場所ではあるが、潜伏先にはもってこいだ。

 身を隠すところが多く、気配はもちろん、熱感知魔法なんかも動物たちが無意味にしてくれる。

 利点はまだまだある。

 リスクよりもリターンが多い場所だった。


「この中で隠れるんでしょ。早く行きましょ」


 警備員達の目を警戒しているのだろう、そそくさと厩舎に入っていこうとする蛍を、俺は腕を引いて止めた。

 「何?」と無言で問うてくる瞳に、俺は唇の前で人差し指を立てた。

 意味が解らなくても大人しく黙った蛍の耳に囁く。


「中に誰かいる」

「ホント……!?」


 仰天する蛍に俺は確信を持って頷いた。

 俺の繊細な魔力感知が、厩舎の中に潜むものを捉えていた。

 人間の魔力平均値は大抵の動物のそれを上回るため、馬やなんかと間違う事はない。

 動物たちのもつ無数の小さい魔力の中に、一つだけ飛び抜けた魔力保有者がいる。

 一定ごとに脈打っているから魔力貯蔵具や機械の類いではない。

 先ほどの八重樫の娘が連れていた魔犬は例外、この島に魔獣や霊獣がいない事は蛍に確認済み。おそらくこれは人間だ。

 工作員である俺の命を長らえさせ、幾多のピンチを救ってきた力は、その能を遺憾なく発揮した。

 俺が心の底から信頼できるものの一つであり、密かな自慢でもある能力を俺は誇らしく思った。

 しかし同時に、変質者として女子校の敷地を逃げ回っている状況、そして傍らにいる相棒がようやく毛が生えそろったような少女である事を思い出し、悔しさで歯を食いしばった。


 ――どこで間違ったんだ、俺の人生。


 どんよりした気分で俺が自分のつま先を見下ろしていると、蛍が真剣な瞳で俺を見つめた。


「……警備の人?」


 ああ――。

 確かに肉付きは今一かも知れないが、その気持ちにおいては非常に一生懸命な相棒の表情に、俺はいくらか救われた。瞬き一つで気分を切り替える。


「解らん。様子を見てきてくれるか?」

「それはいいけど、帰寮通知が出てるのに厩舎なんて来たら変じゃない? 何か理由がいるわ」


 俺はもっともなその言葉に、顎に指を這わせた。


「そうだな……アルパカのモノを試しに来たとか、そういう女子高生らしいのを頼む」

「そんな女子高生、地球上に存在しない! もういい、自分で適当に考える」


 蛍はお花畑に転がった使用済みのコンドームを見るような目で俺を見た。

 この手の蔑む視線に最初は心が傷ついていたが、おそらくは人間の悲しい適応能力なのだろう、恋人に振るわれる暴力を愛情表現だと錯覚するように、俺は蛍のその心ない言葉や瞳にいつしか快感を覚えるようになっていた。

 この素早い適応力、やはり俺は優秀すぎる。

 俺は自分の才能におののきながら、にっこりと笑って話を続けた。


「警備のやつだったら適当に雑談して戻ってこい。それ以外の危険がある時はくしゃみをして、危険がない時は口笛を吹け。危険はないが判断に困ったら、色っぽい声で喘げ。駆けつける」

「……あのねえ」

「何だよ、別にいやらしい気持ちはこれっぽっちもないぞ。女のあの声ってのは男には良く聞こえるんだ、悲鳴の次にな」

「――普通にハヤコって呼ぶから、それでいいわね」

「ノリの悪いやつだ……」


 顔をしかめる俺を尻目に、蛍は厩舎の入り口へと歩いて行った。

 中に消えていくのを見届け、俺は目を閉じた。

 聴覚と魔力感知に全神経を注ぐ。

 厩舎に潜む魔力の元に、それよりいくらか劣る大きさの魔力が近づいていく。


 接触。


 会話をしているらしいが、さすがに魔法でも使わないと聞く事は出来ない。

 魔法を使うのは極力避けたいため、ここは蛍に任せるしかない。

 俺はじっと待つ事にした。

 しかし、やりとりにはある程度時間がかかると思っていた俺の予想に反し、蛍が厩舎に消えてから一分かからずに対話は決着した。


「ハヤコさーん」


 あの女、喘げと言ったのに――と舌打ちしながら、身体の動きを女性のものに変え、俺はそそくさと厩舎の中へ入っていった。

 片目を閉じたままにしていたおかげで、暗順応に時間がかかり視界が真っ暗なんて事にはならなかった。

 右目と左目で明るさの違う視界の中、通路両脇の馬房に押し込められた馬たちの姿が見える。

 通路の奥の方、先ほどからずっと当たりを付けていた場所に蛍がいた。

 緊張感はないが困った顔でこちらに手を振っている。

 身体の向きから、右の馬房の一つにやつはいるらしい。

 俺は女声で今行くわーと告げ、殺していた足音をほどよく響かせながら、ゆっくりと歩き出した。

 

 天井に付けられた灯りはついていない。

 光源ははそれぞれの馬房の奥、壁の高いところに付けられた窓から漏れる日光だけ。

 そいつがいる馬房も同じ構造だろうから、上から斜めに差す逆光、加えて帽子のつばのおかげで、相当接近しない限りは一目で男だとはばれないだろう。

 そんな事を考えているうちに蛍の元まで辿り着いた。

 すると蛍は待ちかねていたように顔を寄せてきた。

 おやおやこんなタイミングでキスかと呆れる俺をあざ笑うかのように、蛍は俺の唇ではなく耳に口を寄せると、口早に囁いた。


「私のクラスメート。誰か残ってないか腕利きの島民の人と見回りに来たって言ったんだけど……」


 蛍は眉根を寄せたまま、馬房を振り返った。

 俺は光の角度を確認し、顔を上げすぎないようにして蛍の視線の先に目をやった。


「あなたがお嬢様のお守りの人? 蛍にも言ったけど、私はここにいるから」


 馬栓棒と呼ばれる入り口にかかる横棒の向こう。

 馬房の奥に立つ少女はそう言い放ち、俺をきっと睨んだ。

 赤毛にグレイの瞳、白い肌。

 白人かそのハーフである事は一目で解る。

 表情は気安く声をかけられないほどきついが、容姿自体は整っている。

 まあそれも、全身から放たれる敵意で台無しになっているが。

 岬で会った翼ちゃんとやらとは違い、こちらは相手を選ぶ敵意ではなく、無差別のものらしい。

 俺はもちろん、後ろで困惑する蛍にもそれは向けられている。

 人間嫌いなのだろう――とそこまで考えたところで、少女がここにいる理由が解った。

 人間を信じられなくなった者は、孤独を埋め合わせるために動物に行き着く。

 少女は守るように、すがり付くように、この馬房の主である子馬を抱きしめていた。

 相当に懐いているのだろう、子馬は嬉しげに少女に鼻先を押しつけていた。


「可愛いわね。生まれてからずっとかかりっきりでお世話をしてるの?」


 俺は自己紹介やら説得やらをせず、まずは子馬について指摘した。

 しかも極めてオーバーな言い方で。

 これが重要だ。

 他人に対して心を開かない相手である、例え共通の話題を口にしたところでさっと躱されてしまう事は多々ある。

 そこであえてこういったオーバーな聞き方をする。するとどうなるか。


「……別に。かかりっきりってほどじゃない。暇な時に来て世話をしてるってだけ」


 憮然とした顔で赤毛の少女はそう答えた。

 ――こうなるわけだ。

 おそらくはそこまでやってない事を見越して、大げさに言った。

 普通の人間は過剰に悪く言われると否定するが、過剰に良く言われても否定する。

 この手の話術は罵倒や人格否定と違って、相手にそれほど不快感を与えないから便利である。会話の糸口を作るにはもってこいだ。


「へえ。あんまり懐いてるから、いつも一緒にいるのかと思った。でもそうだとすると、あなたは動物を愛し、動物に愛される人なのね。その子、毛並みがとても綺麗。ここからでも毛流に沿って丁寧にブラッシングしてある事が解る。中々出来る事じゃないわ」

