38 絶体絶命のピンチ!
「それではみなさん、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた妖精は、ゆっくりと帰っていった。その背中には、深い哀愁が漂っていた。祖国が侵略されかけている状況で明るくいられる方がすごい。
高尾外務大臣は、一人残されて佇んでいた。そこは、広大な高地で遠くには山岳の峰が雲に隠されては現れてを繰り返している。
標高はどれくらいだろうか。
高山病にはならないだろうか。
ここはどういう世界なのだろうか。
こんなところを攻めるだろうか。
とりとめのない考えが雲のように流れていく。どれも答えの見つからない哲学的みたいだ。
そういえば、魔王の容姿を教えてもらっていない。どんなやつなのだろう。
右手には、アルミニウム製だと思われるゴルフクラブ一本しかない。
これでどう戦えというのか。
簡単な魔法は使えるとはいえ、炎を出す魔法などは使えない。
使えるのは簡単な物体浮遊と物体消去術。
これは役には立たないだろう。
したがって、ゴルフクラブでぶん殴るというわけであるが、こんなので戦える気がしなかった。
「私、速攻で負ける気がするんだけど……」
誰からも返事がないということは、この世界では今までなかったことである。それは、想像以上に不安を掻き立てた。
だだっ広い高地で、高尾は一人虚しくゴルフクラブを振り回すだけだった。
勘解由小路総務大臣は、ザーズラクの森という場所に一人放置された。
そこは、いかにもバケモノが飛び出してきそうな雰囲気がある。それは、心臓が弱い勘解由小路には神経がすり減るほど恐ろしい場所である。
なんで私がこんなところに……
そんな考えしか思いつかない。
勘解由小路のスキルは、ストレスが身体能力の向上につながるという飴と鞭のようなスキルである。
一人で丸太の上に腰掛ける。
この世界に来てまじまじと雲を眺めると、全ての形が違う。
当たり前のことに、勘解由小路はため息をつきながら感嘆する。
「へぇ」
ボソッと言うだけで、他の物音は何もしない。時々、鳥の鳴き声が遠くから響くだけ。
風も弱く、側から見れば森の中で遭難した登山客のようだ。
「はぁ。なんでこんな目に……」
そう呟いたその時、遠くから大きく鈍い音が聞こえてきた。
「ん?」
意識を向けていなかったため、勘解由小路は何かを感じたというだけであった。
すると、カタカタと森の中が揺れた気がした。
「ん?」
いや、確実に揺れた。日本に住んでいると、地震なんてものは日常的に起こっているから震度四以下なら感じないも同然である。
しかし、この世界にきて初めての地震である。それは、勘解由小路を不安にさせるには十分であった。
こんなところに置いていったゴブリンに対して、勘解由小路はストレスを感じていた。
それで、微弱な揺れも感じ取ったのである。
いささかの不安は覚えたものの、勘解由小路は何も変化のない森の中でただ佇んでいた。
雨宮は、魔王の住む国との国境地点に立たされていた。
「なんで俺だけこんなところなんだよ……」
雨宮は、ここを案内したあの胡散臭い妖精を恨んだ。明らかに敵と最初に衝突するのは雨宮だからだ。
ましてや、向こうの平原の方には、もう煙が上がっているように見える。
戦争中だ。
周りを見回すと、後方には深い森が広がっていた。あそこに逃げてもいいが、変な動物や魔物が住んでいそうで、行くに行かなかった。
「はぁ」
ため息しか出ない。
あの煙を除けば、穏やかな春の日のようである。ちょうどいい気温の中で、小さな鳥たちが悠々と飛んでいく。
あの煙さえなければと、現実逃避しようにもできない。
飛んで行く鳥を目で追うと、向こうの方に小さな黒い粒のようなものが見えた。
「なんだありゃ。あんなもんさっきはなかった気が……」
雨宮は気がついた。それは、飛蚊症とか、ゴミとかではなく、敵の軍勢である。
