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 翌日。ミナは待ち合わせの駅に向かう道すがら、そわそわと視線を泳がせていた。着慣れない薄手のニットとコート、スカートにブーツ。有理に手渡されたフルコーディネートだった。多分、今どきな格好なのだろう。が、ミナにはその妥当性がよく分からなかった。周りから変に思われていないかと不安だったが、周囲の人がミナのことを気に留める様子はなかった。

 西口には約束の十分前には着いてしまった。

 改札横の柱の影で小さくなり、有理を待つ。無性に恥ずかしく、消えてしまいたいと思った。

 朝から有理の言った「デート」という単語が幾度も頭のなかを過ぎっていた。その度に、高畑が語った心中計画のことを思い出し、これは仕事なんだと言い聞かせた。

 有理は三分遅れでやってきた。

「おはよう! 待った? やっぱり、ミナ、かわいい」

「かわいい?」

「うん、似合ってる。さすが、私の見立て」

 かわいいかわいい、と有理。ミナはなんと答えてよいのか分からず、まごついてしまう。

 「かわいい」なんて言葉、物心ついたときからかけられたことがなかった。ミナは自分の容姿について、あまり気にしたことがなかった。天使同士の容姿は似通っていたので他者と比較する動機はなかった。人間の容姿は、天使に比べるとずっとバラエティに富んでいたが、だからといって、人間と自らを比べて、どうこう思うということはなかった。

 人を容姿で判断することはまずないミナではあるけれども、目の前にいる「悪魔」、有理の容姿が、天使基準でも人間基準でも、ずば抜けて優れていることはよく理解していた。容姿やファッションに疎いミナでもそれは分かる。今日のように横に並んで街にいると、いやでも自分の容姿が劣っていることが意識されてしまう。

 そんな有理に「かわいい」と言われているのだ。なかなか素直にありがとうとは言えなかった。

「どうしたの?」

 思わず言葉に詰まってしまったミナを有理は不思議そうに見る。ミナは慌てて首を振る。

「ううん、なんでもない」

「そう。それじゃあ、行きますか」

 有理はミナの態度には拘泥せず、さっと踵を返し、改札の方へと足を運んだ。ミナも後に続く。まもなくやってきた電車に乗り込む。昼間だからだろうか。電車はすいており、二人並んで座ることができた。

「電車って新鮮」

 有理がぽつりと言った。

「まあ人間も、悪魔が電車に乗ってるなんて思わないだろうね」

「天使が乗ってるのだって」

「私は時々乗るよ、電車」

「そうなの?」

「誰かさんと違って、時空を歪めて、好きなところに繋いだりできないからね」

「行ってくれれば、どこでも連れてくのに」

「でも、だったらなんで今日は電車移動なの?」

「だって、その方がデートっぽいじゃない?」

「はいはい、聞いた私が悪かったです」

 ミナがむっとした顔を作って見せると、有理は楽しそうに笑いを噛み殺した。

 まったく、人間の友人同士みたいではないか。ミナは自分が天使であり、有理が悪魔であることを一瞬忘れていたことに気づく。もしも二人がただの人間同士だったら。ミナは想像する。しかし、ただの人間同士だとしたら、有理と友人になることはなかったのではないか。天使と悪魔という境遇を喜ぶべきことなのかと考えたところで、これではまるで、有理と出会えたことを喜んでいるようだと気づき、心の中で絶句した。

 電車は築港の方へと向かう。車窓からの風景がふいに明るくなり、ビル街を抜けたことが分かった。気がつけば、車窓には空と海の濃い青色が広がっていた。

「水族館は向こうみたい」

 駅は水族館仕様で、壁にはタイルで海の生物たちが描かれていた。その中に大きく、「水族館はあちら」と矢印付きのポスターが貼ってあった。ミナがその矢印の方へと向かおうとすると、有理に腕を掴まれた。

「ちょっと待った。先にお昼にしよう」

 時計を見ると一時前だった。

「いいけど。水族館で食べないの? レストランあるんでしょ?」

「水族館のレストランもいいけど、行きたいお店、あるんだよね」

「別にどこでもいいけど」

「ちょっとした喫茶店があるんだ。そこに行こう。駅からすぐだから」

 水族館へ向かうのとは別の方向にある出口から二人は外に出た。そこから三分、有理の先導で歩き、二人はこじんまりとした喫茶店に入店した。

「いらっしゃいませ」

 店内には大型の本棚が並んでいた。ミナははじめ、古本屋かと思ったが、よく見ると、本棚の合間に、テーブルが置いてあった。店の一角がカウンターになっており、白いシャツに臙脂色のエプロンをした初老の男性と、同じ色のエプロンを身につけ中年の女性がいた。

「ああ、佐久間さん」

 初老の男性は、有理の姿を認めたとたん、顔をほころばせた。

「来ていただけたんですね」

「ええ。いつか伺うと、約束しましたから」

「覚えていてくださったんですね。それで、今日はどのようなご用件で」

「いえ、普通に食事をと思いまして」

「ああ、それはありがとうございます。どうぞ、お好きな席に」

 カウンターからほど近い、四人掛けのテーブルに二人は腰を下ろした。二人の他には、コーヒーを楽しむ客が二組と、窓際でサンドイッチを頬張っているサラリーマンが一人、席につかず本を見ている客が二、三人いるようだった。小さな店の割には繁盛していると言えるのではないだろうか。

 女性店員から受け取ったメニューを見て、「本日のパスタランチ」を注文した。

「知り合いのお店?」

 初老の店員がカウンターの奥にあるキッチンの方へ向かったのを確認してから、ミナは小声で訊いた。

「元お客さん」

「人生相談の?」

「そう」

「どんな?」

「守秘義務の範囲内で答えると、このお店を持つことの背中を押してあげた感じ」

「ふーん」

 キッチンでテキパキと動き回る男性を見ながら、ミナは、あんなにしっかりしている人でも、悪魔にすがりたくなることがあったのかと思った。もちろんミナは天使なので、人間の弱さについては十分に理解しているつもりだ。心の強さ弱さは、見た目では決して分からない。それでも男性が先ほど浮かべていた穏やかな表情は、迷いに囚われていた過去があったことを全く感じさせなかった。きっと有理の人生相談が、うまく男性を救ったのだろう。

 有理はこれまで何人の相談に乗ってきて、何人の人生を好転させたのだろうか。この男性のように。ミナはこっそりと称賛の眼差しを、目の前の悪魔に送った。

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