「……」


 人間不信故に逆に警戒したのだろう、俺の褒め言葉に少女は目つきを一層険しくしたが、指摘したのは事実に基づいたものだったので、その色素の薄い瞳には困惑が浮かんでいた。

 俺は順調順調と心の中で呟きながら、更に状況からずれた話を続けた。


「将来はやっぱり動物関係? 私の友達にも動物好きがいてね、その子は獣医になろうとしたんだけど、良くあるでしょ、血を見るのが駄目でね。紆余曲折あって結局、犬の訓練士になったの。あ、でも、一般家庭のペットを訓練するわけじゃなくて、警察とか自衛隊とかで活躍する高魔力犬や犬型の魔獣の指導が主な仕事で――」

「ぺらぺらうるさい! なんなの、あんたここにわざわざ雑談しに来たわけ? それとも教師達から何か言われて問題児のお悩み相談でもしに来たの!? 今はまだ春休みよ、生徒指導なら新学期からにして!」


 勢いよく感情を爆発させた少女に、俺ではなく子馬がびっくりして飛び上がった。

 混乱したように頭を動かすその姿を見て我に返ったのだろう、少女は途端に泣きそうな顔をして子馬をなだめた。

 その甲斐あって子馬はすぐに落ち着きを取り戻し、撫でる少女の手に愛おしげに鼻を押しつけた。

 少女は子馬の様を見て息苦しそうに口を開いた後、自分を消そうとするように、子馬の首に顔を埋めた。


「……もうどっか行ってよ。不審者なんかどうでもいい。私はずっとここにいるから……」


 ふうむ。

 何とか穏便に学生寮に返したかったが、この様子では無理そうだな……。

 不意に視線を感じて振り向くと、蛍が複雑な顔をして俺を見ていた。

 どうするつもりかと無言で尋ねている。俺は任せておけと笑いかけ、前に顔を戻した。


「ここを去る前にいくつか確認させてちょうだい。私達の前に警備の人は来なかった?」

「……一人来たけど、同じ事言って追い返したわ」

「警備が良く見逃しわね」

「私が無価値で不良なのは有名だしね。説得しても無駄、説得する価値もないと思ったんでしょ。十二時に迎えに来るまでこの馬房から出るなって言って、どっか行ったわ」

「十二時ね……」


 ごつくて女物には見えないという理由で腕時計を外していた俺は、さすがに体内時計で正確な時間を知るのも無謀だったので、普通に蛍に何時か尋ねた。

 「午前十一時十三分二十三秒」と蛍は焦った様子で答えた。

 その目は急いで逃げなくちゃと訴えている。

 確かにそれは賛成だったが、このまま単純に背を向けて逃げ出すのも危険だ。

 標的である俺がここに来た時のために、この少女に嘘の情報を教えた可能性もあるからだ。


 そう、罠だ。

 普通に考えれば、だ。

 この少女の自己申告通り彼女が不良で学園の関係者が手を焼いていたとしても、不審者のうろつく島の中、動物はいても守る人間が一人もいない馬小屋に残していくだろうか? 

 不審者が教師予定の俺だと知っていたから危険はないと解っていたから? 

 いや、それは希望的観測だ。

 蛍はこのテストはテストであってもマジだと言ったし、学園長の性格を考えば本気でやれと命じているはずだ。

 相手が手を抜いていると考えるのは二流のする事だ。

 俺は一流ではないが、訓練された臆病者だ。

 甘い夢など見たりはしない。

 となれば、この状況は何を意味する?

 学生寮や校舎、学園長宅にも近いこの牧場という空間は、いわば虎穴の一つで、危険も大きいがそれに見合うだけの利もある。

 いくら人数に余裕がないと言っても、あからさまに見張りを立てずとも、身を隠すのに長けた者を一人近くに潜ませておきたい。

 が、実際には生徒の少女一人。

 学園長から俺の魔力探知という能力を聞かされているのか。

 だとすればこの状況は説明がつく。無論、この少女を除けばの話だ。

 

 この少女が問題だ。

 何かあると思わせて思考を不自由にするのが狙いかも知れないが――いや、違う。

 俺の思考は兵士の思考だ。

 警備員達の最大の仕事は敵殲滅ではなく生徒の保護。

 学生寮への誘導が困難だからといって、無防備にはしない。

 

 ふと、アフリカの荒野に転がるぬいぐるみが頭に思い浮かぶ。

 子どもが無邪気に手を伸ばしてドカンといくあれだ。

 この状況はそれに似ている気がする。

 だがこの場合、ぬいぐるみ――少女や子馬は傷つかない。

 俺だけがピンポイントにやられる。

 しかし攻撃系の魔法具や複雑な魔道式が内蔵された宝石やら貴金属がない事は、それこそ魔力感知で解る。

 第一、この少女が厩舎に留まると言ったのは警備員にすればイレギュラーだったはず、準備などなかっただろう。

 だからおそらく……厩舎の中にある何かにシンプルで俺に見つからないほどの小さな魔力で作動するトラップが仕掛けられている。

 目立たないやつだ。

 入り口では何も起こらなかったし、地面に地雷が仕込まれてれば俺じゃなく蛍がやられている。

 もっと確実に作動させられる場所。となればそう……。

 

