壊れた日常
折道未来は必死に逃げていた。
震える足裏を叩きつけながらアスファルトを走る。
前へ進むたび削れた砂利が左右へと飛んでいく。
喉は激しい呼吸で酷く乾き、声も上手く出せない。
恐怖で喉を詰まらせながらも、つくりの手を引いて走り続ける。
足音のない"それ"が追ってくる――。
振り向くことも、止まることも許されない。
足が重い。
もつれて何度も転びそうになる。
空になった肺が酸素を取り込もうと息が早くなる。
たが、特別運動が得意な訳でもない未来の体は徐々に限界を迎えつつあった。
だんだんと走るスピードは落ち、足も上がらなくなってくる。
普段は気にも止めない小さなアスファルトの段差。
そこに躓き大きく転んでしまった。
「――っ!!」
ギザギザのアスファルトが転んだ未来の膝を勢いのまま削っていく。
両膝が酷く擦り切れ、鈍痛が走る。
つくりが転んだ私を追って手を握ってくる。
なんとか立とうとするが当然力なんて入らない。
少しづつ。
少しづつ。
"あれ"の気配が近づいてくる。
逃げないと――!
そう思っても、未来の体力はとうに限界を超えていた。
足は震え、両膝は出血し、目からは涙が溢れてくる。
片手をアスファルトへ押し付け、倒れたままの体を使って少しでも前へと進む。
前へ。
前へ――。
前へ――――!
「どうして逃げるの――?」
ふと、少年の声が耳元で囁かれる。
手をぎゅっと握りしめていた、つくりの声だった。
それは酷く冷たくて、悪寒が全身へと広がった。
「死にたくないの?」
「何を言って……」
「もうどうでもいいって思ったんだよね」
つくりの言っている事がまるで理解できなかった。
極度の緊張と疲労で頭が回っていなかったという事もあると思う。
でも私は元気な状態でも同じ事を思ったはずだ。
喉が乾き、唇が震える中、怯えながらも私はつくりへ問をなげる。
「つくりは一体なんなの――?」
つくりは答えない。
代わりとでも言うよりに私に問を返してきた。
「未来は死にたいと思っているの?」
そんなわけない。
そんなわけない。
――はずなのに。
私は"違う"と言う事が出来なかった。
それを見透かしたようにつくりは続けた。
「違うって言えないんだね」
「全部嫌になったんでしょ?」
「誰も、助けてくれなかったもんね」
「生きる理由なんてもうないんでしょ?」
「そのために屋上の鍵も盗んだんでしょ?」
そう言われて、私はポケットの中に鍵がひとつある事に気がついた。
鍵を握りしめると、私は屋上で何をしようとしていたのかを思い出してしまった。
「私……飛び降りようと思って……」
力が抜けそうな私の手をつくりが手を力強く握った。
「今更――何を怖がってるんだよっ!」
「もうここで終わっちゃえばいいじゃないか!」
そう叫び、つくりは私の手を力任せに振り払った。
支える力を失って手のひらがアスファルトへ落下していく。
このまま――私は。
化け物に襲われて死んじゃうのかな。
振り向き、化け物姿を見据える。
ジリジリと距離を詰めてくる。
でも、もうそれでもいいや。
どうでもいい――。
全部どうでもいい――。
化け物が眼前にまで近づきこちらを見据えている。
目を閉じ、近づく化け物の気配を暗闇で感じながら、最後の瞬間を迎える準備をする。
これでやっと楽になれる。
何も考えなくていい。
何もしなくていい。
そんな未来に化け物が容赦なく襲いかかった――。