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ABENSHEE

ABENSHEE SIDE:ミリオンダラーの惨憺歌

作者: 千馬弘久
掲載日:2026/09/21





 最も楽して稼ぐ方法とは何か。笑ってしまうほど簡単な方法がある。

 霧だ。

 ここ百年、しょっちゅう黒い霧が沸いては消える。この霧こそ、コックス=デニッシュにとって、幸運そのものだった。

 アーベント社会教育施設を出て三年、27歳になってまともな仕事にありつけなかったコックスが土地価の低い極貧都市(スラム)に流れるのは、至極当然だ。その日の食事代もままならない。かといって、闇社会に入れば、アーベントに求められるのは危険な役回りばかり。

 そんな仕事を持てず、力もないコックスの収入源は、もっぱら窃盗だった。

 霧発生のブザーが鳴れば、それは仕事の合図だ。

 街の人間が指定の場所に逃げて、無人になった後、ARSSの職員と鉢合わせることの無いように、なるべく霧の中心付近の建物に入り、金品を拝借する。同時に車でも拝借して、別の街や国に逃げればいい。これを繰り返す。

 万事うまくいってる。金さえあれば酒とねぐらに事欠かない。コックスはそう思っていた。


 イタリア・カラブリア州トロペアの路地にて――。


「か、勘弁してくれ…!!悪かった!!俺が悪かったよぉ!!」


 情けない声を上げ、どくどくと血が流れる鼻を手で押さえながら、コックスは謝罪を繰り返す。

 コックスを囲む黒スーツの男たちの後ろから、とりわけ背の高い大男がコックスの前でしゃがみ込み、倒れこんでいたコックスの髪をつかんで顔を引き上げる。

「お兄ちゃん、よそもんだから知らねぇかもしれないが、アンタが忍びこんだレストランは、俺ら『ドッチオーネ』が取り仕切ってるんだ。コソ泥に入られた挙句見逃したとあっては、俺らのメンツが立たねぇ」

 甘かった。とコックスは今になって後悔していた。泥棒に入ったことを、ではない。

 つついていけない蜂の巣があることをよく考えるべきだった。

「霧発生時なら俺たちマフィアだってきちんと避難するってのに・・・その間に火事場泥棒とは…お兄ちゃん度胸あるねぇ?」

「‥‥‥」

「もしかしてお兄ちゃん、『札付き(バッドマーク)』かい?」

 にこやかに、大男は尋ねる。

 否定すれば殺されるだけ、コックスは本能的にそう感じた。


「…は、はいぃ」


 コックスの返事に、男は口元を一層ひきつらせた。

「あっははははっ!!あっそうっ!」

 嬉しそうに膝を叩くと、男は立ち上がり、内ポケットからPライトを取り出し、どこかへ電話をかけ始める。


「私です、あのーこの間の話、一つ空いてるって…いいのがいたのでどうかなと。はいそうです。お願いします。」

 数十秒の電話のあと、男は電話を切り、また笑顔でこちらに振り向く。

「よかったね、お兄ちゃん。アンタにいい仕事が見つかったよ」




   *




 今から約百年前の西暦1944年。影胞子と呼ばれる黒い霧が世界を包んだ。

 その霧は突発的に世界中のどこにでも発生し、生物の体を侵食する。影胞子に侵食されたものはその姿を異形の怪物『鵺』へと変貌させ、鵺は世界に破壊をまき散らした。

 人類は常に発生し続ける霧と鵺に対抗するための組織、世界警備機関(All response security system)、通称ARSSを設立する。

 これに所属し鵺と戦うのは、黒い霧に体を侵食され、それでも怪物へと変貌せず自我を保ち、さらには特殊な能力を手に入れた異能者たち、アーベント。

 鵺とアーベントは、百年たった今も戦いを続けている。


 だが問題はそれだけじゃない。アーベントが戦うのは何も鵺だけじゃない。すべての人間が世界を守るために、自分の力を快く提供するわけじゃないのだ。ARSSに所属せず、アーベントの危険な力を私利私欲の為に使う連中がいる。

