六年間婚約破棄し続けた王太子と婚約破棄した令嬢は秒で王妃になりました
「アデラ・フォン・シュタイン公爵令嬢! 僕は隣にいる彼女を愛している! 君との婚約は破棄する!」
眩い光、幾重にも重なった汚れ一つないシャンデリア、むせ返るほどの花の匂い、国内でも有名な楽団が優雅な曲を奏で、色とりどりのドレスがひらひらと舞う年に一度の王宮舞踏会――。
この舞踏会で恒例の風物詩ともなっているイベントは――『王太子の婚約破棄』だった。
彼は王宮の大広間の中央で高らかにいつものように宣言した。
その腕には、一人の令嬢がしっかりと絡みついている。
「まあ、今年も始まりましたわね」
「今年のお相手は誰かと思えば、新興伯爵家の令嬢ですか」
「今年のテーマは『雛菊のような可憐で守ってあげたくなるような女性』らしいからな。ふむ、確かに当てはまっているな」
「去年のお相手は辺境伯の嫡男と婚約したのだったか」
「そうですわね。この役目は未婚の令嬢たちのなかで良縁に恵まれるとかで、大人気のお役目ですから」
囁き声があちこちから聞こえる。
殿下の腕に絡みついている女性は、楽しそうにほほ笑んでいた。
「……殿下ぁ。私ぃアデラ様に睨まれてぇ怖かったんですぅ」
「おお、なんてかわいそうなんだ。そんなひどいことをする君を王太子妃に迎えることはできない」
彼女も当然この茶番の事情を知っていて、殿下のお相手として『守ってあげたくなる令嬢』の役目を完璧に務めていた。
だからこそ、誰も止めない。
「だが、今度の三国協議。あれで我が国によい条件をもたらすことができるのならば君を王太子妃として――」
いつものように、私が困った顔をして。
いつものように、殿下が条件を出してきて。
いつものように、私がその条件を乗り越えて、婚約は何事もなかったように続く。
――そのはずだった。
「承知いたしました」
私がそう答えた瞬間。
会場から、全ての音が消えた――。
◇ ◇ ◇
八歳のときに婚約した王族らしくはないけれど、とても情が深い方だった殿下を、いえラインハルト王太子殿下を私は愛していた。
六年前、王妃だった彼の母親が病で亡くなり、その年の王宮舞踏会から彼は私を試すようになった。
最初の年は腕に年上の王宮の侍女をくっつけて「愛する人を見つけた、婚約破棄をする」と言い出したときは、私だけでなく、私の両親も、陛下もその他の貴族たちも大慌てになった。
その時彼は私に復縁したければ、『隣国との交易交渉をまとめろ』と言い出し、当時13歳だった私は周囲の力を借りながらも、なんとかそれをやり遂げた。
そんな私を「私のために頑張ってくれる君が大好きだよ」と王太子殿下は笑っていた。
その翌年の王宮舞踏会で出された条件は魔獣対応の草案、その次の年は疫病の対策……。王太子妃教育と並行しながら年に一度の課題をやるのは正直言えば骨が折れた。
三年目からは腕に絡みつかせる女性にもテーマが決められ、王都に住まう令嬢たちはよい縁に恵まれるということで、こぞってその座を競い合っていた。
でもそれを全て成し遂げ、復縁する私を周囲は王太子妃、ひいては次期王妃としてふさわしいと口々に言う。
何度婚約を破棄されても、そのたびに『これを乗り越えれば、殿下はまた私を選んでくれる』と思ったが、私は体力だけでなく、どんどん感情もすり減らしていった。
だから去年の王都の財政再建草案作成の条件を乗り越えた時、私は決めた。
来年も同じことをされたら、破棄を受け入れよう。
もう、頑張るのをやめよう。
そう決めた。
そして毎年恒例のこの王宮舞踏会で婚約破棄を告げられた。
「承知いたしました」
自分でも驚くほど、何も感じなかった。
私の王太子殿下に対する愛情は――枯れていた。
◇ ◇ ◇
そして、現在――。
「え? アデラ、君は何を言っているんだい? ここはいつもの通り『嫌です』と言うところだよ?」
腕に絡みついていた伯爵令嬢は、『想定外だ』と言いたげな顔をして、王太子殿下の腕をそっと離して、後ろに下がっていく。