 俺は早くどっか行ってくれと目で訴えかけてくる赤毛の少女に、静かに尋ねた。


「ねえ、警備の人は君に何かをするなって言わなかった?」

「は?」


 少女は面倒そうに眉をひそめた。

 俺は忍耐強く言葉を重ねた。


「馬房から出るな。それだけを言ったの?」

「何でそんな事」

「いいから、お願い。重要な事だから」

「はあ……ええっと、確かそう――十二時に戻ってくるから、それまでこの馬房から出るな。それで……馬栓棒、この馬栓棒には触るなよ……だったかな」

「――そっか。ありがとう」


 俺は頷き、十センチほどしか離れてないところにある馬栓棒から不審に思われない程度に半歩下がった。

 馬栓棒に手を近づけ、解析魔法を起動。

 結果はビンゴだった。

 術者以外の動物が触れると電流が流れる簡易トラップ魔法。

 かつて科学技術による電気柵が作られる前、農家で害獣被害を食い止めるために柵に施してあったような、割と有り触れた設置型の魔法である。

 しかし術者の力量と込める魔力次第で便利なトラップになるため、昨今ではもっぱら対人用に使用される。

 通常であれば術者が罠と自分の間にラインを引いて魔力を供給するか、バッテリー、すなわち魔力貯蔵用の小さな宝石や貴金属を設置する事が多いが、こいつは違った。

 ただの木の棒に魔力をとどめている。

 もちろん、魔力絶縁体を除き、大抵のものは魔力を込めれば一定時間それを保持する。

 だが、その大抵のものは短い時間で魔力を空中や地面に溶かすから、バッテリーには向いていない。

 それでも魔力をとどめておこうと思えば、魔力を込めたい何かに、魔力拡散を抑える術式を組み込まなければならない。

 が、この術式自体も魔力で出来ているから、時間が経てば式が崩れて無意味化する。

 よって式が壊れるのを防ぐ式を組み込み……と、極めて面倒で高い魔法の技術を要求されるやってらんねー畜生このやろーな話になるわけだ。

 俺もある程度なら出来る。

 しかしこれほどの事は出来ない。


 簡潔に言えば、一時間以上魔法が設置できているという事はすなわち、こいつをしかけた警備員は相当な使い手だって事だった。


「それ、何か魔法がかけてあるの?」


 耳元で囁く蛍に俺はため息をつき、囁き返した。


「防御せずに触ったら失神する。威力は低いし、回数も一回こっきり、簡単に無力化できるが、解除しに来た時になくなってたら不審に思うだろうから無力化はなしだな」

「それじゃさっさと別の潜伏先を探しましょうよ」

「まあ待て」


 俺は携帯端末を睨む蛍をなだめ、赤毛の少女から見えない位置に身体をずらすと、口の中に指を突っ込んだ。


「うげ」


 嫌そうに呻く蛍を余所に、俺は上あごの歯の奥の方を探り、目当てのものを取り出した。

 指先に唾液で濡れた銀色の糸のようなものが光っている。

 それを蛍は顔をしかめて見つめた。


「何その汚いの。寄生虫? ひょっとしてそれがあなたを下品な人間にしていたものの正体?」

「違う。下品なのは元からだ――違う。俺は下品じゃない。ううむ、まあいい、これは錬金術で作られた第三種の銀、優れた魔力伝導体だ。これ一つで都心の戸建てが買える」

「こんなちっちゃくて汚いのが?」


 これだからガキは……と、更に顔をしかめた蛍に俺は鼻を鳴らし、作業着で唾をぬぐって綺麗に後、それに魔力を通した。


「うわっ、たった」


 蛍は小さく叫んだ。

 手の位置的に、その視線の延長上には俺の股間があったため、それはきわどい台詞だった。

 だが、ここで軽口を叩くと長くなりそうだったので俺は自重し、五センチほどの細い針になったそれの先端を例の馬栓棒に触れさせた。

 棒に込められている魔法式に介入を始める。

 一連の行動は赤毛の少女から見えない位置でやっていたが、ずっと二人が無言で立っていると怪しまれるので、俺は蛍に的確な指示を出した。


「おい、馬並みって言うけど馬のってどれくらいなの――とか、もし恋人が尻の穴を求めてきたらどうするかとか、乳首の脱色方法についての議論などなど女子の気を引きやすい話を、あたかも俺と会話しているようにさりげなく一人でしろ」


 蛍は満面の笑顔で頷き、声を上げた。


「えーでもハヤコさん、いくら後四十分くらいで警備の人が来るっていっても、相沢さんを一人でここに残していくのは危険だよ。だってほら、さっき警備の人に聞いたじゃない? 変質者は遭遇した女の子の靴下を奪って鼻から吸い込むくらいの勢いで夢中で臭いを嗅いでたってさ。うん、うん……そうだよね、しかも歩くとき四つん這いでお尻を高く上げてるんだよね? 怖いよ、やっぱり……ええ、そうなの!? その体勢で後ろ向きに歩くの!? 股の間からこちらを覗きながら百メートルを十秒台のスピードで向かってくる――それはもう人間じゃないね、誰かが召喚したクリーチャーだよ。捕まったら指がお風呂から上がったみたいにしわしわになるまで足をなめられるらしいし……私怖いよ……」


 俺は思わず作業の手を止めそうになった。

 震えそうになる指先を、深呼吸を繰り返して必死で抑え、作業に意識を集中した。


 ――この女、後で雌馬の出産シーンを三十分枠で実演させてやる。


 蛍が放つ残酷な一言一言に傷だらけにされる繊細でピュアな胸の中、俺は慟哭するように毒づいた。

 しかしまあ、良かったと言えるのだろう、蛍のする〝悪魔の王が遣わした今世紀最大の女性の敵〟の話は功を奏したらしく、どんな話題にも食いつきそうになかった赤毛の少女――相沢さんとやらは時折息をのみながら、話にしっかり耳を傾けていた。

 そうかこれでよかったんだ、蛍は最善とは言わないが悪くない選択をしたんだ、傷つくのが俺一人で他のみんなが上手くいくならこんなに素晴らしい事はないじゃないか……と、俺は自己犠牲的精神で自分を納得させながら、作業に没頭した。

 

 そして頬を伝った誰にも知られぬ涙が乾いた時、俺の仕込みは完成した。

  

 


 厩舎から百メートルほど離れた茂みの中、俺と蛍は身を寄せ合うようにして地面に這いつくばっていた。

 作業着を着ているとはいえ、蛍は年頃の娘にしては以外にも土で汚れる事を気にしない性格だったようで、不満一つ口にしなかった。

 眉根を寄せているが、それはこの状況に対するものではなく、純粋に俺の判断に納得できていないからだった。


「やっぱり遠くに逃げた方が良かったんじゃない? あなたは知らないと思うけど、警備の人達はみんな尋常じゃないくらい優秀だし……」

「確かにそうだ。広範囲探知をされたら一発でアウトだ。さっきのトラップの腕からいって、交戦したら俺に勝ち目はないだろうな」

「裏をかいて近場に身を隠すつもりなら、やめておいた方が……」


 不信感はもっとも。

 厩舎とその近辺を意図的にぼうっと眺めていた俺はいったん視線を外し、蛍と自分の間に置いたエッグの時刻表示をちらりと見た。

 十二時まであと十五分ほど、話す余裕はありそうだった。


「まあ落ち着いて考えてみろ。敵の評価は小さすぎてもいけないが、大きすぎてもいけないんだ。実物とイメージがフィットしなきゃならん。そのためにはどうすればいい?」

「情報を集める?」

「正解だ。この場合、情報源はさっきの相沢だけだな」

「にしては詳しく聞いてなかったじゃない」

「不信感をもたれたら困るんだよ。変に思われない程度にしか情報を引き出せないし、おそらくあの娘は大した事は覚えていないだろう。他人を見境なく嫌っているみたいだったからな」

