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AIRPORT HANEDA Trilogy  作者: Jeff Wright / Story By Sully Hughes


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第3部 前編

季節は再び春になった。


片山さんはここに来る前、十五年間大分空港で勤務していた。

冷静で正確、そして滅多に感情を表に出さない人。


しかし、私は知ることになる。


彼がどんな過去を背負っていたのか。


すべては、新年度のある朝から始まった。


その年の羽田は、A滑走路の延伸工事という大きな課題を抱えていた。工事が本格化し、滑走路は三本体制になる。誘導路の運用も複雑化し、地上の流れも空の流れも、これまで以上に神経を使うものになっていった。


朝のミーティングで、部長はいつもより厳しい声で言った。


「みんな、おはよう。今日からA滑走路の延伸工事が本格的に始まる。それに伴い、滑走路は3本体制になる。特にピークタイムの調整は重要だ。全員、気を引き締めて業務にあたってほしい。」


片山さんはすぐに質問した。


「他空港との調整状況はどのようになっていますか?」


そのやり取りを聞きながら、私は改めて思った。

片山さんは、目の前の運航だけじゃなく、その一歩先まで見ている。

私がその背中に追いつける日は、まだ遠いのかもしれない。でも、その背中があるから、私は前を向けていた。


工事の影響で、毎日の業務は確実に難しくなっていった。

管制塔では片山さん、鈴木さん、私が、離着陸と地上誘導の調整に追われ、レーダールームでは三津谷さん、内田さん、篠田さんが到着機の順番や誘導ルートを細かく整理していく。

午前のピークになると、ひとつの判断の遅れが、空にも地上にも連鎖していくような緊張感があった。


それでも、私たちはもう、あの頃とは違っていた。

片山さんの声を聞けば、みんなが同じ方向を向ける。

誰かが混乱しても、別の誰かが必ず拾い上げる。

羽田のチームは、そういうチームになっていた。


けれど、その春、そんな羽田に、片山さんの過去を知る人物がやってくることになる。


四月のある昼休みだった。

片山さんの携帯電話に、一本の着信が入った。


表示された名前は、坂本浩司。関西国際空港時代に片山さんと一緒に働いていた同期で、今は国土交通省の航空局にいる人だった。


「もしもし、坂本か。久しぶりだな。」


電話越しの坂本さんの声は明るくて、遠慮がなかった。

今度、航空局の視察で羽田に来ることになったという。準備のこともあるし、せっかくだから会わないかと誘われた片山さんは、仕事終わりにキャピトルホテル東急のバーへ向かった。