「破棄でいいといいました。それでは失礼いたします」
私は項垂れてその場にへたり込んだ王太子殿下にそう告げて、陛下の元へ向かった。
私は陛下に頭を下げ完璧なカーテシーをした。
「アデラ、顔をあげよ。あれはお前を心から愛している。だから破棄などと言わないであげてほしい」
私は顔を上げ、陛下に言った。
「恐れながら、陛下に申し上げます。陛下は製造元としての責任を果たすべきです」
「……製造元とは?」
「陛下は王太子殿下の父君です。あのような愚行を六年許してきたその責任を取ってほしいということです」
陛下は王太子殿下に似た四十代に見えない若々しく整った顔を少し歪ませて、私に尋ねた。
「それは慰謝料ということか?」
「いえ、そうではなく陛下が私を妻として、王妃として迎え入れてください」
『婚約破棄ショー』以降、静まり返っていた大広間は、どよっと湧いた。
「……私はお前を息子と婚約した11年前から娘のように思っている。無理を言うな」
「……そうですか。それでは瑕疵がついた娘として修道院にでも――」
「なぜそうなる! だから息子とやり直せばいいだろう」
私の王太子殿下への愛情は完全に枯れましたので無理というものです。それが表情に出ていたのか陛下は沈黙した。
その沈黙がどのくらい続いただろうか――。
「…………わかった、私がお前を娶って責任を取ろう。王家としては優秀なお前を逃すわけにはいかない」
「ありがとうございます」
「皆に告げる、アデラ・フォン・シュタイン公爵令嬢は王太子ラインハルトとの婚約を破棄し、王であるこの私ジークフリートの妻とする」
再び王宮の大広間では音が消えた――。
そんなとき静寂を破る壮年の男性と女性の大声が響いた。
「「ちょっと待てーーー!!!!」」
私の父であるシュタイン公爵と母である公爵夫人が、叫びながらこちらに近づいてきた。その後ろには二つ年下の嫡男である弟がゆっくりとついてきている。
「アデラ! 私は許さないぞ。私と同い年のふてぶてしく可愛げのかけらもない義息子なんていらないぞ!」
「旦那様にとっては同い年かもしれませんが、私にとっては陛下は年上です。私も年上で扱いにくいうえに腹に一物抱えてそうな義息子なんていりません!」
両親がかなり直接的に否定してきた。これは不敬罪にならないのだろうかと少し不安になる。
「お前たち、そういう問題ではないと思うが。まぁいい。よろしく頼むぞ、義父殿、義母殿」
「「義父(義母)と呼ぶな!」」
にやりと陛下は笑って両親に言い放ち、両親は相手が国王なのを忘れているよか顔を真っ赤にして憤って反論していた。
「お父様、お母様。もともと婚約者だった王太子殿下も私より一つ年上でした。一つ年上も22歳年上も同じようなものですわ。誤差です」
「「誤差なものか!」」
両親の声が揃って綺麗なユニゾンを放っていた。はぁ、仕方ないわね。
「ですが、お二人とも毎年この『婚約破棄ショー』を楽しんでらしたでしょう?」
「それは、乗り越えることでアデラがさらに女性として輝くから応援の意味もあったのだぞ」
「でも楽しんだのですよね。ふふふ、そのツケですわね。陛下もそのツケを払わされているのです」
「「っ! ……………」」
「姉上はそれでよろしいのですか?」
両親とのやりとりをじっと見ていた弟は私にそう尋ねてきた。
「ええ、いい結末でしょう?」
「そうですか」
弟はそれだけ言うと陛下の元へ歩いていき、ディープ・ボウをして陛下に頭を下げた。
「顔をあげよ。なんだ? 義弟よ」
「姉はこうだと決めたことは絶対に曲げません。私はこの結婚に賛成いたします。姉を幸せ……いえ、夫として国王として支えあってください」
「公爵たちと違って義弟と言われても動じないか。……その件は努力しよう」
そんなやり取りをしていると貴族たちに音が戻っていった。
そして両親は弟の言葉に『ぐぬぬぬぬぬ』となっている。楽しんだことによる因果応報だと思うのだけど、両親は受け入れられないらしい。
「え、陛下が?」
「なるほど……」
「いや、なるほどじゃないでしょう」