 札付き(バットマーク)。違法アーベント。異能テロリスト。呼び方はいろいろある。

 影胞子が投げ込まれ、混沌を極めた世界に渦巻く問題は、『鵺』以上にあふれかえっているのだ。

 

 さらにさらに、そんな悪党の中にも中途半端な者たちがいる。

 ARSSにも属せず、札付きとして力も示せず、平和に暮らすこともできない。

 そんな、暗がりに潜む虫のような人間たちが。



   **



 トロペアの海沿いの酒場に集められたのは、コックスと同じような境遇の男たちだった。

 霧に侵食されアーベントになったものの、鵺と戦うことを拒否して施設に入るが、その後社会にコミットできず底辺に落ちた者たち。

 鵺なんて化け物と戦うなんて命を捨てるようなことはごめんだが、ARSSのアーベント達の扱いをみると自分の選択は失敗だったのではとみじめな気持ちになる。

 この酒場に集まっている十数人の男たちの表情は、どいつもこいつもそんな擦れたものばかりだ。

 おそらく全員がここに連れてこられる途中で一度は抵抗し、そして同じように痛い目をみている。

 コックスは、そんなどよめいた空気にうんざりしながら、カウンターで酒を飲む大男の隣に大きな音を立てて座る。

「なぁアンタ、アンタもドッチオーネに連れてこられたクチかい?」

「ああ」

 静かにネグローニを呑む大男に、コックスは馴れ馴れしく話しかけると、男は静かに返した。

 フードを目深にかぶった男の肩をトンと叩くと、コックスは男と同じ酒をマスターに注文する。

「俺はコックス。こんなうさん臭い稼業とは無縁の一般市民なんだが、不運なことにこのザマだ。ま、仕事に困ってたのは事実なんだけどよ。で?アンタ名前は?」

「………フォーラだ」

「フォーラか、まぁじゃけんにしなさんな。さっきぐるっと全員に挨拶してきたところさ。ぶっきらぼうのアンタが最後ってワケよ。見たところスコットランド系か?アーベントは見た目が全然変わっちまうからな。」

