04 な、なんで俺が……
国立主民党の本部は、首都・東京の政治的中枢を担うエリアの一角、虎ノ門に静かに佇んでいた。五階建ての建物は、周囲の高層オフィスビル群に比べれば決して目立つ存在ではないが、複雑に絡み合う議員や秘書、政策スタッフらの出入りが絶えず、独特の政治的熱気を漂わせている。
その門前では、同党の若手野党議員たちが整然と並び、訪問者を品定めするかのような視線を向けていた。雨宮は先ほど官邸前で犯した失態を気にし、軽く鼻をこする仕草で赤面を隠す。それは、政治家としての自尊心と、初対面の相手へ微妙な弱みを見せたくない気持ちの表れだった。
本部の三階には、国立主民党を率いる代表・平井武史が陣取っている。エレベーターの閉まる直前まで周囲を見回すと、受付係や政務担当者らが急ぎ足で行き来し、その動きから党内の緊張感が伝わってくる。平井武史は大柄な体格に角刈りという、昭和の政治家像を彷彿とさせる風貌である。その存在感は、まるで過去の高度成長期から続く国政の力学を象徴するかのように重く、そこに無言の圧力が込められているようだった。
雨宮は緊張こそ抱いていないものの、この男を前にすると思わず威勢が削がれていく気がする。総理大臣として、強固な党勢を誇る与党で舵取りをしなければならない彼にとって、最大野党のリーダーとの駆け引きは避けて通れない関門だ。
ここから先、政策交渉や法案審議、報道陣による監視の中で、この昭和的な風貌を持つ男と対峙し、時に妥協し、時に火花を散らさなければならない。政治的リアリズムが支配する領域で、雨宮は静かにその宿命を受け入れようとしていた。
「ようこそ、お越しくださいました。本当は私が出向かなければならないのに」
「いえ、私の方から行くと申したので」
実際のところ、雨宮には野党本部へ足を運ぶ気などなかった。当初、与党トップとして強気の姿勢を崩さずにいるつもりだったし、わざわざ相手の縄張りへ出向く必要性を感じていなかった。
しかし、幹事長の原や衆議院議長の片岡は、「こちらから顔を出せば誠実な政治家という印象を与えられる」という、いささか根拠の薄い助言を繰り返した。疲労困憊の雨宮は深く考える余裕もなく、ボケーっとした頭を縦に振ってしまう。
内閣組閣後から休む間もなく新政権の地固めに追われ、心身ともに鈍った状態だった。強引な説得に等しい二人の助言を呑み込み、半ば惰性で「そうなんだ」と納得してしまった結果が、今この時である。
こうして、あまり気が進まないまま、雨宮は最大野党・国立主民党の本部へ足を踏み入れた。そこは言わば敵陣、政争が繰り広げられる舞台裏への潜入であり、彼が本来望んだ状況ではなかった。
「改めまして、この度新たに総理に任命された雨宮隆一です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、国立主民党の代表、平井武史です」
平井はわずかに顎を引き、冷ややかな眼差しをこちらへ向けていた。
まるで「何故こんな若い男が総理大臣などという要職に就いているのか」と訝しんでいるような雰囲気が漂う。
その視線には、自らの政治手腕ならば遥かに巧みに国政を動かせるという無言の自負が感じられた。若さを武器とする新参者には、彼の目には軽率な理想論を振りかざす未熟者に映っているのかもしれない。
政治経験や政策立案の奥深さで、自分こそがより優れた実行者だと主張するかのような静かな圧迫感が、微妙な呼吸音と共に場を支配していた。
(なんだこいつ)
雨宮は、平井との会談を終え、心の中でようやく肩の荷を下ろしていた。内閣総理大臣として初の野党党首との公式会談。互いに政策方針を交わし、時折緊張感を孕んだ意見交換を経て、約一時間半の会談が終了した。内容そのものは建設的なものだったが、平井の威圧的な態度や上から目線の視線が雨宮の神経をすり減らしていた。
最後に形式的な握手を交わし、エントランスで報道陣に向けての写真撮影に応じると、ようやくその一連の重圧から解放される。雨宮は足早に車へ戻り、首相官邸への帰路についた。
車内に腰を落ち着けると、日がすっかり沈んだ外の景色が目に入る。腹が空いてきたことを感じ、雨宮はスマートフォンを取り出して食事を注文しようとウーバーイーツのアプリを開いた。しかし、画面に表示されたのは別の通知だった。
『異世界で俺だけ関税同盟を制覇する話』が更新されました。
先日読んだ第一章が意外に面白く、気になっていた物語だ。雨宮は思わず通知をタップし、新しい章を読み始めた。物語の主人公は、雨宮に似た政治家の壮年。
異世界に転生した彼は、国民からの支持率がそのまま戦闘能力に比例するという特殊な能力を持っていた。政治的手腕や人心掌握術を駆使して敵対勢力を制圧していくストーリーは、妙にリアルで、自分の状況と重ね合わせてしまう部分もあった。
物語に没頭している間、空腹感はどこかへ消え去っていた。運転手に「到着しました」と声をかけられ、ようやく我に返る雨宮。スマホを閉じて車を降り、彼は「現実」という戦場に再び戻っていった。異世界の物語は面白いが、現実の総理大臣としての役割は、その何倍も厳しいものであることを痛感する一瞬だった。
(どういう世界線だよ)
雨宮は官邸に向かいながら、独り言を漏らした。
就任してすぐに迎える予算委員会の重圧に、彼は心中で重くため息をついた。明日に備え、閣僚たちとの連携を再確認しなければならない。
新政権にとって最初の大きな試練。
雨宮は項垂れながらも、この挑戦に立ち向かう覚悟を固めていた。