54 帰還と謎
ヒーライの姿は、ゆっくりと天に消えていった。
「お、終わったのか……」
原が言うと、雨宮は振り返って頷いた。
「みんな、ありがとう」
「いえ、でもまだ帰ってきていない人たちが……」
雨宮は、福本の指摘で気がついた。
クック船長の船が森川に衝突した時、吹き飛んだ堂前や片岡、黒いペガサスに操られた高尾や川畑らは帰ってきていない。
その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「みなさーん!」
それはこの世界で初めて出会った胡散臭い妖精だった。
「お、お前! 生きてたのか!」
雨宮が驚くと、妖精は目に涙を浮かべながら大きく頷いた。
今生の別と思っていた相手に再会できたのだ。
「なんとか生きてました……」
「よ、良かった」
生き残った一同は抱き合った。力強く、しばらく離れなかった。
「それでは、皆さんを元の世界に戻しますね」
一同の足元から、魔法陣が薄く青白い光を放ち始めた。それはゆっくりと広がり、一人ひとりを包み込むように拡大していった。妖精の声が震える中、深く集中している様子で古い言葉の呪文を紡ぎ出した。その言葉は空気を振動させ、周囲の木々もその響きに揺れた。
「皆さん、安心してください。すぐに終わりますよ」
妖精の声は、安堵と切なさを帯びていた。
雨宮は、瞬きする間もなく、周りの景色が急速に変わり始めたのを感じた。先ほどまで感じていた異世界の風や、奇妙な香りが消え、家にいる時のような慣れ親しんだ空気に変わっていった。しかし、その変化は彼ら全員にとって安堵よりも不安を掻き立てるものだった。まだ、全員が揃っていない。
「ありがとう! でも、まだ全員が……」
雨宮が言いかけると、周囲はすでに真っ白な閃光に飲み込まれていた。その光は眩しく、目を開けていられないほどだった。彼の体は軽くなり、足元から力が抜ける感覚に陥った。全身が無重力のように漂っているようだった。
耳には、妖精の呪文が反響し、それが徐々に遠のいていく。頭の中はズキズキと痛むが、それも次第に遠くなり、意識がぼんやりとしてきた。全員の表情は曖昧になり、誰かが何かを叫んでいる声も遠く霞む。
気がつけば、彼らは完全に元の世界へと戻されていた。
目の前が徐々にはっきりとしていないが、雨宮は周囲を見渡した。
「はーい、次はこちらを向いてください!」
(……ん?)
何度か瞬きすると、そこは第二次雨宮内閣発足時に行った写真撮影をしたあの階段だった。
(まさか、時間止まってたのか……?)
左隣をゆっくりと伺うと、福本が笑顔でカメラに向かって微笑んでいる。右隣の国破防衛大臣も、緊張で体を固めながら、目はカメラを捉えている。
(皆んな、なんで冷静なんだ?)
写真撮影が終わり、一同は緊張から解放された。散り散りになるカメラマンらを尻目に、雨宮は右の福本に話しかける。
「おい、なんでそんなに冷静なわけ?」
「え、総理緊張したんですか? まあ、初めて総理大臣やるんですもんね」
「いや、そうじゃなくて……!
後ろを振り返ると、あの時いなかった高尾外務大臣や杉林環境大臣が楽しそうに談笑している。
(なぜ、俺だけ?)
「総理、どした?」
森川に声をかけられ、目を大きく見開いて振り返る。
「も、森川。お前、大丈夫なのか?」
「ああ。まあ、閣僚は何度かやったことあるしな」
「いや、そうじゃなくて……異世界の……」
「はあ? 総理、また妄想してんのかよ」
馬鹿にしたような笑い方で、総理をいじる。それは、いつもの光景だが、雨宮だけはおかしかった。
「総理、働きすぎなんすよ」
「そうですよー。少しは休んでもいいんですよ」
「そうそう、俺たちがいるからな」
堂前や川畑、車田の優しい言葉には感謝したが、どうにも釈然としない。
なぜ、俺だけ異世界の記憶があるのか?
しかし、日本の内閣総理大臣として、職務は次々とやってくる。
総理大臣室に戻ると、秘書の坂本がやってきた。
「さ、坂も! 久しぶりじゃないか!」
「え? 三〇分前に会いましたよ?」
「え?」
「総理、昨日寝てないんでしょう? 睡眠不足は、その歳じゃかなりのダメージですよ」
「お、おう」
やはり、あの世界に飛んでから時間は進んでいないようだ。坂本と別れたのは、雨宮感覚では三週間ほどだったが、現実は三〇分程度。
しかもその三〇分は、写真撮影のために坂本と別れただけで、別れたとは言わないだろう。
「おかしい」
雨宮は頭を掻きむしっていると、坂本が今日の予定表を持ってきた。
「明日は、参議院の予算委員会ですね」
「参議院? ああ、そうか」
参議院の存在を忘れてしまっていた。まずい。なんの資料も準備していない。
「なんも準備してねぇ!」
「もう、総理! これですよ!」
「お、おう」
坂本が取り出したのは、参議院の予定表だ。大まかな質問があらかじめ記されているので、それに答えるだけだ。
「では、今日は早めに寝て、ゆっくり休んでくださいよ! 明日、八時に伺いますからね」
「お、おう。サンキューな」
坂本が部屋を辞すと、雨宮は椅子に座り直し、あらためて経緯を確認する。
しかし、詳しいことはあまり思い出せない。
どこがどうなっているのか。全くわからない。もしかしたら、疲れすぎて妄想しているのではないか?
思考を続けていると、いつの間にか眠っていた。
夢の中では、多くのバケモノが戦っているシーンが永遠と流れていた。眠ったのに疲れは取れない。
翌朝、目を覚ました時には、体はガチガチに凝り固まっていた。