「そういうお前もアメリカ人らしい振る舞いだ」

「お?ありがとよ」


 コックスはグイっと一口酒を含む。




 彼がそんな軽口をたたいていると、店の奥からスーツを着た男たちがぞろぞろと出てきた。

 さきほどコックスを捕まえた男も、後ろの方に立っていた。


「さて」


 男は集められた札付きたちを一人ずつ眺め、満足そうに笑った。


「皆さん、今日は遠い所からご苦労さん」


「………ふざけんな。俺はこんな仕事を引き受けた覚えはねえぞ」

 集められた中の一人が怒鳴る。

「そうだろうね」

 男はあっさり頷いた。

「だから連れてきたんだよ」

「は?」


「私達はお前たちに仕事を頼んだわけじゃない。使うために集めたんだ」

 ざわめきが起こる。

 高級そうなスーツを着た男はたいして気にする様子もなく、壁際に置かれた椅子へ腰を下ろした。


「お前ら、なんで自分がここにいるのかわかってないのか?」


 誰も答えない。


「普通のアーベントなら、ARSSのリストに登録されたエージェントとして働いてる。住所も能力も、全員もれなく管理されている。……ところがお前たちは違う。」


 男は指を一本立てる。

「身元不明」

 二本目。

「犯罪歴あり」

 三本目。

「どの組織にも所属していない。」

 そして大きく膝を叩く。

「たとえ正式な手続きを踏んでARSSに所属しなかったとしても、札付きの条件を満たしている。そんなお前らを使い捨てたとしても誰も困らない。社会のゴミだ」

「………」

「だから選ばれた。幸い、アーベントは能力が使えなくても頑丈だからな、肉体労働にはうってつけだろう」


 男は笑った。


「お前らには、これから一つ仕事をしてもらう。無事に完了できたら、あとは好きにしていい。」

 Pライトの画面を操作する。

 壁にホテルの写真が映し出された。


「イタリア、カラブリア州。ここにあるホテルだ。表向きは」

 高級ホテルだった。


「霧がでる」

「……霧?」

「あぁ、黒い霧だ。本来予報は不可能だが、今回は確実だ。確認もした。」

 男は平然と答える。


「発生すれば、ホテルは閉鎖される。客も従業員も避難する。ARSSが来て現場を封鎖するまで、少しの時間がある。」

 ホテルの見取り図が映し出される。


「その間に、お前たちはホテルのセキュリティを突破して地下に向かってもらう」

「何を盗む?」

「金庫だ」

「金庫?」

「正確には、金庫の中身」

 男は一枚の写真を取り出した。

 写真に写っているのは、古い資料の束。

「これを持って帰って来い」

「金になるのか?」

「俺含めここにいる全員が一生遊んで暮らしても有り余る程度の額にはなる」


 男たちの何人かが顔を上げる。

「内容は?」

「知らなくていい」

「ふざけんなっ!」

「ふざけてないよ」

 笑顔が消えた。

「知らない方がいいだけだ」

 酒場が静まり返る。


「お前らの仕事は、霧が発生したらホテルに入って金庫を開ける。中身を回収してここに戻ってくる。それだけでいい」

「もし断ったら?」

 コックスが尋ねる。

 男は肩をすくめる。

「故郷に帰してやるよ」

 そして、にっこり笑う。

「死体になってだけどな」

 緊張が走るが、男は気にするそぶりはない。

「まぁ、安心しろよ。仕事が終われば、お前たちは自由だ」


 男は立ち上がる。

「本当か?」

「もちろん、今後関わらないと約束しよう」


 Pライトを懐にしまうと、ポンポンとそこを叩く。

「ただし」

 男は部屋の隅に置かれた箱を指さした。

「無事に帰ってきた奴には、もう一つ仕事を頼みたい。……わかるか?こんどは頼みだぜ?」

 意味深に言うと、男はポケットに手を入れた。

「それが何かは、仕事が終わってから教えてやるよ」

 男は笑った。

 その言葉だけ、妙に軽かった。

「ようこそ、暗闇へ。ドブネズミ君たち(トポ・ディ・フォーニャ)」






   ***




 筋書はこうだ。

 霧発生後、ホテルは客と従業員も含め避難命令を受ける。

 コックスたちは従業員に変装し、避難誘導をするふりをし、混乱に乗じてホテルに侵入する。ホテルの避難システムでは特定の時間が経過するとすべての扉にシャッターが下りる仕組みになっている。

 男たちは警備制御室と地下へ行く二手に分かれて、すべてのセキュリティを解除したのち、膨大な金庫の中から位置情報を特定し、望みの物品をゲットする。

 つまり、単純に金庫を破壊したりするにも、望みの品の場所がわからなければ意味がない。

 しかもその設備は当然認証制で、登録された人間以外が操作しようとすると保管庫の操作自体が出来なくなってしまう。

「その認証システムを麻痺させるためのプログラムがこれってわけかずいぶんアナログチックな」

 コックスが、フォーラが持つメモリコネクタを物珍しそうにみる。

「まぁこういった装置の方が外部からハッキングするよりも確実だろう……特に霧発生時は電波障害が起こりやすい。内部のセキュリティも有線だろうからな」

「………」

「なんだ」

「いやぁ、タッパあるわりには意外と童顔だなアンタ。髪も長いし女みたいな顔立ちだ」

 コックスの無駄口を無視してフォーラが端末を確認する。

「時間だ」



   ****

 