「でも王妃としては申し分ないぞ」
「確かに」
「で、王太子殿下は何をしているんだ?」
貴族たちは父母の怒髪天で硬直が解けたらしく、今までの想定外の出来事に声を潜めることなく話し込んでいる。
そういえば、王太子殿下は――。
「そんなの認められるか! アデラは私と八ヶ月後に挙式をする予定です。婚約破棄を破棄します。アデラ戻ってこい」
もう、あなたとの関係は終わったのです。これからは義母と義息子としての関係に変わります。
そんな王太子殿下の後ろから肩を叩く人物がいた。――侯爵でもある宰相だった。
「殿下、もう遅いのですよ。それに我々としては優秀な王妃が、それはもう切実に欲しかったのです。なのにあの陛下は、のらりくらりと『結婚はもういい』とか言うので、家臣一同困っておりました」
「は?」
「そこにアデラ嬢という光明が差したのです! 彼女ならば王妃としての資質はもうすでに備えています。ああ! 盲点でした」
「違う! 彼女は私の妻、王太子妃となるのだ!」
「王太子妃よりも王妃の方がなり手がおらず、深刻なんですよ! 殿下、納得いただけないようでしたら朝まで王宮の人材不足について意見交換してもよいのですぞ」
涙ながらに語る宰相と、それに怯む王太子殿下。
「いや、だから……王太子妃に王妃の仕事も兼任させるとかあるだろう」
「……ラインハルト王太子殿下」
私は殿下と宰相の間に割って入った。王太子殿下はパッと顔を明るくさせて返事をした。
「アデラは私を愛しているだろう。こんな馬鹿なことは止めるんだ」
「宰相様のいった通りですわ。もう……遅いのです。ラインハルト王太子殿下を愛して心の中で育てていた花は枯れ果てて朽ちてしまいました。もう愛情が戻ることはありません。私は陛下のもとに嫁ぎ、王妃となります。それが運命なのですわ」
「……アデラ。……嘘だ、嘘だろ? なんで! まだ間に合う。もうあんな試すことはしない。だから」
殿下は必死に私に言い募っていた。でももう――遅い。枯れたものはもう戻らない。
「ごめんなさい。ラインハルト王太子殿下。どうか別の方とお幸せに」
そう言って陛下の元へ戻った。
王太子殿下は乱心して暴れようとしていたので、近衛兵たちに取り押さえられて連れて行かれてしまった。
「陛下、王太子殿下が言っておりました八ヶ月後の挙式だったため、すでに諸外国の王家や大物貴族たちへの招待状を送付済みになっております。ついでですから、そこで私たちの挙式をいたしませんか?」
「ふむ……だがそれでお前はいいのか?」
「はい。そのほうが我が国においても諸外国にとっても合理的でしょう。」
「お前は相手のことを考えすぎるな。私は自分のことではなく、相手のことを真っ先に考えられるところに以前から好感を持っていたよ」
「まあ!」
思わぬ陛下のお気持ちに少し動揺してしまった。
よかった、私の心はまだ死んでいない。
私は陛下を尊敬はしていても愛してはいないし、陛下も私を娘のように思い男女としては愛していない。でもお互いのことは尊重し合いながら、国を支える共同統治者としてやっていけると思う。
その後、私の父母であるシュタイン公爵夫妻だけは納得していなかったが、私と陛下の結婚が正式に決まった。
婚約期間は一カ月とし、結婚は来月――。私はそこで王妃となる。そして挙式は王太子殿下との挙式が予定されていた八ヶ月後。そこで諸外国に私という王妃をお披露目となる。
後継である王太子殿下もいることだし、私と陛下の間には愛情はないこともあり、きっと白い結婚となるのだろう。
私はこの結果に満足していた――。
◇ ◇ ◇
――と思っていた。
あの婚約破棄から七ヶ月後、なんと私は懐妊していた。
翌日から王宮入りした私は王太子殿下のことを考えることはなく、精力的に王妃としての仕事を全うしていた。陛下とは王妃として国のことを思い、時折お互いのことを思いやったり平穏な国王夫妻を続けていたのだが……。
婚約破棄から三ヶ月、結婚してからだと二ヶ月後のとある夜、お互いの意思により、白い結婚を続けていた陛下が、私に懇願してきた。