「それはまあそうだけど……」

「そこで、だ。あいつはその警備についてなんと言っていた? 馬の棒をしごくな、以外にだ」

「――馬栓棒に触るな、でしょうが。ええっと、十二時に説得に戻ってくる……とか」


 言葉に詰まった蛍に、俺は鍵となる情報を告げた。


「一人で来た。相沢はそう言ったんだ」

「ああ、そう言えばそうだった。でも、おかしいわね……普通はどんなに腕が良くても警備の人は二人か三人で行動してるのに」

「いい観察眼だ。その通り、普通はツーマンセルかスリーマンセルが基本。奇襲にも対応できるし、戦術の幅も圧倒的に広がるからな。相手が笑ってしまうほど弱くても、一人でどうにかしようとしてはいけない。これは警察でも軍でも鉄則なんだ。ではなぜ相沢の元にやってきた警備は一人だった?」

「二手に分かれてる最中だったとか?」

「その可能性もある。しかし、ここで更に考えを深めてみる。例えばお前が生徒を守る警備員の一人だったとして、生徒を囮にブービートラップを設置するか?」

「まさか! 命の危険はなくても、相沢さん自体がトラップにかかる可能性は十分あるんだから何があってもあんな事はしない。そうだわ、それに相沢さんはトラップが仕掛けられている事を知らされていなかった……これは敵から彼女を守るというよりは、敵を倒す事を優先した結果なんだわ」


 はっとした顔をした蛍の頭を、俺は思わずぐりぐりと撫でた。


「ちょっと、止めてよ!」

「いやいや、中々にお前は頭が良いな。俺の後輩を思い出すよ」

「どうせその人もあなたみたいに下品なんでしょ……」


 蛍は褒められて戸惑ったのか、照れを隠すようにふんと鼻を鳴らした。

 実際のところ、俺の後輩は下品とは対極にある性格をしていたが、それは今関係のない話だったので、俺は蛍に先を促した。


「さて、そこまで考えたところで、例の警備はどんな人間だと浮かんでくる?」

「警備部長の冬実ふゆみさんは生徒や島の人間の安全を第一に考えてる。生徒を囮にするなんて事、絶対に指示しないし、提案があっても間違いなく却下する。とすればこれはその警備員の独断、了承を取らずにやってるから、相当に物騒で自分勝手な人間だわ。そして多分、強い自信を持っている」

「正解。自信を裏付けるだけの力を持っているのは罠で証明済み。日頃から上司の言う事を聞かないのかどうかは解らんが、仮に最初はツーマンセルで行動していたとして、途中で手分けしたか何かして、一人で厩舎に来たとしよう。そこで使えそうな〝駒〟を発見、罠を設置。合流した時、その事実をこいつは相棒に伝えるか?」

「あり得ないわね。そんな暴挙に付き合いたい人は滅多にいないでしょし、黙ってるはず。そっか、基本行動が二人だったとしても、変質者がいようがいまいが自分がやった事を相棒に知られるのはまずいから、ここに来るときは一人の可能性が高いんだ」


 得心いったという風に何度も頷く蛍に俺は苦笑いを浮かべた。


「しかし、これはあくまで推測に過ぎない。現実には予想もつかない理由でこういった状況が出来上がったのかも知れないし、例えこの推測が正しかったとしても、イレギュラーが起きて二人以上の人数で来る事も十分ありうる。だから常にあらゆる結果を受け入れる気持ちでいるんだ。思考するのは必要な事だが、思考に乗っ取られてもいけないのさ」


 蛍は俺の言葉に表情を引き締めた。


「……確かにそうね。肝に銘じておくわ」

「でもまあ、やつが好戦的な性格をしてるってのはまず間違いない。だからこそつけいる隙がある」

「あっちの方が強くても?」

「そうだ。力というのはいつ如何なる時でも百パーセント発揮できるものではない。こちらが有利になるように状況を整える事が出来れば、ウサギだってライオンを狩れるんだ……」