 ホテルの裏口に停められた黒いワゴン車の中では、誰もしゃべらない。

 車の窓の外には、まだ何も起きていない。

 トロペアの街はいつも通りだった。

 海風や通りを歩く観光客。ホテルの玄関前に泊まるタクシーまで。

 まるで平穏そのものだ。

「………本当に来るんだろうな?」

 静寂に耐えきれなくなったのか、コックスが口を開いた。


「マフィアに言われただろ」

「でもよサム」

 サムが腕時計を見る。

 コックスは運転席の男に目をやり。

「当たり前の話だが、霧の発生時刻なんてARSSだって正確な時刻は予測できねーんだぜ?」

「そうだな」

「じゃあ、なんで奴らにはそれが分かるんだ?」

「しらねえよ」

 後部座席にいた別の男が鼻で笑った。

「いや、気になるだろ」

「気にしたところでどうなる?」

「…………」

「俺たちは俺たちの仕事をするしかない。それ以外選択肢なんてねぇんだよ」

 

 もっともだった。


 マフィアから渡された情報では霧の発生時刻は午後七時一七分。


 誤差は三分以内。


 あのARSSですら、霧への対策は後手に回るしかないはずなのに。


「なーんか胡散臭えよなぁ」

「言ってろ」


 相手にしないサムの隣で、フォーラは端末を見た。

「解らないことを考えても仕方がない」

 その瞬間だった。


 ホテル内部から、高い警報が鳴り響いた。


『BM濃度が三十を超えました。エリアコールを発令します。周辺区域にお住まいの皆様は、直ちに避難を―――』


 コックスが時計をみる


「来た!」

 緊張のまま、ドアが開き、全員がただちに飛び出した。

 すでに道路の先から、黒いモノが流れてくる。

 煙にもにた黒い霧。


「行くぞ」


 ホテルの従業員に変装した男たちは一斉に裏口へ走る。

 既に何人もの一般客が避難するため裏口から出て来ていた。


「落ち着いて!こちらからゆっくり避難してください。押さないで!」


 サムが声を張る。

「ここは俺たちに任せて、先に避難しろ!」

「すまん!」

 客も従業員も誰も疑うそぶりすら見せない。

 皆、黒い霧を恐れている。

 ホテル全体が霧という災害によって混乱していた。


 フォーラが最後尾につきながら周囲を確認する。

 予定通りだ。

 人が外へ流れ出る。 

 警備員も避難誘導にしたがっている。

 コックスたちはその流れをうまく利用し、避難させる側として、ホテルの奥に進んだ。

 殆ど無人になったホテル内の廊下を曲がったところで、サムが足を止める。


「ここからだ」


 全員が立ち止まる。

 ホテルのスタッフが使用する通路。

 しかし、その先には誰もいない。

 

「二手に分かれる。コックス達は地下、俺たちは警備制御室に向かう」

 サムがコックスを見る。

「地下の防壁扉まで行って待機しておけ。セキュリティを麻痺させて扉を開いたら、スタッフ用のアナウンスで保管庫の位置情報を伝える。システムが回復するまでの十分の間に、お前たちは目的のモノを奪取しろ」

「了解」

「案外簡単だな」

 コックスが笑う。

 その時、ホテル全体からガシャァンーー。と重たい音が響いた。


 霧発生時にホテル側が用意した、警備用の防壁シャッターが閉まる音だ。


 札付き(バッドマーク)の男たちがアイコンタクトを送り、それぞれ反対方向へ走り出す。

 

 サムとフォーラ達は片方は制御室。

 コックス達は地下へ続く階段。

 