「国を思い努力を続け、どんな時も優しく微笑んでいる君をいつの間にか愛してしまった。君を朝も昼も夜も私に愛させてほしい。寝室を共にしてもらえないだろうか」
え? どういうこと? 陛下は何を……。
そう思っている間に色々あり、目が覚めたら朝だった。隣で肌を晒す陛下が私を潤む目で見つめていたし、身体はギシギシする。
私たちの白い結婚はなんとわずか二ヶ月で終わってしまった。
それから毎日のように睦んでいれば現在の懐妊は当然の事だろう。
今日の夜も、いい月ね。
私は夜着を羽織ってベッドから外を眺めていた。
いつものように少し汗ばんで何も纏っていない陛下は、私の腰に腕を回し溶けるような甘い声で話しかけてきた。
「アデルゥ。私を愛しているか?」
「…………ええ。私は陛下を愛しているわ」
「……嘘だな。君は私を『陛下』としか呼ばない。それが君の線引きだろう?」
さすがは国王陛下ね。愛していないことは伝わっているとは思っていたけれど、線引きと思っていることが露呈していたとは思わなかったわ。
「不思議そうな顔をしているな。私は君を愛してどんな時も君のことを考えている。そんな私からすれば造作もないことだ。だが、これだけは言っていくぞ。君は私の初恋で、私の最後の恋も君だ」
「初恋? 王太子殿下の母君の亡くなられた王妃殿下のことは――」
「アデルゥの口はいけないな。寝室でほかの男のことを話すなんて」
そう言って、陛下は私に呼吸もままならないような激しい口づけをする。
「前の王妃は幼い頃からの婚約者で、情はあったが愛情ではなかった。彼女から愛情を求められた私にとっては結婚は煩わしいものでしかなかったから、彼女の死後に再婚はしなかった。だが、君と結婚して私は愛を知った。じわじわと君を落とすから覚悟しろ。」
「……陛下」
「君のお腹に私の子がいる。これ程嬉しいことはない」
そう陛下は囁いてまた私に口づけ、夫婦の夜は更けていく。
――今日の夜は、医師から睦み合いの許可が下りたばかりということもあり、とても長くなってしまった。
◇ ◇ ◇
あの婚約破棄から八ヶ月後――。私と陛下の結婚式を迎えた。
とはいえ懐妊中だし、バージンロードを歩いていいのだろうかと思ってしまうが。
……いや、実は今、物理的に歩けなくなりそうな危機を迎えている。
「陛下、本当に私を抱き上げてバージンロードを進むおつもりですか?」
「ああ! 君は身ごもっているから、歩いたりなどして無理をしてはいけないからな」
「陛下が躓いたら私とお腹の子供は危険なのですが」
「大丈夫だ! 愛する妻のアデルゥと子を落とすようなヘマはしない」
体を動かさないのも良くないのだけどと思いながら、側にいた侍女を見るが彼女は微笑みながら微動だにせず立っていて、援護は期待できなさそうだった。ため息を堪えていると、後ろから耳馴染みのある声が聞こえてきた。
「はっ! 私と同い年のくせに、無理をして若作りをしておるわ。無理をすれば腰が逝くぞ」
私の父である。バージンロードは父と歩くのが一般的なので、当然ここに来てもらった。
「お父様。今日はありがとうございます」
「構わん。いや、相手がコレなのは構うが」
私のお腹に子供がいるのに、どうやら父はまだ認めていないみたいなのには呆れてしまう。
「あの、素朴な疑問なんですが、『アデルゥ』って姉の愛称ですか? なぜ姉の名前の『アデラ』よりも長くなってるんですか?」
……それは私も気になっていた。というより王宮の皆が気になっていたことだろう。そして弟はなぜここにいるのだろうか。
「『アディ』はラインハルトが昔呼んでいたし、家族のお前たちもそう呼ぶこともあっただろう。私だけの愛称で呼びたい、ただそれだけだ」
「……うわぁ、陛下って色々重いんですね。姉上はそれでよろしいんですか?」
図らずもあの婚約破棄の時と同じことを弟は聞いてきた。
「ええ、いい結末でしょう? ねえ、ジークフリート」