 もっとも、俺は可愛いウサギではなく狡賢いキツネと呼ばれていたけどな――と、心の中でそう付け足したその時、視界の端に人影が現れた。

 俺がそいつを捉えてから一瞬遅れて、傍らで蛍が息をのんだ。

 厩舎へと歩いて行く、一人の女。

 濃紺の戦闘服に身を包んだ身長百七十センチほどのそいつは、一目見ただけで強力な兵士である事が解った。

 とてもリラックスした状態でゆったりとしたペースで歩いているが、例え背後や側面から奇襲をかけてもあっさり返り討ちにされそうな雰囲気が感じられる。

 ポテンシャルも高そうだが、寸暇を惜しんで鍛えたのだろう、ボディバランスと重心が極めて安定していた。

 魔力は俺とどっこいだが、身体を巡るその流れから、極めて洗練された魔力操作能力を保持しているのは明白だった。

 仮に俺の戦闘力を五とすると、やつは七か八はあった。

 真っ当にやれば確実に敗北する。

 ただ、俺や蛍の予想通り、その顔を見ればつけいる隙があるらしかった。

 暢気に口笛を吹きながら厩舎へ向かうその横顔には、かすかな期待と隠しきれない退屈が浮かんでいた。


 厩舎にそいつが入っていったところで、俺は数字をカウントしながら隣に視線を向けた。すると蛍が顔を曇らせて俺を見た。


「冬実さんの言う事を聞かない警備員、心当たりは一人しかいなかったのに気づけなかった……」

「知ってるのか?」

頼香らいかさんっていう人。警備の中で五本の指に入るほど強い人だけど性格に難ありで、しょっちゅう問題を起こしてるの」

「なるほど。都合がいいな」

「いや、まずいわよ。学園長からあなたを必要以上に傷つけるなと命令が行っていたとしても、あの人なら無視するわ。下手したら冗談じゃなく殺されるかも……」

「確かに、危ない感じはするな」


 俺は軽く笑い、深刻そうな顔をした蛍の肩をぽんぽんと叩いた。


「大丈夫だ。一人なら負けだが、今の俺にはお前がついている。問題ない」


 すると蛍は目を瞬かせ、怪訝そうに首を傾げた。

 蛍は口を開け疑問を口にしそうになったが、俺はカウントが頃合いに来たのでそれを手で制した。


「そろそろだ。あと少しで相沢が〝合図〟をくれるから、そうしたら厩舎に飛び込むぞ。俺の真後ろ一メートルくらいにいるように努力しろ。いいか?」


 俺の言葉の意味は解らなかっただろうが、蛍は素直に頷き、顔を引き締めた。そのわずか二秒後、


「きゃっ――――!」


 厩舎から小さい悲鳴が聞こえた。

 俺はにやりと笑って立ち上がると、片目を閉じつつ一目散に厩舎の入り口に向かって駆けだした。

 蛍の事は心配だったが、ただの女子学生にしては中々に良い反応で茂みを飛び出すと、俺の後を遅れずについてきた。

 十数秒後厩舎へと入った俺達は、速度を落とさず例の馬房の前まで向かった。

 するとそこには先ほど目にした女が一人、地面に転がっていた。


「き、貴様がウサギか……!」


 震える声で口惜しげに呟く女は、何とか立ち上がろうと悪戦苦闘していた。

 俺は交戦相手と会話する趣味はなかったので、さっさと潰してしまおうと考えたが、しかしガタガタと震えていた女の手足がすぐに安定してきたのを見て、考えを改めた。

 やはり軽視できない。丁寧に仕留めた方がいいようだ。


「設置したトラップを逆に利用するなんてせこい真似を……くそ、解除する前に確認すれば良かった……」

 表情を見る限り、時間稼ぎではなく本気で俺の仕掛けに腹を立てているらしい。

 燃えるような瞳で俺を睨みながら、ふらふらと立ち上がった女に、俺は憎たらしく見えるように大げさに肩をすくめて見せた。


「まさか本当に引っかかるとは思わなかったよ。ミス・マヌケ。しかし電撃食らって気を失わないとはな、馬鹿ってのはそういうところも鈍感なのかね?」

「――何だと?」


 真っ青になっていた女の顔が憤怒に歪む。

 演技なら大したもんだ。無駄にハイスペックな愚か者にしか見えない。

 俺は慎重に言葉を選び、口を開いた。


「凄んでも無駄だぜお嬢ちゃん。電撃で魔法は使えないはずだ。素手で俺に挑む勇気なんてないんだろう? そこで大人しく案山子のまねごとでもやってろ、このヘボ女」


 そう言って俺は女の顔に唾を吐きかけた。

 女は感情が沸騰して一瞬何が何だかわからなくなっただろう、純粋な子どものような顔で目をぱちくりさせた。

 だが、すぐに一周回った怒りが彼女に何をすべきかを思い出させ、まさしく鬼のような表情を作った。

 右頬を流れる唾を緩慢な仕草でぬぐうと、血走った瞳で俺を捉えた。


「――変態女装野郎が。貴様なんか素手で十分だ……!」


 雄叫びを上げるようにそう告げると、女は俺に飛びかかってきた。

 抵抗力が高く一撃で失神を免れたとは言え、トラップカウンターを食らった女の身体には小刻みに震え、まだしびれが残っていた。

 きっと通常時の三分の一の力も出せていなかっただろう。しかし、それでも女の体術は俺のそれを上回っていた。


 猛然と突き出された女の右拳を俺は必死で躱し、間髪入れずに弧を描いて飛んできた左拳を膝を少しだけ落としてよけた。

 が、息をつく暇はなかった。

 女は身体がしびれているとは思えない右の前蹴りを放ち、つま先を俺の腹にめり込ませた。

 鳩尾を正確に狙ってきたその攻撃は何とか逸らす事が出来たが、重いのではなく鋭い蹴りは例え急所ではなくとも、突き刺されば激痛を生じさせ身動きを奪った。

 俺は止まりそうになる呼吸を必死で続けながら、女の顔を盗み見た。

 

 眩しげに小刻みに目を細めているのは電撃のダメージによるものだ。

 本当なら気を失っているはずのところ、無理矢理意識を覚醒させている訳だから、身体の至る所――特に魔力操作系と五感に対する被害は大きい。

 五感の中でも一番繊細である視覚においては甚大で、視野は狭窄し視界はノイズだらけになる。

 俺も何度もそういった電撃魔法を食らった事があるから解る。

 こいつは今、持ち前の格闘センスと積み重ねてきた戦闘経験を元に俺を圧倒している。

 それは極めて驚異的な事実である。

 だが、こいつの意識も感覚も全て俺に集中しているという事でもある。つまりこの女は今、俺以外のものは見えていないし考えてもいない。


 拳の先を揺らしながら放たれるジャブとストレートという、単純だがもっとも厄介なコンビネーションを何とか掌底で打ち落としながら、女の表情を観察する。

 最初の一連の攻撃が終わり、彼我の実力差をある程度見切ったからか、それともただ単純に冷めやすいタチなのか、女の顔からは怒りの色がかなり薄くなっていた。

 戦闘になると冷静になるタイプなのかも知れない。

 兵士としての落ち着きを取り戻し、丁寧に攻撃を重ねてくる。

 強引に前に出れば自分が圧倒できると解っていながら、リスクを少しでも減らそうとする傾向にあるようだ。

 好戦的で傲慢から来るミスもあるが、いざ戦闘が始まると非の打ち所がない戦士だ。隙がない。


「……くそっ」


 俺は如何にもザコらしく毒づくと、苦しげに歯を食いしばって見せた。

 額には汗が浮かぶ。

 呼吸を荒くし、追い詰められたウサギを演じた。

 すると女は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、嘲りに満ちた目で俺を見つめた。


「最初の威勢はどうしたよ? あ? 日本が誇る情報機関の優秀な工作員って聞いてたけど、やっぱりこの程度か。カツラ被って眼鏡かけて、女や男のケツをこそこそこそこそ追いかけ回してるようなやつに、私は負けない。お前みたいなのはモグラみたいに土に潜って出てこなけりゃいいんだよ」


 饒舌に語り出した女の攻撃は、ここに来て初めて荒くなった。

 丁寧さが消え、連携が雑になっている。

 やはりそうだ。

 この女は手足を振り回している時はクールだが、頭でものを考えている時はフールなんだ。

 俺は満面の笑みを浮かべそうになるのをこらえ、ヒーローに一蹴される弱っちいチンピラのような顔で、強がりだと一目で解る精一杯の笑みを浮かべた。


「……えらく苛々してるじゃないか。今日はあの日か? ああでも、お前はどっちか解んない感じだからないのか? 股間に立派なものがぶら下がってそうだし、女しかいないこの島じゃ重宝されてんのかもな。はは、羨ましいぜ畜生」

「――あ? てめえ今なんつった?」

「オカマ野郎に俺は倒せないつったんだよタコ」

「殺してくださいお願いします、だな。よく聞こえたよこのクソ野郎……!」


 女の憤怒が再燃する。

 怒濤のような攻撃が始まり、俺は必死で防御し致命傷を免れたが、躱せなかった拳や蹴りが身体の至るところで激痛を生じさせた。

 それでもその時まで持ちこたえられたのは女の攻撃が雑になっていたからに他ならない。

 頭に血が上った人間の動きは単純になり限定される。

 そこにわざといくつか攻撃をくらってやれば、相手は成功したイメージを強く持ち、同じ手を選択しがちになる。

 いわゆる思考と行動の誘導。

 最初からずっと〝罠〟を張っていた俺と、怒りに我を忘れた女。

 それでも近接戦闘の軍配は後者に上がるが、狙った状況を生み出す事は可能だった。

 実は最初の方は少しだけ防御の手を抜いていたという事実も知らず、意外にしぶとく持ちこたえている俺に対し、女はかなり苛ついていた。

 そこで俺は上手くタイミングを見計らい、隙を作った。

 すると女は何の疑いもなく、過去に成功したイメージを思い出し、同じ攻撃パターン――左拳の連続打撃の後、右拳のアッパーで視野を奪い、その隙に放つ右足の前蹴り――を選択した。

 目の前を下から上に通り過ぎるアッパーで見えないが、女の前蹴りが俺のヘソの下に直撃した事が解った。

 

