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晴れ時々宝物

ガイホウは世界が嫌いだった。

暖かな光が嫌いだし、優しく吹く風も嫌いだ。そぼ降る雨も嫌いなら、木々に擦れる葉の音も嫌いだった。

けれど何より嫌いなのは───今、生きている自分自身だった。




数ヶ月に一度、ガイホウはその場所に行った。

猿の一族として普通なら行かない地上にあるそこは、ガイホウと弟のヨウゲンの母親が眠る場所だった。

彼女たちが眠る場所には印の一つ、花の一つもありはしない。

弟のヨウゲンはその場所すら知らされていない。


ガイホウは猿の一族の長の息子の一人で、父親に次いだ力を持っていた。

猿の一族は重婚も普通であり、長であるガイホウの父親も当然ハーレムがあった。

他の平民と違うのは、『子殺し』の権限を持つことだろう。

猿の一族の長は、強き者が求められる。

力を示してこそ頂点に立つのが相応しいとされ、ガイホウの父親も例に漏れず強かった。

そして猿の一族の男は独占欲が強い。いい女を求めて囲う本能を持つと同時に、その女が他の男に気を持つのを許せない。


ヨウゲンの母は、不幸にも別に惚れた男がいた。

そしてヨウゲンの生まれた時期が微妙であったことから、父は長としての権限を執行しようとした。

つまり、父親の曖昧な息子を、殺そうとした。


長の一族ではそれは別に珍しいことではない。

実際祖父の代にも起きていたし、その前にもあった出来事だろう。

しかし猿の女は子煩悩なものが多く、その身を盾にしても子殺しを防ごうとする。

ガイホウの母親はヨウゲンの母親の姉だった。

妹の息子を殺されるのを防ごうとし、自らも妹とともに夫に殺された。


目の前で起きた惨状を、五年経った今でも明確に思い出せる。

その時父親から弟を守ろうとし、ガイホウも背中に消えぬ傷を負った。

ガイホウの行動は長の一族のものとして異例だった。

弟が生きていればいずれ長になる壁になるかもしれない。

それ故に子殺しが起きても長の子供は見て見ぬふりをするのが通例だった。

ガイホウだってそうするつもりだったのに、体は無意識に動いてしまった。


それからは必死だった。

先代の長を殺したガイホウは、父親の後を継ぎ長を襲名した。

猿の一族は情報を管理する一族だ。

野蛮だと思われがちだが手先も器用だし頭も回る。

日がな一日回ってくる重要な項目をチェックし、長として相応しく女を幾人も囲った。

それでいて同時に父親の持っていたハーレムを解散させ、ヨウゲンだけを手元に残し他の女や兄弟たちは自由に暮らせるようにと生活の保障をして屋敷の外に出した。

感謝する女など一握りで、大半のものに怨まれた。

長の女としての権力を奪われた彼女たち。長の一族としての権利を奪われた子供たち。

幾多の恨みを買って、それでも改める気はなかった。

ガイホウ自身ハーレムを作る気もなく、これから先この悪習を壊していくつもりだったから。



気がつけばガイホウの元に損得無しに残されたのはヨウゲンだけで、努力してもどうしても何もかもが掌から堕ちていくようだった。

いつだって余裕を見せるためにポーカーフェイスを手に入れた。

力を誇示するために強靭な肉体を、女を侍らせる魅力を手に入れた。

それでも───それでもガイホウは常に何かに飢えていた。




何もかもに飢えながら何を求めているかも判らない。

いつも通りに数ヶ月に一度の墓参りに行っていたある日、ガイホウは思わぬ宝を手に入れた。


空から落ちてきたそれをとっさに掴んだのは条件反射に近かった。

珍しく地上にいて、珍しく墓参りにいて、そしてその偶然が重なった先で崖下へと堕ちていこうとする落人を拾った。


掴んだ腕は細くって、伝わる感触から肩が抜けたのに気づいた。

長く伸ばされた栗色の髪が風に揺れるさまに見惚れた。

自分よりも遥かに小柄な体に、愛らしく整った容姿。

肩が抜けたのなら痛みも酷いだろうに、悲鳴も上げずに歯を食いしばった彼女は、視線が絡むと僅かに目を丸くして───そして気の抜けた笑顔を向けた。


その瞬間、色あせた世界に光が戻った。




落人の少女は随分と型破りだった。