「………っ! アデルゥ! 私のことを名前で呼んでくれるのか? ああ、こんな日が来るなんて思わなかった! やはり私が抱き上げてバージンロードを進もう」
そう言って陛下は私の化粧が落ちることなど気にせず、口づけをしようとして、父に取り押さえられていた。
からかう意味で名前で呼んでみただけなのに、異常な喜びようでこれからどうすればいいのだろうかと思い悩む。
「うわぁ、やっぱり陛下は色々重いよ、姉上!」
「……そうね。バージンロードをお父様と歩かせてくれなかったら、愛想が尽きてしまうかもしれないわね」
「それは駄目だ! ……ぐぬぬ、わかった、諦めよう」
「ふん、当たり前だ。魅力的なわが娘とはいえ、20歳以上も年下の娘に、のぼせ上がってみっともない」
陛下は父の方に体を向け、なぜか腕組みをしてニヤリと笑った。
「ふむ、義父殿は手厳しい。……では誓いのキスが終わったらアデルゥを抱き上げて退場する。もう私の花嫁だから問題はない」
「ぐぬぬぬぬぬぬ。やはり可愛げがない! 妻も参列者席で泣いているんだぞ」
「おお、感動でか? お前たち夫婦は本当に感動屋だな。大丈夫だ、アデルゥは幸せにする」
「違うわ! アデラは陛下などいなくても幸せになるに決まっている!」
だから、転んだら私も子どもも一網打尽なので問題しかないんですよ。これは絶対に阻止しなければいけない。
そして、王族の結婚式としては類を見ない誓いのキスの濃厚さと長さで、王妃が酸欠で倒れそうになった異例の結婚式は、諸外国でも話題となり、後日歌劇にもなったりもするのだが、これは別の話――。
◇ ◇ ◇
私は自分の結婚式を挙げるはずだった日に、なぜ最愛の女性と父親のキスなど見なければいけないのだろうか。
誓いのキスと言うには長く濃厚なキスを終えた彼女は父上に少しもたれかかってしまった。
恐らくは酸欠だろうか。
そして八ヶ月ぶりに見る彼女はとても美しく、そしてお腹がまろく膨らんでいた。私は彼女が子を身ごもっていることすら知らされていなかった。
「おお、アデルゥ。私の腕を強く押さえてどうした。緊張しているのか?」
「……しておりません。あなたが私を抱き上げないよう全力でお止めしてるだけです」
彼女はしょうがないなぁと言わんばかりの顔をしているが、父は今まで見たことのないほどに顔を緩ませて、愛おしいものを見るかのように彼女を見つめ会話をしていた。
「ふむ。だが一瞬だけならいいだろう。君が私のものだと誇示したいのだ」
そう言って父は彼女を抱き上げ、再び唇を寄せた。どうやら諸外国に寵愛する王妃だとアピールしているのだろう。
いや違うな。父は私に『手の届かない相手だから諦めろ』と見せつけているのだ。私は父にとって息子ではなく、恋敵なのだろう。
そうして父と彼女は仲睦まじく退場していった。
そんなとき、私に声をかける者がいた。
「殿下、言われた通り姉に会ってきましたよ」
「…………」
「姉をなぜ『アデルゥ』とかトンチキな名前で呼ぶのか聞いてみたら、『私だけの愛称だ』とかおっしゃられていて、重すぎる愛情表現に姉も戸惑っていましたが、幸せそうでした」
「………そうか」
「殿下、そろそろ前を向いてはいかがですか? 姉も子を身ごもっていますし」
「なぜ、私にアデラが身ごもっていることを私に教えなかった」
私は彼女の弟に静かに問い詰めた。早く教えてくれれば、堕胎などもできたかもしれない。……私は随分追い詰められているな。
「殿下が姉を求めるあまり、危険なことをする可能性があったからです。陛下と宰相の指示ですよ。……姉はあなたを深く愛していました。だからあの『婚約破棄ショー』も心をすり減らしながらも耐えていたんです。その姉が今は楽しげにいてくれて何よりです」
「……なぜ、本当に破棄になる前に言わなかった。アデラが離れる前に言ってくれれば――」
「姉を愛しているというなら、真っ先に殿下が気づかれるべきことでは? 私は怒っているんですよ。あのくだらなくて、とても不快な『婚約破棄ショー』を強いていたことを。ああ、あとその『アデラ』呼びもやめられたほうがいいと思います。『義母上』、もしくは『王妃殿下』が妥当でしょう」