 階段を降り、コックス達は地下の廊下を進んだ。

 背後から、ガン!と、防壁が閉じた。


「………!!」


 コックスが振り返る。

 分厚い防壁扉が、完全に帰り道を閉ざしている。

「早く行くぞ!」

 仲間が叫ぶ声に引っ張られ、コックスは地下へ進んだ。

 しばらく進むと、やがて大きな金庫室の扉の前にたどり着く。

「ここか……!」

「………あとは向こうからの連絡を待つだけだ」


「……………」

「……………」

「………なにしてんだ!まだかよ!クソ!!」

 焦りと苛立ちからか、仲間の一人が防壁を叩く。

「おいやめろ、どんなセキュリティがあるかわかんねぇぞ!!」

「ッチ……」


 不満げに体をゆする男たち。

 数十秒後。

『これからセキュリティを落とす』

「きたぞ!」


 マフィアたちから支給された妨害プログラムの効果が出ているようだ。

 認証システムが落ちた。


 コックスは端末を覗き込む。

 システム復旧まで5分。

「おい!例の金庫の座標と番号を教えてくれ!!」

『今送ってる!!』

 サムの声の後、端末に番号が送られてくる。


「これか」

「おい!早くしろ!!」

「わかってるって」

 金庫の扉が開くと、殺菌室のような内部に入り込んだコックスは、アームで金庫を操作し、目当ての番号の金庫の扉を開いた。

「これか!」

 中に入っていたアタッシュケースをさっさと取り出し、コックスは金庫室を出る。

「やったな」

 しかし―――


 突然、画面が切り替わった。


 SYSTEM RECOVERY


「……ん?」

『おい』

 フォーラから通信が入る。

『復旧が始まった』

「は?」

『予定より早い』

 端末にカウントダウンが表示される。

 コックスの顔から笑みが消える。

「オイ待て!まだ三分くらいしかたってねぇぞ!?」

『早く脱出しろ!』

 サムの声を聴くより早く、男たちは走り出していた。

 30秒、20秒、

「まてまてまて!!!」


 ―――ガシャアン!と、


 目の前の防壁扉が再び降りた。

 地下へ来た道が再び、完全にふさがれる。

「………ウソだろ」

 男たちの顔が青ざめる。

 閉じ込められた。





「どうする?」

 焦るさむに、フォーラは静かに目を向けた。

「手動で開けるしかない……」

「手動で?」


 サムが聞き返す。

 フォーラは画面の扉を指さした。


「防犯上、金庫側からは開けられないようになっているが、外側には扉を開ける手動レバーがついている。俺たちが地下に降りて手動で開けるしかない。コックス達は既に目的のモノは手に入れてるんだ。シャッターさえ開ければまだ逃げられる。」