 ――残念、そこは筋肉の下に、ピンポイントで防御魔法を展開してあるんだよ。


「ぐはっ……!」


 内心とは裏腹に、俺は内臓を押し潰されて致命的なダメージを受けた風に悲鳴を上げ、身体を折り曲げた。


「はん、これでとどめだ。死ね」


 教官が聞いたら腹を抱えて大笑いしそうな安っぽくてガキっぽい台詞を女は口にし、ふらふらと身体を起こした俺に向けて渾身の右ストレートを放とうとした。

 その寸前俺は後ろ手に招き寄せていた〝彼女〟の手を握り、ぼそりと呟いた。


「ねえ、この子知ってる?」


 女は一瞬怪訝な顔をしたが、頭がおかしくなったとでも思ったのか、攻撃を躊躇しなかった。

 つま先、太もも、腰、肩、腕――と、格闘技の教科書に載ってそうな美しい回転動作によって放たれたその拳は、本人以外には反応できるものではなかった。

 故に、それが標的の寸前で制止したのは、本人であるこの女が止めたからに他ならない。


「お嬢、様――どうして……」


 女は俺が背後から引っ張り出して盾にした少女を呆然と見つめ、そして訳の解らないままその場に崩れ落ちた。

 完全に気を失い、ぴくりとも動かない。

 静けさがやって来る。俺は女の脇腹に全力で膝蹴りを入れた姿勢のまま、ぐっと頷いた。


「ふん、俺の勝ちだな」

「何が俺の勝ちだこの馬鹿!」


 なかなかのクイックで放たれた蛍の裏拳が頬に入り、俺は思わずよろめいた。

 今回の戦闘における唯一のクリティカルヒットだった。

 凄い目つきで睨んでくる少女に対し、俺は教官から教わった女の上手いなだめ方を行使することにした。

 肩を抱き寄せ、目をしたから覗き込むようにして柔らかい声で囁いた。


「心配しないで。君が一番だよ」

「一番の盾って意味でしょうが!」


 今度は頭突きをもらい、俺は悶絶した。

 鼻を押さえながら言い返す。


「悪いのは俺じゃない。教官だ」

「訳の解らない事を……! 何か殴り合いを始めたかと思ったらひどい挑発するし、またぼこぼこにされてると思ったら私を引っ張り出して盾にするし! お前がついてるから大丈夫って結局こういう事か!」


 蛍さんは割と本気でキレていらっしゃった。

 その時俺はここに至るまでの計画は立てたが、その後どうやって蛍のフォローをするか考えていなかった事に気づき、激しく動揺した。

 どんな時でも女の扱いには注意しろと教わっていたのに、これは失敗だ。

 この島における唯一にして最大の協力者である蛍を失う訳にはいかない。何とかしないと……。


「そうだ! 地中海のイビサ島にさ、雰囲気の良いホテルがあるんだけど、お詫びに今度連れて行くよ。島自体が世界遺産だし、町並みも素晴らしく、ビーチはもちろん、クラブも凄い。ほらオーラって言ってみて。オーラ!」


 スペイン語で陽気に挨拶する俺を蛍は無言で見つめていたが、やがて盛大なため息をついた。


「それが精一杯なの?」

「えーっと……」

「もういいわ。しかし女子高生に対するお詫びがそれとはね。ホント、工作員さんとやらは大したものだわ」


 聞いてたのかと苦笑い。

 蛍が怒りを収めてくれたのを有り難く思いながら、まず最初にやらなければならない事に取りかかるべく、意識を失った女の傍らに膝をついた。

 そしてその身体を仰向けにすると上着に手をかけ――、


「何してるの、この変態!」


 またも蛍に殴られた。


「オカマ野郎とか何とか言っといてそれ!? 気を失っているのを良い事にそんな事するなんて人間のクズじゃない!」


 気が昂ぶっているのか、遠慮なくごんごんと俺の頭を殴ってくる蛍に俺は慌てて両手を挙げた。


「ま、まあ待て。誤解があるようだが、別に俺はこの女で性欲を発散させようという意志はない。第一、こんな筋肉質な女、全然趣味じゃないしごめんだ。俺はもっとぽっちゃりした感じの肉感的な女がタイプなんだよ。まあ鍛えている方が確かに締まりはいいかもしれんが……痛い。止めて、殴るの止めて」


 無言で飛んでくるグーパンチに俺は悲鳴を上げ、身の安全のため先を急いだ。


「つまり、だ。この女の服を着て警備員に化けたいんだよ、俺は!」

「……本当でしょうね」

「もちろんだ。俺の尻の穴のヴァージンに誓おう。他意はない。服が欲しいだけだ」

「……誓いの対象が終わってるけど、まあいいわ。それなら私が服を脱がして渡しても言い訳ね?」

「ああ構わん。だがその前にこの女をしばらく起きないようにしておかなきゃならん」

「ん-、首の骨を折るとか?」

「……お前はなんだ、ハリウッドの三流アクション映画に出てくる悪役のような事を言うな。もちろん違う。魔法を使って昏睡させんだよ」

「そ、それって違法でしょ。まずいんじゃないの」

「首の骨を折るって言った女が何を……あのな、法律ってのはタチの悪い女みたいなもんで、何回か車の中で世話になっただけなのに恋人面して、家に上がり込むは野菜ばっか食わせるわ金の使い道にあれこれ口出すわ、本当に面倒くさいやつなんだよ。いくらか握らせて帰らせるのが一番なんだ」

「……うわあ、クズの言い分って初めて聞いたわ。それがただの例えじゃなかったら、あなた遠くない未来に包丁で刺されるわよ」

「未来? 既に何度か起きた過去の話だよ。あいつら腹の次は股間ばっかり狙ってくるからたまんねえんだ。そのくせ未練があるから顔は傷一つつけないわけで――も、もちろん、これは俺の知り合いの話だ。さてさて、魔法をかけて眠り姫にしちゃいましょかね」


 蛍の瞳がかつてないほど冷たくなったのに気づき、俺は慌てて話を切り上げると、女の額に手を置き、魔法を起動させた。

 これは対人用の精神魔法の一種で、対象人物の意識レベルを落とし、一定時間目覚めさせないようにする、いわば魔法版睡眠薬のようなものだ。

 説明すると凄く強力な魔法に感じられるが、実際は精神魔法において才能の欠片もない俺が使える程度の割と簡単な魔法で、警官が危険な容疑者や犯罪者を安全に無力化する時に良く使う。