その夜のことを、私は後から少しずつ知ることになる。


暗い照明のバーで、久しぶりに向かい合った二人は、最初こそ軽い近況報告を交わした。

坂本さんは、国内の空港運営改善に関わるプロジェクトをいくつも抱える航空局の職員になっていた。明るい口調のまま、でも仕事への責任もよく知っている人だった。


やがて話題は、どうしてもそこに行き着いた。


「まだあの時のことを引きずってるのか?」


片山さんはすぐには答えなかった。

グラスを持ち上げて、少しだけ目を伏せてから、こう言った。


「引きずっているかどうかは分からない。ただ、あのミスの責任は俺にある。」


その言葉の中に、どれだけ長い時間が閉じ込められているのか、私はその時まだ知らなかった。

ただ後になって思う。片山さんは、あの夜の時点でもう、過去と今のあいだで揺れていたのだ。


坂本さんは、そんな片山さんを見て、責めるでもなく、慰めるでもなく、まっすぐに言った。


「でもさ、もう過去のことを背負い続ける必要はないんじゃないか?お前ならもっと自由にやれる。」


片山さんは、少しだけ笑って答えた。


「そうだといいな。」


その帰り際、坂本さんは私のことを話題にしたらしい。


「慌ただしいが、充実しているよ。特に山口真奈美という若い管制官がいて、彼女の成長を見守るのはやりがいがある。新人とはいえ、責任感が強く、学ぶ姿勢も立派だ。」


あとでそのことを知った時、私は嬉しかった。

でもそれ以上に、片山さんが誰かにそういうふうに私のことを話してくれていたのが、なんだかくすぐったかった。


五月に入ると、視察の話が現実になった。

朝のミーティングで、佐藤部長は私たちに告げた。


「明日から3日間、航空局の視察が来る。これに伴い、業務の様子や新システムの運用状況をチェックされることになる。」


その言葉を聞いた瞬間、私は片山さんの表情が少し変わるのを見た。

ほんのわずかだった。けれど確かに、あの人の中で何かが揺れた。


私は帰り道、篠田さんにそのことを話した。


「今日のミーティングの時、片山さん、ちょっと様子が違った気がしませんでした?」


篠田さんは少し考えてから言った。


「確かに。いつもはもっと淡々としてるけど、今日は何か引っかかってる感じだったよね。」


私は仕事以外の片山さんを、ほとんど何も知らない。

でも、知らないからこそ、あの小さな違和感が気になった。


翌朝、航空局の視察団がやって来た。

坂本さんのほかに、部下として同行してきたのが杉浦寛貴さんだった。杉浦さんは坂本さんより若く、礼儀正しく、現場の意見を真剣に拾おうとするタイプの人だった。


「おはようございます。国土交通省航空局の坂本です。そしてこっちが杉浦寛貴です。今日から3日間、よろしくお願いします。」


坂本さんは相変わらず気さくで、部屋の空気を少し和らげた。

でも私が驚いたのは、そのあとだった。


「よお、片山。」


「ああ。」


たったそれだけのやり取りなのに、二人のあいだには、私たちが知らない長い時間が流れているのがわかった。


さらに坂本さんは、冗談めかして私の方を見た。


「それで、こちらが噂の新人——山口真奈美さんだったかな?」


私は少し緊張しながら、


「はい、山口真奈美です。よろしくお願いします。」


と答えた。すると坂本さんは笑って言った。


「片山から聞いてたよ。山口さん、若いのになかなか優秀な管制官だって。それにしても片山と一緒に仕事してるなんて、どんな感じなんだ?」


私は素直に答えた。


「片山さんには本当にお世話になっています。いろいろと学ばせていただいています。」


「そうかそうか、片山もいい先輩になったもんだ。実は俺らは同期でさ、関空で一緒に働いてたんだ。」


その言葉を聞いて、私は思わず聞いてみた。


「そうなんですか?関空時代の片山さんって、どんな感じだったんですか?」


その瞬間だった。

片山さんの表情が、目に見えて曇った。


「いいよ、そんな昔の話は。今はここでの業務が大事だ。真奈美、行くぞ。」


あの時の声は、いつもより少しだけ硬かった。

私はそれ以上何も聞けなかったけれど、心の中に小さな棘が刺さったままだった。


管制業務が始まり、坂本さんと杉浦さんは管制塔とレーダールームを交互に視察していた。

片山さんが滑走路の運用状況を説明しながら管制業務を続けていた。私はその隣で無線対応を行い、杉浦さんはメモを取りながら質問を重ねていた。


その日の夕方。

視察と業務が終わったあと、私は偶然、部長と片山さんの会話を聞いてしまった。


部長は静かな声で言っていた。


「実は前に航空局にいる人事に詳しい知り合いから、関空での君の異動について少し耳にしたんだ。」


片山さんは低い声で答えた。


「確かに関空時代の件は私に責任があります。ただ正直なところ、関空時代のことは、自分の中でまだ整理がついていない部分もあります。」


それを聞いた瞬間、私の胸がざわついた。

“関空時代のこと”。

片山さんには、今も終わっていない過去ある。


翌日、視察の二日目が始まった。

片山さんの表情は、朝からやはり硬かった。私が小さな声で


「片山さん、大丈夫ですか?」


と聞いても、


「大丈夫だ」


と短く返されるだけだった。


業務の合間にヒアリングも行われた。

杉浦さんは一人ひとりに、現場の課題や改善点を丁寧に尋ねていった。


そして私の番が来た時、坂本さんはこう聞いた。


「山口さんは片山と一緒に業務をすることが多いと聞いたが、片山から学んだことは何か聞かせてくれないか?」


私は迷わず答えた。


「はい、片山さんからは冷静な判断力と正確な対応の重要性を学んでいます。ただ、それ以上に、どんな状況でも冷静さを失わない姿勢が大きな影響を与えてくれています。」


そのあと、将来どうなりたいかと聞かれて、私は答えた。


「より迅速で的確な判断ができるようになりたいです。そして、いずれは片山さんのように後輩たちを指導できる立場になりたいと考えています。」


その時、片山さんが少しだけどんな顔をしたのか、私は見ていない。

でも、あとで思えば、この頃にはもう、私の中で片山さんは“すごい先輩”というだけじゃなくなっていたのかもしれない。


そして片山さんの番になった。

杉浦さんは最後に、片山さんの今後のキャリアについて質問した。


片山さんは少し考えてこう答えた。


「これまでの経験を活かし、後輩たちの成長をサポートできる立場になりたいと考えています。そして、空の安全を守るというこの仕事の尊さと責任を、次の世代に伝えていくことが私の役目だと思っています。」


その言葉を聞いて、私は少し胸が熱くなった。

片山さんは、自分の過去に傷を抱えたままでも、それを後輩のために使おうとしている。

それが、片山直樹という人なのだと思った。


けれど、その日の夕方、視察が終わった後で、事態はさらに動いた。

坂本さんが片山さんを食事に連れ出し、そのあと、残された私たちはついに部長から真実の一端を聞かされたのだ。


部長は最初ためらいながらも、重い口を開いた。


「前に航空局にいる知り合いから聞いた話だ。詳しくは知らないが、17年前、片山は関西空港で働いていた頃、誤った指示を出してニアミスを起こしたらしい。大惨事にはならなかったが、その責任を取る形で地元の大分空港へ異動になったと聞いている。」


私は言葉を失った。

あんなに冷静で、的確で、誰よりも空の怖さを知っている片山さんに、そんな過去があったなんて思いもしなかった。


そしてその夜、ホテルのバーでは、坂本さんがさらに片山さんに向き合っていた。


「片山、お前さ、ここ数日様子がおかしいぞ。」


「別に、そんなことない。」


「嘘をつくなよ。お前のそういうところ、ほんと昔から変わらないな。関空の時も、何かあると一人で抱え込んでた。」


さらに坂本さんは、当時の主幹だった 榎田 さんのことも話した。

榎田さんは後に成田へ異動し、そこでまたトラブルを起こして松山空港へ飛ばされ、定年までそこにいたという。


「それに、当時のあのミスはお前だけの責任じゃない。榎田さんの管理も問題があったはずだ。」


けれど片山さんは、最後まで首を振った。


「それでも、最終的に誤った指示を出したのは俺だ。」


その頑なさが、片山さんらしいとも思う。

でも、その頑なさが、どれだけ長くあの人自身を苦しめてきたのだろうとも思った。

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