そう言っていつも柔和な笑顔をしている彼女の弟が表情を消し、そのまま去っていった。
そうだな、私が彼女の異変に一番に気づくべきことだった。なぜ、彼女を試すことなどしたのだろうか。
私はこの八ヵ月間を振り返る――。
もう遅いと言われた私だったが、まだ間に合うと思っていたため父に直接彼女と話をさせてほしいと直談判していた。
会って私の気持ちを知ってもらえばまだ間に合うとそう思っていた。
そのたびに父は「今日は、王妃として他国の使節と昼餐がある」「王妃としての仕事が立て込んでいる」「王宮での生活に慣れるため今は難しい」などと理由を並び立てた。
そして締めには「そのうち会わせてやる。だが心配するな、彼女と私は白い結婚だ。王妃として尊重はしても、娘のように思っている彼女に恋愛感情を抱くことはない」と笑って言っていた。
そして彼女と父が夫婦となって二ヶ月後が経ったあたりだろうか。彼女と話をさせてほしいと言った私に、父はため息をついて言った。
「彼女は私の最愛だ。彼女にとって義息子とはいえお前は元婚約者だからな。彼女を愛する男として会わせるわけにはいかない。狭量ですまんな」
頭を強く殴られたような酩酊感と、周囲から音が完全に消えた――。
彼女を取り戻せると思っていた。だが、もう遅いのか? いや、彼女は父を愛しているわけがない。絶対に取り戻せるはずだ。
そして今日彼女のまろく膨らむお腹を見てその願いは完全に打ち砕かれた――。
彼女は――戻らない。後悔だけしかない。
なぜ私は彼女が私を愛してくれる奇跡を当然だと思い込んでいたのか、なぜ踏みとどまれなかったのだろうか、なぜ、なぜ、なぜ。
後悔は降り積もって尽きることはない――。
◇ ◇ ◇
あの結婚式から四年後――。
私が執務室で王太子としての仕事をしていると私の年の離れた弟の声が聞こえてきたので、窓から様子を伺った。
「お母様! あっちに蝶がいます、早く行きましょう!」
そう言って笑って彼女の手を引っ張る私の弟のルーカス。
「ルーカス。アデルゥではなくお父様が行こう。どこだ?」
父もいつもの人を食ったような態度は鳴りを潜め、弟に優しく微笑んで肩に乗せた。そしてまろくお腹を膨らませた彼女の手を握っている。
私が父と彼女との間に二人目の子がいると知ったのは最近だ。情勢のことは逐一私にも共有されるのだが、王妃となった彼女についての情報は制限されているし、当然直接会うことは許されていない。
父には私が結婚したら義母として会わせてやると言われたが、いつになるのかはわからない。
私がアデラに無理難題を押し付けて、愛情を測っていたことはこの国の貴族だけでなく、他国にも知れ渡っている。そんな男に大事な娘を渡すわけがない。
そのため私に来る縁談は難ありという相手しかいない。そのなかでもまだましだと思う小国の王女と婚約はしたが、式の予定は立っていない。このまま破棄になる可能性すらある。
なぜなら、彼女と父の間に男児が生まれたからだ。
弟の母親である彼女は、今や賢妃とも呼ばれ、誰に対しても平等に接する国王からの寵愛が深い国内の公爵令嬢だった女性だ。
かたや私の母は今は滅んだ国の気位の高い王女。そして今ならはっきりわかる。母は父に愛されてはいなかった。
なぜなら私は父に肩車などしてもらったことはないし、幼い頃に優しい言葉をかけてもらったことすらないからだ。子供に対する対応の差をみれば二人の王妃に対する感情の差は歴然だろう。
母は王妃としての仕事もせず、ドレスだ宝石だと散財ばかりの女性だった。母は父に愛情を向けてもらおうと必死になっていたが、そんな女性を父が愛するとこはなかったのだろう。そして国が滅んだことが決定打だ。もう利用価値すらなくなったのではないだろうか。
だが母は私にも愛情を向けていた。だから私は母を失った時、一人になってしまったような気がして、彼女から愛されている実感が更に欲しくなってしまった。私に家族は母しかいなかったから。