「じゃあ俺たちは?」

「逃走ルートの確保を頼む。この霧なら外の奴らはみんな避難してるはずだ。多少乱暴にしても誰も来ないだろ」


 フォーラはそれだけ言うと何人かの男を連れて地下へ向かう。

 地下へ向かうほど、高級感のあるホテルの雰囲気も変わっていく。

 客室も、装飾もない。

 白い壁。

 無機質な照明。

 一定間隔で設置された防壁扉。

「……そもそもこのホテル、一体何なんだよ」

 男の一人がつぶやく。

「知らねぇほうがいいだろ」

 別の男がつぶやいた。

 フォーラは足を止めなかった。

 最初の防壁扉にたどり着く。

 端末を操作するも、反応しない。

「手動に切り替える」

 レバーを倒すと、ゴゴゴ……と重い音を立てながら、巨大な扉がゆっくりと上がる。

「開いた」

「進め!」

 男たちは走る。

 次の区画。

 また防壁、またレバー。また扉。そのたびに時間を弄するが、確実に扉を開けていく。

「急げ!」

 さらに地下へ。

 ようやく最後の防壁にたどり着く。

 レバーを下げ、轟音とともに扉を開ける。

「フォーラ!」

 コックス達と合流する。

「おせぇぞ!」

「オイヤバいぜ!さっさとにげよう!」

 息を整え、全員が一斉に走り出した。

 開いたいくつもの防壁扉をくぐり、階段へ。

 ようやく地上に帰れる。

 誰もがそう思った、その時だった。

 遠くから、


 ―――カツン。



 音がした。

 靴音。

 地下に響く、乾いた音。

 全員が止まった。


 チカチカと、照明の反応も徐々に悪くなり、廊下に光と闇が交互に訪れる。


「………誰だ?」


 誰も答えない。

 誰も答えられない。

 もう一度。


 カツン。


 今度は近い。

 階段の下。

 明滅のさらに先の暗闇の向こうから、誰かが歩いてくる。


「………ARSSか?」


 誰かがつぶやいた。

「いや………まだ早すぎるだろ」

 コックスの言葉に、フォーラが時計を見る。


「……違う」

 全員の血の気が引く一言。



「遅すぎたんだ」



 暗闇の向こうから、今度は靴音とは別の音がする。

 ピチャピチャ、ピチャピチャと、水滴が落ちるような、けれどそれにしては重い音。


 男たちは息を呑んだ。


 暗闇の向こうから現れたのは、白い制服を着た紫の髪の男。

 と、

 男が左手に掴んでいたのは、先ほど別れた、サムの生首。



 もしこの場に現地の人間がいれば、すぐにわかったことだろう。

 彼はARSSのアーベントの中でも一際有名人だ。


 彼を知っているものならば、その性質についてもすぐに理解できたはずだ。


 ARSS欧州連合本部が誇る、七人の懐刀の一人。与えられた美徳の名も。


 その残酷なまでの『勤勉』さを


 美徳の七枝。ジュリアス=ルールドー。



「防壁を閉めろぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!!」



 レバーを下ろし行き止まりの金庫へ向けて走り出す。

 走り出すしかなかった。


「があぁああああああああああ」


 出遅れたものは、すぐさまジュリアスの腰に差された一振りの剣によって首をはねられた。


 同じアーベント同士とは思えない圧倒的な格の違い。

 人数で勝っていても戦う発想すら全く浮かばない。

 それどころか逃げる術すら。


 ゴバッ!!!と、爆音にも似た音と衝撃が響き渡る。


 防壁がまったく意味をなさない。


「ぎゃっ」

 一人。

「ひぃぃいあっ!!!あがっ」

 また一人と、次々と斬り伏せられていく。


「コックス!金庫内に身を隠せ!アタッシュケースを守れ」


 フォーラはコックスを最後の防壁の向こうに突き飛ばすと、レバーを下ろした。


 ガガガ、と最後の防壁が閉まる。

「はぁっ……!はぁっ‥‥」


 コックスは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、扉のしまった金庫へ目をやる。

「閉まってるじゃねぇかよぉ……!!!」


 一人で廊下の隅に蹲るコックス。

 一瞬の静寂。

 そして、まるで豆腐でも切り裂くように、最後の扉が突破された。


 ジュリアスは地面に転がるフォーラの死体を蹴り飛ばし、軽く舌打ちをする。


「くだらんな、こんなことは『為』にならない。時間の無駄だ。その割、ずいぶんと手間取らせてくれる」

 血の足跡を作りながら、隅で震えるコックスにゴミをみるような視線を向け、うっとうしそうに前髪を弄る。


「一応アーベントではあるようだが、雑魚では足りん。まとめて削り取るなら、少しは帆ねのあるやつでなくてはな」

「な、なんで俺が……こんな目に、何も悪い事なんてしてねぇのに……」

「は?」


 ジュリアスはあからさまに苛立った表情で、


「ここまでやっておいて被害者面とは、ずいぶんと『為』にならない人生を送ってきたようだな札付き(バッドマーク)。今貴様が持っている『モノ』の含め、言い訳のしようがないぞ」

「何を………」

「ゴミに説明するつもりもない。キサ―――


 ジュリアスが最後まで言い終える前に、肉を貫く音が同時に聞こえた。


「………な、………ん?」


 それは、見惚れてしまうほど美しく輝く刃。ジュリアスにとっては先ほど害虫駆除の要領で切り裂いたはずの、既に顔すら覚えていない殺したはずの男。

 