 大した魔法じゃない。

 何しろ意識がある人間には効かない。

 突っ込んで言えば、人間は意識がある限り大抵の魔法に対する抵抗力が高く、意識を失えば赤ん坊のように無防備になってしまうという事だ。

 だから魔導師はどんなに強くてもコンビを組む。

 猜疑心が強すぎる俺や、実力に誰もついて来られない俺の教官は例外中の例外だった。

 もちろん、このソロプレイ好きの馬鹿女もそうだ。 


「よし、マッチョなダッチワイフの完成だ。ほら、思う存分脱衣プレイを楽しんでくれ」

「誤解を受けるような言い方を止めなさい。ほら、あなたもさっさと服を脱いで」

「……誤解じゃないじゃん。やっぱり服を脱がせるのが好きなんだろ?」

「違う! 頼香さんを裸で放置するわけにはいかないでしょ。だからあなたの着てる作業着を着せるの!」

「解ったよ。でも早くしてくれ。時間がそんなにないからな」

「はいはい」


 俺は指示通り、素早く服を脱ぎ、視線を必死に逸らしている蛍に渡した。


「な? まだ暖かいだろ?」

「変態って呼び方は誤解じゃなくただの真実だったわね……」


 蛍は後悔の滲む声で呟きつつも、いそいそとダッチ・頼香の服を脱がせ始めた。

 さて、この格好で周囲を索敵するわけにもいかないから何をしたものかと、パンツ一丁で考え込んでいると、不意に震える吐息がかすかに聞こえ、俺は何か忘れていなかったかと思いつつ、音がした方へと歩いて行った。するとやがてある馬房の元まで辿り着き、


「ひっ――!」


 子馬の隣で身体を強ばらせている少女と目が合った。

 ああ、そうだった……。


「こ、来ないで!」


 まるでパンツ一丁の変質者に襲われた少女のような声で叫ぶ相沢に、俺は憮然と顔をしかめた。


「あのな、確かに俺は人に誇れるほどの人間ではないかもしれんが、それなりに真っ当な人間だ。選挙だって欠かさずに行ってる。砂浜にゴミが落ちてたら拾うし、重い荷物を持ったババアがいたらお姫様だっこしてやる。さりげなく家族構成を聞き出したりもする」

「へ、変態……!」

「まだ言うか。清廉潔白な俺のどこが変態的なのか言ってみろよ、ああん?」


 顎を突き出して啖呵を切った俺はしかし、背後から尻を思いっきり蹴っ飛ばされて呻いた。

 涙目で振り返ると、濃紺の戦闘服を手にした蛍がため息をついていた。


「下着しか身につけていないと、こ、ろ。解ったらほら、さっさとこれ着なさい」

「解ったよママ」


 声帯を調整して可愛い十歳くらいの少年の声で言うも、再び尻を蹴飛ばされながら、俺は素早く渡された戦闘服を身につけた。

 女にしては大柄だったおかげで、作業着と比べて窮屈さはない。

 頼香とかいうあの女、髪はベリーショートで男っぽかったのに、尻や胸は意外とあるからタオルは欠かせなかった。

 靴のサイズはぎりぎり、帽子がないのが残念だったが、髪型はそれほど違わないので、遠目じゃ解らないだろう。

 装備の点検をするが、頼香が持っていた武器は特殊警棒のみで、後は意識を奪う類いの薬物が入っているだろう注射器と、ごつい携帯端末くらいのもので、見回りでもするような最低限の武装だった。

 学園長の指示だろうか。

 一応、こちらを殺したり激しく痛めつけるつもりはないらしい。

 ともあれ、問題は携帯端末だ。

 明らかに警備員用の特別品であるこいつを使って捜索状況を把握し、可能であれば撹乱したいところであるが、見たところかなりグレードの高い端末に見える。

 生体認証の機能が備わっている可能性もあるし、うかつな事は出来ない。

 アメリカの特殊工作部隊が支給されるやつなんかは人体に極小の針を埋め込み、所有者に異変があればすぐに仲間や本部に情報が送られるようになっているものもあるから、それに比べればマシではあるが。

 ともあれこのリスクを冒すべき価値は今はない。

 別のプランを組み立てるか。


「ねえ、どうするの?」


 俺が腰のベルトに端末を差したところで、蛍が気まずそうな顔で声をかけてきた。

 その瞳は俺ではなく、子馬の横でがちがちになっている相沢に向けられている。 

 俺と目が合った相沢は子馬の背後に逃げた。


「……何も喋るなって言って寮に返したらどうかな?」

「その選択の成功値を上げるには、この娘の家族や恋人とかいった、自分の命より大切な存在を人質に取る必要がある。この場合はこの子馬だな」


 俺が淡々とそう言うと、相沢はびくっと身を震わせ、子馬を抱きしめた。

 そして恐怖と怒りの入り交じった顔を俺に向けると、何か言おうと口を開いた。

 が、彼女が言葉を発するより先に、傍らの蛍がキレた。


「そんな事したら、私があなたを消し炭にしてやるわ」


 凍てつくような声で静かに宣言した蛍は、どういう意味があるのか、首に掛かったチョーカーをぐっと右手で握りしめた。

 実力差を考えれば、俺が蛍に〝消し炭にされる〟可能性は限りなくゼロに近いのに、俺の勘は彼女にはそれが可能なのだと告げていた。

 そうすると自己防衛を最優先する俺の本能は、即座に目の前の少女を始末しろと身体に信号を送ってきた。

 だが、もちろん、そんなわけにはいかないしそうするつもりもなかったので、俺は冷静にいきり立つ本能をなだめ、少女の眼球に指を突っ込む代わりに、ひょいと肩をすくめて見せた。


「本気にするなよ。お前の意見について冷静な評価を下しただけだ。生徒を傷つけるような事をすればアウトだと言ったのはお前だぞ、忘れたのか?」


 無言で瞳の温度を上げない蛍に、俺は少しは動揺したり慌てた振りをした方が良かったのかと考えた。

 だが、やがて蛍はゆっくりと目を閉じ、息と一緒に敵意を吐き出した。

 再び開いた瞳には疑う色はあったものの、普段の熱が戻っていた。


「アウトになった時、あなたに制裁を加えるのが学園長や法だけじゃないと知っておく事ね」

「またマフィアのような事を……まあいいさ、解ったよ。馬刺しパーティーはなしだ。そっちの娘も解ったな、俺は馬にもお前にも危害は加えない。それはなぜか? 言ってやれよ蛍、俺が誰なのか」


 俺がどや顔を浮かべる準備をして促すと、蛍は頷いて言った。  


「春からこの学園の変態になる予定の野良変態よ」

 

 すかさず、どやっ!


「その通り! 俺は学園長にヘッドハンティングされたへんた――馬鹿野郎。学園の変態って何だ、留学生枠みたいな感じであるのか変態枠が。ああ? 留学生が外国から来たように、俺は変態の国から来たのか? わたくし生まれも育ちも変態、ボイン川で産湯をつかい、エロマンガ島を練り歩き、マラ山を登れば遙か彼方のキンタマーニ高原を見つめ、スケベニンゲンの街に至れば男女問わずヌーディスト達を眺めて渇きを癒やし、ふと思い立ちてオマーン港より船に乗り、変態の神に導かれるようにしてこの九霄にやってきた次第。さあさ皆さん、どうぞ仲良くしてやってください。姓は変、名は態。人呼んでメスシリンダーのヤックと申します――ってか!?」


 俺の怒りの声が厩舎に轟いた。

 が、すぐに静寂がやってきた。

 蛍も相沢も、子馬もアルパカも、みんな黙っていた。

 少女二人に至っては目も合わせない。

 己のつま先やら壁やらを見つめている。

 ただ一人、いやただ一頭、子馬だけが尻尾を揺らしながら俺を見つめていた。

 純粋を形にしたような二つの瞳に、小さな俺が映り込んでいた。俺は世界に敗北した。


「……それで、まあ、この人さ、一応本物の先生……になる予定の人なんだよね」

「ふ、ふうん。男が教師になるなんて、ちょっと信じられないけど、まあ、あんたが言うなら、そうなんでしょうね」


 あれ……?