だが、母は私を愛していたのだろうかと最近ふと考える。おそらくは違うのだろう。私は母にとって父からの寵愛を受けるための道具だったのだ。
父の侍従から以前聞いたことがある。母が私という男児を産んだあと『もう子供は必要ない』と言ったそうだ。父にとっては母の間にはもう子供を作る必要がないということ、つまり母にとって私以外で父の興味を惹ける道具はなかったからこそ、母は私を大事にしたのだろう。
日和見の貴族たちの態度も明確だ。斜陽の私に阿る貴族はほぼいない。おそらくは年の離れた利発な弟に王太子を譲ることになるだろう。
もう後悔はずっとしてきた。おそらくずっとこの気持ちを抱えていくのだろう。そう思いながら仕事を中断して階下におり、少し離れた場所から中庭で遊んでいる弟と父を見た。
「あ! お兄様だ。お母様があっちのガゼボでお茶の準備をして待っているんです。お兄様も行きましょう!」
弟は無邪気に私を誘ってくれる。誰から聞いたのかは分からないが兄と認識してくれているらしい。おそらくは彼女の公平さに似たのだろう。私は二人の側に歩いていった。
父は後ろで私を睨みつけつつ、もう四十代半ばになるというのに大人げもなく『断われ』と顔に書いてある。
「そうだな、ラインハルト。今日の執務はもう大丈夫なんだろう。よければどうだ?」
彼女の傍に私を寄せるのが嫌で仕方ないけど、ルーカスが見ている手前、笑みを浮かべて思ってもないことを父は言う。
当然私は空気を読んで断ろうとしたが――。
「まぁ、王太子殿下。よろしければご一緒にどうぞ。今日はどうしてもルーカスに食べさせてあげたくて、私がマフィンを作ったのですよ。ふふ、昔は王太子殿下にもよく作りましたわね」
突然湧いてきた彼女に阻止されてしまった。あの悪夢の結婚式以降、遠くから見ることはあっても、こんなに近くで彼女を感じるのは初めてだった。
君は残酷だよ、アデラ。私の気持ちを全く考えることもなくその無邪気さで抉ってくるんだから。
「必要ない。アデルゥの作ったものは、私が全て食べる。ラインハルトは王宮の料理人が作ったものを食べていればよい。アデルゥは先にガゼボに戻ってくれ」
「お父様はお母様が作ってくれた僕の分も食べてしまわれるのですか?」
「はぁ……陛下にではなく、ルーカスに作ったんですよ」
やっぱり彼女と弟は似ている。そして私は彼女を独占しようとするところが父にそっくりだ。
「ずるい! アデルゥには私だけのスペシャルマフィンを作ってほしい。さぁ今すぐ厨房に行こう」
「これから王太子殿下も含め家族皆で、お茶をするんですよ。陛下は何をおっしゃるんですか?」
「嫌だ。君は私だけのマフィンを用意すべきだ。話はそれからだ」
そう言って父は彼女を連れて行ってしまった。マフィンを作ってもらうためというのは四割本気、六割は私から遠ざけたかったのだろう。
というより三歳児と張り合う四十代半ばはおかしいのではないだろうか。
その場に残された弟は私のトラウザーズを掴んでいた。
「お父様はお母様が好きすぎます! だから僕は譲ってあげるんです。お兄様、一緒にお茶をしましょう。僕のマフィンを分けてあげます!」
この子は以前から利発だとは思っていたが、周囲のことも見えていて、とても三歳とは思えない聡明さだな。この子のほうが私や父よりも大人だ。
ああ、私の王太子としての寿命は短そうだな。私はどうにもならない後悔を抱えて、年の離れた弟の手を握り、空を仰いだ。
あの日、あんなことをしなければ私は今こんな自嘲じみた笑顔を浮かべてなかっただろう。
でも時間は戻らない――。
最後までお読みいただきありがとうございました!
陛下の『アデルゥ』呼びが強烈過ぎてヒロインの名前が『アデラ』なのか『アデル』なのか迷子になってしまいました。
直したつもりなのですがもし『アデル』が残っておりましたら教えてください
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