「き、様」

 ずるりと刀身を抜くと膝から崩れ落ちるジュリアスを、長身の男は見下ろす。

 暗い影を落とす男の金色の瞳は、ジュリアスからは視ることもできない。

「お前が『私』を覚えておく必要などない。『私』としてもARSSの貴重な戦力を削ぐのは忍びない。だから生かしておいてやる。」

「フォー………ラ?」

「ああ」


 先ほどまで一緒に逃げていた筈の男は、なんでもない様子でコックスが持つアタッシュケースを開き、中身を確認した。

「ハズレか」

 無表情なまま男は呟く。それも計画通りとでもいうかのように。


「まぁ、もともとマフィアくずれの禍博の子(ゴスペル)程度が後生大事に持つ資料など、期待はしていなかったが」


 興味が失せた様子で目下の紙屑を踏みつけると、銀髪の男はコックスに目をやった。

「安心しろ。お前にもきっちり『役割』は用意してある。」

「役、割?」

「ああ」


 彼の背中から、後光のような光が現れる。

 それは神話でみたことがあるような。悍ましく、崇高な光。


「お前の失った狂気を返してやる。その紙屑を持ち帰り、依頼者を全員お前の能力で殺せ。どうせ、それを持ち帰ったオマエを『実験体』として消費しようとしていた連中だ。」

「あぁ、あぁああ」


 コックスは、釣り上げられたマリオネットの様に立ち上がると、ゆらゆらと歩き出した。アタッシュケースを持ち、虚ろな目をしたまま。



   *****




 銀髪の男は彼を見送ると、ホテルの最上階へ登っていく。

 屋上に上ったタイミングで黒い霧は晴れ、同時に端末に電話がかかってきた。

『もしもしボスぅ?夏遮那が例のホテルのオーナー殺したいってきかなくってさぁ。もう絞れるだけ絞ったしそろそろ殺していいかなぁ?』

「プレベール・Fか。なんだ、まだ殺していなかったのか。もうそいつに用はない。殺せ」

『だぁって~げしゃ、うわっきったねぇ!!おいらまで血ぃ飛ばさないでよもぉ~……ってか、ボス今どこにいるの?』

「例の資料を確認してきただけだ」

『えぇ~結局ぅ?おいらたちが尋問した意味ないじゃん……相変わらず人間不信というか回りくどいというか』

「安心しろ、何も痕跡は残さない」


 銀髪の男は電話を切り、コートのポケットにしまった。

 屋上からので髪が後ろになびく。

「どうやら、目当てのモノは見つからなかったようですね」

「華弁慶か」


 気が付けば、男の後ろには長身の黒い祭司のような女が音もなく立っていた。

「ブレイン=アーク=ド=ベルクの手記、その失われたページなんて、本当に存在するのでしょうか?」

「必要な事だ。私にとってはな」

「美徳の七枝を退けたのです、早くこの場から離れた方がいいのでは?もたもたしていると、最悪『聖寵』とやり合うことになりますよ?」

「そうだな」

 華弁慶の言葉に、やはり男は興味が無さそうに返す。

 彼は再びポケットの中から端末を取り出し、その画面に目をやると、そのまま踵を返し、華弁慶の横をすれ違う形で言った。

「すぐに発つぞ」

「場所は?」


「アメリカ、ロサンゼルスだ。」

「こんどは『解導卿』に喧嘩を売るつもりですか?」

「喧嘩じゃない。ゲームさ」

 さきほどのつられた男のことを思い返しながら、銀髪の男は言った。

 相変わらず興味のない様子で。


「ゲームが終われば、王もポーンも同じ箱だ。白黒どちらが勝者だろうとな」


 彼が誰なのか、誰も知らない。

 だが、彼は悪党の中でも、一際輝く星のように異彩を放つ。

 その悪星の名は『黒き眠りの森(ジゼルヴィラ)』


 その悪党の頂点。

 彼自身が名乗ったわけでもなく、彼はこう呼ばれた。


 空(ホロ)と、

 









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