35 建国史上最大の危機
「遅い! 遅すぎる!」
国王は、前回の謁見と同様のことを叫んだ。耳を劈くような甲高い声で。
「申し訳ございません! 陛下、こいつら魔法とスキルを手に入れたそうで、それで時間がかかったと……」
「言い訳はいらん。そんなことよりも、魔王の進撃が始まっておる。さっさとどうにかしろ!」
国王は、どうやら他力本願で戦うつもりらしく、雨宮たちをすぐにでも出兵させたいようだった。
「いや、お前は行かねぇのかよ!」
森川が、国王の言動にイラついたのか、面前で失礼にもほどがある応答をした。
それを見た周りの護衛たちが、森川をギロッと鋭く並んだ。それは、四方八方から飛んできて、森川だけでなく雨宮たちも感じるほど痛かった。
「コラ! 失礼なことを言うな!」と、胡散臭い妖精も応戦する。国王は、あまり気にしていなようだったが、視線は鋭く森川を射抜いていた。この中にスパイがいる時に、一人一人を品定めするような目つきで。
「とにかく、さっさと我が国への侵攻を阻止してくれ! お前らしかいないんだ!」
国王は、今までの態度とは打って変わって懇願するような態度になった。それを見た雨宮たちは、仕方ないと了承し、いよいよ出撃の準備に取り掛かった。
雨宮たちが謁見の間を辞去するとすぐに、国王の周りにいた近衛兵たちが、足早に国会の方に向かって走って行く。
「どうしたんだ?」と、川畑が鼻を触りながら、可笑しな声で訊いた。
すると、胡散臭い妖精は、神妙な面持ちで、それに、今までの偉そうな態度は消え失せて、静かに言った。
「恐らく、戒厳令が発令されます……」
それは、本当に今から恐ろしいことが起きるという事実である。雨宮内閣の閣僚は、事の重大さを測り損ねていた。
戒厳令、つまり国民の生活に危険が差し迫る状態。国家の法律や憲法が停止し、一部ないし全権を軍隊に移すもの。
「マジかよ……」
国破防衛大臣は、恐怖にもとれる表情をしていた。
日本では、戒厳令は、日清戦争と日露戦争時にしか発令されたことがない。
そんなものが、今この瞬間に起こっているのだから恐ろしい。
日本で、直接起きたことではないものの、一応雨宮たちはこの国の代表であるから、その重大性には最も重要な役割と責任がある。
「我が国の建国史上、初めての戒厳です。国王も、さぞ悩まれたことでしょう。発令されれば、国民の物資は制限されます……」
妖精は、落ち着いてはいるものの、悲しみに溢れた表情で言う。それを見た一同も、悲しさが溢れてきた。そして、怒りのようなものも。ヒーライという極悪非道な魔王のせいで、どれほどの人や妖精、ゴブリンたちが影響を受けるのだろう。
一昨日の攻撃だけで、隣国のパラニーチェ王国が甚大な被害を受け、八万人に影響したとゴブリンが言っていた。
恐らく、それだけではないはずなので、すでに想像を絶する被害と犠牲が出ているのだろう。
「どうすんだよ……」
「そうよ。私たちだけでいいの?」
口早に妖精への意見を貰おうとするが、妖精は俯いただけだった。
それは、一同にとって絶望とも見てとれた。
一旦、全員が自らの大臣職務室に戻り、今後の活動方針について国会の決議を待つことになっていた。
国会での議案は、戒厳令発令の正当性、国民への対戦徴兵令の是非、国家総動員法発令の是非など、まるで日本の戦時中に戻ったような気分だった。
雨宮は、師事していた伊藤博文などの歴代の内閣総理大臣ならどうしていただろうと、思いを馳せる。
しかしそれは、期待したい思いは浮かばず、これからの運命のみが頭の中を駆け巡る。
そしてそれは、かなり勝算は低いのではないかという、絶望的観測しかなかった。
「マジでなんでこんなことになったんだよ……」
雨宮の文書鳥であるスズメを呼び、福本官房長官、高尾外務大臣、それに堂前文部科学大臣に手紙を送る。
「これはかなりまずい展開だな。逃げるのはあり得ないけど、闘うのも恐ろしいと思う。ましてや、相手は訳のわからんクソみたいな魔王ときた。一緒に闘ってくれるか」
雨宮は、覚悟を決めていたが、女性を得体の知れない争に巻き込むことは躊躇する。
改めて確認の手紙を記す。
それは、すぐに返ってきた。いずれも、何言っているんですか、ともに戦うのが政治家じゃないんですか、私は総理に選ばれた大臣です、舐めないでくださいといった、心強いメッセージとも取れる返信だった。
雨宮は、それを読んでいるうちに目頭が熱くなり、忘れかけていた政治家としての矜持を再び強く抱いた。
妖精から告げられていた国会の論議は、二時間ほどと聞いていたが、すでに三時間は過ぎている。
初めての戒厳について、非常に慎重になっているのだろう。
その苦難に満ちた論戦は、雨宮たち内閣一同にとって想像に難くない。
すでに、日は暮れかけており、その結果を今か今かと待ち望んでいた。
どっちに転んでも、この国の危機は変わらない。しかし、国民への負担はできるだけ避けられる方が絶対にいい。
雨宮は、もう何も考えないようにしようと目を瞑る。
しかし、暗い瞼の裏には、恐ろしい爆撃シーンがなぜか繰り返された。
それは、昔、雨宮の祖母から聞いた第二次世界大戦、つまり太平洋戦争のリアルな話。
祖母は、元々九州出身である。今の長崎県の佐世保市で生まれ育った祖母は、痩せた土の畑を母と耕していたという。
大根やにんじんなどの根菜類を育てていた、ある夏の暑い日のこと。
『あ、かあさん。花火だよ!』
『あら、ほんとだねぇ。勝ったのかしら』
祖母と、祖母の母が見たものは、美しく光る空だったという。
まるで、戦勝記念に挙げられる花火のようで、初めて見た祖母は、感動して泣いたと言う。
しかし、実際はそんな華やかで美しいものではなかった。
それは、夏の暑い日。八月九日。
長崎市への原子爆弾投下である。
炸裂する原子の攻撃は、あらゆるものを一瞬のうちに破壊する。
瞬く間に、命と活気溢れる街は壊滅し、地獄と化した街は、死んだとも言われた。
そう語っていた。
その目を雨宮は、今でも忘れない。二度とそんなことはさせないと誓った雨宮は、政治の世界に進むことを決意した。
のちに、母が亡くなり、終戦を迎えた祖母はその事実を知り、昔喜んだ自分を死ぬまで恨んでいたという。知らなかったとは言え、あってはならない感動を覚えたということに、大きな後悔を抱いていたという。
その話を雨宮は、思い出し、今の現状を重ねていた。
意識せずとも、両目からは一筋の涙が流れていた。
その間も、国会では激しい討論が繰り返されていた。