 ひょっとして俺、ガキ二人に気を遣われてる? 


「ね、灰尾さん? これからどうしたらいいか、考えを聞かせてくれない?」


 蛍は失禁した幼稚園児を慰める優しい保母さんのような瞳で俺を見た。

 俺は何だか息が出来なくなりそうだったが、両手の拳を握りしめ、勇気を振り絞って答えた。


「相沢さんには僕に協力して欲しいです」


 ひどく惨めだった。

 肥だめに顔を突っ込んでもこんな気分にはならないだろうなと、俺は思った。


「だってさ、どう? 新任教師のテストにしてはあまりにも過酷すぎるし、何だか可哀相だから助けてあげてるんだけど、少しでもいいから力を貸してくれると嬉しい」

「……協力すれば絶対に動物たちに手出しをしないと誓えるなら、少しだけ口裏を合わせるくらいはしてもいい」

「そう! ありがとう! ほら、あんたもお礼を言いなさい」

「……心から御礼申し上げます」


 力なく頭を下げた。

 何だろう、ひどく刹那的な気分になり、俺はふと警備員の本部を急襲し、殺傷魔法を連発して倒されるまで戦ってやろうかと考えた。

 俺をここまで屈辱的な気持ちにさせた――自分に理由がある事は百も承知だったが、そんなくそったれの現実からは目をそらし、鮮やかな責任転嫁することにした――警備員達を可能な限り多く葬り去る事は、とても健康的なアイデアだと思えた。

 ゆっくりと唇が凶悪な具合に弧を描いていくのが解った。

 しかし、俺が完全にダークサイドに堕ちるより先に、電子音がピピピと鳴り響いた。

 それは腰に差した携帯端末が発するもので、ディスプレイには通信という文字と吹雪ふぶきという名前が映っていた。

 蛍と相沢の視線が突き刺さる中、俺は一瞬で思考しいくつかの計画を立てた。

 だが、俺がそのうちのどれかを実行するより早く、自動通話機能がついていたらしい携帯端末は勝手に通話がオンになり、スピーカーから女の声が飛び出てきた。


『おおい頼香! いつまで待たせるんだ、厩舎の見回りくらいすぐ終わるだろ! さっさと飯行きたいからちゃちゃっと済ませろってあれほど言ったのに! さてはお前あれだな? こんな時間からむらむらして、警棒を地面に立てて一発、いやまさか馬のものを――!?』


 声自体は若い女のものだったが、誰かに良く似た発想に、その場の緊張が緩んだ。

 ぺらぺらと聞きたくもないオトナの女性の下半身事情に蛍は音を立てずにため息をつき、相沢は顔をしかめてちらりと子馬の一部分を見つめ、すぐに頬を赤くした。

 俺はと言えば、咄嗟に思いついた計画の成功率を見積もった末、一つの決断を下した。

 頼香の相棒らしい吹雪という女は自分の所有する〝オモチャ〟について色々と解説をしていた。

 俺は馬のモノを試すだの何だのとゲスな考えしか出来ないそいつを軽蔑しつつも、唇の前に人差し指を立て、蛍を手招きした。

 身を寄せてきた蛍の耳に小声で囁く。

 俺の言葉を聞いた蛍は驚いた顔をしたが、何か思いついたような顔で何度か頷いた。

 大きく息を吸い込む蛍を見つつ、俺は端末を手に取り、ドスのきいた声をぶつけた。


「おいこのクイーンオブ痴女。お前が救いようのない雌豚だって事は解ったから、いい加減黙れ」

『んな……頼香、あんたいつからそんな男っぽい声に……まさか本当にタマが』


 予想外の返答に俺は一瞬ひるんだが、気を取り直し言葉を続けた。


「頼香? ああ、このオカマ女か。安心しろよ、俺も半信半疑だったがタマはついてなかった。見た目はあれだが、悪くはなかったぜ? きっと立派なガキを生んでくれるだろうよ。そうだあんた、名付け親にでもなってくれよ。この脳筋馬鹿女の相棒なんだろ? ああもういっその事、あんたも俺のガキ孕んで頼香とお互いに名付け親になるってのもいいかもな。はは、名案だろ?」

『まさかあんたが例の変態か……しっかし頼香ちゃんヤルとは好き者だね。なに、一対一で倒せたの? やるじゃん』

「勘違いするなよ、俺にそんな力はない。俺はただ、こうやって大人しくしてもらっただけさ」


 俺はそう言うと蛍に頷いた。

 すると蛍は待ってましたと言わんばかりに、ため込んでいた息を叫び声に変えて吐きだした。


「け、警備員さん助けてえええええ! 変態に犯されるうううううう――むぐ」


 冷や汗が出るほど何ともリアリティのある演技で助けを求めた蛍の口を塞ぎつつ、俺は沈黙した端末に向けて淡々と話しかけた。


「通信を取らないのを不審に思い、咄嗟にマヌケの振りをするくらいに賢い吹雪さんなら、状況はもう理解できたな? 応援要請はしたか? したなら俺は〝再び〟山に逃げ込んだと再度報告しろ。その通りだ、俺には〝協力者〟がいる。下手な真似をすればどうなるか、わざわざ指摘する必要もないな? さて、お前はこれからどうするべきだ?」


 沈黙はおよそ三秒。決断は素早く下された。


『一人で厩舎に向かう。本部にはお前の望み通りに連絡した』

「よろしい。では直ちに来い。我々にとって時間は貴重だ。無駄にするなよ」


 そう告げると俺は端末のスピーカーとマイクに念入りに土を詰め、腰に詰めていたタオルの一つでぐるぐる巻きにした。

 遠隔操作のカットは出来なくても、これでひとまずあちらに音は聞こえないだろう。

 破壊するのが一番安全だったが、上手く使えば役立つ。いくつかプランを考えながらポケットに強引にねじ込み、一息ついて蛍を振り返った。


「中々の悲鳴だった。一瞬モノホンのレイパーにでもなった気分だったぞ」

「あなたも本物のクズにしか見えなかったわ。演技じゃないんじゃない?」

「よせよ。俺を知ってる奴らはみんな、口をそろえてこう言うんだぜ? 〝ヤックは紳士だった〟ってな」

「過去形じゃないの、それ……」


 うんざりした顔をする蛍から視線を逸らし、子馬の横で成り行きを見守っていた相沢を見つめる。


「さてさて、相沢ちゃんにはちょっと頑張ってもらいましょうかね」


 ハエのように手をこすり合わせる俺を見て、相沢はごくりと喉を鳴らした。







前話の質問に対し、ご意見やその他感想を書いていただき、ありがとうございました。長いと辛いとおっしゃる方はいないようですので、長めで行く事にします。今回は大体2万3千字ほどです。


更新が遅くなりまして、申し訳ありません。出来ればのんびりお待ちいただけると幸いです。


ではでは。

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