ハーレムを作る猿の一族への嫌悪も隠さず、猿族一の男前と言われるガイホウのアピールにも毛の先ほども靡かない。

綺麗で愛らしく人形のようなのに、その赤く色づいた唇から漏れるのは大体が毒舌だ。

猿の長であるガイホウにも一歩も引かずに立ち向かい、真正面から小さい体でこうるさく注意する。


やれ女を馬鹿にするな。

やれさっさと仕事をしろ。

やれ酒を飲むなら飲まれるな。

やれセクハラ反対色ボケ猿。

やれ寝るときはきちんとベッドで寝ろ。

やれ風呂に入ったら頭は拭け。


馬鹿みたいに一々小言ばかりだ。

可愛い顔を膨らませ、ガイホウからしたら子供みたいに小さい体を精一杯に伸ばして、真っ直ぐに瞳を見て訴えるのだ。

それは酷く心地がよく、嬉しく暖かなものだった。

凄く怒っているのに、ガイホウの存在を根本から否定するのではなく、どちらかというと心配されての小言が多かった。

ハーレムに加わる気はないと宣言しながら、関係を持った女よりも深く踏み込む彼女に、好奇心は恋へと代わっていた。


彼女が来てから女との無為な行動はとうに止めているのに、未だに勘違いする姿が面白くからかってしまう。

メイドたちも彼女を妹として可愛がり、屋敷の雰囲気も徐々に変わった。

特別の意味を初めて心から理解して、そうして飢えていた『何か』が何か理解した。



好きな男がいると聞いて動揺したが、本当は判っていた。

彼女は『猿』そのものを忌避している。

見ていれば判った。

あてつけがましく『好きな男』と言っているが、それは絶対に恋愛感情ではないだろう。

それでも心が急くのは口先だけでも『好きな男』なんて言われたからだ。

みっともないのは判ってる。

けれど失いたくなかったし、余裕もない。


馬鹿みたいだ、と思う。

生きてきた中でこれほどなりふり構わないでいるのは、きっと今が初めてだ。

見た目ほど余裕もなくいつだって閉じ込めてしまいたい。

猿の女として口説かれるのはいい女の証。しかしそれすら許容できないくらいに、いつの間にか嵌っていた。

他の女は要らないから、ただ一人の彼女に傍に居て欲しい。

何も知らない、何も知ろうとしない彼女にこそ惹かれた。

馬鹿みたいだけれど、猿の長としての本能を全て失った行動だけれど、それでも一人で十分だった。



背中に触れる重みに笑う。

父親に殺されかけてから、誰にも触れさせたことがない場所。

いつだって警戒し、近寄るだけで怒鳴るほど繊細な部位のはずだった。

それなのに。

今は、この背に触れる温もりの、なんと愛しいことだろう。

優しくて暖かくて、嬉しくて擽ったい。


彼女が自分を傷つけるはずがないと、心の奥深くで信じきってしまってるのだろう。

愚かだと思うがどうしようもない。



「お嬢ちゃん」

「・・・何ですか?」

「俺はいつかお嬢ちゃんを俺の嫁さんにするからな」

「お断りですね。私はいい男にしか靡かないんです」

「だから言ってるだろ?俺以上にいい男はいねぇってな」

「私も言ってるでしょう。私の好みはタイガさんのような方です。片手間に女を侍らすような人、お呼びじゃないんですよ」



腕を掴んだまま下から覗き込んだら、つん、と細い顎を突き上げて彼女は生意気に笑った。

可愛らしい容姿に似合わぬ意地の悪い表情に、ガイホウは晴れ晴れと笑った。



嘗てガイホウは世界が嫌いだった。

暖かな光が嫌いだし、優しく吹く風も嫌いだ。そぼ降る雨も嫌いなら、木々に擦れる葉の音も嫌いだった。

けれど何より嫌いなのは───今、生きている自分自身だった。

それでも彼女が傍にいたら、世界はどんどんと色づいてきた。

嫌った世界は遠のいて、笑う回数も増えてきた。

嫌いだった世界は、鮮やかに幸せを運んでくれる。


暖かな光に目を細める彼女が好きだ。

優しく吹く風に髪を靡かせた彼女が好きだ。

雨の中は小さな声でハミングする彼女が好きだ。

木々に擦れる葉の音に耳を澄ます彼女が好きだ。



嫌いだった世界をもっと好きになれたなら。

母親たちが眠るこの場所に、ヨウゲンを連れて来る日も近いかもしれない。


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