「え、まじかよ。本当に来てんじゃん」
雨宮は、脇から汗が出るのを感じた。初めての戦闘はまさかの一対数百だ。
「こ、こんなの負けるに決まってんじゃん……」
絶望を目の当たりにした雨宮は、逃げようにも逃げられない。
「そ、そうだ。俺にはスキルがあるんだ」
思い出したと手を叩き、立ち上がる。しかし、雨宮は悟る。自分はあの鏡の前に立っていないと。
「しまった、俺スキル貰ってねぇじゃん……!」
今度こそ絶望する雨宮は、再びその場に座り込む。穏やかな風だけが雨宮を慰めるが、目の前の軍勢がそれをかき消していく。
ままなく正面衝突の状況で、雨宮は逃げるという選択肢はなかった。
やると宣言した以上、引き下がるのは、自らの政治生命に置き換えて考えると、それはできないことだった。
手のひら返し内閣や、嘘つき内閣と言われた歴代内閣のようになりたくはなかったし、ならないと総裁選でも宣言した。
雨宮は、自らの支持率がどのくらいなのだろうかと気になった。
しかし、それを確認する術はない。己を信じて、雨宮は立ち上がる。
まだこの世界に来て、目立った政策を打ち出していない。
前に、総理室で確認した時は七十パーセントはあった気がする。今はどうだろうか。どんどん下がっているとしたら、今は五十パーセントくらいだろうか。
本来の半分しかパワーがなかったら、あんな軍勢に敵うわけがない。
しかし、意を決した雨宮は前に歩を進めた。
そして、自らに物体浮遊をかけ、ゆっくりと前に進んで行った。
その姿は、初めて出航する飛行機のように壮観で、しかし未熟でもあった。
「おりゃぁー!」
雨宮は、子どもが攻撃する時のような声を出しながら、魔法の杖を振った。
小さな炎がポッと出た瞬間、雨宮は負けを悟った。
「あ」
雨宮の姿を捉えた数千規模の軍勢は、一斉に攻撃体制に入った。
ある隊列は飛び、ある隊列は大きな大砲を構えている。
奥の隊列は、巨大なドラゴンのような怪物になっていて、今にも火を吐いてきそうだった。
対して、マッチ程度の炎しか出なかった雨宮は、ワナワナと震えながら抹消されるのをおとなしく待った。
しかし、その時、空からの太陽の光が急に遮られた。雲に隠されたような暗さではなく、何か大きなものに遮蔽されたようだった。
雨宮は、不思議に思い、空を見上げた。
すると、そこには大きな石のようなものが降ってきているではないか。
「な、な、なんだありゃ⁉︎」
大きな隕石だろうか。それは、大気を凄まじい速度で切り裂いている。コンコルドの数十倍の速度で動くそれは、一秒もたたずに敵の真ん中に衝突した。
衝突付近中心部から、時計回りに飛んでいた敵の軍勢は吹き飛ばされ、まるで巨大化したドリルが地面を掘るように、大きな穴がそこに開いた。
空を飛んでいたドラゴンは、瞬く間に消滅し、乗っていた者も同様に消えた。
地上で攻撃体制に入っていた者たちは、どうなったのかはわからない。
おそらくは、大きな衝撃波で吹き飛ばされたのだろう。
「えー⁉︎ 嘘だろ⁉︎」
雨宮は、目が飛び出るのではないかというくらいに目を見開いた。
それと同時に、衝突時の衝撃波が来るのではないかという想像が脳をよぎった。
圧倒的な破壊力を持つであろう衝撃波に備え、雨宮はすぐに降下し、その辺にあった大きな石に隠れようとした。
何もしないよりはマシであるが、こんなちっぽけな石で防げるとは思わなかった。
頭を抱え、小さく包まって衝撃に備える。
しかし、その衝撃はいつまで経っても訪れなかった。
「え?」
雨宮が体を起こすと、そこには開いていたはずの穴がなかった。
そして、あの大軍勢の姿もなかった。
あるのは、牧歌的な配置だけだった。
「ど、どういうことだよ……」
雨宮が、呆然としていると後ろから声がかかった。
誰もいないと思っていたから、雨宮は先ほどよりも情けない声を出してしまった。
「総理、大丈夫でしたか?」
その声は、福本官房長官の声だった。




